恋地獄 〜「源氏物語」大塚ひかり全訳〜


 恋が愛に変わればいいけれど、ずっと恋のままならば、それは地獄だ。何故なら恋は求めることで、愛は与えることだから。求めるものが多いほど、求める心が深いほど、地獄の猛火の中に堕ちていく。自分が他人に対して求めるものなど、手に入らないものばかりだ。手に入ったと思っても、それは一瞬のことで、あるいは錯覚に過ぎないかもしれない。けれどその一瞬の錯覚を一度味わってしまえば、もう、そこが地獄の入り口だ。寂しさという名の地獄の入り口だ。あなたがいない夜を、あなたに触れられないこの身体を、私は嘆く。寂しくて寂しくて気が狂いそうで、魂が抜け出てしまいそうな夜を嘆く。恋は至福と寂しさを齎す。心が張り裂けそうなほどの幸福と、孤独を。それがない恋なんて、恋じゃない。
 恋は地獄だ。あなたがここにいないことを、心と身体が嘆いて叫び続けている。

 餓鬼だ。恋する人間は、地獄の餓鬼だ。
 そして時には、畜生にも鬼にも身を落とす。

 「源氏物語」を、あなたは知っているだろうか。日本の古典文学の傑作であり、教科書にも掲載されているこの物語の名前を聞いたことない人などいないであろう。平安中期に紫式部により描かれた長編小説。千年以上読み継がれており、近代でも様々な文学者により訳され、読まれ続けてきた物語。

 けれど、あなたは知っているだろうか。
 何故この物語が、長きに渡り読み継がれている、「傑作」なのか。
 正直言って、私も知らなかったのだ。今まで幾つかの訳本や漫画では読んできたけれど、この物語に何が描かれているからこれほど長くの間、人に読み継がれてきたのか、知らなかったのだ。

 ちくま文庫より2008年末より発行され、先日完結した、古典エッセイスト大塚ひかり(以下、敬称略)による源氏物語の訳本を読んだ。
 こんなにも、心にヒリヒリ響く物語だったのかと思いながら、時折、痛みと快楽を思い出しながら読み耽った。
 痛みと快楽。心の、そして身体の。
 私の中にある、様々な恋愛の記憶を蘇らせるのだ、だから心にヒリヒリ響く。苦しいこと哀しいこと嬉しいこと気持ちいいこと寂しいこと、恋愛が齎す全ての感情が溢れ出した。正直、何度か泣いた。溢れ出した痛みと寂しさと切なさの記憶に。

 「恋愛小説」を、読みたいのなら、求めてるのなら、この古典文学の傑作を読んで味わって欲しい。
 恋なんて、くだらない。しなくても生きていける。時には恋が、まっすぐに生きていくことの邪魔をする。けれど、恋をせずには生きていられない人間がいる。時には人を傷つけて、地獄に落として、時には人を殺してまでも。
 人間は、愚かで、あさましい。餓鬼のように、貪り続ける。

 この時代は、大塚ひかりの書くように「セックス政治」が行われていた時代である。権力を持つ為に貴族は娘を天皇の妻とし、自分と血が繋がった生まれた子供を天皇にする、そんな政治が行われていた。紫式部が仕えていた彰子は藤原道長の娘であり一条天皇中宮である。平安時代の最高権力者、藤原道長は4人の娘をそれぞれ天皇の后にすることで「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の」と詠われた権力を手にした。大化の改新を起こした藤原鎌足の息子・不比等の頃より、藤原氏はそうして娘を使い政治の一線にいた。
 藤原氏の花、「藤」は、藤棚に絡み付いて、花を咲かせる。それは「天皇家」に女を絡みつかせ子供を産ませ花を咲かせてきた藤原氏そのものである。
 あまたいる女の中から、ミカドの子を産んでなんぼ、愛されたなんぼの時代だから「性愛」が重要な意味を持つと、大塚は書く。

 源氏物語は、恋に殺された女の話から始まる。
 光源氏の母・桐壺更衣は、たいした後ろ盾も持たぬ女なのに、ミカドに狂ったように求められ寵愛され、人の恨みを買い、非難され、ミカドに求められ続け逃げることも許されず、遂には死んでしまう。ただ求めるだけ求められて、守られなかったから、死んでしまう。桐壺更衣は殺されたとしか思えない。ミカドの過剰な恋心に、そして狂おしいほどの性愛の犠牲者だとしか思えない。
 そして残された子供が、この物語の主人公・光源氏である。

