そうだ、京都へ行こう 〜「かくれ里」を探して〜
世間様のように三連休と言うわけはいきませんが、思いがけずお休みが貰えたので、さてさてどこかへ行こうかなと思案をめぐらせておりました頃、注文していた古本数冊が届きました。白洲正子の本、数冊です。
何故に白洲正子かと言いますと、こちらの日記にもチラと書きましたが、仕事で白洲正子の「かくれ里」という随筆に登場する寺社を訪ねたんですね。しかし仕事の内容と言うのは、そんなに早く分からないので、「かくれ里」を読む暇も無くその随筆に登場する場所に参りましたの。その行き先が、普段行かないようなホンマの「かくれ里」で、お客様も勿論白洲正子ファンの方達で非常に興味深かったのです。これは是非「かくれ里」を読まねばと思いました。
あと知人から「西行の出家の原因が待賢門院だと言い出したのは白洲正子ではないか」というお話も聞きましたので、「西行」も読んで見たくなったのです。待賢門院と言う女性は、京都花園の「法金剛院」に肖像画も残っておりますが、白河法皇の寵姫でありながら鳥羽天皇の子・崇徳天皇を生み、「保元の乱」の原因を作ったとも言われる女性です。
今年は中興の祖である花山法王忌で次々と本尊を御開帳する西国三十三ヶ所観音霊場について書かれた「西国巡礼」は既に読んでおりましたが、「西行」と言い、「明恵」(未読)と言い、白洲正子さんの興味の行き先は非常に惹かれるところであります。
そんなこんなで、まず「かくれ里」と「西行」を読みました。
そして、思いがけず頂いた休日、せっかくだからどこかへ行かねばと考えておりました。私の休日の過ごし方なんぞ、一人で近場の寺社へ行くしかないのですが、本尊御開帳中の清水寺、神護寺、大原三千院、南禅寺、嵯峨野なんぞはこれからの一ヶ月で嫌と言うほど行くので、あまり行かないような、京都の「かくれ里」ぽい所へ行こうかなと地図を広げておりました。あ、そうだ、あのお寺があるじゃないか。西行法師ゆかりのお寺が。
そして阪急の東向日駅より一時間に一本しかないバスに乗り終点で降り、朝の8時半に「大原野神社」へ。こちらは奈良の春日大社の分霊を祀ってありますので、本殿の前には目のクリッとした「狛犬」ならぬ「狛鹿」がおります。朝早かった為、本殿では神主さんが祝詞をあげておられました。大原野神社からしばらく竹の道を歩きますと、西行法師が出家し、「西行桜」の舞台ともなった花の寺・勝持寺へ。9時の開門と同時に中へお邪魔します。こちらも住職さんらしき人が朝のお勤めをされていて、お経が聞けました。お経を聞きながら薬師如来様、日光・月光菩薩様、西行法師の像に手を合わせました。恋の苦しみから逃れ、武士の道を23歳で捨て流離った西行が出家したと言われる寺です。白洲正子さんは、西行は仏心を起こして出家したのではなく、自らの熱い心を静める為に仏の道に入ったのではないかと書かれておりました。確かに西行には「悟り」は感じられず、煩悩が漂う人間の匂いがします。例えば、1人旅する西行が人恋しくて「反魂の術」を使い人造人間を造ろうとしたエピソードなど、孤独を求めるけれど人を恋しがる矛盾を常に抱えた自分自身には他人事だとは思えない話です。
幕末に、西行に魅せられた若き歌人が居ました。長州藩士の高杉晋作です。高杉は酒と女と歌を愛し、西行のように歌を作り世を捨て旅を続けるような生き方がしたかったけれども、時代が彼を求め歌を作り漂泊するような人生は送れなかった。西行になりたくてもなれない彼は自らを「東行」と号しました。
26歳で、「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり」(下の句は野村望東尼)という辞世の句を残して亡くなっております。旅に病んで夢は枯野を駆け巡る。東行・高杉晋作の魂は歌と女と酒を愛し続けて彼らが作ったこの国を漂泊の旅を続けているのでしょうか、かろやかに。
旅は、いい。一人旅は楽し。知らない土地を独り歩くのはこんなにも楽しい。
勝持寺のお庭で「西行桜」を見て、少し歩いて願徳寺へ。ここには国宝の如意輪観音様がいらっしゃるのです。お堂の中で、説明を聞いて、堂内電気が消されました。そうするとお厨子にゆっくりと灯りが燈され静かで美しいお顔の如意輪観音様が照らされます。「一分間、願い事をお祈り下さい」と言われ、手を合わせて祈りました。それにしても清廉な童子のようなお顔の観音様です。「願徳寺」というお寺はあまり有名ではないので、仕事で行くことも今まで無かったのですが、こんな小さなお寺に国宝の観音様がいらっしゃるなんて最近まで知りませんでした。
