旅情 ― 「僕の愛人を紹介します 唯愛」 カンパニー松尾監督作品 ―


 きみを不幸にしたかな?

 そんなことないわ。わたしの人生で最高に幸せなときだったわ。信じて。

 ジェーン。ぼくはきみを愛しているよ。いつまでもだ。

 このままお別れしたらね……
 わたしはこれまでいつもパーティーで、帰りそびれていたの。
 帰るタイミングを知らなかったの。
 あなたのおかげでわたしは大人になったわ。
 いつ帰ったらいいのかがわかったのよ。



                           「旅情」より


 今回ご紹介しますのは、カンパニー松尾監督作品「僕の愛人を紹介します 唯愛」です。(撮影当時)36歳で本業は社会福祉士、語学堪能、モデルばりの高身長のAV女優・大友唯愛と、プライベートでも関係がある松尾監督が、「以前留学していたフィンランドに忘れ物を取りに行く」という彼女に同行して北欧へ旅立ちます。
 彼女はバツ1。21歳で出会い24歳で結婚した夫と11年後に離婚します。夫と結婚している間に彼女は、フィンランドへ、そして後にノルウェーに留学しました。二度目の留学の時にノルウェーに渡ったのは勉強の為だけではなく「すごい好きな人がいたから」と彼女は語ります。相手は7歳下の男性で、「身体は旦那のものだけど心はずっと彼のものだった」「たまに会える時は泣くほど嬉しかった」その男性とは彼女が既婚者故に「不倫」でした。ノルウェーから帰国後彼女は夫と離婚しますが、その時ノルウェーに居た「彼」は6年間彼女を待ってはいたけれども「もう待てない」と、新しい恋人を作っていて、タイミングが合わず別れたと彼女は語ります。

 
 「忘れ物を取りに」フィンランドに渡った彼女と監督のセックス。
 セックスなんて、どこでもいつでも所構わず出来ることなのに、どうして旅先のセックスを特別に感じてしまうのだろう。どうしてどうして、より切なくいやらしいもののような気がするのか。


 36歳という年齢。
 私も今、36歳です。自分の年齢にビックリします。36歳という年齢が他人事のようです。10代の頃は自分は30代になる頃には当たり前に結婚して当たり前に子供を生んでいるだろうと思っていた。好きな人が出来てキスをしてセックスをして、結婚して平凡な家庭を作っているだろうと信じていた。30歳過ぎた女はオバサンだと思っていたし、30代になって自分が恋という波に揉まれて苦しんだり泣いたり笑ったりしているなんて思いもよらなかった。ましてや30歳過ぎてこんなにもセックスに惹かれて拘っているなんて想像もつかなかった。
 もっと「大人」になっていると思っていた。

 けれども私は確かに少しは「大人」にはなったのかもしれない。私は自分を「もう若くない」と思う。私より年齢が上の人から見ると「何を言ってんだよ」と思われて嫌味に聞こえるかも知れないけれども、自嘲的ではなく自分を「もう若くない」と思う。それは老けたとかそういう意味ではなく、世の中はままならないものだということや、何かを諦める潔さの必要さ、そして人は年齢を経る毎に痛みや哀しみという荷物を背負い生きていかねばならぬこと、そしてそこから逃げることは出来ないということを年々考えるようになったから。昔はそんなことは考えもしなかった。
 私は「もう若くはない」、だけどそのことで悲観的にはなっていない。


 冒頭で引用した台詞は、デビッド・リーン監督、キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」という映画からの引用です。アメリカから「もう若くない」独身OLがイタリアのベニスに旅行にやってくる。彼女はそこで旅先でのロマンスを期待している。普段平凡で単調な日々を過ごす彼女は、旅という非日常の場で恋を夢見て心を躍らせる。そして彼女は1人の男と出会うけれども彼には妻子がいた。その男とベニスで楽しい時を過ごすけれども彼女はどんなに好きになっても、これは「旅先でのアバンチュール」に過ぎないこと、そして妻子ある男との恋には未来など無いことも知っていた。
 もしも彼女が「若い女」ならばベニスに残り「妻とは別居してるんだ」という男に縋りつくことも出来たかも知れないけれども、彼女は旅先の恋を自ら終わらせることを選択した。



 カンパニー松尾監督は、相当に欲が深い人だなぁと思う。その欲深さは、人に勝ちたいとか有名になりたいとか褒められたいチヤホヤされたいとか何もかも自分が所有したいとか、そういう種類の欲ではなくて、誰よりもセックスの、そして目の前の女の深い所に手を突っ込まないと気がすまないという種類の欲深さ。そしてそれをカメラに収め表現することを血にして生きているように見える。

 松尾監督のセックスの、女の深い所に手を突っ込みたいという「欲望」は、例えば女のトラウマを暴くとか、痛めつけることによって開放させるとか、セックスに、そしてAVに「酔わせる」とか、そういうこととは全く違う。


