仕事中毒


 大学生の頃、京都で有名な占い師の方に手相を見て貰ったことがある。

 「あなたは結婚と仕事の両立は出来ない」

 と、言われた。

 それから十数年が経ち、幸い(?)結婚には全く縁が無いけれど、なんとか1人で働いて食っている。結婚と仕事の両立が出来ないというのは、バランスがとれないとか、器用じゃないとか、そういう意味では当たってるのかもしれない。
 だけどもし、これから先、結婚することがあったとして、相手が経済的に余裕がある人だとしたら、どうするだろうか。
 

 この前、大阪で数時間時間を潰さないといけなくて、歩き回るには体調が良くなかったのでネットカフェに入り、安野モヨコの「働きマン」を読んだ。
 読んで「あー」とか「うー」とか思って、わかるなぁと思ったり、痛いとこつかれるなぁと思ったり。
 しかし、一番わかるって思ったのが、仕事ん時になると男スイッチ入るって感覚。

 男スイッチ入らないと、仕事出来ない。
 どういうことかって言うと、私の場合は、マ○コという受動的なモノから、チ○コという攻撃的な武器を装着して戦場へ出るってことだ。
 チ○コを装着して、同じくチ○コを装着した女達や、もともとチ○コのある男達と、たくさんの不条理なことや、疲労&睡眠不足と戦って、その日の「やるべきこと」を無事に終わらせる。マ○コをジメっと濡らして甘えて泣いて人に助けて貰うことを前提の女は、戦場にはいらねぇ。
 勿論、それは外見とか言葉とか態度を「男らしく」っていう意味ではない。ましてや私のメイン仕事は、「女だけしか出来ない」仕事、つまりは女を要求されている。
 女のままで、心にチ○コを装着するのである。

 この仕事は忙しい時と暇な時の波が激しすぎるんですが、幸いバスガイド以外にも社長秘所業(字の間違いわざと)やってるので暇で暇でたまらないということはありません。
 私の家族兄弟友人は皆働き者だ。妹は結婚して仕事を辞めたが専業主婦をしていて我慢ならなくなりパートでいいからと仕事を決めて、そのパートの初日に働けることが嬉しくて嬉しくてスキップしながら出かけたそうだ。子供を生んだ今でも早くから仕事を再開している。
 なんかその気持ち、わかるのだ。働けることが嬉しくて嬉しくてしょうがないって気持ちが。

 何故、仕事をするのか。 
 勿論金の為。食うため。家賃払わねばならぬ、借金もある、そして私は京都で寺に行ったり友達と遊んだり、そういう「自由」が欲しくて実家を出たので、その為にも小金がいる。ブランドも興味が無いです、ギャンブルもしません、だけど楽しく生きていくためにはお金がいる。
 
 二十代の頃は、仕事が楽しいなんて思ったことなかったし、将来どうするかとかの展望も無かった。サラ金金利が膨れ上がってそれの返済のためだけに昼も夜も働いていたけれど返せるあてもなく、貢いだ男には「今の俺の不幸な状況は全てお前が悪い」と責められ続け、言葉を奪われ、とにかくお前が悪いんだからと金を要求され、生き続ける気も無かったから将来のことなんて考えたこともなかったし、未来を夢見る権利など自分には無いと思っていた。
 だけどその男を憎んで心が離れ始めた頃から、私はその頃始めた観光の仕事が、面白くなってきたのだ。
 直に「お客様」と体面する仕事の面白さっていうのは、反応が直に返ってくることだ。こっちがサービスという「仕事」をすればするほど、「ありがとう」と言葉と笑顔が返ってくる。時にはプレゼントをくれたり、握手を求められたりすることもある。
 最後、「さよなら」の時に、皆で歌を歌ってくれた人達もいたし、あとでお礼の手紙や品物を送ってくれた人もいる。多分、その人達とは二度と会うことはないだろうけれども、その一期一会の瞬間に、最後「ありがとう、楽しかったです」と笑顔をもらう喜びってのは、ちょっと、すごいものなのだ。

 そしてせっかく仕事が楽しくなってきた時に、私は事情があって実家に帰るハメになり(サラ金が親にバレたんだよ、家賃滞納してたし)仕事を失った。
 自分は、本当に運が悪いと思った。やっと、楽しいことにめぐりあえたのに。
 それからは家を出る金を作るために、そして1人で自分を養えるようにと、田舎で仕事を複数していた。
 またまた仕事が楽しくなった。

