バラ色の人生
週の真ん中水曜日、真ん中もっこり夕焼けニャンニャン! (懐かしい・・・)
と、いうわけで、水曜日はレディースデーで映画が千円なので久々に映画館に行ってまいりました。是非是非、映画館で見ておきたかった作品「エディット・ピアフ 愛の讃歌」http://www.piaf.jp/を観に某シネコンへ。
しかし毎度毎度思うが、シネコンってのは、「映画館」とは別の空間のような気がします。なんか宇宙船の中みたいな設備やった・・廊下とか・・・
それでも元映画館で働いていた私は、この空間がとても懐かしい。
何故にこの「エディット・ピアフ 愛の讃歌」だけは映画館で観ておきたかったのかと言いますと、歌ですよっ! 歌っ! 歌っ! この映画では歌唱シーンは吹き替えではなく、エディット・ピアフ自身が唄う歌が使われておるのですよっ!! ドルビーサウンド(何のことかよく知らんけど)でピアフの声を聴きたかったのっ! アタシっ! その為には千円払うわっ!(セコい・・・)
エディット・ピアフは1915年に生まれて1963年に亡くなったフランスの国民的シャンソン歌手です。越路吹雪が歌った有名な「愛の讃歌」はもともとはピアフの歌です。
貧民街で生まれ母に捨てられ祖母の経営する娼館で育ち3歳の時に視力を失うが、7歳の時に奇跡的に視力が回復したピアフは、その後大道芸人の父と共に路上に立ち歌い始め、その歌唱力が注目され、フランスの国民的歌手の座に昇り詰めます。
歌手としても本当に凄い人なのですが、それ以上に凄まじいのはこの人の「人生」です。貧困の中での娼婦や物乞いの真似事のような生活から見出してくれた恩人が殺害された折には容疑者にされ、最初の結婚で出来た娘を幼くして失い、歌手として頂点へ登った時に出会った生涯の恋人を飛行機事故で亡くし、その後は4度の交通事故、麻薬とアルコールでボロボロになり47歳で亡くなります。
彼女の葬儀の日には4万人の人々が詰め掛けてパリの交通網が完全にストップしたと言われてます。
生を受けてから歌手になるまでの貧困生活も壮絶なのですが、彼女の人生で1番大きな幸福と悲劇は、ポロボクサーのマルセル・セルダンとの恋でした。それまでもイブ・モンタン、シャルル・アズナブール始め数々の男性と浮名を流してきた「恋多き女」に、
「あたしも数多く恋したけど、1人の男しか愛さなかったわ。」
と言わしめた恋愛。
「決して手に入らないけれども、その人無しでは生きていけない」妻子ある男ではあるけれど、全身でピアフの愛に応えたセルダンとの幸福な日々は、ある日ニューヨークにいるピアフがパリから船で来ようとしたセルダンに「船は時間がかかるから嫌。早く会いたいの。飛行機で来て。」とせがみ、その通りにピアフの元に向ったセルダンの乗った飛行機が落ちたことにより終わります。
そのセルダンへの想いを歌ったと言われているのが「愛の讃歌」。一般的に日本語訳されている岩谷時子の「あなたの燃える手で私を抱きしめて」という歌詞より、美輪明宏訳のこっちの歌詞の方が原詩に近いと言われております。↓
『高く青い空が 頭の上に落ちて来たって この大地が割れて ひっくり返ったって
世界中の どんな重要な出来事だって どうってこたぁ ありゃぁしない あなたの この愛の前には
朝 目が覚めたとき あなたの温かい掌の下で
あたしの体が愛にふるえている 毎朝が愛に満たされている
あたしにはそれだけで充分
もしあんたが望むんだったら この金髪だって染めるわ
もしあんたが望むんだったら 世界の涯だってついて行くわ
もしあんたが望むんだったら そぅ どんな宝物だって お月様だって盗みに行くわ
もしあんたが望むんだったら 愛する祖国も 友だちも みんな裏切ってみせるわ
もしあんたが望むんだったら 人々に笑われたって あたしは平気どんな恥ずかしいことだって やってのけるわ
そしてやがて 時が訪れて 死があたしから あんたを引き裂いたとしても それも平気よ だってあたしも必ず 死ぬんですもの
そして死んだ後でも 二人は手に手を取って
あのどこまでもどこまでも広がる真っ青な空の青の中に座って永遠の愛を誓い合うのよ なんの問題もないあの広々とした空の中で
そして神様も そういうあたし達を 永遠に祝福して下さるでしょう』
