雪が消えた、蒼い山が見える


 記・2006.2.26


《前回の如く、昔田舎に居た頃に書いたものです。昔ってほど昔じゃないか。まだ、2年しか経ってないんや。これを書いた5ヶ月後に私は家を出るのです。出る一ヶ月前まで親に内緒にしてたけど・・・アカン言われるのわかってたから就職も住むとこも全部決めてから親に言うてそれでも反対されました。この文章に登場する「作家」は、私の高校の先輩であり、私がこの世で最も敬愛する作家です。》






 根雪はまだところどころ残ってはいるが、だいぶ雪が消えた。
 今年は、例年になく雪が多くて寒さが堪えた。こんなに灯油やカイロを消費したことは初めてだ。

 冬の時期は家に帰って車を降りるとワイパーを上げる。夜の間にフロントガラスが凍結するからだ。道も凍結する、油断をすると転んでしまうので、下を向いて力を入れて地を踏みしめる。気が抜けない。どうしてここはこんなに寒くて、雪が多いんだろう。何も、いいことはないのに。まるで誰かに罰を与えられているようだ。

 だからと言って、夏は涼しいわけでもない。盆地で湿気が多く肌にまとわりつくようないやらしい暑さだ。親と絶縁して東京に住む友人は、「あんな気候も人も陰鬱な土地には2度と帰りたくない」と言う。

 私も友人と同じて、自分の生まれたこの土地が大嫌いで、高校を卒業して、京都という街に移った。そこは思いのほか住み易く、10年以上住んだのだが、男に言われるままにサラ金で金を借り、笑えない額の負債を作り、生活が破綻し実家に帰らざるを得なくなった。頑張ったのだけれども、相当に、頑張ったのだけれども、どうしようもなくなった。だらしなく愚かで弱い私は、自分のしたことの罰を受けた。

 この土地の良いところと言えば、海と山が近く温泉が多いことぐらいか。たまに遊びに来るぐらいなら、きっといいところなんだろう。

 この土地で生まれて、この土地を捨てた二人の男を知っている。二人はもうとうにこの世にいない。
 一人は、魔術師のような大作家で、親を亡くし親戚と揉めたこともあり、東京へ行って作家となる。それからは、ほとんど郷土には帰ってこなかったという。故郷に対する複雑な想いは、その作家の書いたものの所々に合間見える。

 もう一人は、冒険家で高校を卒業した後、東京の大学に進み、山に登ることに取り憑かれ山で消えた。彼もほとんど郷土には戻らなかった。彼の親戚達は、彼のことを「好きなことばかりして、経済的な迷惑を実家にかけた」と、言う。好きなことばかりした彼は、山で消え、その一本気な生き方は多くの人達をひきつけて、彼の生涯は映画にもなった。

 故郷を捨てたはずなのに。
 彼らの死後、「郷土を捨てた薄情者」だと有名になった彼らを嫉妬混じりに嘲笑していたかのような人々も、彼らを称え始めた。彼らが、何をして何を残した人なのかも、わからず、理解をしようともしないのに、ただ称え始めた。

 作家の生家近くには、記念館が建てられた。写真や使用されていた日用品などが展示されている。彼の名前を冠した祭りやイベントも時折開催されるようになった。その一環で、その作家の大ファンで自らを「彼の中毒者」と語る、ある推理小説作家が講演会にやってきた。推理小説作家は、大作家の作品に対して熱く語った。しかし彼が作品名を一つ一つ出し、「これを読んだ方、手をあげて下さい」と観衆に問いかける度に、挙手された手の少なさに、呆れているのがわかった。その推理小説作家が、一番好きだという短編小説を、読んだことがある人はいるかという問いには、遂には誰も手をあげなかった。私は、本当は読んだことがあるのだけれども、誰も挙手しないので、目立つのが嫌で手を上げることが出来なかった。

 推理小説作家は呆れていた。大作家の作品を語る、という名目で講演に来たのに、大作家の作品をまともに読んでいない人間達に何を語ればいいのかと戸惑ったことだろう。

 そこに集まった人々は、何故来たか。読んだことはないけど、大作家が有名人だから。講演に来た推理小説作家が有名人だから。無料だから。暇だから。講演というものが珍しいから。講演会に行くということが、なんだか知的なことのように思えるから。

 その講演会の前には、作家の命日だということもあり、写真に向って皆で黙祷した。バカバカしかった。わざとらしい石碑を作ることも、地元の小学生の文集の題名に彼の名前を冠するのも、彼の名を冠したお祭りをして屋台やらを出すのも、その大作家が、もっとも嫌がる行為に私には思えたのだ。死後の世界は何も無い、神も仏も無い。好きな臨終の言葉は、勝海舟の「コレデオシマイ」だというその大作家が、自分の死後、自分が捨てた郷土で、このように名前が使われることを喜んだだろうか。だいたい彼の作品を読んじゃいないんである。この街の人達と一緒に仕事をしたことがある。その作家の作品を読んでいる人はほとんどいない。「あの人は、この土地を捨てた人で、今まで地元と交遊が無かったしね」という声はよく聞く。

