オトナの修学旅行


「宇治の平等院のグッズはHPで購入もできるんですよ!」

 と、バスガイド仲間達に言うと、ダダ引きされた清純派バスガイドです。平等院で買ったピンバッジやレターセット持ってます。最近は、仕事中に私の姿が見えないと、「きっとあいつは、寺のグッズショップに行っているんだろう」と噂されているらしいです。東大寺金剛力士像のマグネット見つけました。今回は買いませんでした、東大寺な何度も来るから銭のある時にしよーっと。三月堂の不空羂索観音様のクリアファイルもあったよ。

 さすが、奈良公園法隆寺に3日連続で行くと、最後の日には、鹿の顔を見るのも嫌になりました。ごめん、鹿。神様の遣いなのにな・・

 修学旅行の仕事に行くと、生徒さんよりも、先生って、ホントいろんな人がいるなーって、思います。人間図鑑ですよ、このお仕事は。この前、先生が生徒に注意をする時に、ちょいと面白い注意のされ方をされて感嘆したのですが、その話は長くあるのでまた今度。


 さてさて。今度の連休などは、「そうだ京都へ行こう」と、ダダ混み間違いなしの京都へ来られる方も多いんじゃないかしら。車で来ない方がいいですよ! 動けないから。遠方の方は、パーク&ライドで、ちょいと離れたところに車を置いて来られた方がいいと思います。移動は電車かチャリじゃないと動けません。
 
 人多すぎ! と思いつつも、確かに京都の紅葉は綺麗なんどす(←京都弁)どすどす。お寺が背景にあるからでしょうか。紅葉と桜は、仏教的な「あわれ」があるからでしょうか。どすどす。「仏教的」とひとことで片付けてしまうのも乱暴な話どす。仏教つったっていろいろあるからよ。

 ただ、せっかく京都に来られるのでしたが、ちょいと予習をして、オトナの修学旅行をしてみませんか?

 ちなみにこういう本も出ております「京都、オトナの修学旅行」

 予習と言うのはですね、修学旅行生が事前に行くところを調べて「旅のしおり」を作るように、ただ紅葉を見に行くだけではなく、そのお寺の背景を少しでも知っていたら、全然「感じる」ことの深みが違いますよ、というこっちゃ。


 例えば紅葉の名所で言うと、嵐山の天龍寺。この天龍寺と言うお寺は、室町幕府初代将軍の足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔う為に建てたお寺です。歴史を少しご存知の方なら、「あれ?」と思うことがあるかも。尊氏と後醍醐天皇は、楠木正成新田義貞と共に鎌倉幕府を倒し、後に後醍醐天皇は「建武の新政」を起こしました。ところがこれが上手くいかず、多くの武士達が不満を持ち始め、足利尊氏後醍醐天皇に反旗を翻すのです。新田義貞楠木正成らは破れ、後醍醐天皇は京の都を追われ、奈良の吉野で無念の死を遂げます。後醍醐天皇が、おそらく、一番憎み呪っていただろう相手が、足利尊氏。その尊氏が、後醍醐天皇を弔う為にお寺を建てた。
 そのことが、尊氏の胸中の複雑さとやりきれなさなど、いろんな想い、言葉にするなら夏目漱石草枕の冒頭部分のような「人の世の生き難さ」が見てとれるのです、。

 戦前までは、足利尊氏は「悪者」とされ、後醍醐天皇のために戦死した楠木正成は「忠義者」と讃えられておりました。私は、尊氏を「悪」だとも思わないし、正成を短絡的な忠臣だとも思わない。どちらも、悩み苦しんだ末に己の道を突き進んだ人間らしい人間だと思う。

 天龍寺というお寺には、そんな人間「足利尊氏」の様々な想いが籠められていると想いながら、空を覆うような見事な紅葉を見るのです。




 大原の三千院も紅葉の名所です。この三千院のある大原の里は、平家物語のラストシーン「大原御幸」の舞台となったところです。平家一門の栄光と滅亡を描いた平家物語のラストシーンは、平清盛の娘、高倉天皇の妻、壇ノ浦で8歳で亡くなった悲劇の天皇安徳天皇の母である建礼門院徳子を、高倉天皇の父であり、この一連の「物語」の黒幕でもある後白河法皇が訪ねてくる場面です。

