団鬼六という作家を知っていますか・後編
☆ アナコンダ
作家・団鬼六が、「性」を通して出会った様々な人々のエピソードが描かれるエッセイ集。
解説で中野翠さんが「団鬼六は、私にとっては滑稽小説の人だ」と書かれている。
江戸時代の、過剰に性器が描かれた浮世絵、軽妙洒脱に性を謡う川柳など、「性」というものにより描かれるのは「官能」だけではない。
飲みの席での猥談が人を楽しませるのは、それが「滑稽」だからだ。落語で描かれる性など、まさに「滑稽」である。「滑稽」ではない猥談など、人を不愉快にするただの自慢話である。
人を不愉快にする猥談は、下品である。だから、人を笑わせ楽しませる「滑稽」な猥談は、上品で、「文化」となり後世に残る。
性に纏わる仕事をしていると、こちらから求めることをせずとも、「性」にこだわりがある人間が寄ってくる。
そんな人間達の面白さと、そして性の持つ深淵に驚嘆し、人間という生き物の想像力の幅に無限の可能性を感じることがある。
女装癖がある会社社長とそれをとりまく人間達の愛すべき必死さを描く「蒸発」。
キリマンジャロ登山費用のために大学生達が、全裸でアフリカの原住民の踊りとセックスを披露する「キリマンジャロ登山隊」。
妻にふんどしを締めさせ相撲をとることがセックスの前戯である夫婦の愛情と絆を描いた「女とふんどし」。
「滑稽」を知らない、性を「官能」「支配」でしか捉えることの出来ない、そんなセックスしかできない、そんな猥談しか出来ない男の方が愚かで哀れに見えるのは、何故なんだろう。
性の世界ほど、面白いものはない。
虚飾という衣を脱ぎ捨てた、人間という素晴らしき動物がそこにいるから。
人間て、なんて素敵にいかがわしい動物なのだろう。
- 作者: 団鬼六
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どうしても、上手く生きられない、横道を逸れて、曲がりくねった道を行き、迷いに迷って袋小路に追い詰められるような生き方しか出来ない駄目な人間がいる。
駄目を極めると「破滅的」と言われることがある。
そして、世の中には、横山やすし然り、煌くような才能と愛嬌を持ちながら、「破滅的」にしか生きられない人間がいる。
誰にも手が届かないほどの天賦の才を持ちながら、滅亡へと突き進まざるを得ない人間がいる。その生き方は緩慢な自殺のようだ。人が羨むほどの才能と華を持ちながらまっすぐにその才を生かし長く平穏に生きることの出来ない人間がいる。
「真剣師」とは、現金を賭ける勝負師のことである。その中には、プロを凌ぐ実力を持つ者達もいたという。その1人が、「新宿の殺し屋」「最後の真剣師」「プロ殺し」と呼ばれた、小池重明。
勝負の天才であり、人を惹きつける愛嬌を持ちながらも、3度の人妻との駆け落ち、寸借詐欺、浪費、酒に溺れ、逃亡、放浪の日々を過ごし、44歳の若さで肝硬変で亡くなってしまった小池重明。
人に迷惑をかけ続け、好かれ、嫌われ、罵倒され、賞賛され続けた勝負師、小池重明。
小池は、人妻との駆け落ちを繰り返し、金を盗み逃げる。何度裏切られても、団鬼六という「人間のどうしようもなさという業」を愛する男は、小池を許し叱咤しながらも許容し続けた、最期まで。
小池が、金を盗み、女と逃げる時に、残した言葉。
―― 又、又、又、女に惚れてしまいました。浮気なつもりではないのです。いつも一生懸命でそのときは死んでもいいと思っていました ――
最期に一緒に逃げた人妻も、酒に溺れた病の小池に尽くしに尽くしながらも暴力に耐え切れず、小池のもとから去る。小池は、死の恐怖から神経が分裂し精神病院に送られる。
