煩悩系エロライター、永平寺で修行する 〜その2〜

hankinren2010-01-28



 前回の続きです。
 写真は、永平寺の門前。

 すっぴんになり、「ブサイクなオバハン」を実感した、わたくしの修行が始まりました。今回の参禅者は、十人ちょっと。女性はわたくし含む5人。年齢は様々ですが、1人15歳の中学生男子が参加されておりました。わたくしもですが、好きこのんでこういうところに来るって、何を抱えているんでしょうね、みなさん。
 それから控え室(寝る部屋)と坐禅&食事をする場所は暖房がきいてますから寒さの心配は無いです。福井県は雪が積もっていました。ただ、朝のお勤めの際に法堂に移動する際、そしてお勤めの最中は寒いです。だけど本当にこちらで修行されている雲水さんのお部屋も見せていただきましたが・・・一応、ストーブがあるものの、寒そうです。寒いどころじゃなさそうです。

 日程の概要は、こんな感じです→http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/soutou1.htm
 
 永平寺では一日24時間が修行です。自由時間は殆ど無いです。移動で廊下を歩く際にも手をぶらんぶらんと遊ばせちゃいけないです。「叉手」という形に手を組みます。歩く時だけじゃないです、坐禅の時、立っている時、全て手を自由に遊ばせはしません。歩く時の音、食べる時の音、全て静かにしないといけません。控え室以外で私語はダメです。トイレの時も、掃除の時も、お風呂の時も。控え室でも朝起きて、暁天坐禅が終わるまでは「おはよう」とか喋っちゃいけません。トイレ、お風呂に行く時も、それぞれの場所を守る仏様に手を合わせます。どれここれも修行です。

 掃除は「作務」です。トイレのスリッパを並べる間隔も、適当ではいけません、きっちり間を等しくして並べる。そこら中、埃一つありません。
 控え室、坐禅する僧堂などは建物の四階にありますが、浴室は地下です。朝、法堂にお勤めに行く時もですが、エレベーターはありますが使いません。階段を上り下り、スリッパの音を立てず、左側通行で、列を崩さす。勿論常にこの移動の際も、手は「叉手」です。

 食事ですが、朝食を「小食」(しょうじき)、昼食を「中食」(ちゅうじき)、夕食を「薬石」(やくせき)と、言います。「小食」は、お粥と、漬物、梅干。「中食」は、ご飯と一汁一菜、「薬石」は、ご飯と一汁二菜です。お漬物は毎回付きます。ちなみに冬は4時起床で9時就寝なので、夕ご飯にあたる薬石は4時半頃です。
 勿論精進料理です。しかし「精進料理」とは言うが、普段私が仕事で食べている精進料理がいかに贅沢な物か思い知ったね。
 ご飯とお汁は普通量なんですが、おかずがちょこっとなんで物足りなく思うかもしれませんが、それでも三食食べさせて貰えるので、ぐうぐう腹はなりつつも飢えるまではいかないです。
 しかしこの食事の際が一番難儀なのです。何から何まで作法が決まっていて、「覚えられるのか!」と心配しました。器は「応量器」と言いまして、これはお釈迦様の頭なので、丁寧に持ち、器を持つ指も決まっています。布巾、袱紗、箸などの方向、置く順番、全て決まっています。勝手にガツガツ食べてはいけません。応量器を掲げて置いたら、合掌します。ちなみに食事する場所は、坐禅と同じ場所です。足は組んだままです。それぞれの食事の際に応じて、「展鉢の偈」「五観の偈」等等、唱えなければいけない。自分の前に器を並べると「淨人」がいらっしゃいます。器に食事を盛って下さる係の雲水さんです。担当の雲水さんが来られたら、合掌一礼して器を渡す。移し終られたら再び合掌一礼。皆がこれを終わらせるのを待ちます。ご飯もがっついてはいけません。最初に三口食べてから、です。勿論食事中も無言、音を立ててもいけない。食事のペースは皆と合わせて、です。早すぎても遅すぎてもいけない。食事が終わると箸や匙を舐めます。そして刷(せつ)で拭い、拭った刷を舐める。この順序も勿論決まってます。そしてお茶を淨人が持って来られて、これで器を拭い、このお茶を飲み干します。その後で、白湯を持って来られて、白湯で器を刷で拭い洗う。その後、また「折水の偈」を唱えると、折水の淨人が来られるので、その白湯を一口残して捨てます。残した一口は飲みます。箸、匙、刷も白湯で洗い、布巾で拭います。ゆっくり食べていると他の人を待たせてしまい迷惑がかかりますので、結構必死。応量器を仕舞うのも、布巾や袱紗を持つのも、全て作法があり、手や指も決まっています。他の人も言ってたけど、最初はホント食べた気にならなかった。

 お粥は茶粥だったり、お餅入りだったり。ご飯は銀杏が入ってたこともありました。お汁は、すまし汁だったり味噌汁だったり。食事の時には、上記のような様々な作法もあり時間が結構かかるので、お汁は冷め切っています。菜は、ずいきの紫蘇漬けとか、モヤシの紫蘇和えとか、サトイモ、大根、がんもどきなど。ビーフンっぽいのも出た。
 あと、何か豆腐でいろんな野菜を和えたものが出たこともありますが、以外に味付けが濃い。漬物は永平寺で大根を漬けたものなんですが、細かく切ってあります。これは食べる時になるべく音が立たないようにとのことです。
 思ったのが、大豆製品のありがたさ、ですね。肉、魚を食べないので、大豆製品が貴重なタンパク源なのですが、なんだかすごく大豆製品の数々が、美味しかった。最終日の薬石で、なんとカレーが出たのですが(月に一度ほど出るそうです)、これにも厚揚げが入っていて、充分これでイケると思いました。