 餓鬼のような恋と性愛に母を殺された光源氏も、また女を貪る。ただし、父のように1人の女に狂うことはなく、様々な女を貪る。
 身体、だけじゃなくて心も飢えているから、光源氏は女の全てを貪る。心を貪られた女は、どうなるのか。求めずにはいられないじゃないか、自分の心を貪った男を。
 明日は他の女の元に行ってしまう、男を。

 貪られて、取り残された女の魂は、生霊となる。
 光源氏の正妻・葵上に獲り憑き殺した六条の御息所の怨霊は、彼女の死後も度々登場し、源氏の妻達を苦しめる。けれど、私はこれは六条御息所1人の念ではないと思うのだ。源氏と寝た全ての女の寂しさ、恨み、そして貪る心が、怨念となり現れていると思うのだ。

 女を貪る男・光源氏が、何よりも求めているのは、決して自分の手に入らない義母・藤壺の宮だ。よりにもよって、父の妻を。そうして彼は、代償として藤壺によく似た少女・紫の上を犯し、妻とする。義母・藤壺の身代わりの少女を、自分しか男を知らぬ少女を自分の好みの女に育てようとするのだ。恋に狂った男のこの行為は、現代に生まれた女としての自分の感覚から見ると、残酷な非道行為にしか思えない。
 けれど光源氏は義母・藤壺をも犯すのだ。そして藤壺は、不義の子を産む。光源氏の恋が、義母と父をも地獄へ導く。

 けれど、その報いを後に光源氏を受けることとなる。光源氏の妻・女三の宮は柏木に犯され、不義の子を産む。これが、「薫」である。柏木は光源氏の恨みを受け、罪悪感に苦しみ弱り、死んでしまう。

 光源氏に愛され幸福だった筈の紫の上も、女三の宮の出現などにより心が弱り、遂には出家を願いつつ死んでしまう。
 愛され守られてきたことは幸福だったのだろうか。光源氏に愛されていることを無くせば、彼女には何も残らないのだ。愛されているだけの女、それが紫の上だった。ただし読者は知っているのだ、彼女が「身代わり」であることを、光源氏の義母・藤壺の代償であったことを。

 源氏物語は、「女の書く物語」だな、と思う。
 目を背けたくなるほど、残酷に、容赦なく、恋というものがいかにエゴイスティックなものかを繰り返し、繰り返し、読者に見せ付ける。これでもか、これでもか、というぐらい。

 女を貪る光源氏には、彼が寝て彼に心を奪われた全ての女の怨霊が、獲り憑いている。
 けれど、その女達の怨霊は、泣いているのだ。
 あなたが好きで好きでたまらない、あなたに側にいて欲しい、あなたと寝たいと、他の女のところに行かないで、と、寂しくて、泣き続けている。

 あなたが好き。
 あなたが欲しい。
 側にいて触れていて欲しい。
 他の女にところに行かないで。
 私だけを、愛して。

 寂しい。
 寂しい。
 寂しい。

 私だけを愛して、他の女のところになんて行かないで。
 あなたが触れる、あなたが欲情する、全ての女を、私は憎んで殺意を抱かずにはいられない。
 一人にしないで、寂しくて気が狂いそう。
 
 
 そしてこの源氏物語の最後は「宇治十帖」と呼ばれ、光源氏の血を引く「薫」と「匂宮」が主役となる。
 本当は薫は光源氏の子供ではない。女三の宮が柏木に犯されてできた不義の子である。
 薫という男は、女を愛せない男だ。とことん自分の身を守り、愛せないくせに貪ろうとする男だ。女の目から見て、相当うんざりする男だ。それでも身分は高く見栄えもよく、それに相応しく傲慢で、その傲慢さに無自覚であるところが、また「厭な男」でもある。
 愛せなくても愛さなくても、彼は貪るのだ。そして、また薫が貪った大君という1人の女性が亡くなり、大君の異父妹でもある浮舟も、自分を犯した薫と匂宮の板ばさみになり命を絶とうとする。光源氏藤壺の身代わりに紫の上を求めたように、浮舟は薫にとって大君の身代わりの女だったから、求められたのだ。
 
 けれど浮舟は死ななかった。そして出家をするが、そこに浮舟が生きていることを知った薫の手が伸びる。
 浮舟は、薫の手を跳ね除け、背を向ける。
 恋の地獄に、2度とは戻るまいと。仏の道に生きようと。
 薫は、「他に男がいるのでは」と疑い、この長い物語は終わるのだ。