そして44歳で、「天才真剣師」はその生涯を終える。
団鬼六が、休業していた作家活動から6年ぶりに復活する際に描いたのが、この、愛すべき破滅型勝負師・小池重明の生涯であった。
このどうしようもない、出来損ないの男への讃歌とレクイエムが「真剣師 小池重明」という小説である。
再び筆をとった団鬼六は、小池重明を皮切りに、愛しいアウトロー達の人生を、綺麗事を並べ偽善が謳歌する世の中に果たし状を叩きつけるように発表し始める。怒り狂う鬼のように、怒涛の如く。
堕落の中にこそ、救いの手が見えると。
地獄の猛火の中にこそ、地蔵菩薩が佇むと。
闇を知らぬ人間には光は見えぬと。
団鬼六の描く、愛すべき堕落者達は教えてくれる。
悟り笑みを浮かべるだけが仏ではない。
怒る狂う悪鬼のような仏もいるのだ。
憤怒の表情で衆生に手を差し伸べる、仏が。
- 作者: 団鬼六
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☆ 外道の群れ / 異形の宴(『外道の群れ』の続編)
縄を柔肌に食い込ませ、髪を乱し、切なそうな表情を浮かべる女は、どうしてこんなにも美しいのか。
日活ロマンポルノの谷ナオミを、SMビデオで縛られる女達を、伊藤晴雨の絵を見る度に、その壮絶美に背筋が凍る。
大学の時に図書館の美術雑誌で特集されていた「伊藤晴雨」という画家の絵を見た時から、私は髪を短く切ることが出来なくなった。そこの描かれた女達の乱れ髪に捕われてから髪を短くすることが出来なくなった。
幼い頃から、「折檻される女」「女の髪の毛」を愛し、変態と罵られながら「縛り絵」を描き続けた大正時代の絵師・伊藤晴雨の物語である。
「変態」伊藤晴雨の下には、匂いを嗅ぎつけるように「性的変人」達が集う。そして私のように、伊藤晴雨の凄惨な「縛り絵」に惹かれ興奮する者達も少なくなかったようだ。
晴雨の前に、1人の女が現れる。美術学校でモデルをしていた奔放な女・佐々木兼代。彼女は好んで縛られ、縛られることに喜びを覚え美しくなる理想のモデルだった。
縛られ責められることの喜びを知っていた兼代は自分を描く男達と関係を結び、晴雨も例外ではなかった。
やがて彼女が晴雨の下から姿をくらまし、稀代の人気画家・竹久夢二とホテルに宿泊していることを晴雨は知り驚愕する。
夢二と関係したのかと晴雨に問われて、兼代はあっけらかんと、
「何もなかったら、それこそ変態じゃありませんか」
と、答える。
夢二は、後に、自分好みの名前にと、兼代を「お葉」と改名させる。夢二の代表作とも言われる「黒船屋」のモデルとも言われる「お葉」の誕生であった。
夢二は最初の妻・たまき、駆け落ちして夭折した女学生・彦乃と、常に女を自分の世界にとりこみ描く男だった。
竹久夢二の絵は、大正浪漫の象徴として、当時も現代も人気を博している。
しかしその夢二の美人画の誕生には、壮絶とも言える女達との関係があった。最初の妻・たまきと離婚した後も関係を続け、何故かたまきは、夢二が彦乃と恋に落ちた時、彦乃の父に2人の恋愛を許してくれと頭を下げにいく。父に恋愛を反対された夢二と彦乃は東京を離れ京都で暮らすが、彦乃は連れ戻され若くして亡くなる。そこに現れたのが、「佐々木兼代」。数多くの男と関係し、「嘘吐きお兼」と呼ばれ、変態絵師・伊藤晴雨のモデル兼愛人だった兼代を、自分の女として生まれ変わらせるために夢二は「お葉」と名づけた。
兼代を失った晴雨は、夢二への嫉妬と劣等感、兼代への哀慕を暴力的とも言える創作意欲に変えて、描き続ける。
