「AV黄金時代 〜5000人抱いた伝説男優の告白〜」 太賀麻郎・東良美季  〔前編〕 


 それは、心を揺り動かす懐かしい歌。
 時には母の歌う子守唄のように、時には酒の香りのするバラードのように、時には怒りに満ち血を滾らせるロックのように、時にはまだ見ぬ神に奉げる賛美歌のように、砂漠の砂が水を啜るように乾いた心の隙間から血管を伝い身体の隅々まで浸透する「言葉」。

 それは、もう二度と会えない、かつて愛した人と過ごした時間に流れていた音楽。懐かしく悲しく寂しく不幸と幸福を溶け合わせた時間に流れていた音楽。甘い痛みを伴う音楽。肌を合わせ、幸福に泣いた昔を蘇らせる音楽。二度と会えない人との、二度と戻らない時間を残酷に呼び覚ますような音楽。

 切なくて、少し痛い。けれどその痛みが心地よい音楽。
 だから、泣きたくなる。

 東良美季の文章は、例えるなら、そんな、懐かしい音楽のような文章だ。


 東良美季。1958年11月13日生まれ。川崎市出身。國學院大學文学部哲学科卒。雑誌編集者、AV監督、音楽PVディレクター、グラフィックデザイナーを経て現在は執筆業。

 この度、「AV黄金時代 〜5000人を抱いた伝説男優の告白〜」という本が発売された。東良美季が、太賀麻郎という伝説のAV男優を描いた、ある時代の物語。
 私はその時代を知らない。ただその時代を生きてきた2人の男のことを少しばかり知っているので、彼らのことを書こうと思う。

 私が「東良美季」(敬称略)という人を知ったのは、もう随分前の話で、彼の「アダルトビデオジェネレーション」(絶版)という、アダルトビデオに関わる男優、女優、監督達のインタビュー集を偶然に本屋で手にとってからだ。私はその少し前に、平野勝之監督の「由美香」という元々はAVとして撮られた名作と出会い、衝撃を受けた。けれど当時はまだインターネットも何もなく、ましてや普段アダルトというものを手にしにくい「女」であったので、その平野監督について書かれた本と出会った時は、どんなに嬉しかったことか。そしてその本の著者が「ビデオメイトDX」というAV情報誌に書いていることを知り、その文章を読むためにその雑誌を買い続けた。三十歳を過ぎ私はいろいろあって、田舎に戻り、PCを手に入れた。ちょうどそれと同じくして、東良美季が「毎日jobjog日誌」というブログを初めており、そこにメールをしたのが直に知り合うきっかけだった。そこから、mixi、そして「猫の神様」出版がきっかけで直接会うことになる。だけどそんな話はもうどうでもいい、それより、「アダルトビデオジェネレーション」の話だ。

 東良美季の「アダルトビデオジェネレーション」の読後感は、青春小説のようだ。連作の青春小説。そう、だから、私は東良美季の「AVライター」という肩書きを見る度に、違和感を覚える。私の中で、東良美季という人は、「物語を紡ぐ人」。例えそれがアダルトビデオを媒介としていても、彼は「話を紡ぐ人」であり「語り部」であり、つまりは「物語を書く人」だから。

 あなたはどうしてここにいるんですか、と、問いかけたい。
 裸の、淫らで、欲望が蠢き、嘘が蔓延し、女の股座で女衒達が金儲けをする世界には、上記に書いた彼の音楽のような文章は似つかわしくないと思うことがある。けれど、東良美季の描くものは、そんな世界に確かに存在している「人生」そして「悲しみ」であり、そこに希望が存在する。人には心があるのだと、教えてくれるから、希望なのだ。まるで暗闇の中を照らす一筋の月の光の如く、東良美季の文章はその世界の中でひっそりと凛とした光を放つ。

