夢の残骸 ― 「火車」 宮部みゆき ―


 悪い夢を見た。最悪な夢を。


 


 宮部みゆきの「火車」をようやく読んだ。「火車」とは、火が燃えている車。生前に悪事をした亡者を運ぶ車のこと。
 上司から貰った数十冊の本の中で、この本は最も手を出すのに躊躇った本だった。怖かったからだ。平気で読める自信が無かった。この本は、カードローン破産を題材にした小説だと知っていたから読みたくても、読むのが怖い本だった。

 私はキャッシング機能のあるクレジットカードを持っていない。ここ数年のうち、三度ほど作ろうとしたことがある。仕事関係の付き合いで、ネットで買物をする際にカードでしか買えないサイトなども多くあるから、試しに作ってみようとした。予想通り、審査に落ちた。銀行のカードにローン機能をつけようして、申し訳無さそうに銀行からお断りの電話がかかってきたこともある。最近はキャッシング機能の無いクレジットカードなら審査無しで取得出来ることを知り、ようやく取得することが出来た。
 数年前、田舎に居る時に職探しをしていた際に、職安で某消費者金融の事務職を見つけ、給与が良いので応募したことがある。案の定落とされた。

 何故か。
 私が、かつて多重債務者であり、「ブラック」と呼ばれる種類の人間だったからだ。

 私は自己破産も債務整理もしていない。出来なかったのだ。弁護士を頼むことも、親に知られることも「死んでもできない」と思っていたから、それを避けた。取り繕い続けようと思っていた。取り繕い続けることが出来なかったら自殺すればいいと思っていた。どうせ未来など無い。こんな人間のクズに、「男に貢いだサラ金の多重債務者」なんてみっともない最低の人間以下のクズ、生まれてきてはいけない人間に未来などない。
 そして取り繕い続けようと逃げ続けた愚者は袋小路に迷い込んだ。
 金利は膨れあがり、職場にも実家にも「電話」が来るようになり、全てがバレた。

 ブランドなど身につけず、海外旅行にも行かず、飲みに行くことも無く、毎日弁当を作り遅刻せず休まず仕事をする私のことを、「堅実そう」とか「それだけ働いてたら貯めこんでるんでしょ」とか言う人間がいる。何も知らない人達に、にっこりと笑いながら私が辿った醜い過去を曝け出したい衝動にかられることがある。借金は完済していない。消費者金融とは関わってはいないが、別の形で残っている。いつかこれを完済せねば、私の「罪」は終わらない。家を飛び出て貧しいながらも好きなことをしている今の生活は、本当は間違っているのかもしれない。家賃と生活費の負担の少ない実家に居て堅実な仕事をしている方が、人としての道なのだろう。実際に両親はそれを望んでいた。私を都会に出すと「何をしでかすかわからない、恐ろしい」「これ以上親を苦しめるのはやめてくれ」と母には号泣され止められた。それでもあのまま実家にいたら自分の罪の償いを出来ず自死してしまうという思いで必死の思いで家を出たのが、2年半前。

 そして私は、社会的に信用を得るために、ちゃんとした人間になるために遅刻せず休まず来る仕事は拒まずで働いている。真面目だねと、頑張るねと、人には言われる。上司は「あんたは仕事が出来るから」と、給料を上げてくれた。6年間居た私の前任者よりわずかながらも私の方が給料がいい。それでも私には、蓄えなど無いし、同世代の女性より生活レベルは決して良くない。
 そして、何よりも「信用」が無いから、カードが作れない。もし私がある男性と結婚を決めるとしよう。その男性の親が、私のことを調査するとしよう。「留年を繰り返し大学中退。多重債務者」ということなどすぐにわかるだろう。しかもその原因が「男に貢いだ」である。どんなに今は真面目に働いているんですと言っても、相手は私に「男と金にだらしのない女」という先入観を持たずにいられるだろうか。
 私の両親も私のことを未だに信用はしていない。常に「金を借りていないか」「家賃は払っているか」と聞いてくる。「信用」というのは、そういうものだ。過去は常に付きまとう。自分がしでかしたことは「無かったこと」になど出来やしない。「過去のことは忘れなさい」と言ってくれる人はいる。しかし人間は過去で出来ている。