 松尾監督は、女の深い所に手を突っ込みながらも、「所有」しようとしていない。
 男も女も恋愛すると、セックスすると相手を所有したがってしまう。人を完全に自分と一体化なんて出来るわけないのに所有したいという欲望に支配されてしまうことがある。人が人を支配や征服なんて出来るわけがないのに出来た気になってしまう所から関係は崩壊を始める。支配されたがる人間も勿論いるし、相手を逆にコントロールする為に支配されているように振舞う人間もいる。支配する方が一方的に悪いわけじゃない。支配されたがってそのことに依存する人間だってたくさんいるから。支配したい男を喜ばす為に、支配されたフリをすることもある。
 

 本当は人は人を支配することなんて出来ないのよ。あなたと私は別々の個なんだから。
 だけどくっつきたい。寂しいからくっつきたいの。一つになりたい。一つになりたいけれども完全にくっつくことは出来ないからせめて身体の一部分だけでも繋げたい。寂しいから、繋がりたい。だから私の暖かく濡れた部分にあなたの濡れたものが欲しい。繋がりたい繋がりたい繋がりたい。入れて欲しい。私は寂しいからあなたと繋がりたい。私のものにならないことを私は知っているし、私もあなたのものにならない。けれども今、ただこの瞬間だけでも身体の一部だけでも繋がっていたい。
 瞬間の刹那の快楽を重ねて、その快楽を失う痛みを抱えながら生きていく。


 松尾監督が深い所に手を伸ばしながらも女を所有しようとしないから、女も所有されることも所有することも出来ずにいて、だから2人の間に距離感があり、その距離感がセックスの場面の空気を作る。やるせなくて、淫靡で、切ない空気を。
 セックスは相手を知ろうとして相手に近づく行為なのにそこに距離感があると、ジレンマが生まれる。そのジレンマが松尾作品の「切なさ」「淫靡さ」「やるせなさ」なのだ。


 松尾監督が女を所有しようとしないのは、所有できないのを知っているからじゃないかと思う。その身を委ねて抱かせてはくれるけれども絶対に「所有されない」「所有されたフリもしない」凛とした女達と「セックスという仕事」の中で出会って教えられたのではないかと、勝手に私は推測する。このまま勝手な推測させて下さいね。それは多分、彼が高い所から女を見下していないから、学んで自分の血に出来たことなんじゃないかな。自分以外の人間を見下して馬鹿にしたり、自分の世界には自分しか居ない人間は、何も学ぶことが出来ないもんね。

 「いやらしいセックス」っていうのは、いろんなバリエーションがあって、支配的なセックス、暴力的なセックスだって、勿論見る分には相当いやらしい。だけど私は好きな人と「お近づきになれるセックス」が今1番したいセックスで、でも一つになりたくてもなれないことも知ってしまったから松尾作品のセックスが他人事じゃない。


 この作品でもそうなんだけど、松尾作品の中で女が泣くのは、「場に酔う」とか「感極まって」とか「人の気をひく」泣き方ではなくて、「我に返る」から泣くように見える。
 松尾監督の欲望によって自分の中の深い所に手を突っ込まれて「我に返って」涙を流す女達がそこにいる。


 夏目漱石の「行人」の中に、こんな台詞がある。


『自分は女の欲望に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを掴まなければ満足できない』


 それが、カンパニー松尾監督の圧倒されてしまうほどの強い「欲望」に私には思える。所有せずに、スピリットを掴むこと。そうして造り上げられた「もどかしさ」の存在する切なく淫靡な空気を映像化する「才能」。
 「欲望」と、「才能」この2つが備わった人間の作品を見ることが出来る幸福に私は感謝する。


 
 「不倫だから」彼女と真剣に向き合うことの出来ない監督。明るい素顔を持つ彼女が時折こぼす「我に返った」ような涙。
 一緒に異国の地にいて、抱き合って繋がっているのに、セックスはいやらしくて気持ちが良いのに、どうしてこんなにも寂しいのか。
 不条理でどうしようもない感情が齎す痛み。だけど痛みという種類の幸福も存在する。





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愛憐

きつと可愛いかたい齒で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、このうす蒼い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情慾をたかぶらしめ、しげる草むらでこつそりあそぼう、
みたまへ、ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける。
さうしてこの人氣のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に蒼い草の葉の汁をぬりつけてやる。


                 萩原朔太郎「さびしい情欲」より






 10代の頃は、自分が30代半ばになって、こんなにもセックスに惹かれ焦がれているなんて思いもよらなかった。もう私は「若い女」ではないけれども、この蛇のやうなあそびが描かれた「アダルトビデオ」に魅せられ酔わされたいという想いは諦めることができない。



 私達は、蛇のやうなあそびをしよう。
 きっとその為に生まれてきたのだから。

 こっそりと情欲をたかぶらしめ、こっそりと蛇のやうなあそびをしよう。

 やるせなくて、をかしくて、切なくて、楽しい、蛇のやうなあそびを。









 追伸:一年間、藩金蓮の「アダルトビデオ調教日記」を読んで下さってありがとうございます。今日でちょうどこちらのサイト始めて1年になります。
 
 これから観光シーズンに入り本業モードになりますので、しばしお休みします。また状況に応じて、書きたいことがあれば、フラっと書くこともあると思いますので、その時はよろしくねん。ではでは、また。