欲望という名の電車


 記・2006年 5月15日


《家を出ることを両親に告げた直後に書いた日記です。母には号泣されました。既に新しい仕事も決めて、それまで居た会社にも退職の旨を告げた後で親に話したのです。反対されるのわかってたし、反対されるようなことをしでかしたのは自分やし、うちの親は何にも間違っていないから辛かった。家を出たいというのは私の欲望だけで、それ以外には何もなかった。私の欲望を「わがまま」と言われたらその通りだった。だけど、私は家を出なければ死んでしまうから出るしかなかった。あのまま田舎に居て罪の意識にただ苛まれる日を送り続けていたなら確実に自死するか、誰かを殺していたという想いは今も変わらない。そして、これを書いた2ヶ月半後に家を出ました。そういえば、この頃、遠距離恋愛をしていた恋人とは別れましたが、相手を憎まず恨まず幸せになって欲しいと別れた後に思えた初めての恋でした。余談ですが、ヴィヴィアン・リー主演映画の中では、「欲望という名の電車」が一番傑作だと思います。老いて狂いゆくヴィヴィアンは怖くて美し過ぎて背筋が凍る。「風と共に去りぬ」のヴィヴィアンしか知らぬ人は是非観て欲しい映画です。そして実際にヴィヴィアン・リーという女優の晩年も狂気に彩られたものでした。だけどヴィヴィアンは、世界一美しい女性です。》










 日曜日に冷蔵庫を開けると妹が買ってきたケーキがあった。何故吝嗇な妹が珍しくケーキを買ってきたのか、最初はわからなかった。
 外出をしてショッピングセンターに寄ってようやく気付いた。今日は母の日だったのか。

 私は何も買わなかった。この前から母とはロクに口もきいていない。きっと「やっぱり家を出るのを止めて、ずっとここにいます。お見合いをして申し分のない人と結婚して子供を生みます」と言うのが、一番の親孝行になるだろうとは思ったけれど。


 家を出て、京都に戻り一人暮らしをしたい、もう新しい仕事は決めてあるし、今の会社にも退職は告げたと言うと、母は蒼白になって泣き出した。「心配で家から出せるわけがない」と。
 父は冷静に反対した。母は喚き出した。心配で一日たりとも平気でいられない、生きた心地がしない、と。


 30半ばの娘が家を出るというのに、何故ここまで大騒ぎされるのか。それは全て私が、悪い。

 両親は「普通が一番」「人と同じが一番」と言う。でも彼らの言う「普通」は普通じゃないように思える。彼らは音楽を聴かない。映画も全く見ない。旅行も全く行かない。本は経済関係のものしか読まない。小さい頃、テレビはいつもNHKしか見られなかった。お笑い番組や歌番組を見ようとすると「ああいうことをしている人間は、馬鹿だ」と言われた。ただひたすら働いてお金を貯めて子供を育てる彼らにとって娯楽は「生きていく為に無駄なもの」だった。それでも私はNHK以外のテレビも見たくて祖父の部屋で見せてもらっていた。

 そういいながら両親は本だけは買ってくれた。私にとって唯一つの娯楽だった。しかし、後年「小さい頃、本ばかり読ませたから、余計なことばかりに興味を持つようになってしまったんだ」と言われた。

 「余計なこと」「無駄なこと」に悲しいほど興味を持たない彼らは、ひたすら働いて食べて眠る。そして必死に子供達を育てることに人生を費やした。それは正しいと思う。働いて子供を育てる人生。人間は家族を持ち子孫を残すのが正しいのだ、それは正しい。正しいと思うけれども、私は彼らのようになりたくはないと思っていた。だから、家を出たかった。家を出る為に大学に入った。

 「お前は好きなことだけしかしない、わがままなんだ。嫌なこともしなければいけないのに」

 その通り、私は大学に入ると勉強にはついていけないし、同級生にもなじめず、バイトばかりして学校には行かなくなった。留年した。「よい奥さんになる」と言われる堅実だと評判も女子大で、留年した人間は珍しかった。

