誕生 〜1995年〜


「あなたが生まれたことを恨んではいません。
 あなたのしたことを恨んでいます。
 中島みゆきの『誕生』という歌をいつかどこかで聴いて下さい。
 以上です」


 永きに渡る麻原彰晃こと松本智津夫容疑者の法廷で、未だにオウム真理教事件を追い続ける滝本太郎弁護士はこう述べたという。

 一九九五年、私は当時二四歳で、京都の大学を留年中だった。
 やりたいことも目指すものもなく、腐るほどの時間の中で浮遊していた。
 ただ不安と劣等感だけが飽和状態で「若さ」の持つ力の使い道を知らぬまま、人と会うことを避けて生きていた。
 世界から自分一人だけが取り残されているような焦燥感が絶頂だった頃に、ある朝、大地が揺れ、見慣れた神戸の街が燃え、その数ヶ月後にあの髭ヅラのどう見ても「徳」の無さそうな男を「教祖」と仰ぐ青年達の引き起こした事件が起こった。

 秋葉原連続殺傷事件など、世界に疎外されたかのような被害者妄想に取り憑かれ世を呪い、「誰でもいいから」無差別に人を殺す事件の報道を見た人々は、口々に「今の世の中は狂っている」「犯人の気持ちが全くわからない」と言う。
 それを聞くたびに違和感を覚える。
 本当に「今の世の中」だけが狂っているのだろうか。
 もし狂っているのならば、そこに存在する「狂気」は全くのひとごとなのだろうか。

 オウム真理教の事件が衝撃だったのは、「そこに居るかもしれない私」を見たからだ。
 あれは子供の起こした事件だ。
 足元が地に着かぬまま実体の伴わぬ「知」を得た子供が「若さ」の力を、あの髭ヅラの男の下で、狂気を伴った存在意義を見出してしまった果ての事件。
 真面目で、自らの「純粋さ」が孕む愚かさを知らぬ子供の起こした哀しい事件だ。
 世を知らぬまま社会に出た子供の愚かな純粋さにつけこむ連中の手により、多くの罪の無い人達の命が絶たれ「子供達」は殺人者になった。

 個人的なことを書くと、私はあの事件の直後に、私の「教祖」を得る。
 労働する意欲はなく、食えもしない程度の文章書きを生業とする、理屈だけが達者な二〇歳以上年上の男と遅い初体験をし、自分の精神的な欠如を埋めてくれる(と、その時は信じていた)男のために消費者金融に手を出して貢ぎ続け、二〇代を多重債務者として過ごす。
 その頃はその男を「神」だと本気で信じていた。
 歪んだ性欲と劣等感を理解してくれる、自分の「欠如」につけこんだ男が私の世界の全てだった。
 今にすれば、他人が自分の欠如を埋めてくれると思っていたことがそもそも「子供」だった。

 人は弱く愚かで、すがるものを捜し続けている。
 助けを求めて虚空に叫び続けている。
 オウム真理教事件は、「世の中を思い通りにしようとした」子供の起こした事件で、秋葉原殺傷事件などの「誰でもいいから」という無差別殺人は「世の中は思い通りにならぬものだ」ということを知らない子供の引き起こした事件に見える。

 足元のおぼつかぬ「世はままならぬ」ことを知らぬ子供達は「こんなはずじゃなかった」「助けて助けて、誰か助けて」と悲痛な叫び声を上げている。
 しかし、自分だけの世界に入り込み、耳を塞ぎ、他者の声を聞かぬ人間を親以外の誰が愛せるだろうか。

 得られぬものを求めて叫ぶ子供達は、狂気の川に足を滑らせ、落ちて流される。
 思い通りにならぬ世を変えようとした青年達はサリンを撒き人を殺し、思い通りにならぬ世を憎んだ青年は無差別に「自分を受け入れてくれない社会」の構成員」である見知らぬ人達を切りつけた。

 私はそこに「ひとごとではない」狂気を感じ、報道を見る度に戦慄する。
 被害者になるかもしれなかった自分ではなく、加害者になるかもしれない自分に戦慄する。
 二〇代の頃、一人の男を「神」と崇め、私は「信者」になり、愚かなことにそれを「愛」だと思っていた。

 愛のために親を騙した、愛のために消費者金融に通った、愛のために身体も心も疲弊するほど働いた、友人達の手を振りほどいて地獄へ突き進んでいった。
 もしあの時に私の「神」が人を殺せと命じたならば、私は「神」への愛のために従っていたかもしれない。
 狂っていた。
 その狂気のツケが未だに重く圧し掛かり、罰せられているという想いから逃れられない。
 三十歳過ぎて遂に借金でクビが回らなくなり、私は仕事も住む場所も失い実家に帰らざるを得なくなった。
「死に損なった」と思いながら住み慣れた街に背を向ける車に揺られた。
 死に損なったなら、生き続けるしかない。
 生きるために地を這いつくばって数年間働き続け、2年前にやっと京都に戻り、初めて「生まれてきてよかった」と思うことができた。
 それまでは「死にたい」「殺されたい」と思わぬ日は無かった。

 サラ金の取り立てに追われ、男には愛されずお前が全て悪いのだと責められ続けていたあの頃は、世界を憎んでいた。
 世の中の自分以外の人間が恵まれて幸福そうに見えて憎かった。

 殺したかった、世界と自分を。

 記憶は薄れてもその憎悪の感触だけが肌に残る。

 
            * * *

 大人が子供に教えるべきことは、「望めば何でも手に入る」「夢は叶う」「人は平等である」ということではなく、「世の中はままならない」こと、だからこそ、生きぬくためにタフにならねばということ、そして人は一人では生きられないのではなくて、一人で生きちゃいけないということではないだろうか。

 中島みゆきは「誕生」の中でこう歌う。


『ひとりでも私は生きられるけど でも誰かとならば人生ははるかに違う』

 
 そして人は死ぬ。
 必ず死ぬ。
 思いがけぬ形で死ぬ。
 それを目の当たりにさせたのが、あの「阪神・淡路大震災」だった。
 ある日、天災で思いがけず死んだ人達、全てを失っても必死で生きようとする人達。
 一九九五年という年の「生と死」のコインの裏表がオウム事件と震災であった。
 そのことを偶然だとは思えない。

 「誕生」では、生まれてきた時は誰でも祝福されたはず、そのことを思い出せないなら、私はいつでもあなたに言うと、この世に生まれ人と出会えた幸福を謡う、あなたは一人じゃないんだよ、と。

 自死する人間はうんざりするほど多い。
 電車は毎日のように「人身事故」で止まる。
 辛いことは誰でも大なり小なり経験するけれども、人は本当の孤独に陥った時に命を絶つ。
 耳を塞ぎ目を閉じて、世界に一人きりになり孤独地獄に落ちた時に、救われぬ者は自分か他人を殺す。
 世の中はままならぬものだと知らぬ子供達が「助けて、愛して」と求め叫び続ける。
 求めることしか知らぬ、与えることの喜びを知らぬ子供達が悲痛な声を上げ、狂気の刃物を振りかざす孤独地獄。

 世の中はままならぬものだからこそ、人は一人で生きちゃいけないのだと、砂漠の中にも水が湧き、塵と芥にまみれた泥の中からも美しい蓮は咲くのだと、そのことを知るために、地を這って泥水を啜り雑草を喰らいながらも、生きていかねば生きていかねばならぬ、生きよう。





   
          「オルタ」2008年9・10月号掲載(蓮月詠子名義)