優れる女と書いて、「女優」 


 今月8日発売の「DMM DVD」8月号に、いつもの通りのコラム「アダルトビデオ調教日記」と、イイトコドリ! のコーナーでは、岩崎弥郎監督・吉沢明歩主演の「団地妻・昼下がりの情交」について書かせていただいております。

 さて、この「団地妻・昼下がりの情交」という作品について、ちょいと書きます。
 「DMM DVD」の方に、重要なことは凝縮して書いてはいるのですが(買ってねん)、その補足と言った感じで、この作品について思うこと、感じたことなどを。


                ☆ ☆ ☆

 ドラマ仕立てのAVを見て、たまに歯がゆいことがある。それは、セックスの場面と、ドラマ場面が、水と油のように一杯のコップの中で分離してしまっていることだ。シリアスで「映画的」な内容であるほど、その分離が作品自体を壊してしまう。
 一つのシリアスなドラマがあって、脚本があって、だけどAVだから、セックスの場面を入れなければならない。AVは、「ヌク」ための物だから、「ヌク」ために女優を絡ませなければならないし、それがメインなのだから、たっぷりとセックスも見せる。しかしドラマも描きたい、そうするとどうしても尺も長くなる。うんざりするほど。

 「AV女優」とは言っても、演技の訓練を受けているわけでもない。何故なら、彼女達の仕事は裸になりセックスを見せることだから。一般の「女優」とは違う。だから勿論こちらも「演技力」に期待などしなくてはいいと思ってはいるけれど、それでも演技力の無さに萎えてしまい文句を言いたくなることもある。

 AVで何を見たいんだろう。
 「ヌク」ためだけなら、風俗に行けばいい。AV観なくてもオナニーは出来る。だとしたらお金を出してAVを購入して観る人達というのは、何を見たいのだろうといういつも問う。

 女なのに、どうしてそんなにAVを観るんですか、好きなんですかとは、よく聞かれる。一言で答えると、「助平だから」なのだが、だったらAVなんて観なくても出会い系でも何でも使ってセックスやりまくればいい。AVを観るより、実際のセックスの方が性欲は満たされる。

 観たいのだ、「セックス」が。
 「セックス」の映像が。
 セックスでなくても、いい。裸の世界で繰り広げられる男女の世迷言が見たいのだ。

 人間はそれぞれ欠乏を抱えていて、その穴を埋める何かを求めるために生きている。人の数だけ餓えて雄たけびをあげるブラックホールが存在する。
 AVを求める人間の抱える欠乏は、何だろう。
 セックスが、観たい。人と人とが裸で交わる様を、観たい。

 何故。

 

 さて、こちらの「団地妻・昼下がりの情交」ですが、タイトルをお聞きになって、ピンと来られた方も多いのではないのでしょうか。
 1971年に製作されたにっかつロマンポルノの第一作が白川和子主演の「団地妻・昼下がりの情事」です。今更ながら、ロマンポルノや、ピンク映画と、AVは違う。様々な定義があるだろうけれど、簡単に言うならば、ロマンポルノやピンク映画は「ドラマ」で、AVのメインは「セックス」ということなのだろうか。ドラマの中にセックスがあるものと、セックスを見せるためにドラマがあるという違いではないか。勿論例外も存在し、一概にそうやってまとめてしまうことはないだろうけれども。


 当代きっての人気女優・吉沢明歩。顔も身体も隙なく美しい。その吉沢明歩を使っての本作品は、上記のように、にっかつロマンポルノ第一作をベースに作られたことは間違いない。

 忙しい夫に相手にされず欲求不満を募らす団地妻が、ある日ふとしたことから大学時代の友人と一夜の浮気をしてしまい、堀口奈津美演じる人妻仲間にそれをネタに脅され、売春組織に足を踏み入れる、そこで思いがけず性の喜びの華が開くが、とんでもない事件が起こる・・・という内容です。(ラストがにっかつロマンポルノと内容が違います)

 AVのドラマ物に、どこまで期待していいのだろうか。
 幾つかの評価の高いドラマ作品は別として、一般の映画を観る時と比べると、演技が、演出が、脚本が駄目でもしょうがない。AVはセックスを見せるためのものだから。綺麗な女性がセックスをする、その必然性のためにドラマが作られるのだから。

 結論から言うと、この作品、演出も脚本も質が高かった。そしてその質を何よりも高めたのが、女優・吉沢明歩のセックスだった。
 
 セックスのやり方や好みなんて、性格と同じで人それぞれだ。例えばお互いしか知らぬ男女同士ならば、「セックスとはこういうものだ」という形がもしかしたら、あるかもしれない。けれど、何人かとセックスをすると、性器と同様、セックスというものも、「人と同じ」なんて物はないということがわかるはずだ。
 それは性癖というのもあるし、それぞれの相手との関係性、時間の経過、どの折の自分自身の状況というのもある。
 全く同じセックスなんて無い、存在しない。

 例えば2人ともが同じぐらい好きあっているセックスと、どちらかが一方的な片思いのセックス、恋愛感情のない楽しみだけのセックス、あるいは「仕事」のセックス、いろんな状況と関係のセックスがある。
 相手が1人の特定の人間でも、初めてするセックス、時間を経て馴れ合えたセックス喧嘩をした仲直りのセックス、それは全く別物のセックスだ。

