風の墓

 東京の八王子の墓地の、ある墓石には、「風の墓」と記されている。数年前、そこに手を合わせに行ったことがある。飄々と佇む、戒名「風々院風々風々居士」に相応しい墓だった。

 「風の墓」に眠る大作家――山田風太郎を、あなたは知っているだろうか。

 本当はこの記事は、命日である28日に「山田風太郎論」なぞを書きUPしたかったんですが、山田風太郎という人の作品は幅広く、しかも全てと言っていいほど漏れなく傑作なので、片手間の数時間で「山田風太郎論」なんぞ、書けないことに気づいたのである。なので、作品論はともかく、個人的なことを。

 山田風太郎、本名・山田誠也。兵庫県養父郡関宮町(現・養父市)出身。2001年7月28日、満79歳で没。
 前回の記事で書いた「神戸らも展」にて、中島らもの愛読書として山田風太郎の「風来忍法帖」が展示されていた。中島らもは、中学・高校時代にかけて「甲賀忍法帖」を18回、「風来忍法帖」を4回読んだと書いている。そして「この人と同じ時代に生まれ作品に出会えたことを幸せに思う」と記している。
 山田風太郎は幼い頃に両親を亡くし、その飢餓感があるから自分は小説を書いている。両親を亡くし叔父に育てられたが旧制中学校時代に不良となり停学をくらってもいる。素行の悪さに退学という処置をとるべきではないかと教師らが話し合った際に、山田少年の才を認め、強く止めた一人の教師がいた。
 後に歴史学者となった奈良本辰也である。偶然にもだが、私が最も敬愛する歴史学者が、この奈良本辰也である。
 山田少年は退学を逃れ卒業し就職するが、後に東京医戦(現在の東京医科大学)に入学し、在学中に生活の為に雑誌「宝石」に投稿した小説が採用され作家となる。「宝石」の編集長である江戸川乱歩が山田少年の才能を高く評価し、愛された。
 デビュー作がミステリーだったことからその後はミステリーを書き続けるが、原稿料代わりに編集者から貰った中国の奇書「金瓶梅」を読み、それを連作ミステリー仕立てにした「妖異金瓶梅」をきっかけに、「忍法帖シリーズ」を書き始める。
 ブームとなった「忍法帖」シリーズ、映画化もされた魔界転生、「陰茎人」などのナンセンス・ユーモア小説、幕末物、室町物、明治物、そしてエッセイ、日記など幅広いジャンルを手がけている。

 私が、この世で最も敬愛する作家が、山田風太郎です。
 高校の先輩でもあります。(山田風太郎在学中は旧制中学校)青春時代を描いたエッセイや小説を読むと、自分が知っている場所が次々に登場し(山田少年が万引きしてた本屋とか・笑)、そして山田少年が生まれ育った場所も、よく知っているので、そこに生まれ育った人間が感じていた鬱屈した想いというのが、他人事ではない。
 私も、自分の故郷が、ずっと嫌いで、出たくて出たくてたまらなかった。なんでこんなところに生まれたのだろうと嘆き続けていた。どうしても出たかったので、大学に進学したのだ。(家から通える大学は無いから)何か目的があったわけではない。大学に進学する目的は、その土地を離れること、それだけだった。
 事情があり30歳を超えてから実家に戻らざるを得なくなった時に、絶対にまた出ていこうと決めて、それだけの為に生きてきたと言っていい。再びその場所を離れた今となっては、たまに帰る故郷を、それなりにいい場所だなと思うことがやっと出来るようになったけれど、ずっと嫌いで憎んだ場所だった。
 だから、あの場所に生まれ育った山田少年の鬱屈が、他人事とは思えない。山田風太郎の故郷への愛憎交わる想いが描かれた文章を読むと、その光景が、私が見てきたのと同じ光景だからこそ、涙がこみ上げる。