 恋愛は頑張れば頑張るほど駄目になることが多い。
 頑張り過ぎると必ず駄目になる。私の場合、ですが。
 しかし仕事は方向を間違えさえしなければやればやるほど返ってくる。返ってくるのは、金銭もそうだが、手ごたえ、みたいなもんか。
 仕事は、男と違って私を裏切らない。(←男運悪い女丸出しの痛い発言ですんません)

 一番簡単に手に入れやすい自己実現が、「仕事」なのだ。
 評価もされるし、共に戦う「同士」も出来る。仕事関係者は、「友達」ではないと思っているのですが、それでも大切な「同士」ではある。
 なんで友達ではないかというと、「友達」ごっこをしたりされたりすると、目が曇り仕事に支障が出るからです。
 仕事関係者を異性という目で見るのも同じ。仕事関係者とは寝て余計なモノを背負い仕事をやりにくい環境にするのが嫌だし、そこを上手くこなせるほどの器用さが私には無い。

 評価されると嬉しい。褒められると嬉しい。
 そしてそれが金銭、あるいは何か別のものでも報酬、そして形になって残るのが嬉しい。
 だから仕事というものは、楽しいのですよ。

 前に、知人から聞いた話。
 添乗員を一ヶ月して辞めた子が、辞めた理由を「楽しくないから」と言っていたそうな。
 そら、一ヶ月ぐらいしかしてなかったら覚えなあかんことや、わからんことだらけで、しんどいことだらけで、楽しいわけがないっつーの!
 で、楽しいことをして金を貰おうという根性もどうかと思う。楽しいことは基本的に金を払ってするもんだ。仕事が楽しいというのは、辛いことしんどいことがあるからこそのご褒美みたいなもんだしさ。

 「自分探し」とか「やりたいことを見つけるために」とかで海外に行ったりする若者もおるらしいが、自分探しとかやりたいことを見つけるなら、とにかく何かをして報酬を貰うことを初めにしろって。
 何かをやって、それを評価され、報酬を得るというとこから、大抵の人間は自分の生きる道みたいなもんを見つけるんだから。

 働ける身体を持ちながら働かない奴らが、食うために働く人間を上から見下したような発言をするのが、私は嫌いだ。
 いつから「ニート」なんてクソみたいな言葉が堂々と恥じることもなく使われるようになったのだろう。
 無職で親のスネカジリなんて恥ずべきことだという感覚が、私にはある。
 私自身も金銭的なことで、いい年して親に迷惑や負担をかけてしまったことが自分の最大の「恥」であって、お天道様の下で歩ける面じゃねぇと思っているので、その人達のことを決して非難できる立場じゃないのはわかっているけれど。

 仕事が忙しくてしょうがなくて、自分の時間が全く持てなくて、鬱状態になったことがある。
 なんでこんなに働いてるんだろうって思って、情けなく、むなしくなった。
 今でも、もっと時間が欲しいと思う。いつも眠い。休日が少ない。しんどい。
 だけどお金も欲しい。お金が無いと心が荒む。
 
 好きこのんで家を出たくせに、自宅住まいの人は経済的にいいよなぁと羨むし、若い頃からちゃんと努力して働いて生活基盤を作り貯金もある人のことも羨む。
 しかし良いことも悪いことも、今の自分を選択したのは自分自身に他ならないから、仕方がない。

 とはいえ、そういうのも全て贅沢な要求で、わたしは幸せなのだ。
 そしてわたしを幸せにしているのは、仕事なのである。
 失恋しても、人間関係で嫌なことがあっても、それでも毎日せねばならぬ仕事があるから生きていける。
 仕事は、方向を間違えない限りは、自分を裏切らず、何かしらの報酬が返って来たり、信頼を得ることが出来たり、自分の居場所が出来る。

 わたしなんぞ、仕事してなきゃ、ただの駄目人間である。
 今は、こういう不景気で周りでもいろんな話を聞くけれど、それでも人は生きていかねばならぬのだから。

 やりたいことが見つからないとか。
 自分の居場所がないとか。
 そういうこというとるヤツは、とりあえず、仕事をしろ。
 合わなければ辞めて、自分に合う仕事を探せばいい。

 なんであなたは仕事をしてるのですか。

 わたしは、遊ぶために働いています。