『美しい痴女の接吻とセックス』  二村ヒトシ監督

 

 
 欲情する女は、どうして、こんなにも美しいのか。


 ごくたまに、画面の中でセックスをする女性が菩薩に見える時がある。慈愛としか表現のしようがない表情を浮かべながら男を求め、大いなる母性で男を自分の中に招きいれることによって許し受け入れる女性が、菩薩のように見えることがある。

 
 私が、初めて見た二村ヒトシ監督〈こういう人です→http://www.nimurahitoshi.com/apps/mtdata/about/2006/08/16-010840.php)の作品は、「美しい痴女の接吻とセックス  青木玲http://www.dogma.co.jp/shop/index.php?act=prod&prodid=475です。『美しい痴女の接吻とセックス』が、二村監督の人気シリーズであることだけは知っていたけれども、正直、それまでAVの中における「痴女」というものが何なのか知らなかった。字面の通り、痴漢のような女、変態女かと思っていた。しかし、いざ見ると、そこでセックスをする女は、全然変態なんかじゃない、破廉恥な女なんかじゃない、ごくごく普通の女だった。普通に、「欲情する女」。


 今更ながら、女にも性欲があるのなんて当たり前で、その場の雰囲気で自分から求めることもある。あるいは、わざと隙を作って、相手から求めさせることもある。セックスが嫌いな人も苦手な人も勿論いるけれども、セックスが好きでセックスを楽しみたい女もいる。そういう、ごくごく普通の性欲を持つ女、その女達が時には有りえないような状況設定であっても、自分の性欲に従って自然に男を求める。それが二村作品の「痴女」だと思った。


 そして、その『美しい痴女の接吻とセックス』と言う恋愛小説のようなタイトルの如く、「痴女」は、美しかった。シリーズに登場する各々の女優が、「どういう状況設定で」「どういう役柄で」「どういう服を着て」生きるかということを、二村監督が的確に知っていて具現化していること事も見逃してはいけない。そうして一人一人の女性を客観的に「見せる」事ができることは、実は相当の才能が必要なことだ。
 そして、そういう「見せる」ことだけなら、服を脱いでしまえば終わりだし、正直言って、顔の作りが良いとか、スタイルが良いとか、二村作品の女の「美しさ」は、そういうことだけじゃない。
 私は、パッケージを見て「この人、あんまり私のタイプじゃないなぁ、、」とか、「こういう顔は好みじゃない」とか、思いつつも実際に見ると、女が、どんどん美しく見えてきて、印象が全く変わることがあった。なんだよ、めちゃめちゃ可愛いやんかっ!って。だから、そういう意味で損したことは、ほとんどない。多分、その辺ですれ違っただけなら、何とも思わない女が、二村作品の中で見ると、最初は欲情を小出しにしつつ、そのうち我慢できなくなって、どんどんとバカになって、もうわけわかんなく興奮しちゃう過程で、女がどんどん綺麗になって、可愛くなっていく。


 「抜ける」って言葉を、私は使うのだけれども、実際のところ、私は女なので勃起するペニスはないし、射精の機能もない。ただ、AVを見て、「良いオカズ」だと表現する時に、やっぱり「抜ける」という表現が一番相応しいと思って、便宜上その言葉を使う。
 AVは、勿論基本的に男の抜き用に作られているものだ。男にも女にも性欲はある。だけど、その形は違う。女にはペニスは無いし、射精機能もない。男には女性器に挿入された快感などわからない。私が、よく冗談で、女を見て「勃起するぜ」とか言うけれども、実際のところ、なんとなくそう表現するだけで、勃起の感覚も射精の感覚もわからないのだ。現実的に身体の機能が異なるのだから、わかるはずなどないし、わかった気になるつもりもない。それは「差別」ではなく「区別」だ。差別と区別を一緒にしてはいけない。
 私の友人に、男にしか欲情しない男がいて、彼は普段の言動や行動なども「女っぽい」のだけれども、その性欲の種類は「男の性欲」だと、いつも彼を見て思う。そして私自身も、男にも欲情するけれども、女にも欲情するという種の人間だけれども、自分が女に欲情する時に、やっぱり「男」になりきれないのは自覚しているのだ。私には現実に勃起するペニスが無いから勃起の感覚がわかるはずなどない。欲しいと思ったことは、何度もあるけれども。女とセックスする為のペニスが欲しいと思うことは、しょっちゅうあるけれども、現実に無いのだから、「男の性欲」の感覚は、本当の所は、わからない。