昔はそんなこと思わなかったけれども、ここ二年ほどは仏様に手を合わせると本当に心が落ち着きます。何故落ち着くのか、「救われている」から。手を合わせている時は、心の中でずっと「ありがとうございます」と感謝を述べると救われるのです。手を合わせ何かを願ったり、助けを請うよりも、「ありがとうございます」と感謝する方が、ずっと心が楽になります。穢れたこの身を、悪鬼に取り付かれた醜いこの身を救って下さいと唱えるより、「お逢い出来たことに感謝いたします」と唱える方がずっとずっと救われる。いつか、仏に仕える身になれたならばと、ここ数年は思っています。西行ではないけれど、この身に取り付く憎しみや執着や愛憎から逃れられるには、それしかないのではないか、と。私は救いを求める為にお寺に通うのですから。
願徳寺を出て、また同じ坂を下りて、大原野神社の向い側にある正法寺へ。こちらには珍しい三面の千手観音様がいらっしゃいます。そして不動堂には憤怒の表情の不動明王様も。西山を借景にしてお庭の大変素敵でした。
勝持寺や大原野神社の紅葉は勿論まだまだなのですが、きっとこれからの季節は相当綺麗やと思いますよ。出来るなら正法寺さんもそうですが、桜の季節に是非来たい。
本屋には今、秋の京都のガイドブックが並んでおり、いいなぁとは思うけれど、私は桜と紅葉の季節にはプライベートな時間が取れないので一番いい季節を満喫できなくて残念。そりゃあ仕事では散々見られるけれども、やっぱり時間やいろんなことを気にせずに楽しむわけにはいかない。この仕事やってる限りは仕方が無いですけどね。
神護寺、清水寺、高台寺、南禅寺、東福寺、永観堂、大原、嵯峨野などなどの有名寺院などの紅葉は確かに見事なんですが、とにかく人が凄くて戦争状態で疲労してしまうので(交通渋滞も凄い)、ちょいと外れにある寺社などで楽しむ方が「雅な京都」を味わえると思います。
以前、京都好きの森下くるみさんとお話する機会があった時に、「観光地に行っても仕方がないから」とおっしゃってました。彼女のように「自分が見たいもの」がはっきりしてる人は自分だけの「かくれ里」を探したらいいと思います。人混みに疲れる為に、京都の寺社は存在するのではないのですから。
よく「京都のお勧めはどこですか」と聞かれるのですが、例えばリアル知り合いや、マイミク(mixiの友達)さんと、その人を多少知っている人になら、ここがいいですよとも言えるのですが、mixiを通じて普段交流のない人、私の日記を普段読まないけれどプロフィールを見ていきなりそういったメッセージをくれる方には、正直困ります。それは「お勧めのAVは何ですか」という質問も同じ。私はあなたを知らないから、あなたの好みを知らないから、あなたが人混みが苦手で静寂を好む人かどうかも、人が多いのは平気だからとにかく紅葉を見たい人なのか、どういう性癖がある人なのかも知らないと、京都もAVもお勧めできないのです。有名寺院を挙げることは出来ても、実際にそこに行って、あなたが楽しめるかどうかも私には確証が持てないのです。そして、そうやっていきなり普段足跡もつけずにメッセージをくれる人に返事を返しても、その後「ありがとう」も何も言ってこられたこともないしそれきりなんで、今はもうそういうメッセには返事はしないですけどね。
だから、マイミクさんや、普段から読んで下さってる方や、リアル知り合いに何か聞かれたら答えますよ。遠慮無くどうぞ。京都案内のサイトは今は更新停止してるんですけど、ホンマはこう言った京都や近江や奈良とかの紹介も何らかの形でしたいんですけどね。
今回お伺いした寺社は、朝一番ということもあり、私一人で、静寂を楽しめました。京都はやっぱりいいなぁ。近江もいいけど。紅葉なら近江の永源寺とか湖東三山(金剛輪寺・百済寺・西明寺)もいいですよ。人はそれなりに多いけど、素晴らしいです。比叡山ドライブウェイとかもよろしいなぁ。あと宇治の興正寺や、西山の光明寺なども。下鴨神社の糺の森なども歩きたい。
みんな、秋を楽しんでくれよっ! 日本にはこんなにも綺麗な場所がたくさんあるんだから! 日本に住んでるんだから、日本の四季を満喫せずにどーすんだよっ!!
私は仕事だけどねっ! きーっ! 悔しいーーっ! (本音)
そうだ、京都に行こう。
あなただけの「かくれ里」を探しに。