北天の雄

hankinren2009-05-31


☆ 清水へ
 五月最後の今日、朝から清水寺へ行って参りました。京都駅は驚くほど人が少なかった。やはりまだ新型インフルエンザの影響が残っているのでしょうか。
 駅からバスに乗り、五条坂で下車。急な坂道を歩いて清水寺へ。京都で一番観光客が訪れるのがこちらの清水寺だそうです。修学旅行で、一般さんのお仕事で私も何度も訪れております。
 何故、今日この日にプライベートでこちらに来たのか、それは秘仏でありますこちらの御本尊の十一面千手観音様の御開帳が本日最終日ですので、もう一度、御縁を結びたくて訪れました。御縁を結ぶ・・・という言い方は仏教的な表現なのですが、例えば誰かとめぐり合って何らかの繋がりを持つ事も全て偶然ではなく必然性のある「縁」なのだということを、ここ数年、切に感じます。
 清水寺の御本尊は基本的に三十三年に一度の公開です。ただ、昨年から、西国三十三ヶ所観音霊場巡りの中興の祖・花山法王の千年忌にあたりまして特別に御開帳されておりました。
 何度も訪れた今回の御開帳も、本日まで。次回の公開は、二十四年後だそうです。

 私は去年の夏に、滋賀県高月町の観音祭りを訪れて、宗教、宗派をこえて、ただ村人の信仰により守られ続けている観音様を目の当たりにして、すっかり観音様にハマっております。もしかしたら、そこで初めて「信仰心」というものを見たのかもしれません。

 清水寺本堂の薄暗い内陣には二十八部衆に護られた観音様が静かに佇んでおられました。観音様の合わせた手には五色の糸で編まれた綱が携えられており、その綱を私達が触れて、御縁が結べるようになっているのです。
 蝋燭の火に照らされた観音様のお側にいつまでもいたいとすら思いました。ありがとうございます。合掌。

 修学旅行の案内で清水寺に来た際には、よっぽど時間が無い限りは話さないのですが、このお寺は「清水の舞台」以外にも、様々なお話があります。

 参道の帰り道に、二軒の御茶屋があります。「舌切り茶屋」「忠僕茶屋」というこの茶屋は、清水寺塔頭成就院の僧であり、西郷隆盛と共に入水して亡くなった勤皇僧・月照にちなみます。(ちなみに隆盛は助けられ奄美大島に流されます)
 月照が京を去る時に、後のことを寺侍・近藤正慎に託しました。近藤正慎は幕府に捕えられ西郷隆盛月照の居場所を言うように拷問されますが決して口を割らず、自ら舌を噛み切り、壁に頭を打ち付けて亡くなります。その近藤正慎の妻が開いたのが「舌切り茶屋」です。
 「忠僕茶屋」は、月照に使えていた大槻重助が、安政の大獄により一年間の獄中生活を送った後に、京に戻り、月照の墓を守り続けながら出していたお店で、現在も重助の御子孫が経営されております。

 他にも参道へ至る道には、上記写真のような碑があります。「北天の雄 阿弖流爲(アテルイ) 母禮(モレ)」と書かれています。
 清水寺の開祖は延鎮上人なのですが、この延鎮に力を貸し尽力したのが平安京を開いた桓武天皇に遣えた征夷大将軍坂上田村麻呂です。
 「征夷大将軍」という後に武士の頭領に与えられた称号は、「征夷」、これは元々は、「蝦夷征伐」の略です。平安京を築いた桓武天皇が、その頃はまだ東北地方にも居た蝦夷を侵略する為に任命したのが「征夷大将軍坂上田村麻呂でした。
 田村麻呂は蝦夷を討伐し、指導者であったアテルイとモレを捕らえますが、敵ながら彼らの勇猛さと人柄に感服し、命乞いをします。しかし朝廷はそれを許さず、2人を処刑しました。田村麻呂は蝦夷の英雄達の死を多いに悲しみ悔いたと伝えられており、田村麻呂ゆかりの清水寺にこの碑が建てられたということです。
 清水寺、訪れる機会の多いお寺ではありますが、上記のお話などは、存じない方も多いとは思いますので、是非次回お越しの際は、歴史の片隅にある「忠魂」「友情」の話の残る場所も気にかけてください。


 菜の花の沖


 淡路島で生まれ、亡くなった日本人の「北天の雄」、高田屋嘉兵衛という人を、御存知でしょうか。
 
 司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」を読みました。その主人公が、高田屋嘉兵衛です。
 古事記によると、イザナギイザナミが矛をかき回し、最初に滴りおちた雫が島になり、それが現在の淡路島(オノコロ島)だと言われています。この淡路島に生まれ、船乗りになり、蝦夷地(北海道)へ渡り、箱館(函館)の街を活性化させ、交易で財を成した高田屋嘉兵衛という男がいました。
 時は江戸時代後期、まだ国交の無かったロシアのディアナ号館長・ゴローニンが松前藩に捕らえられるという事件が起こり、その報復として国後島で嘉兵衛がディアナ号に抑留されます。
 捕らえられた嘉兵衛は、ディアナ号副艦長リカルドと寝起きを共にし、ロシア語を必死に学ぼうとし、やがて「2人だけの言語」で語り合い交流を持ち、嘉兵衛はリカルドに自分が幕府と交渉してゴローニンを釈放させると約束します。
 国と言語を超え、友情と信頼に結ばれた2人は、結託し、嘉兵衛は箱館に戻り幕府との交渉の後に、ゴローニン釈放を実現させます。

 司馬遼太郎曰く、高田屋嘉兵衛は、「江戸時代において、最も偉い人物。世界のどこに行っても通用する」そうです。
 嘉兵衛は後に故郷の淡路島に戻り、そこで亡くなります。淡路島は、花と海の温暖な気候の島です。穏やかな風が吹く、静かなる海に浮かぶ島です。神々の祖であるイザナギも、この島で亡くなったと伝えられております。

 司馬遼太郎の亡くなった日は「菜の花忌」と名されて、「司馬遼太郎記念館」の最寄の駅である近鉄・八戸の里駅から記念館までは、道端に菜の花がそよいでおります。司馬遼太郎が最も愛した花が、この菜の花であり、それはこの「菜の花の沖」という小説に由来しているそうです。
 司馬遼太郎が愛した高田屋嘉兵衛の生まれた淡路の海を久しぶりに見たくなりました。
 ところで、何故「淡路島」なのか。これは、阿波の国(徳島県)への路なので、「阿波路」だそうです。

 高田屋嘉兵衛大村益次郎花神)、秋山兄弟(坂の上の雲)など、つくづく司馬遼太郎は、大輪の薔薇や向日葵のように華やかではないけれど、まさに菜の花のように、野に咲き、しっかりと大地に根を下ろしている人物が好きなんだなぁと思います。


 
 いろいろ思いがけないことが起こった五月が終わり、明日から水無月です。
 時の流れの早さと、潮の流れの強さに驚き戸惑いつつも、紫陽花の季節が訪れます。



新装版 菜の花の沖 (1) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (1) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (2) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (2) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (3) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (3) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (5) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (5) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (6) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (6) (文春文庫)

菜の花の沖
 忘れていた大切な物に触れたような、そんな小説です。
 人と人との、嘘の無い対等な結びつきは、大きな力になり、世界を動かすことも出来る。
 私は何かを取り戻したくてたまらない時に、助けを求めるように司馬遼太郎の小説が読みたくなる。