 私はアダルトビデオが好きだけど、嫌いだ。手放しで「大好き」とは言えないし、ましてや「アダルトビデオは素晴らしい」と大絶賛も出来ない。女が裸になりセックスを売り、その映像が半永久的に残ることの重さや、自分達の利益の為に女に身体を開かせる女衒達の中には、裏で女を侮蔑している人間もいることも知っている。そして男の欲望の為に作られたその映像が時には女を傷つけもすることもある。アダルトビデオに出た女性の中には「人生が狂った」人達や後悔している人も勿論いるし、彼女達の周りの人間にはそのことで傷を負う人達もいるだろう。だから私はアダルトビデオが好きだけど、嫌いで、少し憎んでいるかもしれない。男と女の間に流れる深くて暗い川を、見てしまうから。男と女はわかりあえないのだと。いや、男と女、ではなく、人間はわかりあえないのだと。だからこそ、時にその世界の周辺ではしゃぐ人達を見ると、何か大事な物を放棄したような虚しい気分になるのだ。


 東良美季は、「アダルトビデオジェネレーション」で、物語の始まりに、こう書いている。


「彼女は彼らは何故、アダルトビデオという生き方を選んだのでしょうか。そして人生の大切な時間を賭けてまで、アダルトビデオというものに何を求めたのでしょうか」


 東良美季がそう問いかけているのは、そこでインタビューされた男優、女優、監督達だけではなく、自分自身だ。何故、自分はここにいるのだろう、と。
 人は何故、物語を紡ぐのか。監督は作品を作り、女優、男優は演じる。小説家は小説を書き、画家は絵を描き、音楽家は音楽を作り歌い続ける。何故、人はそうして物語を紡ぐのか。それは、何故自分がここに居るのか、その理由を探すためだ。そうして紡がれた物語に惹かれて触れる者達も、自分達がそこにいる理由を知りたいのだ。だから私は東良美季の文章を蜘蛛の糸のように辿りながらここに流れついた。
 その文章は、砂漠を何日も彷徨い歩いた末に見つけた湖の畔に咲く花のように凛として美しく、乾きささくれ立った心に一滴の潤いを与えてくれた。恋愛は人生の花だと坂口安吾は言ったが、花が無くても生きていけるけれど、花が無いと生きている気がしない人間もいるのだ。花を音楽と置き換えてもいい。音楽が無くても生きていけるけれど、音楽がないと生きているのか死んでいるのかわからない、そんな人生しか送ることができない人間もいるだろう。

 東良美季の文章は、音楽だ。
 もう二度と会えない、かつて愛した人と過ごした時間に流れていた音楽。痛みと切なさが心地いい、音楽。
 懐かしくて、でも、もう会えないから、胸が痛い。
 けれどその痛みこそが、生きていることの証なのかもしれない。人はそれを「思い出」という。悲しみと喜びと不幸と幸福と寂しさを呼び起こす、美しい音楽。その曲名は「思い出」。忘れられない曲。あなたとあの部屋で聴いた曲。


 その東良美季が描いた、5000人の女を抱いた伝説の男優・太賀麻郎。100人の女と同時につきあっていた、彼に抱かれる為に女達が行列をつくっていたという噂もあった男。
 私は、太賀麻郎の「黄金時代」を知らない。けれど、ビデオの中で、明らかに「仕事」の枠を超えて、女優が彼に惹かれていく過程を目の当たりにしたり、彼に抱きしめられた女優達が、号泣する場面を知っている。そう、彼とセックスした女達は、泣くのだ。悲しいのか、嬉しいのか――何故、泣き、そして彼に仕事の枠を超えて惹かれるのか。

 太賀麻郎は、直に会ってみると、じっとこちらの目を見て話す男だった。ビデオの中と同じく。だから、こちらも目を逸らせず、戸惑う。何もかも見透かされているようで、困惑する。

 その太賀麻郎については、次回語って「AV黄金時代」の感想としたい。



 東良美季「毎日jobjog日誌」(毎日更新)http://jogjob.exblog.jp/

 東良美季・Long Time Comin' http://d.hatena.ne.jp/tohramikiLTC/

 追想特急〜lostbound express
http://d.hatena.ne.jp/tohramiki/

AV黄金時代 5000人抱いた伝説男優の告白 (文庫ぎんが堂)

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猫の神様

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