恋文 ― 「あんにょん由美香」 松江哲明監督 ―

 歳をとる毎に思い知らされることが、幾つかある。

 例えば、人は、ある日突然何の前触れもなく、いなくなってしまうことがあるということ。
 さよならを言う隙も与えずに。ありがとうと言う隙も与えずに。あなたに会えてよかったという隙も与えずに。愛してると言う隙も与えずに。
 ある日、突然、人は目の前から消えてしまうことがある。
 
 死んでしまうということは、その人にはもう二度と会えないということだ。あの世で会いましょうみたいなことも言えなくはないけれど、そんなにも待てないし、会える保証なんてどこにも会えない。
 二度と、会えない。言葉を交わすことも、触れることも、抱きしめることも、キスすることも出来ない。
 どんなに嘆き悲しんでも二度と会えない。

 歳をとるということは、それを思い知ることだ。別れはある日、突然やってくるということを。
 そうして歳をとり、人は悲しみの澱を心に積み重ねる。
 歳をとればとるほど、人を好きになるのが怖くなる。若い頃より、ずっとずっと怖くなった。出会いを得るということは、喪失を約束されることだから。好きになればなるほど、一緒に過ごした時を重ねれば重ねるほど、喪失の痛みは大きくなる。心を切り刻み、傷口から血が流れ続ける。いつか、この血は止まり、かさぶたになり、まっさらな元通りの肌に戻ることが出来るのだろうか。いや、出来ない。血が止まっても、かさぶたになっても傷は痛いままだ。
 だけど、痛いままの傷を抱えて、失ってしまった大切な人への想いを失わずに生きていかねば。

 痛いままの傷が、胸にずっと残る。その痛みこそが、あなたの存在なのだ。あなたは、ここにいる。私の胸に傷を残し、悲しみと寂しさで私の心を捉え続け、そこにいる。痛いけれど、悲しいけれど、寂しいけれど、私は私の傷と共に生きよう。あなたと、これから先もずっと一緒に生きていくために。私は私の傷口にそっと指を触れる。痛い。けれどその痛みに幸福を感じる。

 忘れない。
 あなたを。




 松江哲明監督の「あんにょん由美香」、公開に先立って、観ました。

 林由美香(以下、敬称略)1970年6月26日生まれ。
 AV・ピンク映画に多数出演。34歳で亡くなるまで、現役の女優だった。
 AV監督・カンパニー松尾は、駆け出し時代、彼女を撮影した「硬式ペナス」製作中に、猛烈に彼女に恋をしていることに気付き、作品を林由美香へのラブレターならぬラブビデオとして完成させ、その後の独特の私小説的作風へのきっかけとする。カンパニー松尾監督が、AVというジャンルを超えて様々なクリエーターに影響を与え、ファンを獲得し、最も賞賛され続けている映像作家であることは言うまでもないだろう。

 AVでのデビュー作で林由美香を撮影した平野勝之は、彼女に「認められたい」と想いを残したまま6年後に再会し不倫関係となる。(平野は妻帯者)そして1997年に実際に不倫関係にあった2人が東京から北海道を自転車でツーリングし、北の果てを目指したドキュメンタリー作品「わくわく不倫旅行」は、「由美香」と改題し劇場公開され、話題となる。平野勝之は、その後、続編にあたる「流れ者図鑑」(共演・松梨智子)、「白 ― THE・WHITE ―」を製作し、劇場公開され、林由美香との旅がきっかけで今も尚、自転車と北海道に拘り続けている。

 2004年にはいまおかしんじ監督のピンク映画「熟女・発情タマしゃぶり」に主演し、「たまもの」と改題し一般公開される。海外の映画祭にも招待され話題となった。

 2005年、林由美香、自宅にて亡くなる。
 発見したのは、誕生日の日に撮影をする予定だった彼女が現れないのを心配した平野勝之と、彼女の母親だった。


 そして、2009年7月、「あんにょん由美香」公開。


 林由美香という女優と、彼女への想いで作品を撮った名監督達のことを想う度、私は「お葉」という女性を思い出す。大正時代に絵のモデルを勤めていた「お葉」という女性がいた。本名は佐々木兼代。縛り絵師・伊藤晴雨の愛人でありモデルだった女性であり、後に竹久夢二の愛人となり、夢二の最高傑作とも言われる「黒船」のモデルになり、名前を「お葉」と変える。
 変態縛り絵師と大正ロマンの象徴のような流行画家。コインの裏表のような2人の画家に愛され、作品を生み出す原動力となった女性。
 歴史の中には、こういう女がしばし登場する。芸術家に芸術を生み出させずには居られない力を持った女が。それは芸術の神の使いなのだろうか。何かを描かずにはいられなくする女が、様々な時代に存在する。芸術を生み出すというのは、歴史を作ることでもある。古来より、時代のターニングポイントには、神の使いのような女が降臨して男を導き、人の心を虜にする創作物が生まれた。


 「松江くん、まだまだね」
 
 今作品の監督・松江哲明は、学生時代、自作を林由美香にこう評され、「いつかきっと」と思い邁進するうちに、林由美香が亡くなってしまった。
 そして「女優・林由美香」という本が製作された際に見つかった日韓合作エロ映画「東京の人妻 純子」。この作品をきっかけに、物語が動き出す。
 物語は様々な人を巻き込んで、遂には国境を越えていく。


