セックスとマゾとアダルトビデオ


 セックス。

 寝ても覚めてもセックスのことばかり考えている自分は、淫乱ではないかと思うことがある。ううんあたしはいんらんじゃないわだってなんだかんだでぜんぜんしてないじゃないひどいもんよでも朝から晩までうんざりするほどセックスのことをかんがえているあたしはいんらんかもしれない。


 「あなたはマゾなんでしょ」と言われると口ではそんなことはありませんわとめんどくさいことに関わりたくないから言ってみるけれども自分を精神的にも肉体的にも痛めつける男とばかり関わってきたことを考えると潜在的にマゾなんだとしか思えない。

 うんこを食う以外のSMプレイらしきものはひと通りやってみてあんまりよくなかったから私はマゾじゃないのと言うけどそういうことをしたがる男ばかりと関係して普通のセックスなんてある時まではほとんど経験したことが無かったのはやっぱりマゾで痛めつけられることを望んでいたとしか思えない。


 女でアダルトビデオを所有して見ている人なんて珍しいよね変わり者だよね私もそう思う。なんだかんだ言ってごくごく少数派で私の周りには私しかいないよ。だけど私は今まで人生のいろんな場面でアダルトビデオと関わってきて今の自分がいるから、どうして自分はアダルトビデオを見るのだろうアダルトビデオって何なんだろうとずっと問いかけている。



 セックスが好きだから、性欲と恋愛感情を餌に男に依存して破滅した罪悪感から逃れて自分を肯定するためにセックスが描かれるアダルトビデオを見ているのだとずっと思っていた。
 だけどこの前8月の16日に五山の送り火で、「大」の字の一番真ん中部分、人間で言うなら男のペニス、女のおまんこの部分の火が最後まで中々消えずに燃えているのを見て、なんとなく、わかったことがある。

 セックスが好きだから、自分を破滅させた自分の性欲を肯定したいから、そういうことはあくまで枝葉に過ぎなくて、私はただ、「性」を見て、「性」を描きたい。ただ、それだけ。
 
 根拠も動機もない。
 ただ見たいから、描きたいから。
 
 


 セックス


 セックスは好きだけれども、私はセックスの神様に愛されていないんじゃないかと今まで何度も思った。24歳で初めてセックスをした人にはセックスを餌にされ金を要求され、私の20代なんて惨憺たるもんでキスはその人とは2回だけセックスも数えるほどで入れて数回動かすだけ。だけどフェラチオだけは毎日のように一日必ず1時間以上ひたすら「させて頂いて」感謝しろと言われてありがとうございますと精液を飲み込んでいた。
 2人目の男には前より先に後に入れられて排泄物をかけられてあげくの果てには酷い言葉で捨てられてああやっぱり私はセックスの神様に愛されていない憎まれている前世で何か悪いことをしたのかしらと思ったものだ。


 セックスの神様がいらっしゃるのなら教えてください。
 私は憎まれているのでしょうか?


 いいえ今はそんなことは思ってはいませんわ。
 相変わらずセックスなんて非日常の日々だけれども、神様にもしも憎まれているのなら性を描き続け救われた今の私はいないもの。
 そしてセックスをやりまくれば満たされるんだろうかと、いろんな男と寝れば満たされるんだろうかと、その答えも今は知っている。
 いろんな男と寝ていやらしいと言われるいろんな行為をやって、その時はそれなりに楽しかったような気もするのだけれども、その頃の記憶は今では実態の無い夢のように思える。
 ああ私の欲しいものは。



 セックス
 セックス



 こうして私は寝ても覚めてもセックス、それに纏わることばかり考えています。


 セックス

 
 精神的にも肉体的にも自分を痛めつける男と関わりながらもその時のセックスにも男と過ごす時間にも快楽なんて一つも見出せなかった。
 死にたいから誰か殺して下さいと他人を使って自虐をしていただけだから、気持ちの良くない冷たいSM行為だった。


