セックスが無いと生きていけない
「自分が、若さを奪い取られつつあると感じるようになると、反対に、性愛に対する欲望と飢えが強まっていった。セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたいという、剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができない期間があった」
森瑤子「情事」より
セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたい。
もう、いいよ、もう、たくさんだと根を上げるぐらいに。出来るなら、朝目覚めた時から、疲れ果てるまで、部屋に籠もりきりになり寝食も忘れ、毎日毎日セックスが出来たなら、私はもういいよ、もう望まないよと、満たされることが出来るのだろうか。どこの物好きな男がそんな欲望に付き合ってくれるのだろうか。
私はセックスが無いと生きていけない。オナニーだけじゃ駄目、セックスが無いと飢え死にしてしまう。朝から晩までそのことを考えている自分に時折うんざりしながら感心もする。自分の欲望はキチガイじみている。けれども誰でもいいわけじゃあないのだ、誰でもいいから突っ込まれたいわけじゃあない。そしてセックスが齎す様々な「情」のようなものが面倒でもあるし、傷つくのが怖いから、自分から男を誘ったことなど殆ど無い。ここ数年はセックスの回数なんて盆正月程度だ、したくてしたくてたまらないのに。
すごく好きになった人がいた。何も見えぬほどのぼせ上がった。その人とセックスをして、「2度と他の男とは出来ない」と思った。そのセックスはすごく幸福で、私を地獄に落とした。2度と他の男とは出来ないのに、その男とも2度とセックスすることは無かったのだ。男は求める私を「疲れるんだよ」と怒鳴った。相手のことを考えず無神経に会いたがる私を、男は自分の身を守るために切り捨てた。懸命な決断でしょうね。過剰な私の欲望は好きな男を疲れさせ、愛情は男を傷つけて切り刻むらしい。一回り以上歳上の男には私という過剰な人間は重荷過ぎただろうし、初めから殆どこちらの一方的な片思いのようなものだったから、来るべきして訪れた破局だった。わかっちゃいるけれど、死にたくなった。
そうして、私はもう一生、誰ともセックス出来ないと思った。セックスどころか、人を好きになってはいけないのだ。男の言葉は決定打だった。好きになった男を苦しめる女だと思い知る。
一生、誰ともセックスは出来ないけれど、私はしたかったのだ。反吐が出るほど、セックスがしたかった、したい。この渇望の正体は何なのだろうか。20代の頃、殆どセックスをしていない、未だにまともな恋愛をしていない怨念がこういう形で噴出しているのだろうか。性欲という言葉では片付けきれない凶暴な欲望が渦を撒く。
じゃあすればいいんじゃないか。
そうね、すればいいのよ。
出会い系を利用してヤルだけの男を探そうかと思ったこともあるが踏み切れない。生理的に受け付けない頭の悪そうな仕事関係者の誘いに乗ろうかと思ったこともあるけれど、やっぱり嫌だ。めんどくさいのよ、いろんなことが。後腐れもそうだし、情が湧くのも湧かれるるのも嫌だ。だけど情も湧かないような男とは寝たくはない。精液を溜め込み噴出しない私の身体と心は、軽蔑している種類の人間と寝ることは満足しないどころか自己嫌悪に陥るのは目に見えている。
昔、いろんな男と寝ていた時、私はその男達を軽蔑していた。バカなヤツら、と思っていた。そう思う自分をも軽蔑していた。あんな状態はうんざりだ。
「一生、この人以外とはセックス出来ない」、そう思える幸福なセックスをした相手に切られて傷ついて、それでも反吐が出るほどセックスしたくて、だけど出来ないから、頭がおかしくなりそうで、もういっそ諦めてしまえば、捨ててしまえば、この欲望と、女であることを。そうして捨てるフリをしていた、今でもしている、捨てるフリを、欲望を。気持ち悪いと思われ、うんざりされるのが嫌だから。
誰とでもセックス出来る女になれたらと思うこともある。
そうすれば、この渇望と飢餓状態から脱することは出来るだろうか。やってやってやりまくって、「もういいよ」と思うことは出来るだろうか。
好きな人としたい、セックスを。好きな人とするべきだ、セックスは。恋人と。じゃあ、恋人がいないとやっぱりしちゃ駄目なのか。好きな人と最後にした幸福なセックスは私を雁字搦めにして無間地獄に落とした。一生セックスできないよという暗示を自らかけて、地獄に。
地獄から開放してくれた鍵は、セックスだった。