 今回、初めて、この「中途半端」「尻切れとんぼ」とも言われるこのラストシーンを、ハッピーエンドだと思えた。若く美しい浮舟が、恋の地獄の猛火に身を落とすことに背を向けて、仏の道に生きようとするラストに。
 死のうとまでした浮舟の苦しみも決意もわからぬままに、取り残される薫の姿は虚しく、愚かな男だけれども、けれど身に覚えがある、この愚かさは。
 救いがあるラストだと、初めて思えた。

 恋は、人を苦しめ殺す。
 けれど、それなしでは、生きていけない人間がいる。
 わたしもそうだ。

 男という生き物は愚かで、だけどそんな愚かな存在である男を女は必要とするのだ。
 男と女はどこまで行っても平行線で、交わらない。身体を合わせると、そのことを思い知らされる。身体で繋がれているのに、交われない。
 わたしは、性愛のない恋愛など信じない。例え挿入が無くても、触れ合えなくても、心が濡れて勃起して求め合わない恋なんて信じない。あなたを欲しい、交わりたいと思わない恋なんて信じない。貪らない恋なんて、恋じゃない。セックスしたら、寂しい。一つになれないことを思い知るから、寂しい。

 わたしはセックスの記憶を辿ると時折哀しい。男の肌が匂いが声が蘇ると哀しい。今までに寝た男の記憶が哀しみの層をつくる。わたしは歳を重ね哀しみの層を重ねていく。これから何人の男と寝るのか、わからない。いつまで哀しみの層を重ねていくのだろうかと思うと、気が遠くなる。もう、いいんじゃないか、男と寝ることや、恋愛なんてものから遠ざかり、平穏で、飢餓感や嫉妬や憎悪に苦しめられない生活を送ればいいんじゃないと思ってはいるけれど。
 けれどわたしは、まだ、男が必要なのだ、寝たいのだ。例え男と関わる度に男の愚かさと自分の弱さと醜さを思い知ったり、寂しさに泣く夜を繰り返そうとも、わたしは男が欲しいのだ。哀しくて寂しくて狂いそうな夜を繰り返しながらも、わたしは男が必要で、寝たいのだ。
 寂しいわたしの魂が、身体を抜け出して、生霊となり誰かを殺そうとしても。人にうんざりされようとも。
 わたしは男が欲しいのだ。
 地獄なら散々味わった。今だって過去の記憶が齎す恋の地獄を味わっている。きりきりきりきりと地獄の鬼の持つ鎌が心に刃を刺している。鬼が嗤ってる。愚かなわたしを嗤っている。地獄だと知りながらも、その快楽に執着する餓鬼のようなわたしを嗤っている。

 けれども、地獄の門をくぐらないと、極楽には辿り着けないのだ。だから人間は地獄を目指し地獄に堕ちるのだ。極楽を求めるが故に。

 だから人は、恋という地獄に堕ちる。堕ちていく。


 大塚は第一巻冒頭で、こう書く「古典は、できれば原文を読んだ方がいい(中略)そのリズムやことばの妙や時代背景をカラダで感じて欲しい」と。
 原文重視の全訳と、まるで大塚自身がもう1人の紫式部であるかのような、丁寧で鋭く容赦のない、読者に優しいナビゲーション《ひかりナビ》により、古典を読んだことのない人にも、歴史が苦手な人にもこの、「恋愛小説の最高傑作」を味わえるようになっている。

 千年以上読み継がれてきた物語を読んで、わたしは、恋は地獄だと、愚か者達の堕ちる地獄だと、今更ながら思い知った。けれど、人は、だからこそ、救いを求め、救いを求めることにより、生きていこうとするのだ。


 性愛の匂いのむせかえるような、恋愛小説の最高傑作である、この物語を読んで欲しい。
 あなたが、この地獄を、これからも生きてこうとするならば。
 

源氏物語〈第1巻〉桐壺~賢木 (ちくま文庫)

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源氏物語〈第2巻〉花散里~少女 (ちくま文庫)

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源氏物語〈第3巻〉玉鬘~藤裏葉 (ちくま文庫)

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源氏物語〈第4巻〉若菜上~夕霧 (ちくま文庫)

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源氏物語〈第5巻〉御法~早蕨 (ちくま文庫)

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源氏物語〈第6巻〉宿木~夢浮橋 (ちくま文庫)

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