 遠山にかかる白雲は・・・という有名なフレーズで始まるこの「大原御幸」は、かつては最高権力者清盛の娘、天皇の妻であり、安徳帝を生み国母となった絶頂の地位にあった徳子という女性が、母を亡くし、子を亡くし、夫も既にこの世になく、源氏の監視下に置かれ、大原の里でわびしい暮らしをしている姿を見て、後白河法皇はその姿の哀れさに無常を感じ、その姿を見られた建礼門院徳子は、我が身を恥じます。
 その後、建礼門院徳子は36歳で亡くなります。

 しかし、その平家一門を滅亡させた源義経も兄・頼朝の手により衣川で亡くなり、義経の愛妾・静御前は子供を殺され髪をおろしたと伝えられます。だが、それより悲惨なのは、頼朝の子供達だったのです。頼朝亡き後、二代将軍頼家は北条一族により伊豆修善寺に幽閉され死に追いやられ、頼家の弟の三代将軍実朝は、頼家の息子の公暁により、鶴岡八幡宮で殺されその血は耐えます。また、頼朝の娘・大姫は、木曽義仲の息子・義高に恋をしていたのですが、義高を殺され、そのことで父と母を恨み、心の病になり、親と自分の血を呪いながら二十歳で死んでいます。

 大原の里というところは、そんな「無常」なお話のある場所です。三千院天台宗のお寺なのですが、極楽院の庭の苔と紅葉の緑と赤のコントラストはお見事。声明発生の地でもあります。


 もう1つ、有名な紅葉の名所・神護寺というお寺があります。開基は、弓削道鏡事件で失脚し、後に桓武天皇のブレーンとなり平安京造営に尽力した和気清麻呂。そしてこの荒れ果てていたこのお寺を復興させたのが、文覚上人です。
 文覚は、元は、遠藤盛遠という天皇に仕えていた北面の武士でした。吉川英治の新平家物語には、この盛遠と、西行法師、平清盛北面の武士の「同僚」として描かれており(実際に西行と清盛は同じ年ですもんね、文覚はもうちょいと後の人だけどさ)、この3人の「その後」を知るものが読むと、非常に面白い。

 栄華を極めた平清盛

 ままならぬ恋に苦しみ(と、いう説があります)出家して生涯を旅に生きた西行法師。

 そして、文覚という男は、伊豆に流された際に、源頼朝に挙兵を促したと伝えられております。この文覚という怪僧の墓が神護寺にあり、京都の南にその怪僧の墓に焦がれるようにあるもう1つの墓があります。「恋塚寺」という寺にある、袈裟御前という人妻の墓です。
 文覚と袈裟の物語は、衣笠貞ノ助監督で「地獄門」という映画になっており、カンヌ映画祭グランプリを受賞しております。文覚役は長谷川一男、袈裟役は、マイアイドル京マチ子

 また、芥川龍之介は、この話を「藪の中」と同じ手法で「袈裟と盛遠」というタイトルで描いております。
 いろんな解釈があるんでしょうけど、私は衣笠監督の解釈(原作は菊池寛だけど)が、どうもしっくり来ないし、芥川龍之介の解釈もイマイチでした。
 つーことで、ワシ自身もワシ解釈で書いてます「恋塚寺」そうやないと、袈裟の墓(実際に見に行きました)が、神護寺を向いてることの説明がつかへんと思ってるのねん。袈裟と盛遠の話こそ、ジャパニーズ・「サロメ」やと思う。オスカー・ワイルドに負けない甘美で残酷な恋物語


 と、こんな感じで背景や、そのお寺の縁の人のことを、少しでも「予習」しておいたら、紅葉の深みも違うと思いまする。

 上記の「紅葉の名所」の話は、ほんの一部なんで、もし連休(ワシは確実にお仕事)に京都に行かれる方がいらっしゃいましたら、予習をして、そんな「オトナの修学旅行」はいかがでしょうか。
 せっかく日本に生まれたんだから、日本文化を味わわな損しまっせ、奥さん。


*くれぐれも言うが、混むぜっ! 覚悟しとくれっ! 平日来れる人は平日にしなっ! ごっつ人でっせっ!