北東鬼門の魔者
先日、仕事の待機中に、仏像の話になりまして、私がいつもお気に入りの仏像の写真数枚を持ち歩いていると言ってそれを見せると、同僚ガイドさん達にエライ引かれました。
私は寺も仏像も好きなので、プライベートでもしょっちゅう寺に行くし、お寺グッズも好きで、携帯のストラップは下鴨神社の葵御守やし、レターセットは平等院で買ったもので、同じく平等院ピンバッヂや、大原三千院や下鴨神社やいろんなお寺のクリアファイルとか持ってて、三十三間堂の風神雷神グッズがカッコいい! と思ってるし、部屋にはおみくじの元祖と言われる元三大師のお札(画像)を貼ってますし、仏像の写真集とかも買うし、仕事でお寺に行くと大抵仏像も拝むし、声明のCDもあると言うと同僚ガイドさん達が・・・
「オタクっ! マニアっ! あっち行ってっ! 近寄らないでっ!」
と、迫害するのです。
ええええええええええええええええええーーーーっ! なんでーーーーーっ! みんなは違うの?? 仏像の写真を持ち歩いて疲れた時や悲しい時にそれを見て心安らいだりしないのーーーー?? 仏像見て、「カッコいい! 素敵!」と騒いだりしないのぉおおおーーーっ!
と、驚きました。そしたら皆は、
「バスガイドの仕事やから、お寺に行って、仏像の勉強してしゃべっとるだけやっ! 仏像目的でバスガイドしとるんやない!」
と、その後も私のことを、散々「オタク! マニアっ!」と迫害し続けるのです。その時、6人居たんですが、ワシ以外の全員に「変!」とか言われましたよ。
そうか・・・皆は仏像や日本史や寺が好きやからガイドしてるわけやないんや・・・お寺行って、寺グッズとか買わないんや・・・知らんかった・・・
常日頃から、「私はオタクじゃない!」と思い続けていたのですが、オタクやったんや・・・
しまいには、皆に、
「仏像と結婚しろ」
と、言われてしまいました。
そういえば、以前に知人のブログに「AVマニアの藩金蓮さん」と書かれていて、驚いたこともあります。
え?
私って、「AVマニア?」
いえ、ちょっと人よりAVが好きなだけの普通の人やと思ってたんですけど・・・
ついでに言うと、20年以上付き合いのある親友に、「弟の嫁を狙ってるレズ姉なんて、あんたぐらい」とも言われました。
そうなの?
でも、別に「弟の嫁」を狙ってるわけじゃあないです。
弟に婚約者(現嫁)を紹介して貰ったら、私が一目惚れしただけです。呆然として立ち尽くしちゃったよ、その瞬間。ま、結婚式の写真をうちの親に頼んで貰ったり、弟から彼女のメルアド教えてもらって喜んでるぐらいで、狙ったりなんてしてないから! 「お姉さん」って言われて喜んでるぐらいだから! 正月は絶対帰省しますよ、弟嫁に会えるなら。
なんかそんなふうにいろいろ周りに言われると、自分という人間は、他人の目からどう見られているんだろう? って、ホント不思議ですね。
ところで、私が部屋に貼っている上記画像の「元三大師」のお札って、めっちゃカッコいいと思って、最初に見た時からお気に入りなんやけど。
比叡山延暦寺の元三大師は、自らの姿を鬼に変え、魔と戦ったので、「降魔大師」とも言われております。その姿がこのお札なんですね。
鬼に変身して、魔と戦うって、すんげぇカッコよくないですか?
もう1人、比叡山に伝わる「魔」の人が居ます。元三大師の弟子の慈忍と言う方は、亡くなった後で魔道に堕ち、一つ目の姿となり、戒律を守らぬ延暦寺の僧達を脅かしたと伝えられております。延暦寺にはこの1つ目の慈忍の姿の絵も残っております。
比叡山という山は、京の都の北東、つまりは鬼門を守るお寺なのです。だからなのでしょうか、このように魔界の空気と交じり合っているのです。
カッコいいと思うけどなぁ・・・
先日、久々に大原三千院に行きまして、元三大師のおみくじを引きました。(三千院も延暦寺と同じく天台宗のお寺です)
このおみくじが、とにかく「焦るな、気長に待て、短気を起こすな」と書かれておりまして、もう、今のわたくしにとって最もありがたいお言葉でした。
私は泣きそうになるぐらい、死にたいと思うこともあるぐらい、いつも焦っております。焦り過ぎて自分という人間を呪うこともあります。過去のせいに、状況のせいにするのは簡単でズルいことだとわかっていても、そこにいる自分を呪いそうになります。
だけどねぇ、この前、一緒に仕事した運転手さんが、良いことをおっしゃってましたの。
「過去は変えられないけど、未来は変えられる」
って。
ホント、その通り。
こういう言葉も含めて、いろんな人と一期一会の出会いを齎してくれている時間があって、自分が得ている物のことを、大事に考えていくことが出来たならこんなに焦ったり落ち込んだりしなくていいのに。
昔、付き合っていて今は別れてしまった大事な人が、借金や様々な事情で思い通りにならないことだらけで自分を責めて泣いていた私に言ってくれていた言葉があった。
「でもね、借金が無ければ、俺はあなたと出会えなかったんだよ」
と。
私は借金で様々な仕事を掛け持ちして彼と出会ったのだった。
その言葉にどんなに救われたことか。
今私が持っているもののほとんどは、そうして出会ったものなのだ。
そのことを忘れずにいたら、自分を憎まずにいられる。
自分を憎まないために、誰かの手を握っている。
「ありがとう」と言われるために。
それにしても、元三大師が変身した「角大師」は、かっちょいいよねぇ。