ノスタルジア

阿修羅、東国に来る



 関東地方の皆様、しつこいですが、明日から遂に東京国立博物館にて「国宝 阿修羅展」が始まります。
 きっと土日は相当人が多いと思いますが、この機会にどうぞ天平の昔の静寂なる炎の如き阿修羅仏をご覧下さい。そして感銘を受けた方が、奈良まで足を運んで下さるといいなと思います。
 
 去年の夏、私は二度、滋賀県高月町の国宝・渡岸寺観音堂の十一面観音様にお会いする為にバスツアーに参加しました。その時に、隣に座った女性の方とお話をしていたんですが、その方は、2006年の秋に東京国立博物館で渡岸寺の観音様を見て感動されて、これは是非、いつもいらっしゃる場所で見なければと思われて、念願叶い、二年後に高月町まで来ることが出来たとおっしゃってました。
 滋賀県の湖北地方と呼ばれる地域は、井上靖の「星と祭」という小説の舞台ともなっておりますが、大変観音信仰の篤いところであります。中でも国宝に指定されている渡岸寺観音堂の十一面観音様は、織田信長浅井長政朝倉義景連合軍が戦った時に、村人達により土中に埋められて難を逃れたと言われております。

 私は勝手に、こちらの観音様の妖艶さと美しさと神々しさを、その湖北地方にゆかりのある戦国時代の悲劇のヒロインであり、その後「歴史を作った」織田信長の妹、お市の方と重ねておるのです。夏に高月町に行った時に、遠くにお市の方浅井長政と住み、後に秀吉の側室となり秀頼を生んだお茶々、徳川秀忠に嫁ぎ三代将軍家光を生んだお江の方などが生まれた小谷城がかつて聳えていた、小谷山が見えました。

 脱線いたしましたが、その東京から来られた女性は、高月町で十一面観音様と再会されて、大変感激されてました。
 高月町の方のお話によりますと、そのように2006年の東京国立博物館での特別展で、こちらの観音様に惚れこみ、訪れる方も少なくないです、とのことです。
 そういった出会いが、関東地方の皆様に今回の阿修羅展であればいいなと思っております。
 九州国立博物館での阿修羅展は7月14日より。

 
☆☆最後の映画館


 そして、先日、こんなニュースを目にしました。京都新聞よりhttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009022500034&genre=B1&area=K00
 
 京都三条にある映画館「東宝公楽」が、本日で閉館になるとのこと。
 全く、知りませんでした。
 幕末の「池田屋事件」の跡の近くにある東宝系のキャパが多い映画館でしたので、東宝のヒット映画はこちらか、今は無き河原町三条下がったところにあった「京都スカラ座」で観ていました。
 
 私は大学を中退後、それまで数本しか映画を見たことが無かったのに、「映画好きです!」と、思いっきり大嘘のハッタリをかまして某映画会社が経営する映画館にもぐりこみました。
 私生活ではいろいろと大変だったんですが、もし自分の人生に「青春」というものが存在するとしたら、あの映画館で働いていた時間だったと思います。新京極にかつてあったその映画館で知り合った歌手のTや、もうすぐ結婚するCとは未だに仲の良い友達なんですが、とにかく変な人・・・というか、価値観を覆すぐらいの強烈な人達に出会えた場所でした。未だ、TとC以上に強烈な人間には出会ったことがありません。

 映画館は暇な時と忙しい時の落差が激しいので、はっきり言って遊んでばかりいました。Cとも「遊んだ記憶しかない」とよく話しているのですが、バカなことやヤバいことばかりしていた数年間でした。京都市内の映画館のフリーパスがあったので、アホほど映画を見た時期でした。
 最初に居た映画館が閉鎖され、次に移った映画館も閉鎖され、皆ちりぢりになりました。

 あれからまだ十年も経っていないのに、あの頃河原町付近にあった映画館は殆ど無くなり、シネコンに様変わりしています。
 京都松竹座、京都ロキシー、京都ピカデリー、京都スカラ座、京都宝塚劇場、弥生座、京都SY京映、朝日シネマ、そしてピンク映画の八千代館、河原町ではないけれど、大宮東映・・・
 最後に残っていた東宝公楽も、今日で終わりです。
 東宝公楽の前を通る度に、「ここだけは残ってるなぁ」と思っていたので、とても、さびしい。

