いいんだぜ
☆ さんぽにゆく。
某日、田中課長と、緑川夫人と三十路女3人で京都散歩をする。
田中課長と緑川夫人は初対面なので、
「この方、田中課長と言いますけど、会社員じゃなくてペンネームで課長と名乗ってるだけです」
「こちらは緑川夫人ですが、江戸川乱歩『黒蜥蜴』ファンなのでそう名乗っているだけで、独身です」
と、ややこしい紹介をする。
私も山田風太郎「妖異金瓶梅」が好きで藩金蓮と名乗っていますけど、日本人で本名は「○○子」やし・・・
京都百万遍の交差点で待ち合わせ、京都大学の近くにあるインドカレーのお店でランチをする。この辺は学生街なのでご飯は安いし、古本屋も多い。
そこからバスで相国寺に移動。相国寺では現在、夏の旅で特別拝観やっています。いつでも公開しているのではないので、私も仕事では相国寺行ったことがないんです。「観光」で人を呼んでいる寺ではないので行ったことがない人も多いし知らない人もいるでしょうが、臨済宗相国寺派の大本山で足利尊氏により作られた権威ある大きなお寺なのです。金閣寺も銀閣寺も、臨済宗のお寺なのですが、「相国寺派」なんですよ。だから位でいうと、金閣寺、銀閣寺より上に位置します。あと、便宜上、金閣寺、銀閣寺と言ってますが、正式な名前ではないです。金閣寺は鹿苑寺、銀閣寺は慈照寺です。京都は臨済宗のお寺が多いです。他にも建仁寺、天龍寺、妙心寺、東福寺やらあります。これは室町幕府、鎌倉幕府が臨済宗を保護したからです。まあ、そんな話は置いておいて。
相国寺では、法堂(はっとう、と読みます)の鳴き龍を見ました。八方睨みで、どこから見ても目が合うのです。
あと、今回は行きませんでしたが、今、相国寺の塔頭・瑞春院も特別公開されています。作家の水上勉さんがおられた寺で、「雁の寺」の舞台とも言われています。
相国寺から同志社大学へ。
今回、ゆるい「散歩」なんで無計画です。とにかく暑いし、なんか飲もうということで相国寺と隣接している同志社大学のカフェに行きました。
ここは明治時代に作られたキリスト教系の大学です。赤レンガでおしゃれな校舎、チャペルもあります。私は仏教系の大学でしたが、普通の校舎やったんで、なんやうらやましい。
涼んだ後で、まだ時間あるねーと、同志社大学の向かいにある京都御苑に入りました。御苑の中の京都御所には申し込みをするか、春と秋の公開の際しか入れませんが、御苑内はいつでも入ることが出来ます。今出川から歩いて、猿ヶ辻へ。建物の北東部分が、ちょいと欠けた形になり、ここに左甚五郎作と言われている猿の彫刻があるのですが、この猿が夜な夜な抜け出して悪さをしていと言われ、網で囲ってあるのですね。そしてこちらは幕末に攘夷派の公家・姉小路公知が暗殺された場所でもあります。
「ここ、殺人現場」
と、修学旅行生には出来ない案内をする私。
てくてく歩いて蛤御門周辺に来ると椋の木があります。長州藩士の木島又兵衛が亡くなったと言われているところです。「ここも人が死んだ場所」と案内する私。御所といえば平安時代には鵺が出たという言いますし(平安時代の御所は違う場所ではありますが)よくよく考えたら物騒なところです。そんなん言うたら京都の木屋町辺りとか殺人現場だらけやけど。
そしていい時間になったので京阪電車で移動して三条へ向かい、田中課長が案内してくれた居酒屋で飲み食いをする。あ、京阪の駅に向かう際に出町柳商店街を通ったのですが、やっすい果物&八百屋さんがあって、さくらんぼ佐藤錦が、こんもり¥250! 3人とも買っちゃいました。他の果物や野菜も安かった。
京都に来てから、「商店街」というものが好きになりました。二条商店街とかよく行きます。旅行でどっか行っても商店街にはなるべく行く。「市」も好きだし、なんだか人がいて賑やかで活気があって、おもろいもんがあって、そういう雰囲気が好きなのかもしれない。カタログショッピングやネット通販では味わえない楽しさだ。
三条の居酒屋も安いし、魚がもう、美味しくて、おばちゃんのキャラも面白くて大満足。賀茂茄子田楽、万願寺唐辛子焼き、鱧の骨の唐揚げ、など、「京都の夏の味覚」を味わう。飲んで食うて、一人二千円ちょいでした。
ホントにね、京都は遊べるよ。
有名観光寺院廻りしたり、湯豆腐や懐石料理食うたら、そら高くつくけどさ。
金かからんと遊べる場所が、わりとある。京都御苑も金はいらんし、東・西本願寺もそうやし。京都文化博物館などで昔の映画観たら、500円しかかからん。明倫小学校を改築した京都芸術センターなぞは、図書室やら資料室なども無料で利用できる。あと木屋町なんぞを歩くと幕末史跡だらけやし。
☆ 「神戸らも展」
23日は、緑川夫人と、落語作家・ライターの高田豪君と3人で中島らも七回忌回顧展「神戸らも展」のトークショーに行く。
