ヒロシマの青い空

 広島駅の南口を出ると左側に路面電車のホームがある。市内を走る路面電車に15分ほど乗車すると「原爆ドーム前」という停車地で降りる。右手には広島市民球場、左手には世界遺産に指定された原爆ドーム、正面には相生橋がある。

 原爆ドーム沿いには全身を焼かれた人々が水を求めて争うように駆け込み、水は血の色に染まり人々の焼け爛れた死体が浮かんでいたという元安川が流れている。
 
 元安橋を渡り緑に染まる平和記念公園の中に入ると右手には薔薇の花が咲き誇る。その隣には原爆の子の像、そして全国の子供達によって折られた千羽鶴が掲げてある。

 平和の鐘には世界地図が刻まれており、鐘を打つと音が公園内に響き渡る。平和記念資料館に向って真っ直ぐ平行に世界から核が無くなるその日まで消えないという灯火が燃え続けている。その向こうにはアーチ型の慰霊碑があり原爆で亡くなった22万人の人の名前が収められている石棺がある。

 空を覆うぐらいの木々と水に囲まれた公園の緑と空の青が目に染みる。ここが「100年は草も木も生えないだろう」と言われた地獄だったとは誰が想像できるだろうか。

 広島には仕事で何度も来ている。小学生を連れた修学旅行などで。広島はオタフクソースをかけた広島焼きが美味くて牡蠣も穴子も名物で、広島の人は広島カープを愛している。「仁義なき戦い」を連想させる広島弁で平和を願う街を語る。

 初めて広島への修学旅行に来た時に路面電車に乗っていると「どこから来たの?」と子供達が年老いた婦人に喋りかけられていた。
 「私の母も被爆したんだよ、しっかり勉強して帰ってね。」
 と、言ってその婦人は電車を降りた。


 現地のガイドさんに案内される度に、その真摯な姿勢に頭が下がる。勿論彼女達は実際に被爆したわけではないが、彼女達の祖父母だったり親戚だったり親が被爆者なんだという話はよく聞く。彼女達は平和記念公園の様々な碑を案内する度に黙祷して手を合わす。口先だけではなく骨の髄まで真摯に手を合わし平和を願う。彼女達の広島の案内は、外から来た私とは比べ物にならないほど言葉に重みがある。

 平和、平和と言うけれど。
 実際に戦争がなくなるわけがない。人類の歴史が始まって以来、戦争が無かった時代なんて存在しない。シュプレヒコールの声をあげて平和を叫んで行進しても、戦争の無い世界をと叫んでも、どこか空虚に思える。
 そういう運動に参加したことはないし、正直言うと苦手だった。目的より運動自体に意義を見出したり、変に押し付けがましかったり、自分が正しいと信じて疑わない傲慢さに辟易したり、自己陶酔しがちな人間が知り合いに何人かいた。決して無くなる筈が無い戦争をなくして平和な世界をと、全ての人が幸せになれる世界をと叫びながら、人ではなく空を見ているような人を見る度に、そんなことができるわけないじゃないか、そう叫ぶことに意義と時間を費やせる人々は自分に余裕がある人間だと僻みと羨望が混じった視線で見ていた。世界平和どころか、明日の自分の生活が見えなくて未来には絶望しかないと思っていたから。

 「語り部」という人達がいる。実際に被爆された方々が実体験を修学旅行生に語るのだ。しかし被爆者の高齢化も進み段々と「語り部」は減ってきている。そこで最近勧められているのが、ボランティアによる原爆体験記、原爆詩の朗読会である。元アナウンサーの方などが中心になって詩の朗読をされる。昨年、初めてその朗読会に参加できた。

 この原爆詩の朗読をライフワークにしているのが女優の吉永小百合で、彼女は「夢千代日記」というドラマ(映画にもなった)で被爆して死期が近づく温泉芸者を演じたことがきっかけで始めたそうだ。吉永小百合が編集した原爆詩の絵本がある。「小さな祈り」http://www2.plala.or.jp/yamateru/mybook/yosinaga/yosinaga.htmという本で、この中から何編かの詩がボランティアである元アナウンサー、現役アナウンサーの方々によって朗読された。

 最初に短いVTRが流されて、その後で原爆体験記の朗読、そして詩の朗読。その後、おのおのが心に残った詩を子供自身が朗読する。そして最後に感想を言う。
 ボランティアの方はそれこそ何度も何度も毎日のように詩を朗読されている筈だ。それでも読みながら感極まって言葉に詰まる場面が何度もあった。プロの方々なので喋るのが上手いということもあるだろうが、詩を聞きながら、そして自分達でも朗読して子供達は全員泣いていた。先生達も泣いていた。私も耐え切れなかった。