恋人じゃない男と寝た。誘われたから、したかったから。後腐れが無いとお互い思っていたのが大きな理由だった。好きな男と寝て「この人以外とは一生できない」と思い長い間縛られていたことが嘘のように、あっさりと、本当に後腐れなく、けれど楽しく幸福なセックスを。私は今までなんてくだらないことに縛られていたのだろうと思った。バカみたいだ、こんなに楽しいことを自ら拒否していただなんて。私はその男のことを愛してはいないし、ましてや恋もしていない。向こうも明らかにそうだ。その男は、おそらく女を愛さない、のぼせ上がり勘違いすることもない。私はその男のそういう性格を知っているからこそ、居心地が良かったのだ。男には全くと言っていいほど体臭が無かった。なんて、「後に残らない」男なんだろうと思った。
セックスしたことで、精神的にものすごく楽になってしまった。あなたはいつも、偶然現れ私を救うとその男にメールした。「好きな男」に縛られていた長い年月がバカバカしくてしょうがなかった。どうして私はいつもこうくだらないことに捕われているのだろう、くだらない、くだらない。恋とかね、くだらないのよ、本当に。恋は私を苦しめる、ロクなもんじゃない。少女じみた夢を見るのは、もういい加減やめなさいよ、と。誰かが自分を救ってくれるなんて、傷ついた自分を癒してくれる人がいるだなんて、そんな利己的な願望を「恋愛」という大義名分に乗じて特定の誰かに押し付けて痛めつけるのはやめなさいよ。だって、ほうら、好きな男とのセックスは私を地獄に落としたけれど、好きじゃない男とのセックスは私をこんなに簡単に救ったじゃないか。
あれから恋をしないままだ、もう随分と長く。
そうしてまた私は別の男と寝た。今度は自分から抱いてくれと頼んで。その男と肌を合わせたかった、優しくされたかったから、その人ではないと嫌だった。恋じゃないけれど、どうしても寝たかったのだ。
誰でも彼でもとセックスが出来ない女というのは、つまりは飢餓感が深いのだ。身体だけではなく、心が飢えすぎている。
快感ならば自分で得られる術を身につけている。そうじゃなくて、それだけじゃなくて、私は心が飢えているのだ、反吐が出るほど、セックスをしたいと、時折心が悲鳴を挙げて喉が枯れるほど叫び続けて痛い。叫んで叫んで喉が割れそうだ、血が喉の裂け目から溢れてきそうだ、お前は頭がおかしいんじゃないか、狂っているんじゃないかと言われても否定できないほどの飢えに支配されている。
だけど、セックスって、人の人生を狂わし、人を殺すほどの破壊力を持つものだ。私の人生を、セックスが、性欲が狂わした。私は性欲を餌に利用され若い頃に全てを失った。そんな自分は愚かだと思うけれども、セックスって、それぐらい人が生きる上で、大きなもので、だから、私はそれを疎かにしたくないし、出来たら利用もしたくないの、どうせ、これからもずっと付き合い続けていくものだから、せめて、せめて、苦しまずに性欲を抱き続けて、幸福になれたなら。
私は優しくされたくて、男と寝た。愛でもなく、恋でもなく、ただどうしてもその手が、身体が必要だったのだ。ただ抱かれてみたかった、それ以上のものはない。そして例え一瞬の交わりでも、私に差し伸べられた手の温もりで、これからも生きていけると思ったのだ。
それでも、そんな一瞬の交わりでも、別れ間際に胸が軋んだ。情が湧かないような男とは寝たくないから、それに伴い執着や嫉妬までが訪れそうになった。それは以前に寝た男もそうだった。だけど私の寝た男達は大人で、そんな隙すら与えない。そしてそのことが、心地よい。軋んだ胸が痛むけれど、痛むのは嫌いじゃないのよ、マゾだから。別れ間際に、寂しさが込み上げてきて、うっかり好きだと言いそうになった。セックスって、やっぱり凶暴なヤツだ。好きだという代わりに、私は寝た男達に、「ありがとう」と感謝した。恋をした相手とセックスした時にそんなことを思ったことは無かった。
セックスって、「気持ちがいい」「気持ちよくない」や、「恋愛セックス」「恋愛じゃないセックス」よりも、「幸せなセックス」「幸せじゃないセックス」って、分類なんです、今の私にとって、は。
あいもかわらずに私は飢え続けていて、朝から晩まで渇望している。反吐が出るほど、セックスしたい、と。そういう自分を醜いと思うこともあるけれど、いいよ、もう、どう思われても、人にも自分にも。セックスが、好きだから。セックスが無いと生きていけないから。
生きていくことは苦行だから、哀しいことだから。
大切な人達を失い、別れ、辛いことと遭遇する苦行だから、哀しいことだから。そして寂しいから、ずっと。だから温もりが欲しい、身体だけじゃなく、心も。愛じゃなくても、恋じゃなくても、あなたが、ここにいて欲しいから。だから、やりたいの、ただ、それだけ。それでいいと思う、今は。恋をしていない、今は。いつまでこう思っていられるかわからないけれど、いいよ、もう、わたし、セックスできて、幸せだから。寂しいけれど、いいの、今は。ああ、だって、恋をしていないって、なんて自由なんだろう。
なんでこんなに自由なのか、欲しいものを欲しいと言えるからだ。
セックスが無いと、生きていけない。
セックスがしたい、反吐が出るほどに。
こう言えるほど、私は今、自由という幸福に身を浸している。
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