永い冬が終わる時

 記・2006年 6月 11日


《田舎を出る一ヵ月半前に書いたものです。ここの出てくる同僚とは、当時派遣で働いていた会社の同じ部署の人達のことです。AV調教中の純情少女Nちゃんともここで知り合いました。このブログのもともとのタイトル「アダルトビデオ調教日記」は、このNちゃんにAVを見せていたことがきっかけです。》





 家の庭に、会社に行く道すがらに、色とりどりの花が咲き誇る。
 今年の冬は長かった。雪が多く凍えそうな寒さの日々が何ヶ月も続いた。雪の多い地方なので外出もままならなかった。もしかしたら、このままずっと冬なんじゃないかと思えるほどに。
 常春の国に住む人は、この寒さを知らないのだろう。目の前が吹雪で閉ざされ寒さで手足が動かなくなる暗い国の寒さを。

 それでも永遠に続くかに思えた冬はいつのまにやら終わり春の鳥の鳴く声に気付く頃、赤や桃色黄色などの柔らかい色光を放つ花が咲き始めた。
 花びらを指で摘むと花の色と香が肌に残る。この花もすぐに枯れる。枯れる為に咲き、再び咲く為にまた枯れる。くりかえし、くりかえし。

 あなたがいなくなるのは寂しいよ、と同僚に言われて胸が痛んだ。私も、寂しい。そのことを考えるたびに涙がこぼれそうになる。だから本当は、誰にも近づかずに情など持たぬように、ここを離れる時、ただ清々とした気分になるように「人嫌いのおとなしい人」を演じきってしまうべきだったかも知れない。恋が終わる度に「もう二度と人を好きにならない、こんな悲しい想いをするなんて」と誓うように。しかしそれが実行できたためしがないのだ。

 誰も好きにならず、誰とも接せず、何も欲しがらない「悟った」人間になりたい、とずっと思ってはいるのだけれども。そうしようとする度にどこかで必ず他人を巻き込むほどの破綻をきたす。それならば、どうせ破綻するのならば、自分の思うようにした方がましだ。

 あなた達と別れるのは辛い。こんなに楽しい時間がもてるなんて思ってもみなかったから。こんなに毎日笑えるなんて。それだけでも私はあの時死なずにすんでよかったと思うよ。私は、幸福だと思うよ。

 あなた達と離れて、家族を悲しませて心配させて苦しめて、更なる経済的な困窮が予想されて、それでも家を出ようとするメリットが私には上手く説明できない。理由を挙げればキリがないのだけれども、人に言わせると「それは、お前のただのワガママに過ぎない。」で終わらされることだから。「自分の力を過信している、考えが甘すぎる」とも。

 お前は望みすぎるのだ、わがままだ、お前は自分を過信している、傲慢だ、と、そう言われ続けた数年間があった。20代の長い年月をほとんど一緒に過ごした男に。
 私は人間の不良品で、女の不良品で、この人以外の誰が私など相手にするものか。そう思って、その男に執着し続けた。その男の望むままに金を渡して、サラ金に手を出して。この人が私から離れたら、私という人間は誰にも必要とされなくなる、それが怖くて。

 キスをせがんだら、セックスをせがんだら、お前はワガママだと言われた。これだけで、十分だろう、世の中にはこれすらもままならぬお前より不幸な女がたくさんいるのだと、男はただ、自分の性器だけを私の目の前に差し出した。
 お前の一番好きなものを俺は提供してやろう、だから俺がお前のところに来る為にも、俺の生活を維持する為にも、ちょっとお金を出してくれないか。
 男の性器を咥えて金を得てみないかとも言われた。お前はこれが好きだから、そうして金を得るのがいいんじゃないか、と。

 だから私は私の性欲を憎む、男を憎む。性欲を持ち、男を欲する自分自身をも憎み続ける。

 私が家を出たい、一人で都会で暮らして自分のしたい仕事をしたいと告げると親は、それはお前のワガママだと言った。考えが甘い、お前はお前が思うほど力のある人間ではない。優秀かも知れないけれども世間知らずで人がよすぎる。だから、あんなことになったのだ、騙されて借金を作って。
 お前の抱えてる悩みなんて、誰にでもある程度の悩みだ。普通が一番。普通に安定した仕事をして、結婚をして、子供をつくり、巣をつくり、そこで家族と共に生きていくのが一番幸福なのだ、誘惑の多い都会の狭い部屋で堕ちていく姿など見たくないと彼らは言う。

 平塚の自分の子供を殺害した事件、秋田の子供を殺めた事件。あれらのニュースを見る度に暗い気持ちになるのは、きっと自分の親があの犯人達を見る度に私を重ね不安になっているだろうと思うからだ。男にだらしない、お金にだらしない、借金、離婚、風俗、そして子殺し。男にだらしなくてお金にだらしない、そのくせ不必要な知識だけは豊富な、得体の知れない我が娘の未来を、そこに見ている。