 シネコンが次々に出来て、とても綺麗だけど、映画館が持つ「暗さ」が無くてなんだか空虚な箱のようだと思うのは私だけでしょうか。

 私が働いていた頃の映画館は、入れ替え制では無かったので、時間潰しらしき老人やサラリーマンがちょくちょく映画の途中でも来ていました。
 中日ドラゴンズ落合監督が、高校時代に野球部のシゴキにうんざりして、学校に行かずに映画館で一日を過ごすことがあったらしいのですが、そうやって映画館という場所は、「行き場の無い人達」の、逃げ場でもあったのです。
 そして、行き場の無い人間が時間潰しに足を踏み入れた場所で、思いもがけずに心を震わし人生を変える作品に出会えたこともきっとあったはず。

 私も映画館で働いたからこそ人生を彩る数々の素晴らしい作品に出会えた。
 今はもう、新京極、河原町を歩いても、映画に出会えた場所は全て消えてシネコンやチェーンの本屋、洋服屋などになっている。
 振り返って昔を懐かしがってみてもしょうがないのだけれども、ただ、寂しい。時の過ぎ行くままに、新京極の時間も流れる。
 
 ところで当時、京都の映画館の看板をほとんど描いておられたのは、「竹松画房」さんでした。映画が変わる度に、新しい映画の看板が手書きの絵で描かれていたのです。映画の最終日は、「看板替え」と言って、映画館の従業員総出で、ポスターを張り替えるなどの作業をして、竹松画房の方が表の大きな看板を翌日から上映する映画に替えられます。そして、全ての作業が終わり、最終上映が終わったら、皆で飲みに行くのが恒例でした。
 こうして映画館が消えてしまい、思い出すのは、あの頃、京都の映画館で働いていた人達や、「竹松画房」の竹松先生達は、今はどうしてらっしゃるんだろうかということです。


 ちなみに明日、東宝公楽ラストデーは、五百円で「トップガン」「オペラ座の怪人」が上映されるとのことです。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009032900090&genre=K1&area=K00



☆☆☆ザ・面接」

 私が二十歳頃に、最初に見たAVが代々木忠監督の「ザ・面接」シリーズ(アテナ映像)で、そこから今の私という人間が始まったのだということは何度も書いておりますが、先日、私が見た当時の初期のシリーズが集められている「ザ・面接大全」の、2と3を観ました。(現在、15まで発売されております。なんたって、このシリーズ、今もバリバリ続いております)

 初期のこのシリーズは、「面接」に来た女性を、タキシードを着た数人の男達が、慇懃に、丁寧に女性の欲情を引き出したり、いきなり犯したり。ほぼレイプ。
 最初に観た時、とにかくこの作品は衝撃を受けました。
 いや、今見ても、すごい。

 今回、十数年ぶりに観て気付いたのは、画面から漂うすさまじい飢餓感。アテナ映像の社屋に現れる「AVに出てセックスをする」素人女性と、男優達と、監督の飢餓感。
 破壊的なほどの飢餓感。「お金が欲しい」「セックスがしたい」そんな言葉では収まりきれないほどの精神の枯渇を感じる。東京の、ごくごく普通のオフィス空間(実際に社員の方は仕事をしてらっしゃいます)に、女が来て、「面接」に緊張している。その緊張感を打ち破る正装した破壊魔達。

 特に目をひいたのが、若き日のAV男優チョコボール向井氏。AVに詳しくない人でも、色黒のマッチョな肉体と、「駅弁」を知る人は多いだろう。
 人の良さそうな童顔なのに、目がギラギラと獣が獲物を貪るように輝いている。こんな目で見られたら、どうするだろうか。男も女も目を逸らすか、動けなくなるか、いずれにせよ恐怖で身体の力を奪われそうだ。
 性欲という枠を越えて、生への飢餓感が観ている者の身体を焼け尽くすぐらい立ち昇ってくる、そんな目。

 今まで私は、「チョコボール向井」という名前が「加藤鷹」と並んで一般の人にも浸透している「AV男優」の名前となりえたのは、その一際印象深い鍛えられた肉体と、その肉体に相応しいパワフルな「駅弁」だと思っていたが、そうではなく、そのもっと根底にある、この「目」なのだと思った。
 飢餓感でギラギラした獣の目。

 若き日のマーロン・ブランドや、ショーン・ペン三船敏郎らも、そんな生への飢餓感で張り裂けそうなギラギラした獣の目をしていた。
 そしてそこに匂いたつような、男という獣の色気。
 
 代々木忠は、男の色気さえも引き出して魅せてくれる。
 
 裸の世界を描くことにより、心さえも裸にして、人間の美しさだけではなく醜さやどうしようもなさも代々木監督はカメラで未だ追い続ける。そのエネルギーの原動力こそが、代々木監督自身の「性」そして「生」への飢餓感なのだろう。