 最後、感想を言う時に、子供達の何人かは嗚咽して言葉が出なくなってしまった。ボランティアの方は、その子の肩を抱きしめて 、

 「言葉に出さなくても、あなたの想いは伝わったから。ありがとう。」

 と、声をかけていた。


 一人の子は、

「自分の、大切な人が、突然死んでしまったらと、考えると、」

 と、言ったっきり言葉を失って立ち尽くした。


 私達は完全なボランティアですので、と言って、謝礼は絶対に受け取ってくださらなかった。(謝礼が必要な団体もあるらしいですが)

 「その代わり、他の学校さんや、お子さん達にも、このことを伝えて下さい。」

 と、言われた。最後、子供達はボランティアの方々に頼んで一緒に写真を撮っていた。
 ちなみにこの朗読会を行っているのは国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 (財)広島平和文化センターというところである。http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/notice/katari.html広島以外の場所でも朗読会が開催されることもあるそうです。

 この地の人達は、「ヒロシマ」という街の想いを伝えたいと切実に願っている。世界のどこかで核実験が行われる度に広島市長は抗議文をその国に出している。そして、おそらくほとんどの人は修学旅行という機会でもなければ、平和記念資料館まで足を運ぶことはないだろう。目を背けたくなるような悲惨な出来事を目の当たりしにようとは。

 街も人間と同じで、それぞれ歴史があり、心がある。

 原爆詩画集「小さな祈り」の中の詩の中から、一編、これだけでも読んで頂けないでしょうか。「ヒロシマの空」という詩です。http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/taikenki/sora.html素直な気持ちで、そのまま読んでいただけないでしょうか。

 私達は実際にヒロシマという場所で、この詩を聞いたというのもあるから、あんなふうに泣いてしまったというのもある。実際に、この詩だけを活字で読んだ人がどういうふうに捉えるのかはわからないけれども。吉永小百合さんが朗読されているCDもあるそうです。


 あなたの大切な人が、明日消えてしまったら。

あなたの大事な人が、あなたの大好きな人が、ある日突然いなくなったら。

 そんなことは決して有り得ないという保証なんてどこにもない。ある日突然爆弾が落ちたり、事故が起きたり、地震があったりで、あなたの大切な人が消えてしまうことは、夢の中の出来事ではない。ヒロシマの街に無数に存在した出来事は決して遠い昔の他人事ではない。


 あなたの好きな人に、大切な人に、大事な人に、あなたは。
 優しくしていますか、幸せを願っていますか、好きだと伝えていますか。明日、その人が自分の目の前から消えてしまっても後悔しないと思えるほどに想いを伝えていますか。
 あるいは明日世界が終わって自分も閃光と共に消えてしまうその瞬間に、好きな人に優しくしなかったことを、好きだと伝えなかったことを後悔はしないですか。意識が遠のいて無になるその刹那の瞬間に、後悔に襲われないように、大事な人を大切にしていますか。


 そして自分自身も無になる瞬間に、今までの永くない自分の人生が悔いのないものだったと思えるほどに真摯に懸命に生きているだろうか。頭上で目が焼けるほどの閃光が煌き全身が熱に包まれて意識が遠のく、その瞬間に。

 明日、世界が終わってしまわないなんて、誰も言えない。


 ボランティアの方は、子供達にこう言われた。

「これから皆さんは大人になって、絶対に辛いことがあります。これから先、必ずあります。それでも、生きているということは幸せなことだということを忘れないようにして下さい。」


 生きているということは、辛いことだ、間違いなく。
 でも、だからこそ楽しいことを見つけたり、好きな人を大切にしたり、されたり、そうやって幸せに生きる努力を、ただ生きているだけではなく、努力をしないとヒロシマの空を灰色に染めて地獄にした閃光が煌く瞬間に、後悔することになる、きっと。それは体を焼きつくす熱よりも苦しい痛みの筈だ。

 何も考えなくていいから、何も言わなくてもいいから、何もしなくてもいいから、一度、ヒロシマに足を運んで欲しい。

 ビルの立ち並ぶ街中を路面電車が走る街に。赤ヘル応援歌の鳴り響く今時珍しいぐらいに古くて小さい広島市民球場に。オタフクソースの甘い匂いの立ち上る焼きソバの入った広島焼きや、牡蠣料理を食べに。そして緑と花と青い空が鮮やかで、噴水の水が高らかに飛沫をあげる広島平和記念公園に。親は子に、教師は生徒に、人は自分の大切な人に、伝えて欲しい。そして、あなたが好きだと、伝えるべきだ。


 明日、世界が終わってしまうかもしれないのだから。



 
   慟哭

 『いきのこったひとはどうすればいい
  いきのこったひとはなにがわかればいい

  生きのこったひとはかなしみをちぎってあるく
  生きのこったひとは思い出を凍らせてあるく
  生きのこったひとは固定した面を抱いてあるく』


                     「小さな祈り」より



 ヒロシマの空は、今日も青い。