 人間関係というものが存在して、コミュニケーションの一端としてのセックスならば、少なからずとも変化はある。
 セックスは、ただの排泄行為ではなく、コミュニケーションだから、出来るならば、好きな相手とした方が楽しいような気がする。あなたを知りたい、あなたに触れたい、あなたがどんな声をあげるのか、どこが感じるのか、私は知りたい。そうしてあなたを喜ばせたい。あなたも私に対して、同じように思ってくれるなら、嬉しい。あなたのモノが私の中に入り、そうして繋がることが嬉しい。
 知れば知るほど、好きになり、大切な人になり、恋が愛に変わることもある。だから私はセックスというのは、大事なコミュニケーションで、「プラトニック・ラブ」というものが、わからない。


 AVのセックスだから、男優と女優の「お仕事」のセックスだから。人に見せることを前提とした、局部に焦点を当てたセックスをしておけばいい。ドラマ部分とセックス部分が分離しているAVには、どこかそんな意識があるのではないだろうか。セックスシーンの演出、ドラマシーンの演出、どちらかに偏りがある作品は、いつも私をもどかしくさせる。

 しかし本作品は完璧だった。脚本と演出と、そして主演女優が。小道具、化粧、衣装などは、その時代を再現し、現代ならば野暮臭い化粧と衣装と下着が女優を映えさす。そして台詞が「生きている」。ハッとさせられ、しかし不自然ではない。
 だけど映像を撮るならばそれぐらいは当たり前の条件で、それだけなら、感動はしない。

 何よりも素晴らしかったのが、セックスシーン。
 吉沢明歩のセックスは、それぞれの物語の場面に応じたセックスだ。夫を裏切った初めてのたどたどしいセックス、無理やり客を取らされたセックス、売春組織のナンバー1になり、「娼婦」としての喜びに目覚めたセックス。
 1人の女が、幾つもの場面でセックスをする。だけど、状況と関係性により、セックスのやり方、表情も変わる。
 1人の女が、変わっていく。純情な主婦から、娼婦へと。その変化を、吉沢明歩は、「セックス」で見せる。

 これが、お人形さんじゃない、生きている女の「本当のセックス」。
 そうだ、これが見たいのだ。生きている、生身の女のセックス。虚構の物語の中での本物のセックス。本物のセックスって何だ。それは、血が通った人間の、生きている女のセックスだ。誰とやっても、どんな役柄でやっても、同じようにフェラチオをして、同じように上に乗り腰を振り、同じように声をあげ、同じ表情で感じる、そんなセックスでもヌクことは出来る。
 だけど、ヌクだけではない、それ以上のモノが、私は見たいのだ。

 本作品は、脚本は勿論だが、演出が丁寧になされているのだろうと推測する。ドラマ部分以上に、セックスシーンにおいて細やかで大袈裟ではない無駄のない演出が。だから、それがリアリティなのだ。そして何よりも、その演出に見事に応えた女優・吉沢明歩

 AVに限らず、映像を志す人間、何かを創作しようとする者ならば、この「演出」を観て欲しい。


 以前、ある一般映画を観て、力が抜けたことがある。その映画は主人公の女性が次第に若返り、「女」を取り戻すという設定だったのだが、その「変化」の演出が、「女の白髪が少なくなる」「化粧が変わる」と、それのみだった。つまりは、女の内面の変化など、全く見えないのだ。その程度の演出で、「人間の変化」を描けると思っているのだろうか。舐めんじゃねぇよ。その主演女優に演技力が無いのは承知の上だったが、それにしてももっと演出のやりようがあっただろう。

 AVのドラマ物の方が、まだマシだ。一般の「映画」で、演出の為されてない、ただ脚本を辿るだけの作品なんてごまんとある。ドラマを創るって、そういうことじゃないだろう。作品を創るって、そういうことじゃないだろう。そんなクソみてぇな「映画」を創り奢る人間は、本作品を観るがいい。丁寧な、演出、つまりはプロとしての誇りある仕事。そしてそれに応える「女優」を観るがいい。AVを舐めんじゃねぇ。

 AVだからこそ、描けるものがある。
 セックスを通してだからこそ、描けるものがある。たかがAV、されどAV。
 「セックス」を通して、映像作品における演出の力と、「女優」の凄みを見て、私は堂々と、「感動」という言葉を使う。

 せんずりのために造られる映像がアダルトビデオ。
 たかが、せんずり。たかがオナニー。
 だけどアダルトビデオだからこそ描けるものがある。
 性を通して見える、「人間」が。


 やっぱり、アダルトビデオは面白い。
 アダルトビデオは、やめられない。
 観るのをやめる気なんて、さらさら無ぇけどよ。









作品紹介はこちら→http://www.rookie-av.jp/works/-/detail/=/cid=rki023/

 共演の堀口奈津美さんも素晴らしかったです。男優陣も豪華。


吉沢明歩さんのブログ→http://blog.livedoor.jp/akihonet/