 器や箸を洗剤などで洗わず、白湯やお茶ですすぎ、しかもそれを飲むというのは、正直ちょっと抵抗があったけれども、よく考えると付いているものは食べ物ばかりなので不潔ではないのであった。
 とにもかくにも、食事は一番大変でした。作法が事細かにあるので、わかんなくて、袱紗の結び方、布巾のたたみ方が、最初は出来なくて難議した。それでも最終日になって、やっと、なんとか出来るようになっていた。
 
 そんなこんなの永平寺の参禅体験ですが、「厳しいから途中で帰る人もいる」と聞いておったのですが、今回も途中で帰られた方はいらっしゃいましたね。私も途中、しんどかったです、正直言うて。

 さてさて、朝は4時に起きて(夏は3時半です)洗顔をし着替えて、坐禅です。そしてその後に、皆で法堂へと移動し、朝のお勤めがあります。
 雲水さんとさきほどより連呼していますが、雲水さんとは禅宗寺院にて修行されている方のことです。雲の如く水の如く。私達のお世話をしてくださる「参禅係」の雲水さん、皆お若い方です。後で年齢をお伺いすると、23歳とか、24歳とか。
 永平寺には現在二百数十人の雲水さんが修行されているそうです。朝、法堂には永平寺におられる方がお集まりになり、お経を唱えます。このハーモニーと、一糸乱れぬ雲水さん達の動きが壮観で、感動を覚えます。お経って、美しい響きです。

 以前、こちらに、わたくしの保育園の時の園長先生が永平寺におられると書いたのですが、この朝の勤行の際にお見かけしました。
 え? 「えんちょーせんせー、おひさしぶりー」って、話しかけられるかって? 絶対ムリ。喋っちゃいけないし、あの緊張感のある空間の中では絶対に無理。園長先生こと、大田大穣さんは、今現在、確か、こちらのナンバー2の位におられるそうで、いつも真ん中におられて、明らかに「相当上の位の人」でした。
 そして、この勤行が正座なのですが・・・・足が痺れます・・・立ち上がる際、ふらついて大変です。

 毎日、こんな感じで、あとは坐禅法話が何度かあり、面白いお話などを聞くことが出来ました。2日目の昼からは永平寺の伽藍の見学をさせていただきましたが、私達参禅者は一般の拝観者が入られないところまで見学できてラッキーでした。

 さてさて、今回一番の気になる存在が、この「雲水」さんです。他の方もおっしゃってましたが、何とも綺麗な人ばかりなのです。色白美肌、顔立ちも美しく、声、姿勢、動き、全てが「綺麗」。こんな綺麗な人達、周りに滅多に居ません。それなのにここには何十人と居るのです。
 「カッコいい人」「イケメン」「オトコマエ」な人は、その辺に居るんですよ。芸能人なんか外見は皆、好みの問題は置いておいて、カッコいい。けれど、この「綺麗」というのとは違うんです。雲水さん達の綺麗さというのは透明感と清廉さが外見の美しさにプラスされて、つい見とれてしまいます。
 女でもね、周りに「美人」「可愛い」「色っぽい」人なんぞ、なんぼでもおるんですよ。女には化粧とか整形とか媚とか方法がたくさんあるので自己演出次第でどうにも化けられる。けれども、存在自体が「綺麗」な人、清廉な輝きを発し、透明感のある美しさを持つ人って、そうそう居ない。芸能人も。
 そうですね、今も綺麗ですが、貴乃花と婚約した頃の宮沢りえが、そんな「綺麗」だった。この世のものとは思えない清廉な輝きと透明感を発していて、本当に、本当に綺麗だった。一番それが発揮されていたのが、貴乃花との婚約解消会見だった。幸福より不幸の方が人を美しくさせるのか。余談ですが、テレビで見た、母を亡くされた後藤真希さんの喪服姿が不謹慎にも息を呑んでしまうほど綺麗だった。彼女を見て今までそんなふうに思ったこともないのに。

 話を戻します。
 雲水さん達の「綺麗さ」を見て、美醜というものは今まで自己演出で作られるものだと思っていたのですが、そうじゃないと今更ながら気付かされました。生活、すなわち生き方が作るんですね、本当の美しさ、というものは。
 そら、お寺さんがどれだけどんどろしていて、お坊さん達の中には俗っぽい人もいることを、私やて知ってますよ。京都に住んでるし、お寺さんの中に入ることも多いし、僧侶の知人もいる。「お寺」「仏教界」というものが、清廉潔白で綺麗なもんやないことは、百も承知です。下世話な話も耳にしますし、お寺でバイトもしてたから、いろんなことを目にもしました。ましてや、宗教というものは、ものすごく危険なものでもあります。
 それは知ってはいるけれど、この永平寺で修行する雲水さんの綺麗さには感嘆した。綺麗な人達が並んで経と唱える光景は、素晴らしかった。


 しかし、煩悩系エロライターは、雲水さん達を見て、どうしても気になることがあったのです。
 そのことと、修行のメインである「坐禅」については、次回書きます。