 初めての男に夢中になった。その人は初めて自分の話をちゃんと聞いてくれる人だったからだ。私のしたいこと思うことを否定しなかった最初の人だった。やっと自分を理解して受け入れてくれる人が現れたと思った。親にはわがままだ気ままだと批難される私のことを。だから放したくないと思った。その為に言われる通りにお金を渡した。

 借金で生活が破綻して家に帰った。恥ずかしい話だけれども金銭的な尻拭いをしてくれたのは親だった。親に全て知られたら死ぬしかないと思っていた。でもいざ知られると死ねなかった。あれほど嫌だった故郷に戻った。その時は仕事が面白くなり始めて、やっと男に依存する以外の生きがいが見つけられた時だった。どんなに、仕事を辞めることが悔しかったか。


 私の欲しいものは、何一つ手に入らない。いつも手の中をすり抜けていく。何もかも。


 それからは必死に働いた。盆もGWも正月もまともにゆっくりしたことなんてほとんどない。今年の正月に京都に行ったぐらいか。会社の休日でも仕事があれば出た。頼まれた仕事はほとんど断ったことがない。親に返す為の金(まだまだ全然足りないのだけれども)と、ここを出て京都に戻る為の資金を貯める為に働いた。仕事の基盤がないとどうにもならないと思い、辛くて泣きながら勉強して国家資格や、他の資格も取った。学歴もキャリアも何も無い人間ができるのは、それしかなかった。プライベートでの旅行なんて、ほとんど仕事の下見を兼ねてたし、いつも普通電車で行って格安宿に泊まる。未だに海外旅行なんて行ったことがない。行ける金も暇もない。
 とにかく人より働かなければ人より稼げない。金が欲しけりゃ働くことだ。人が遊ぶ時間でも働くことだ。仕事絡み以外で飲みに行くのなんて、年に2、3回あるか無いかだ。京阪神までの交通費や遊興費も私には痛かった。いろんなことを我慢した。本当に我慢した。そうして自分を罰していたのだ。許される為に罰していた。人と会うのなんて、男(注・当時付き合っていた男)と会う時ぐらいだった。それすら無ければ狂っていた。

 しかし私が男と会う為に行き先を告げず家を出ようとすると母は「心配だ、心配だ」と呪いのように唱えるので、友達と会うとか、仕事だとか嘘をつくしかなかった。

 多分、人が聞いたら驚くような生活だ。会社と家の往復。それ以外の外出も仕事絡みばかり。帰宅が22時を過ぎれば大騒ぎだ。男と会うことだけが開放される時間のハズなのに、呪いのような母の言葉が背中に張り付く。



 親に家を出ると告げた時に、あの平塚の事件のことを言われた。あの事件のニュースを見るとお前を思い出す、金と男に溺れただらしのない女の末路があれだ、お前だけの問題じゃない、何かあった時に一族皆が地獄に突き落とされるんだ、と。

 あんた達に、そう言われる度に、心配だ心配だと言われる度に、私は親の望む娘になれなかった罪悪感と劣等感で押しつぶされそうになって苦しいんだと言った。末の妹のように結婚して家族を持つことが出来ない自分が人間失格だと、不良品だといわれているようで。
 そんなことは言っていない。お前が一番優秀だとは思っている。でも、親としてはお前が心配だ、好きなことしかしない、わがままで気ままなお前が心配だ。普通に、人がしているように家族を持って、自分の巣を作って欲しい。
 一人で暮らして、一人で年をとっていくなんて、想像しただけでも侘し過ぎて耐えられない。お前が心配なんだ、と。
 お前が一番優秀だといわれても、優秀さなんて望まれていないのを私は知っているのに。

 だから、あなた達の望むことを、私は望めないから、あなた達と一緒にいることが苦しいのに。私の望むことは、全て私のわがままらしい。

 お前が怖い、何をしでかすかわからないところがあるから。そう初めての男にも言われたことがある。多分、親もそれが怖いのだろう。私の中にいつからか根付いて消えない破滅願望と、過剰な欲望が。