 人間は、結婚して子供を生んで家族を作る。それが正しい生き方なんだ、と。そうじゃない生き方もあるかもしれないけれども、それは辛い生き方で、親としてそんな生き方はさせたくない。親は、子供が心配だから、こう言うのだと。
 心配だから、と、くりかえし、くりかえし、呪詛の言葉が背中にとりついた悪霊の声のように重い。

 悪霊の声は片時も耳から離れない。心配だからという親の声と、お前は望み過ぎるのだという、あの男の声。

 自分を呪縛しているのは誰でもない自分自身だということは気付いている。親もあの男も私を呪縛する気など、その自覚などないのだし。
 あの男の呪縛から逃れた時、生きよう、と思ったのだ。それまでは死ぬことばかり考えていた。男を殺して自分も死ぬか、自分だけがその男を苦しめる為に死ぬか、どちらかしかないと。
 毎月月収のほとんどが返済で消えてそれでもままならず取り立てに終われて金が無くて何も買えず取立ての電話で仕事に影響も出て、交際費や時間など持てるはずもなく人との付き合いも絶つしかなかった私にあの男は労わりの言葉などかけたことがなかった。俺の方が苦しいんだよと言いながら、あとでわかったことだがその男は他の女と旅行などに行っていたのだ。
 それでも私は、その憎い男と添い遂げる気だったのだ。ここまでボロボロになった不良品の私を必要としてくれる人は、その人しかいないから、と。

 男の呪縛から救ってくれたのは、別の男だった。借金を抱え死ぬつもりで生きている自分は恋などとんでもない、と思っていたけれども、全てを承知で好きだと言ってくれた人に恋をした。その人は、結局は「可哀想な若い娘を救う騎士」の役割に酔っていただけで、私のことなど本当は一度たりとも愛してはいなくてすぐに捨てられてしまったのだけれども、それでもその人と出会えたことで、私は長い呪縛から放たれた。

 私は長い時間眠らない。寝すぎると、必ずといっていいほど、悪い夢を見るからだ。酒も我を失って酔うほどは飲まない。酔って理性を無くしてしまうと、見てはいけない暗い淵の底を見てしまいそうになるからだ。今度、あの暗い淵に落ちたら自分がどうなってしまうかわかっているから酒は我を失うほどには絶対飲まない。酔うことは恐怖だ。毎日必死で、あの淵に落ちないように足を踏ん張っているというのに。

 それでもふとした瞬間に、暗い淵を覗き込んでしまう時がある。屍の啼く声が耳に痛い。その声に導かれるように身を乗り出して堕ちてしまいそうになる。堕ちたら、もう、最期だ。だから私は必死に堕ちないように生きている。

 楽しいことを大事にしたり、好きな人のことを考えて幸せな気分になったり、仕事で認められたいと思ったり、どこかに行きたい、美味しいものを食べたい、と、そうやって、藁を掴んで堕ちないように。楽しいことがあること、好きな人達がいること。これ以上の幸福があるだろうか。

 藁を掴む私の手を「欲望を持つことはお前のわがままだ」と悪霊達が手を放させようとする。そして暗い淵を覗き込む私の背を押す。屍の啼く声の響くあの暗い淵に。暗い淵の底にはうっすらと醜く腐敗した屍の色の無い顔が見える。
 私の、顔だ。


 屍から目を逸らし、自分の肩越しに重くのしかかる悪霊の蒼い顔に目をやる。
 それも、私の顔だ。


 この土地を、出られなければ、私はあの淵に堕ちる。間違いなく。悪霊に背を押され、屍の啼く淵に、堕ちていく。暗い、暗い、淵に。

 だから、ここを出なければいけないのに。どうして、呪縛ば解けないままなのか。私に解く力が足りないのか。
 強くなりたいと、ずっと思ってきた。昔よりは、少しは強くなったつもりでいた。誰よりも強くなければと思っていた。しかし強くなりたいと願うほどに私の欲望は膨らんでゆく。何故なら欲望こそが力で、強くなるには力が必要だから。
 そしてますます私は親の理解の範囲を超えた得体の知れないわがままで世間知らずの心配な娘となるのだ。どこか狂気を孕んだ得体の知れない娘は、ここから出せないと、親を不安にさせていく。