 山田風太郎の凄さを語るには、私にはまだ時間がかかりそうだ。
 だけど、中島らものいうとおり「同じ時代に生まれこの人の作品に出会えたこと」の至福を感じる。

 私が山田作品に出会ったのは、かなり遅い。
 山田風太郎が亡くなった後だ。
 京都から田舎に強制送還させられた(サラ金が嵩んで)後だ。田舎は車が無いと仕事が出来ないので、合宿で海辺の町に免許を取りに行った。何もない町だった。教習所はやかましいヤンキーが多く、うんざりしていた。近くに、本当に小さな本屋があった。そこで退屈しのぎに買った「くノ一忍法帖」が、最初に読んだ本だった。そこそこ面白いなとは思ったが、本当に衝撃を受けたのは地元の図書館で読んだ「妖異金瓶梅」だった。免許をとって職安通いをしても、パソコンも使えず、ロクなキャリアもなく、若くもなく、大学は中退したので学歴もない女には仕事が無く、鬱屈とした最悪の日々は時間だけがあり、職安近くの図書館に足を運んでいたのだ。
 「妖異金瓶梅」は、すさまじい小説だった。それまでも、そこそこ読書はしてきた筈なのに、こんなに面白い小説を読んだのは、初めてだった。読み終えて、壮絶なラストシーンに涙し、興奮がとまらなかった。それから貪るように山田風太郎の小説を読んだ。幸い、風太郎の出身校のある市の図書館なので「山田風太郎コーナー」があり絶版になり入手が難しい小説も揃っていたので、そこにある本は全て読破した。睡眠時間を忘れた。読んでいると眠くなんてならなかった。もう読みたくて読みたくてたまらない。読み終えたら興奮で目が冴える。そして満足感が全身に行き渡る。面白い本を読んだ喜びというのは、何にも変えがたい。
 あの頃は、人生では最悪の時期だった。借金が原因で家族に迷惑をかけ仕事も友人も恋人も信用も失い(未だに家族は私を全く信用していない)事情を知る老いた親戚にも非難された。30歳過ぎて、キャリアもない、学歴もない、美しくもない、PCも使えない、男に貢いでサラ金に手を出した人間のクズ、出来損ないの女、「死んだ方がいい」と思っていた。いや、死ぬつもりだったし、死ぬはずだった。仕事も見つからず、未来も全く見えない私を救ったのは、山田風太郎の小説だったかもしれない。

 「藩金蓮」という名前ですが、これはmixiに誘われた時に、とっさに「妖異金瓶梅」のヒロイン・「潘金蓮」にちなんでつけたのです。「潘」だと変換で出ないので「藩」にしました。ホントに何も考えずとっさにつけた名前で、今「藩さん」とか「金蓮さん」とか呼ばれるのですが、実は未だに違和感があり、またいつかこの名前は使わなくなると思います。mixiでとっさにつけた時は、その数年後に、まさか自分が物書き仕事とかするとは全く思いもよらなかったので・・・いや、ホント、自分が文章書いてお金貰うなんて思いもよらなかったんですわ。
 このヒロインが、性悪で、淫乱で、我儘で、自分勝手で、残虐で、冷酷で・・・だけど、素晴らしい女なのです。未だに、私が今まで読んだ小説世界の中で、一番好きな女です。

 山田風太郎の小説で何が面白いのかと問われると、浮かび過ぎて整理できない。山田風太郎には殆ど「ハズレ」が無い。ミステリーから、歴史小説から、エッセイまで。けれど、特に好きなジャンルを挙げるなら、後期に描かれた「警視庁草子」をはじめとるす「明治物」だろうか。幕末、明治維新を過ぎた頃の、「取り残された人々」の話。
 人間の生々しい低俗とも言える欲望を描いた「妖説太閤記」も素晴らしい。多くの人々の「死に様」を書いた「人間臨終図鑑」は、何かある度に読み返してしまう。ホントに全作品を改めて読み返したい。「妖異金瓶梅」に関しては何回読んだかわからない。

 私が知る限り、今までで一番インパクトを受けた小説のタイトルも山田風太郎のものだ。



「うんこ殺人」


 って・・・。(上記の文字を茶色にしたことに気づいてね!)
 タイトルが凄すぎて、内容が霞んではいるけれど・・・
 

 山田風太郎記念館が、出身地・関宮にある。小さな記念館だが、風太郎の愛用品や原稿、写真などが展示してある。何度か行ったが、衝撃を受けたのは、山田風太郎がどこか旅行に行った際に、自然の風景をバックにして笑って写真を撮っている。その写真に、風太郎自身がつけた直筆でつけたコメントが・・・



「ボケのうす笑い」



 って・・・。
 自分の写真にボケのうすわらいって・・・

 「ユーモア」を超えて、こういう「アホ」「バカ」なところも素晴らしい。

 山田風太郎の小説に出会っていなければ、私は真剣に小説というものを書こうとは、思わなかっただろう。小説家を目指しているといえば、何で小説なの? と聞かれるのだが、この世で小説ほどおもしろい娯楽は無いと思っているからだ。
 映画より、漫画より、スポーツより、酒を飲むことより、旅行より、私は小説が好きだ。
 そう思うようになったのは、山田風太郎という存在に出会えたからだ。
 小説ほど、素晴らしいものはこの世にない。
 全身の血が滾り、身体を震わすほどの感動を与えてくれたのは、山田風太郎という存在だ。

 7月28日は、山田風太郎の命日だった。
 そしてその日は、風太郎の師である江戸川乱歩の命日でもある。「人間臨終図鑑」に描かれた乱歩の死についての記述は、乱歩への最大の敬意と賛辞と惜別の想いが籠められている。是非、読んで欲しい。

 人間の小さな脳みそには、宇宙より無限の世界と可能性が存在するのだと知る度に驚愕する。
 それを教えてくれたのも、山田風太郎だ。

 人の人生を変え、命を救うような小説がある。
 最後にもう一度いう。
 この世に、小説ほど、おもしろいものはない。

 7月28日。

 偉大なる先人達に手を合わす夏。


妖異金瓶梅―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

妖異金瓶梅―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)

人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫)

人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫)

人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)

人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)

甲賀忍法帖 (角川文庫)

甲賀忍法帖 (角川文庫)