 人の死は哀しい。
 死んだ人の話は、哀しい。それは、傷口に触れているから。だけど大切な人ならばこそ、酒でも飲んで笑ってみんなで語り合ってみたい。笑いながら泣きたい。
 幕末の長州藩士・高杉晋作は、26歳で亡くなった。辞世の句は「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」(下の句は野村望東尼)。
 そして一説によると、彼は、自分の命日には、墓の周りに芸者を呼んで三味線鳴らして皆で唄って飲んで騒いでくれと言い残したとも言われている。

 林由美香という1人の女の子を囲んで、少年達が唄って笑って騒いで、少しだけ泣いて、でもやっぱり笑っているような、そんな映画。
 林由美香は、幾つになっても「女の子」で、飄々としてて、キレイなお姉さんというより、可愛い女の子といったふうが相応しいように思えるし、手が届かない女に焦がれる男は、幾つになっても「少年」だ。「女の子」と「少年達」の物語は、「青春映画」だから、甘くて、切なくて、おかしくて、哀しくて、そして、愛おしい。それは人の心の中の一番傷つきやすい部分に存在する、「想い」描いているから。
 ただ、あなたを想う。それ以外に何も存在しない、そんな心を。

 これは、ロードムービーだ。旅する少年達の物語。遠くて遠くてまだまだ見えない世界の果てを目指して旅する物語。想いを糧にして走り続ける少年達の物語。

 おかしくて、切なくて、バカバカしくて、だけど、誰かを想う幸福さを思い出させてくれる物語。


 いつか必ず別れはくる。自分だって、ある日突然いなくなるかもしれない。今、こうしてパソコンに向かって文章を書き連ねている私も、明日思いがけなく消えてしまうかもしれない。それは、わからない。私が死んだら、誰が悲しんでくれるだろうかということを、たまに考える。何人かの身近な人は泣いてくれるかもしれない。せいせいしたと、喜ぶ人間もいるかもしれない。どちらにせよ、時の流れと共に記憶は薄れ忘れ去られるだろう。完全に忘れられることはなくても、段々、ぼんやりとした陽炎のようになり、新しい出会いと日常の積み重ねの隅に追いやられ、気がつけば人の中から消えていくのだろう。
 その時、私は本当に死んでしまうのだ。

 人が死ぬということは、二度と会えないということだ。触れることも抱きしめることも出来ない。愛してるって、言えない。ありがとうって、言えない。

 私は私の大切な人達より先に死にたい。失うことが怖い臆病者だから。喪失感に耐えられない、怖い。大切な人達より先に死にたい。そして忘れられたい。
 だけどもしうっかり私が長生きしてしまって、大切な人達を先に無くしてしまったら、どうしよう。哀しくて寂しくて苦しくて胸の傷から血を流しながら痛みに号泣するだろう。痛くて苦しくてしょうがないけれども、時を積み重ねて記憶が薄れるだろうけれども、私はあなたのことを忘れたくない。忘れてしまうことは、本当にあなたを失ってしまうことだから、私のアタマがボケるまでに、あなたへの想いを何かの形にして残せたら。あなたを想い何かを創ることは、あなたと共に生き続けているということだから。
 わたしは1人では生きていけない弱い人間だから、誰かへの想いを綴らないと、生きられない。
 

 「あんにょん由美香

 この作品は、松江監督から林由美香へのラブレター。
 そして、人を想う幸福と痛みと悲しみを知る全ての人が描いたラブレター。

 人はある日、突然いなくなることがある。
 さよならという隙を与えずに。

 さよならって言えなかった。だけど、大丈夫。だってあなたはここにいる。映画の中に。彼女を知る人達の心の中に。この映画を見た、あなたの中に。
 だから、さよならはいらない。

 あなたはここにいる、忘れない。
 さよならなんて、いらないから、泣かなくてもいい。
 あなたはここにいる。確かにここにいる。抱きしめられなくても、触れられなくても、あなたはここにいる。

 林由美香は、ここにいる。
 さよならなんて、いらないから。
 封筒を開けて、ラブレターを読んでください。
 あなたが好きです、ありがとう、と、想いを形にした恋文を。
 映画という、恋文を、読んでください。
 




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由美香 コレクターズ・エディション [DVD]

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あんにょん由美香 公式サイト
http://www.spopro.net/annyong_yumika/

松江哲明監督ブログ
http://d.hatena.ne.jp/matsue/


☆7月11日から「あんにょん由美香ポレポレ東中野にて20時30分よりレイト上映スタート
http://www.mmjp.or.jp/pole2/

☆6月27日から林由美香松江哲明特集上映 ポレポレ東中野にて
http://www.mmjp.or.jp/pole2/



わたくしは貧乏暇無しの働くお姉さん(オバハン)で、現状ではお休みもとれませんので、東京には行けませぬが(ケッ)地方でも、上映の予定はあるみたいです。

林由美香さんも、松江哲明監督も、幸福だと思いました。