 こんな娘で、ごめんなさい。だから、私は一生自分の子供を持たない。自分を憎む限りは子孫など残せるわけがない。

 本当は、受け入れて欲しかったのだ。ずっと、ずっと。こんな狂った娘でも、親の望む普通を生きられない娘でも、普通じゃないままで、狂ったままで認めて欲しかったのに。
 この陰鬱で保守的で狭い人間関係しかない土地で堅実に地道に生きてきた人達には自分達と違う価値観の元に幸せがあると信じられないようだ。結婚してない人は不幸だ、子供がいない人は不幸だ。どんなに仕事で成功していても、一人で生きる人間ほど不幸なものはないと。だから、親だからこそ言うのだよ、普通に、この生まれた土地で家族を作りなさい、と。

 子を殺す親の気持ちも、親を殺す子の気持ちも私にはわかる。どうして、どうしてわかってくれないの、血の繋がりがあるのに、どうして、どうして、と。本来「わかりあえるはず」の相手と分かり合えない苦しみの壁にぶつかった時に絶望して、そうなってしまうのだ。
 他人なら、わかりあえなくて当然だと割り切ることが出来るのに。

 だから、他人になりたい。家族で居ることが苦しい。家を出たいと思わない日は一日たりとなかった。今は私はこれからも家族を持たないで生きていきたいと思っている。それすらも弱い私の逃避だとか、わがままだとか言われるだろうけれども。

 あの男は、朽ちていこうとしている。会いたいと言われた。何をいまさら。あれだけ私があなたを欲しがっている時に、あれだけ冷たく突き放し続けて、そのくせ私から離れようとせず私を苦しめたくせに。
 しかし彼には全く私を苦しめていたという自覚はないようだ。何故なら彼は未だに自分は私にとって一番の理解者で、自分の性器が私にとって一番のもので、私が自分の性器を望んでいると信じているからだ。
 お前のことは、俺が一番わかっている、と。

 私がその男の朽ちていく果てを見届けて復讐をしようしてやろうと思っていることも、この男はわかったつもりでいるのだろうか。男を取り囲む状況が悪い方向にいっているのを耳にする度にほくそ笑んでいることを。

 私が幸せになることが、私が私の思うままに生きることが、一番の復讐なのだ。あんたは何にも本当は私のことなどわかっていないし、私はあなたの性器など望んではいない。
 あなたは、たかが最初に寝た男に過ぎない。それだけの男だ。

 その男に貢いだ金が原因で、実家に戻らざるを得なかった。だからここに不本意なままで居る限り、私は未だに呪縛に捕らわれたままなのだ。
 呪縛に捕らわれたままでは、いつか、暗い淵に堕ちる。やっぱりお前はあの男と、あの男の中に反映した親の姿から逃れられないのだと、蒼い顔をした悪霊が、屍の待つ暗い淵に突き落とそうと体を震わせながら待っている。

 好きこのんで暗い淵を見たがる人間は幸せだ。世を儚んで自虐的になったり悲劇的になったりを好きこのんで演じたがる人間はきっと幸せなのだろう。人を貶めたり悪い方向に行きたがる人間は退屈な人間だ。物事を楽しもうとしない人間は、きっと満たされすぎていて退屈で、「不幸な」遊びに変化を求めるのだろう。そういう「楽しもうとしない人間」や、「楽しんでいる人間」を馬鹿にしてあたかも自分が優位に立ったかのように思っている人間を見ると、私はひどく残酷な気分になる。
 悪霊の纏うボロボロの布を被り鋭い刃を持つナイフを首筋に突きつけたくなるのだ。あるいはそのナイフを自分の首筋にあてて、刃先から流れる一筋の血を見せ付けたくなる。

 このところ、ゆらゆらと魂が彷徨っているようだ。夢と現実の間を。
 ずっと暗い淵を目の前にして恐怖に捕らわれながらこの陰鬱な土地で生きていかねばならないのか。
 それを穏やかな幸福という人もいる。何が不満なの、あなたの望むことは、あなたのわがままに過ぎない。誰だって、思い通りにならない人生を生きているのに。あなたは、贅沢すぎるのだ、と。

 心配で、家を出せるわけがないと親は言うけれども。私自身も、不安と恐怖で酷く孤独で絶望的な気分に陥ったりもしているけれども。
 それでも私は、他の選択肢は残していないのだよ。ここを出るという選択肢以外は。
 
 私は、強く、もっともっと残酷になりたい。情を断ち切るほどの。悪霊に背を押さえる前に、力ずくでその悪霊の首を締めて息の根を止めるぐらいの強さが欲しい。そうして、早く暗い淵の側から離れたい。

 だから私は楽しいことが好きで、楽しいことを大事にしようと思う。誰が、暗い淵になど堕ちるものか。
楽しいことがあって、好きな人がいて、それ以上の幸福があるだろうか。もっと楽しいことや好きな人に近づくためにも、ここを出るのだ。誰がこのまま堕ちるものか。

 誰が、屍の待つ淵になど。