 私がネットで過去の金銭的にも性的にもだらしない生活を露悪的に書くことが、ある種の人には嫌悪され、身内の人間を傷つけることは知っている。「不幸自慢」と言われたこともある。その通りだろう。だけど、私が書くモノを嫌悪する人種に、一つだけ言うことがあるのならば、覚悟持って書いてんだよと、それだけは言いたい。清廉潔癖で前向きで真面目で温厚な働き者の「善人」でいることの方が、生き易いことは承知の上で、「否定」される覚悟はあるんだよ、と。


 「火車」は、『関根彰子』という1人の若い女性が行方不明になったことから物語が展開していく。『関根彰子』がカードローンで自己破産している事実から、どこにでもいる若い女の抱える「闇」が露になっていく。

 

 以下、『黒字』は「火車」本文からの引用。
 



 金利が高いとは最初はあまり感じない。金利というのはおんぶお化けみたいなものでね。先へゆくほど重くなる』


 田舎者の世間知らずの私はそれまでどこか会社から借金などしたことが無かった。テレビで見る「サラ金」などは自分には関係ない世界だと思っていた。だけど貸してくれるところはそこしかなかった。最初は、60万円だけ借りた。すぐに返せると思っていた。すぐに返せるから金利のことなど考えていなかった。





『私の言ったことをどうか忘れんで下さい。関根彰子さんは、何も特別にだらしない女性ではなかった。彼女なりに、一生懸命に生活していました。彼女の身に起こったことはちょっと風向きが変われば、あなたや私の身にも起こりうることだった』


 私だって、だらしはないけれど、それなりにまともな未来を望み生きていたつもりだった。ただ、二十歳以上歳上の、初めて自分を「理解」してくれた好きな男を助けたかった、それだけだ。その男を助けるためにはお金が必要だった。お金が無ければ、その男は婚約者の待つ遠い場所に帰ると言った。私は私を愛さない男を繋ぎとめるために、そこへ足を踏み入れた。



『でもしかし、返すことができないとわかりきっている金を借りてにっちもさっちもいかなくなるのは、やっぱり個人の問題じゃあないか。やっぱりその個人に弱点があるから、世の中を甘く見ているところがあるから、だからそこまで落ち込んでしまうのだ(中略)まともな、ちゃんとした人間なら大丈夫なはずだ。多重債務を抱えるのは、やっぱり本人に何らかの欠陥や欠点があるからなのだ』


 そうだ。
 私が悪い。誰のせいでもない。金を借りただらしのない、世の中を甘くみている私が悪い。
 欠陥があるからだ。弱くて愚かな私が悪い。親ほど年が離れた物書きを生業とする初めての男は、私の「神」で私は「信者」だった。そこまで依存するのは、私があまりにもちゃんとしてない欠陥人間だからだ。こんなクズを相手にしてくれるのは、この人しかいない。この人が居ないと、私は死んでしまう。だから、この人の言うとおりにしなければ、この人の望むままに、お金を用意せねば。そこにしか私の存在意義は無い。



『あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、自分でわからないのよね』



 好きな人を助けるためだった。信用も職も失うなんて、その時は思ってもみなかった。


『あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに』



 私は、ただ好きな人を助けて幸せにしたくて、それで自分も幸せになりたかったのだ。愛されていないのは知っていた。それでも私は自分のために、その人を助けたかったのだ。


『多分、彼女、自分に負けてる仲間を探してたんだと思うな。ええ、さびしかったんでしょう。ひとりぼっちになったような気がして、どん底にいるような気分だったんでしょう』


『お金もない。学歴もない。とりたてて能力もない。顔だつて、それだけで食べていけるほど綺麗じゃない。頭もいいわけじゃない。三流以下の会社でしこしこ事務してる。そういう人間が、心の中に、テレビや小説や雑誌で見たり聞いたりするようなリッチな暮らしを思い描くわけですよ。昔はね、夢見るだけで終わってた。さもなきゃ、なんとしても夢をかなえるぞって頑張った。(中略)だけど、今は違うじゃない。夢はかなえることができない。さりとてあきらめるのは悔しい。だから、夢がかなったような気分になる。そういう気分にひたる。ね? そのための方法が今はいろいろあるのよ。彰子の場合は、それがたまたま買物とか旅行とか、お金を使う方向へいっただけ。そこへ、見境なしに気軽に貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話。(中略)今は何でもある。夢を見ようと思ったら簡単なの。だけどそれには軍資金がいるでしょう。お金持ってる人は自分のを使う。で、自分ではお金がなくて、「借金」という形で軍資金をつくっちゃった人間が、彰子みたいになるんですよ』