もともとの「愛の讃歌」は、こんなふうに「あなたの為なら裏切りもする、盗みもする」というフレーズなので、背徳的だとも言われます。この歌詞を聴くと中島みゆきの『空と君との間には』の中の、「君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる」という箇所を思い出します。
映画は、美しくもなくチビで痩せぎすで育ちが悪く下品で野卑で我儘で痛々しすぎるほど臆病で繊細なピアフを美化することもなくそのまま描写してありました。
私はこの映画を客観的に評価できないのでございますよ。ピアフの歌が凄まじすぎて。
心臓を引き裂くような歌声、空が割れるような歌声。ピアフの歌を聞く度に、歌というのは「魂」で歌うものなのだと思います。生ぬるさとか馴れ合いとか騙しあいとか、そんな中途半端に身を守る物の存在を一切許さないこの世で最も聖なる魂の歌声だと思うのです。
私が、(多分)自分の人生で最も最悪な時期に毎日朝も夜も聞いて縋っていたのがこのエディット・ピアフの歌だった。誰も私を助けてくれなくて救われなくて、足掻いてもがいて、それでも生きなければいけないのかと自問自答を繰り返していた日々に縋っていたのがこの声で、そして縋る私にただ「生きなさい」と応えてくれたのもこの声だった。フランス語の歌詞の内容なんて全然わからなかったけれども、ただこの声だけが私の命綱だった。苦しくて縋れる何かを探していて宗教を持とうとしたけれども信仰を持つ力も無い私と生を繋ぐ蜘蛛の糸がピアフの歌声だった。
エディット・ピアフの人生、特に最愛の恋人マルセル・セルダンを失ってから亡くなるまでは余りにも脆く痛々しいけれど、それでもやっぱりその人生は「バラ色の人生」だったのではないかと、ピアフ晩年のインタビューを聞いて思いました。
記者「正直に生きられますか?」
ピアフ「そう生きてきたわ」
記者「女性へのアドバイスをいただけますか」
ピアフ「愛しなさい」
記者「若い娘には?」
ピアフ「愛しなさい」
記者「子供には?」
ピアフ「愛しなさい」
私がピアフの歌を知ったきっかけは、はっきりしたことは覚えていないのだけれども、多分元婚約者のT君だったんじゃないかな。彼は昔シャンソンを習っていて、今でも時折ライブで歌います。
彼が以前ライブで「百万本のバラ」を歌う際の曲紹介で「シャンソンというのは、救いようのない歌詞が多い」と言っておりました。
「百万本のバラ」も見返りどころが相手には気付かれもしなかった一方的な、ある意味絶望的な片思いの歌です。
けれども救いようのない哀しい人生の中から生きる喜びを見出すのが、シャンソンなのかも。
そしてピアフがボロボロの中晩年にカムバックした時に唄った歌が、こちらの「水に流して」
『いいえ、ぜんぜん いいえ、私は何も後悔していない
私が人にした良いことも、悪いことも 何もかも、私にとってはどうでもいいこと いいえ、ぜんぜん いいえ、私は何も後悔していない
私は代償を払った、清算した、そして忘れた 過去なんて、もうどうでもいい 私は多くの過去を束にして 火をつけて焼き去ってしまった
私の味わった苦しみも、喜びも 今となっては必要がなくなった 私は過去の恋を清算した トレモロで歌う恋を、清算した
永遠に清算してしまった 私はまた、ゼロから出発する
私の人生はすべて、喜びも 今は、あなたと共に始まる』
同じシネコンでやってた、「HERO」や「クローズド・ノート」に比べたら、全然観客動員数は少ないと思うんやけど、この映画をきっかけにエディット・ピアフの歌声に触れる人が1人でも増えることを願います。
天上の美味のような歌や物語が、創り手が亡くなった後もこうして残されて語り継がれて、それらを享受できる幸福がこの世に存在している。
魂がこの世から離れる今わの際に、確かに自分の人生は幸福だったと、バラ色の人生だったと言えるように、そんなふうにこれから先、生きていけたら。
やっぱり、人間は幸福になろうとすることを諦めちゃイカンと思うのです。
何をベタなこと言ってやがるんだと思われる方もいらっしゃるでしょうが、人のことなんてあたしゃ本当はどうでもいいよ、ただ私は幸福になりたいんだよ。
私が欲しいのは、バラ色の人生。