 わからないけれども、共感することは出来るのだと思う。だから、男の為に作られているAVを見て、興奮して、「抜く」。二村監督の作品は、抜ける。いやらしいと思う。「女の性欲」しか持たない私でも抜ける。男の性欲と女の性欲は、永遠に平行線で、わかりあえないけれども、平行したままでも、その線同士を繋ぐ琴線があって、その琴線が、おそらく二村作品のキーワードなのだ。だから私はエロ免疫の無い純情少女Nちゃんに二村作品を見せた。(Nちゃんに関しては美少女調教シリーズ参照)彼女に貸した時は、そこまで考えてなくって、ただ単に、綺麗な女の人が、いやらしいセックスしてるから、お勧めだよって思っただけだったけど。



 そしてその琴線が、おそらく「セックスは楽しい」と思わせるのだ。わかりあえない男と女の性欲の琴線が交わり、絡み、離れ、また交わり、また絡み、また離れ、また絡む。それを繰り返す遊びが「楽しいセックス」。オナニーじゃなくって、セックス。それは、遊びだから楽しい。


 楽しんで、喜ぶ女の表情は、生き生きとしている。目の前の相手が、自分がしたいことをして、それによって喜んでくれると、自分はもっと嬉しくなって、自分も相手に自分のして欲しいことをされて、気持ちよくて、嬉しくて、楽しくて、そうすると、その目の前の相手が、愛おしくなっちゃって、もっと気持ちよくなって、お願い、もっと喜んで、声をあげて、私の体で、もっともっと気持ちよくなって、声を出してって思った瞬間に、多分、女は、その瞬間だけでも「我」を捨て「空」の状態になる。その「空」の状態は、「愛」と表現してもいいかもしれない。その時、「我」の消えた女は、満面に慈愛の表情を湛えて、「菩薩」の如き表情になる。そして、それが、女が一番美しい表情なのだ。


 
 私は、女の人が好きで、しょっちゅう男になって、女とセックスできたらいいなぁと思ってる人間で、男と居るより女の人といる方が楽しいし、世の中の割合が、男1で、女9でも、一向に構わないと思っている。男の人を好きになって、恋愛したり、勿論セックスをするのも好きなんだけど、男という生き物と、女という生き物と、どっちが好きかと問われたら、迷わず「女」と答える。だから「女」を「美しく生かす」二村作品が好きだ。 



 二村作品の中の特徴の一つに、タイトル通り「キス」シーンが多いのと、良い意味で、しつこいことが挙げられるが、「キス」シーンが多いということは、その分、女の表情、顔が見られるということだ。顔という部分が、人間の身体の中で一番正直で、わかりやすい。時折、嫌になるほど、わかりやすい。だから反面、キスシーンを多くするというのは、一歩間違えるとボロが出やすいということでもある。キスシーンは少なく、結合シーンと、あんあんイキまくる顔だけ見せてる方が、ズリネタとしては、わかりやすいかもしれない。顔立ちの整った、スタイルの良い女の裸や性器やセックスは、それだけで価値があるものだから。ただ、二村作品の中の「キス」が重要な「抜き」のファクターであるのは、その「欲情する表情」をキスという手段により、見る側と女優を繋ぐに琴線にして伝達しているように思えるのだ。


 だから、「痴女」が欲情しているのは、画面の外でパンツを下ろして見ている「あなた」だ。上目遣いで「あなた」の顔を見ながら「あなた」の乳首を舐める。私は時折、明らかに画面の、こちら側の自分を見て欲情している「痴女」と目が合って、矢で射られたような気分になる。美しい獣に囚われて、食われる事をこの上ない至福に感じる。ゾクゾクする。自分に欲情する女、自分を欲しがる女。たまらない。