 田舎モノで頭も容姿も悪く生きることが下手で損ばかりをしていると思っていた。上手く生きられない。何かを口に出すと「変な人」扱いされて「お前おかしいよ」と言われた。嘲笑された。「普通」になれなかった。どうして同世代の他の人間は皆あんなに楽しそうなんだろう。どうして皆はあんなに上手に生きられるのだろう。私だけが、足掻いても足掻いても1人暗い湖の底にいるようだった。ここに居るよ、私はここに居るのだと叫んで見ても、皆私を見ない。ただ、1人、「おもしろいヤツだ」と、私を気にかけてくれたのが、その男だった。



 今ならそいつこそが「人間のクズ」だとわかる。だけど当時はその男は「神」だったから人の忠告なんて聞く耳を持たなかった。セックスを餌された惨めな私は、ある時からはその男を激しく憎み始めた。死んで欲しかった。その男を殺して自分が死ぬことばかり頭の中でシュミレーションしていた。「お前はスキモノだからそれを商売にすればいい」そうして、俺にその金をよこせと言われた。今でもそいつは死なずにのうのうと生きている。金を返せというと、「俺は辛い」だのほざきやがる。これっぽっちの罪悪感を私に対して持っておらず未だに私を支配できると信じている還暦近い男。俺は悪くない俺はお前の望むものを提供してやったじゃないかと言い続ける男。

 この男の誘うがままに、寝てやろうかと思ったことは何度もある。今の私は、男をあんたしか知らなかった頃の私ではない。寝て、あんたの自信満々の性器やセックスを嘲笑して復讐してやろうかと思ったことは何度もある。だけどそれも芯から腐った男には無駄に終わるであろう。一生私が自分の支配化にあると信じて惨めに死ぬがいい。哀れで幸せなまま死ぬがいい。あんたには私の苦しみや哀しみや痛みや憎しみは一生わからない。それを背負いながら、あれから私がどんなふうに生きてきたのかも、どれだけのものを犠牲にして、諦めてきたのかもきっとわからない。借金が原因で恋人と別れたこともある。職場にひっきりなしに電話がかかってきて、仕事を辞めたこともある。あんたには、一生、私のことはわからない。わからないままで、死ぬがいい。
 

『なんとかしなくちゃ。あたら青春を無駄にしないために。もう逃げ隠れしなくていいように。まともな生活をしたい。追われる不安から開放されたい。平凡に、幸せな結婚をしたい。求めるものは、ただそれだけだ。そして、自分の身を守るためには自分で闘うしかないと悟ってもいただろう。(中略)手の指の間からこぼれ落ちる、砂の一粒だ。彼女の存在は社会にとってその程度のものなのだ。誰もすくいあげてはくれない。這い上がっていかないことには、生きる道はないのだ。もう誰もあてにはできない。男に頼ってもしょせんは虚しいだけだ。自分の二本の足で立ち、自分の両手で闘うのだ。どんな卑怯な手段でも、甘んじて使おう』



 まともな生活がしたい。多くのものは望まない。人並みの生活がしたいだけだ。
 首をくくれば、そこで全てが終わるだろう。苦しみも希望も終わるだろう。だけど死ねない人間がいる。生きようという力が絶望に歯止めをかけ、死ねなかった。死ねないのなら、生きるしかない、倒れて草を掴んで泥水を飲み地を這いずり回って生きるしかない。例え人を殺しても、自分が生き残るぐらいのつもりで生きていかねば、死んでしまう。


『自分の顔を鏡で見てみろよ。(中略)まるで鬼女だ』



 世の中は金じゃないと言葉の美しさに酔うヤツを見ると、笑い出したくなる。金で人は狂う。愛も冷める。金が無いと何もできない。生きていくことが出来ないのだ、金が無いと。金に困った人間は自分のことしか考えられない究極のエゴイストになる。金のために醜悪で卑劣なことが出来る人間など腐るほど存在する。