そして、妻が妊娠した際には、腹の突き出た妻を縄で縛り庭の木に吊るし、逆さ吊りされた妻の血の気が引こうとも、目を凛々と輝かせ、その悲壮美を描き続けた。
鬼の如く。
時は、大正。
明治維新の呪縛から、日露、日清戦争を経てようやく逃れられた人々の時代。大正デモクラシーと呼ばれた政治・文化の活発な運動が花開いたように見えた短い時代は、やがて訪れる軍部の狂気的支配の闇が手を伸ばすように、暗い雲が、ゆっくりと日本の空に広がり始めた。
14万人以上の死者を出した関東大震災、「外道の群れ」に登場したアナキスト大杉栄達の虐殺。
人々の頭上に不安を呼び起こす雲が広がる。
晴雨の3番目の妻は発狂した。
夢二はお葉と破局し、療養所で独りで死んでいく。
そして黒い雲は日本中を覆い支配を始め、昭和という、日本という国が歴史上最も徹底的に敗北した戦争の時代が始まる。
「外道の群れ」「異形の宴」の主人公・伊藤晴雨は、紛れもなく、「もう1人の団鬼六」、だ。
昼間の明るいお天道様の下を歩けない人間がいる。
変態と侮蔑され、石を投げられる人間がいる。
己の内から沸きあがる過剰な表現意欲を形にしただけで、「変態」「異常者」と罵られる人間がいる。
幕末、萩で松下村塾を開き、おそらくこの人が居なければ明治維新は全く違う物になっていたであろうと断言される指導者・吉田松陰という人物がいる。
彼が好んで使っていた言葉が「狂」である。
歴史学者の奈良本辰也は、松陰が語る「狂」を、こう説く。
「狂とは病める心のことではない。壮大で純粋な心である。代償を求めない大儀に生きる精神である。闇を裂き、星の如く生きる精神である。地位も名誉も金も、彼らの前には、塵ほどの意味を持たない。『狂』を生きる、それは爽やかな男達の生きかたである」
まさに、伊藤晴雨、団鬼六、そしてその周囲に集う「変態」達は、松陰の謡う「狂」の人であった。
日清、日露戦争により、明治維新の呪縛から脱皮を遂げたこの国が、あの戦争への道を真っ直ぐに、不器用な程に脇目を振らず進み続けていた時代。その時代に、己の純粋なる欲望を滾らせ、世間から後ろ指さされ罵られても「外道」という鬼になり、己の信ず美を描き続けていた男がいた。
いつの世も、人の心を揺さぶる何かを創り残すのは、狂うた鬼のような表現欲を滾らせる外道者ぞ。
狂いし者よ、汝の名は、「外道」なり。
一期は夢よ、ただ狂へ。
- 作者: 団鬼六
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読書は快楽である。
団鬼六の本は、縛られ辱められ随喜の涙を流し、歓喜の悲鳴を響かせてしまうほどの快楽の書である。
大きな声が出てしまうから、猿轡を咬ませて下さい。
そして麻縄で動けぬように縛って下さい、股下に縄を潜らせて、痕が残るほどに縛り、いたぶって下さい。
私はその縄の痕を指で辿る度に、何度も何度も思い出して自慰することもあるのです。縄の感触と、嬲られた羞恥を反復し、喘ぎ声が出そうになるのを必死で堪えるのです。それもまた、快楽なのです。
傲慢に聞こえるでしょうけれど、これほどの快楽を肌で知らぬ者は不幸だとすら思えます。知らぬ人達に対して、私は高みに立って優越感を感じることもあるのです。
縛って快楽を味あわせて下さい。
読書という快楽の縄できつく縛って下さい。動けないくらい、肌に痕が残るぐらい。
「SM作家」以外の団鬼六の顔を知っている私は、あなたより遥かにその美学に陶酔し、声を挙げぬにはいかぬほどの、快楽を味わっているのです。