3人とも「中島らもに青春を犯された」まま、30代になっていて、犯した当人は亡くなり、犯されたまま取り残されて今に至る。「中島らもに青春を犯されたまま、取り残された」人間は、犯されて呆然とされて、股座からザーメンを流したまま、あんぐあんぐともがいているうちに、らもさん天国に言っちゃって、あああたしはどうすればいいの責任とってよ! と、未だに離れられないのである。自分を犯した男を忘れられず、何度も繰り返し読んだはずの眩暈がするほど美しい文章や、笑いでコーティングされた狂気に、何かある度に救いを求めるのである。
「中島らも」って、ホントに特異な存在だ。作家の作品に犯されたのではなく、その作家の存在そのものに皆犯されているような気がする。「若い頃夢中になった」とか「愛読者だった」とかより、「青春を犯された」という表現が相応しいように私には思える。犯されたまま逝かれて取り残された者達が、うようよと彷徨っている。
そうやって、「自分達の青春を犯した男」を「股座に生暖かいザーメンの感触を残されたまま取り残された人」達が七回忌を前にして集結したのです。
「らも展」の展示の方は、生原稿や、写真や熊の毛皮や愛用品など。愛読書の中に、しっかり山田風太郎の著書がありました。
最初に灘高の生徒さんのバンドの演奏がありました。
そして2度、メンバーを変えてのトークショー。正直、前半のトークショーは、内容も今までエッセイなどに書かれた話だし、会話の度に「間」があるし、ちょっと残念でした。大勢の人が来てるのだから、もっと盛り上げようがあったんじゃないかと。後半のトークショーは、さすがに出演者が普段、人前に出る仕事をされている方が中心だったので、楽しませて頂きました。合間に中島らもさんが立ち上げた「リリパット・アーミー」の公演の映像など上映。
これは私だけでは無かったみたいなんですが、どうももやもやしたことが1つありました。「リリパット・アーミー」の公演映像の中のテロップにしっかり名前が出ているのに、数々の共著を出しているのに、一緒に劇団を立ち上げ初代のマネージャーであった「あの人」の名前が、一切、不自然なぐらいトークなどで出なかったこと。奥さんや娘さんが出演されていたし、奥さんが書かれた本を読むと、いろんなことがあったからやむおえないんだろうけれど、劇団立ち上げの話や、歴代マネージャーの話の中で「あの人」の名前が出なかったのは、どうも一般のファンとしてはもやもやした感じで・・・エッセイなどを読んでいても、「作家・中島らも」の存在に欠かせなかった人の名前が出せないのは、それはそれで、切ない話ではあるんですが。
奥さんの本が出版されて、私がブログに感想を書いた時、今まで一番反響があったんです、その記事が。
「恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス 中島らもとの35年」
今だから言うけれど、これを読んで書いた時、私は妻子ある人をものすごく好きで、そしてとても幸せな時期でした。その人と待ち合わせした本屋でこの本を手にとって、その時は買わなかったけど、後で購入して読んで、その人にも勧めたら、向こうはショックを受けていた。
その妻子ある人を好きだった時、私は「未来」は無いけど、幸せで、とても幸せで、それまでも妻子持ちと関わったことは何度かあったけれど、初めて「不倫は良くない」と思ったのでした。罪悪感なんて無かったけれど(今でも無い)、家庭のある人を本気で好きになるということは、その人の死に目に会えない、その人が病気や事故で入院しても会いにいけないということで、こんな残酷なことはない。そんな当たり前のことに、初めて気づいたのだ。そういうのは、二度とごめんだ、と今のところは一応は思っている。私のことだから、先のことはわかんないけど。
そして、ラストは、「いいんだぜ」の大合唱。
テレビでは歌わせてもらえない歌。放送禁止用語の羅列、そして素晴らしい「愛の歌」。
恋がどうたら、愛がどうたら理屈に逃げて偉そうに語る精神的勃起不全なヤツらや、
生ぬるい「恋愛」を歌い上げる自己陶酔ソングに泣く奴らや、
未だ「セックス」というものを経験していない、つまりは人生最大の楽しみを味わったことのない童貞・処女諸君や、
女性誌の「いい男をGETする」為に「モテ服」「モテ髪」「モテるしぐさ」の研究に青春を費やしてるヤツや、
処女じゃないけど、ちんこ舐めんの嫌いとか言うてたり、好きな男のザーメンを飲み干したことのない女や、ケツの穴を舐めたことのない女や、
女のまんこを舐めない男とか、ケツの穴舐めない男とか
童貞臭を漂わせながらつまんえぇプライドを守るヤツとか、
ちんこまんこ話を楽しめねぇヤツとか、
自慢話みたなセックス自慢しか出来ねぇヤツとか、
男の為に死ねない女とか、
女の為に死ねない男とか、
好きな人を抱きしめてやるという簡単なことすら怖がり出来ない奴らとか、
そういうつまんない人間に、この歌を聴いて欲しい。
歌が終わり最後は、「ちくわの狂い投げ」だった。「リリパット・アーミー」の公演の最後に、スポンサーの「かねてつデリカフーズ」のちくわが出演者により観客に投げられるのが恒例だったのです。
私らの青春を犯した男は、亡くなって六年たっても全く色あせず、カッコいいままだった。
明日が、命日です。