 二村監督が、演出しながらモニターの前で、自らオナニーをするという話は有名だけど、私は、その話を聞いても全然おかしなこととは思えなくて、(それ以外の場所でしてたら逮捕されますが)、ごくごく自然なことだと思った。だって、女は、画面の向こうの「あなた」に欲情してる、「あなた」を欲しがっている、明らかに。目の前に、自分に欲情する女がいたら、よっぽど嫌なタイプとかじゃない限り、普通欲情するよなぁって、単純に思う。



 恋をする女が美しいとは言うけれども、それは好きな人を求めるから、求めることが喜びだから、女は綺麗になる。とりあえず彼氏がいないと寂しいから適当にとか、自分からは求めはしないけれども求められることによって自分の存在意義を見出したいとか、そういう自己愛の延長に誰かを利用するだけで、条件が合えば誰でもいいとか、そういうのじゃなくって、いや、例え、とっかかりは、そういうのであっても、「あなたが欲しい」と、求めることが喜びに出来る女は、美しい。


 求めて求められて与えて与えられて、そこに喜びを見出すことが出来るからセックスは楽しい。セックスというコミュニケーションで繋がりたい。繋がると嬉しい。


 あなたがして欲しいことをしてあげる、だって、あなたが気持ち良さそうにしている顔と、あなたが気持ち良くって我慢できなくなって思わず出しちゃう声が好きなんだもん。感じてるあなたが可愛いんだもん。もう可愛くって可愛くって嬉しくなっちゃって、もっと、してあげたくなるの。もっともっと気持ち良さそうな声を出して、我慢しなくっていいから。声出されると嬉しいの、感じてるって、わかるから嬉しいの。恥ずかしがらなくっていいのよ。声を出してくれたら、どこが感じやすいか、私もわかるから。どうしたら、あなたが気持ちよくなれるか、私に教えて。感じてるあなたが嬉しくって可愛くって愛おしくて愛おしくて堪らなくなって私も恥ずかしいけど、こんなに欲情しちゃって、一緒に気持ちよくなりたくなっちゃったから、入れていいですか。入れちゃうよ、入れたら、繋がるから、あなたも私も一緒に気持ちよくなれるの。気持ちいい?私も気持ちいい。嬉しい?私も嬉しい。楽しい?私も楽しい。あなたとするセックスは、こんなにも楽しい。画面の向こうの「あなた」とするセックスは、わけわかんなくなっちゃうほど、いやらしくて、楽しいの。触っていい?触られると嬉しい。キスしていい?キスして舌を絡めてあなたの唾液を味わうと嬉しいの。どうしてこんなに嬉しいの。あなたも嬉しい?気持ちいい?楽しい?そう思ってくれるとすごく嬉しい。もっと、したくなる。もっと、どんどん気持ちよくさせたい、一緒に、もっと、どんどんと気持ちよくなりたい。セックスは嬉しいから気持ち良いから好き。私が、こんなにセックスが好きなんて他の人には言えないけれども、あなたには教えてあげる。ねぇ、わかるでしょ、私が感じてるのが、あなたのが入ってて、あなたが喜んでるのが嬉しくって、私も感じてるのが、あなたには、わかるでしょ、私もあなたが喜んでるのがわかる。だって繋がってるんだもの。今、私と、あなたが。
 嬉しい。私も気持ちよくって、あなたも気持ちよくなってくれて、嬉しい。





 
 
 
「あなたはだんだんきれいになる

 をんなが附属品をだんだん棄てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。
 年で洗はれたあなたのからだは
 無辺際を飛ぶ天の金属。
 見えも外聞もてんで歯のたたない
 中身ばかりの清冽(せいれつ)な生きものが
 生きて動いてさつさつと意慾する。
 をんながをんなを取りもどすのは
 かうした世紀の修業によるのか。
 あなたが黙つて立つてゐると
 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。」




                       高村光太郎智恵子抄」より







 
 セックスって、どうしてこんなに、楽しいんだろう。
 


 









二村ヒトシ監督作品には、「美しい痴女の接吻とセックス」の他にも、ホテルの一室で濃厚なセックスを魅せる「密室フェロモン」や、美女がチ○コを生やす「ふたなり」や、「レズビアン」「集団痴女」シリーズなど、いろいろあります。こちらで買えます→http://www.dogma.co.jp/shop/index.php?directid=2&mediaid=2


二村ヒトシ監督公式HPhttp://www.nimurahitoshi.com/index.html