 それでもね、私はマゾだと思います。
 マゾヒストだと。


 昨夜ふと気が付いたのだけれども、マゾには「自虐型」のマゾと、「奉仕型」のマゾと二種類あってね、「自虐型」のマゾは他者を自虐の道具に利用して殺して殺してと醜く喚いて足掻いて満たされることがない。

 「奉仕型」のマゾは字の如く対象を受け入れ仕えて満たされる幸福で美しい奴隷だ。あなたを喜ばせたい受け入れたい受け入れることで私は満たされる生きられる。

 「自虐型」のマゾの世界には自分しか存在しなくて他者はあくまでも自分の道具に過ぎないけれども、「奉仕型」のマゾは他者の存在があるからこそ自分の存在を確かめられ生きていけるのだと思う。

 「死にたい」自虐型マゾと、「生きたい」奉仕型マゾ。
 世界に自分だけしか居ない自虐型マゾと、他者の存在により自分が存在していることを知っている奉仕型マゾ。
 「死」に至るまで永遠に満たされることがない自虐型マゾと、死にたくないから生きようとする奉仕型マゾ。

 どうせ同じマゾなら、「奉仕型マゾ」になりたいと思うよ。


 世の中の人間のほとんどは、マゾだよ。
 生きていると苦しいことや哀しいことが多すぎて、そこから快楽でも見出さなければやってられないもの。
 

 セックス



 そしてセックスが描かれているアダルトビデオを見る私。


 2番目の男には関係する前にアダルトビデオを見せられて、SMやアナルセックスの事前「調教」をされていた。痛くないよ気持ちいいよ僕の彼女なんか蝋燭やアナルで喉が枯れるほど声をあげてよがって失神するんだよと、嫉妬心を煽り劣等感を増幅させる愉快でない話を聞かされ続け。
 その後、鬱病の薬の副作用で勃起しなくなったとたん彼はその「彼女」に会って貰えなくなったことを思うと鼻で笑ってしまうけれどもね。


 アダルトビデオの貸し借りがきっかけで恋人同士になったこともある。付き合い始めてから実はその人はそんなにアダルトビデオに興味があるわけではないとわかったけれども。恋人同士になるきっかけがAVってのも珍しい話だよねと友達に言われた。


 物書きの端くれだった最初の男に否定されてから文章を書くことを封印していた私が、こうやって長々とモノを書くことを始めたのもきっかけはアダルトビデオです。
 代々木忠監督、平野勝之監督、カンパニー松尾監督のアダルトビデオに惹かれていた私が、それらについて書かれている東良さんの文章を読む為にずっとAV情報誌を買っていて、そんなこんなでメール出したのが2年ちょい前、それで知人に勧められてmixi初めて、そこでちょいちょい書いてたのを東良さんに褒められて調子に乗って書いていくうちに書かずにはいられなくなりそのうちに人に言えなかった「恥ずかしい自分の過去」(いや、過去じゃねーな。現在進行形だな)を書いて楽になり救われて、今に至る。
 

 わりかし真面目な作品論も、「エッチマン」や「美少女調教日記シリーズ」みたいなバカ話も、AVのことについて書くのは楽しい。多分、一番楽しい。相当楽しい。そう考えると、「セックスの神様」には、相変わらずつれなくされてはいるけれども「AVの神様」には結構よくしていただいているのかしらとも思う。私をいろんなことから救ってくれた調教中の純情少女Nちゃんと仲良くなれたのも、そう言えばAVのおかげだった。
 彼女は私の大事な人で、毎日彼女のことを考える。



 セックスのことばかり考えているわたし。

 マゾヒストで、「自虐型マゾ」から脱却して、「奉仕型マゾ」を目指したいわたし。

 アダルトビデオに人生が良い意味で左右されまくってるわたし。


 「藩金蓮」という女の成分は、セックスとマゾとアダルトビデオで出来ているようです。


 そんなわたしを愛してください。
 私は愛されたいからセックスとアダルトビデオのことを書き連ねているのです。
 女に生まれて女として生きながら、私は私の「性」を書くのです。


 愛という糧を得るための娼婦になって。