ムラノムスメ その3

 数年前、また村の人間の訃報を聞いた。C子の妹の同級生だった。まだ20代の彼は結婚し子供をもうけたが、妻に暴力を振るい続けた。妻は耐え切れなくなり実家に逃げた。逃げた妻子に男は頼むから戻ってきてくれと懇願したが、妻の離婚の決意は固かった。そして絶望した男は、薬を飲み、命を絶った。
 目のクリッとした、可愛い男の子だった。大きなランドセルを背負った小柄な少年の姿しか知らないC子は、その報に驚いた。驚いたけれども、自分勝手で最悪の死に方だと思った。残された妻子に罪悪感を植え付けるために死んだのだろうか、それともただ絶望だけで死んだのだろうか。どちらにせよ、最低だ。

 この街には、そんな話が溢れている。できちゃった婚が多く、離婚も多く、離婚原因を聞いてみると、暴力と借金、浮気、このどれかだ。数年前まで働いていた電子メーカーの派遣社員の中には、離婚歴のある女が多かった。若くして結婚し子育てをしていた彼女達には学歴も職歴もなく、そうすると中卒でも採用され経験も不要の単純作業の仕事ぐらいしか、この不景気、職は無い。
 そこで彼女達は懸命に働いて生活をしていた。生活は苦しいであろうが、誰もが口を揃えて「離婚したことに後悔はしていない」と言っていた。
 その会社に限らず、周りに離婚を後悔している女は殆どいない。男の方が未練がましい。
 暴力を振り女を痛めつける男ほど、未練たらしい。そこで逃れられた女達はいいけれど、逃れられない女もいる。顔や身体に痣を作り出社する女もいた。

 うんざりする。


 A子、B子の話を聞く度に、C子は「彼女達より自分はマシだ」と思ってしまう。そういう自分は下衆だ。だけどC子の母は、自分の娘が彼女達よりも幸福などとは決して思っていないだろう。三十を幾つか過ぎて独身だというだけで。
 そして母の胸にも、C子自身の胸にも引っかかり続ける傷がある。数年前、家の者達を悲しみに追い落とした出来事、が。

 C子は大学を中退し、うんと年上の初めての男に貢いでサラ金に手を出した。遂には職も失った。そのことは今まで何度も書いているので詳しくはもう書かない。
 ただ、処女を失ったその日、C子は男に60万円要求された。お金が必要なんだ、お金がないと九州に戻らないといけないというその男を自分に繋ぎとめるためにサラ金へと行った。

 そこから数年間、男の為に金を借り、膨らんだ金利のために働き続け、全てお前が悪いと男に罵倒され、「こんな私を相手にしてくれるのはこの人しかいない」と共依存する日々だった。


 私は、男をお金で買った。身体だけでなく、心を繋ぎとめるために。
 そんな自分を軽蔑し続けている。


 あれは、暴力だったと、今ならわかる。
 モノカキを生業とする両親と歳の変わらぬ男に言葉の暴力で押さえつけられていたのだと。死にたいと思わぬ日は無かった。そして未だに「お前が悪いんだ」と責められ続けた記憶の残照に捕らわれて深く墜ちることがある。

 あの頃は、世界を殺したかった。恵まれた人間を羨んでいた。その残照が今も残る。

 あれほど嫌いだった村に、帰るはめになった。サラ金金利が膨らみどうにもならなくなったからだ。そして数年、村に住み、あくせく働いて、どうにかもう一度村を出たが、村を出ると告げた時には親に号泣された。
 お前は、何をするかわからない。親をあんなに悲しませて傷つけたことを忘れたのか、と。
 半ば無理やり、村を出た。
 ちょうど3年前の夏。

 
 今は、三ヶ月に一度は村に帰る。
 村が好きになったわけではない、ただ、本当の意味で離れてみて、自分には故郷が必要なのだと思ったからだ。

 だけど、二度と村に住む気はない。どんなに旅しても村に居つくことはない。

 ムラノムスメは、幸せにはなれないのだろうか。
 A子とB子の話を聞く度に、傲慢にもそう思う。
 しかし、C子はつい最近、昨年ぐらいまで、自分のような人間のクズは、出来損ないの女は結婚なんぞすれば相手を不幸にするし、ましてや遺伝子を残すべきではないので、子供などは作ってはいけないと、頑なに信じてきた。
 そうやって自分を卑下することで、一つの恋愛を失ってさえも。
 そんな自分は、私は、彼女達よりも幸福だと言えるのだろうか。言えない。言えるわけがない。

 だけど願わくば、生きていれさえすれば、なんとかなるのだと、昔の自分の「地獄」を思い出す度に、そう考えることも出来るのだ。
 

 自然があって、空気と水が美味しくて、いいところだね、と、ムラを知るマチの人は言う。
 しがらみだらけのこの土地を、知らない人は。
 自死の多い、このムラを知らない人は。
 例え離れていても、行動が村中に筒抜けの、このムラを知らない人は。

 私は二度と、ムラに住む気はない。京都から帰ってきて数年間、ムラから出たいと思わない日は無かった。憎んでいるわけではない、この場所を。ただ、ここは私の住む場所ではないのだ。ムラから出たいということだけが、数年間の私のエネルギーの源だった。


 ムラは、今年は蛍がたくさん川面に浮かんでいたそうだ。
 さぞかし美しく幻想的な光景だろう。

 
 私は、二度と、ムラには住まない。
 戻ることはない。

 A子ともB子とも、2度と会うことはないだろう。