 私もその中の1人、だ。


 今、私の職場にも、たまに先輩達宛ての「電話」がくる。消費者金融が一般人を語る電話だということは、すぐにわかる。不況の折、消費者金融に手を出している先輩を数人知っている。彼女らはだらしなく、のらりくらりと現実から逃げている。なんてだらしない人達なんだろう。正面からそのことを向き合わないと、一生返すことなんて出来ないのに。逃げても逃げられることなんて出来ないのに。私よりずいぶんと年齢が上の「先輩達」に私は昔の私を見る。なんてだらしのない人達なんだろう。
 逃げ切れない。逃げた先は袋小路。デッド・エンド。そこまで追い詰められないと、わからないのか。


 今は毎月きちんと家賃を払っているのに。現在は金融関係に借金など無いのに、それでも私は白昼に誰かが訪ねてくる恐怖に未だ脅える。知らない番号の着信がある度に恐怖が蘇る。過去の影に脅えて全身が震えることを、いつになったら止められるのだろうか。友人で、男に暴力を振るわれ続けていた娘がいる。その男と切れて別の男と結婚した彼女は、それから何年も経っているのに未だに「男に殺される」夢を見るので1人で眠ることが出来ないと言う。傷なんて、簡単に克服できるものではない。治るような傷なんて傷のうちに入らない。


 男にはいつも私は責められていた。俺が今こんな不幸なのはお前のせいだと、お前が俺を助けるのは当然だろう、と。反論すると言葉を扱う物書きを一応の職業としていた男から、すごい勢いの理屈で責められた。消費者金融の取立ての見知らぬ男からも電話で罵倒された。向こうは罵倒のプロであるから、人の心をどんどん突き刺して壊してくる。鋭い槍のような言葉の刃物でどんどんと突き刺してくる。世の中にはそういうことが天才的に上手い人間がいる。人を言葉で壊すこと、追い詰めて精神的に殺してしまうことの出来るプロがいる。見知らぬ取立て屋だけならまだいい。私は私の初めての男、私が命がけで助けようとした男からも責められ続けた。


 私が悪い私だけが悪い借りた私が悪い弱い私が悪い駄目な私が悪い私が悪い全て悪いお前なんて死んでしまえ人間のクズが、全てお前のせいなんだ。何でこんなことに全ては私が悪い私のせいだ私のせいだ私が悪い早く殺して私を殺して私が悪いのだから借金した私が悪い男に貢いだ私が悪いいっそ発狂できたなら。

 職場にも、実家にもヤツらは電話をかけて、私を罵倒した。


 たすけてください。


 地獄への坂を転がるように火車は駆けてゆく。火車に乗る亡者が叫んでいるのは炎が熱いからではない。孤独だから、叫んだいるのだ。気が狂いそうな孤独の恐怖に泣き叫んでいるのだ。



 「火車」は、私にとっては、ホラー小説だ。苦しく痛かった。電車の中で読みながら涙を堪えるのに必死だった。小説としては面白くて読むことを止められなかったが、怖くて怖くてたまらなかった。客観的になんてなれるものか。私はこの犯人の動機も理解できてしまう。他の人からしたら「何で?」と思うような動機かもしれないけれども、私にはわかってしまう。



 今の自分は、きっと幸せなんだろう。
 好きな仕事をして、好きなことをして、生きている。他人からも幸せそうに見えるだろうし、間違いなく幸福なんだろうと、思いたい。
 だけど、未だに怨念の火はチラチラと、ふとしたことから蘇る。傷つけられた時、攻撃された時、嘲笑された時、そして、誰かを好きになった時に、傷が痛む。

 世の中には、人の弱さに付け込む人間がたくさんいる。
 それを商売にしている人間もごまんといる。病気や事故に遭遇した時に、「宗教者」がわらわらと沸いてくることも同じ、だ。
 人の心を知るということは、人につけこむことも出来るという諸刃の剣なのだ。

 私だけは大丈夫だ。何かに依存したりすることもないし、自分の信念を持って道をまっすぐ進んで理想的な人生を歩めるという人がいるならば、それは幸福で鈍感な方なのでしょうね、どうかお幸せにと拍手を送りたい。


 今の自分は幸せだ。


 けれど、もう1つの人生があったのではないかと、思うことがある。
 あの時、あそこに足を踏み入れなければ送ることが出来たもう1つの人生。火車に乗り孤独地獄で叫びを挙げることなど無い人生。


 あの時、あの男になど出会わなければ。
 あの消費者金融の扉を開けなければ。
 もしも、あの時。


 悪い夢を見た。

 本当に、夢だったら良かったのに。