 だから、なのか。見事に自分を痛めつけるような恋愛しかしたことがない。本当に、見事なくらい。いつも最初は上手くいくのに、いつからか苦行のようになる。そうしていつも嫌な腐臭を立ち上らせ終わる。腐臭を漂わせるような終わり方をする関係は傷を深くして臆病にさせるだけで、何も良いことなんてない。うんざりするだけだ、いつも。どうしてここまで痛めつけられなければいけないのか、と。

 諦めてしまえばいいんだろう。自分の欲望を。親が望まない私の欲望を。反吐が出るような土地に残り。

 私の欲望を否定される度に、自分の過剰さを思い知る度に、自分を憎む。だから、子孫など残せないのに。自分が憎む遺伝子など残したいと思うわけがない。親に心配だ心配だ、と呪いの言葉を唱えられる度に。

 母に「都会で一人暮らしなんてさせられるわけがない」と泣かれた時に、私の脳裏に思い浮かんだのは、年老いて寝たきりになった母の枕元で「あんたのせいで、私は」と恨みの言葉を述べる醜く老いた自分の姿だった。

 男と金にだらしなくて、犯罪者になることを心配されて、でも私はこのままこの田舎に居た方が怖い、と言った。ここに居るぐらいなら、死んだ方がマシだ、耐え切れないと。

 このままここに居たら、罪悪感と劣等感と焦燥感で本気で母を憎み、本気で殺意を抱いてしまう。
 だから、開放して欲しい。どうしてそれをわかってくれないのか。

 彼らの言うことは正しい。私は男とお金、すなわち自分の欲望にだらしなくて皆に迷惑をかけた。その尻拭いをしてくれた人間に従わなければいけない。わがままを通す権利などない。

 欲望を持つことは悪いことなのか。過剰な欲望を持つ私は、あなた達の価値観が全ての世界にいることが耐えようもない苦痛なのに。私は私がずっと憎い。そして自分を憎んで許さないうちは、痛めつけられるような恋愛しかできない。
 どうか、私があなたの首に手をかけないうちに、私のことを理解しようとしてくれないだろうか。自分の信じる価値観と別の価値観も存在するということを。
 結婚しない人間は、惨めだというけれども、私は結婚していて家族がいて不幸な人間もたくさん知っている。

 優しくしてくれる筈の人には、これでもかと言うぐらい冷たく突き放なされた。誰も助けてくれないということなど、わかっていたから悲しくもなかった。
 地獄に落ちる度に痛感したことだ。誰も助けてはくれないのだと。騎士など居ないと。

 自分を救うのは、自分しかいないということもわかっている。誰かを励みにすることは出来ても、自分でしか自分を救えないことも。絶望の淵から立ち上がるのは、自分の足でしかできないことも。人をちゃんと愛して、痛めつけあうことのない前向きな関係を築けるようになるには、自分が自分を愛さないと駄目だということも。
 そして私は欲望という名の電車に乗ることしかできないことも。


 
 ブランチは、欲望という名の電車に乗り、墓場という名の駅で乗り換え、極楽という駅で降りた。


 
 私は、欲望という名の電車に乗る。私の欲望を。過剰な欲望を。我が身を切り刻んでも。
 このまま親の望むように、この場所に居ることは、生きながら死んでいると同じだ。
 私は死人のような人生を送りたくない。私は生きたい。それが一番の、私の欲望なのに。
 欲望を殺しながら生きることが一番幸せだと信じている人達から離れたい。


 足に手に体に絡みつく絶望的な罪悪感と劣等感を振りほどいて電車に乗る。
 行き先は墓場なのか、極楽なのか。
 もしかしたら、幸せな天国が終着駅かも知れない。そう信じたい。欲しいものが何も手に入らない人生は、もう嫌だ。


 欲望という名の電車に乗る。行き先は、わからないけれども。