 その通りだ。それに、本を読むのは人の好きずきで、読めと言ってるんじゃない。別に読まなくてもいいし、その作家を好きな私が偉いとか、言いたいわけじゃない。大作家も、地元の人に読まれて称えられたいわけじゃないだろう。
 でも、読まずに好きでもないのに、称えるフリをして利用するのを「町おこし」と、言うのが、その作家を好きな者としては、鼻につくというだけのことなのだ。多分、講演に来た、「中毒者」の推理小説作家も、それは思ったのではないかと思う。しかし、そういう町おこしを、恥ずかしげもなくする鈍感さが、たまに憎くなる。

 冒険家が山で消息を絶ったあと、彼の映画が作られた。彼の記念館も作られた。そして地元の駅などで、彼の名前を冠したお菓子などを観光客のお土産用に作ろうという話や、駅前に彼の名前を書いた大きな看板を作ろうという話が持ち上がった。
 彼の未亡人は、記念館は許可したが、お菓子や看板の話は断ったという。
 「夫は、とても地味で大人しい普段はとても内気な人でした。目立つことは嫌いでした。彼が、そんな自分の名前のみやげ物や、看板を宣伝に使われることを喜ぶとは思えません」と。
 東京に住む彼の未亡人を、「非協力的」だという人もいたという。町おこしに協力してくれてもいいじゃないか。未亡人も、この土地に来て講演会などを開いてくれてもいいじゃないか。
 普段は、とても目立たない大人しいと言われた冒険家。彼は自分はこれしか出来ない人間なんだと、ひたすら山に登り続けた。いつのまにか彼は有名人になり、多くのスポンサーがついた。最後の登頂の際には、あるテレビ局がバックにつき、引き返せない事態になり天候が不安なのを承知で登ったという噂もある。彼は、そのまま山に消えて遺体は見つかっていない。

 作家の記念館にも、冒険家の記念館にも、全国から彼らのファンが足を運ぶ。それは、それでいいと思う。ただ故郷を出て、それからほとんど帰って来なかった彼らが、自分の死後、故郷で英雄のように扱われることを、今どう思っているのだろうか。


 故郷を持つということは、残酷なことで、一生取れない足かせをつけられたようなものだ。その故郷を愛せない人間にとっては。


 温泉だけは多い。山の中の温泉は、どこも露天風呂がついている。露天風呂から見える景色は、四方が山。ひたすら山。雪はもうだいぶ解けて、木々の青さが目に染みる。


 分け入っても 分け入っても 青い山



 何度、この種田山頭火の句を思い浮かべただろうか。こんな、無常で寂しい句があるだろうか。山の向こうには、また山しかないように思える。この山を越えても、ひたすら山しかないような気がする。

 山に囲まれたこの土地にいると、街というものが現実のものではないような気がする。ひたすら山で、分け入っても、分け入っても山しかなくて、ビルの立ち並ぶ空気の悪い、治安の悪い、それでいて煌びやかな都会は、全て抑圧された自分の心が生んだ幻想に過ぎないような気がする。

 本当に、そういうものは存在するのだろうか。そこに住んでいる人々も本当に存在するのだろうか。全て夢幻のものじゃないのか、と本気で思うことがある。
 だって、見えない。何も見えない。山ばかりが続く。見えないものには触れることは出来ない。昔10年以上住んでいた街の記憶も、もしかしたら幻だったのだろうか。触れさせて、確かめさせて、この世界が全てではないと教えて。

 本当は街なんてどこにもなくて、自分は一生この山に囲まれた陰鬱な土地にいなければいけないのじゃないかと思うと、首を絞められているように、苦しくて息ができなくなる。

 いいとこだね、と言う人も勿論たくさんいる。米も野菜も水も空気も美味しい。親戚や親がいて、助けにもなる。山も海もある。この土地で、結婚して子供を生んで、それでいいじゃないのと誰もが言う。

 でも、ここには私の欲しいものは何もない。好きな人も、会いたい人もいない。欲しいものがないのは生きていないことと同じで、呼吸をしていても生きていないなんて、意味がない。この土地で骨をうずめるのは、私にとっては死ぬことと同じだ。ずっと、そう思ってきた。

 街を離れざるをえなくなり地元に帰され、ボロボロになって、車に揺られて10年以上住んでいた街が遠くなるのを見ながら、絶対に戻ってやる、戻るまで死なない、私は街に戻る、誰が運命とか人生になんて負けるものかと歯を食いしばったら、涙も出なかった。

 そういえば、未だにこの土地でセックスをしたことがない。そういう機会も無かったのだけれども、それをするとこの土地に根を生やすような気がして、無意識に避けてきたのかも知れない。
 
 
 雪が解けて春が近づく。自然の多い土地は、草や花で季節を感じる。梅が咲き、桜が咲き、春が終わり、夏がすぐ来る。青い山が、尚いっそう青くなる。

 何も持ちたくはなかったのに、思ったよりしがらみが出来ていた。糧を得る為に働いて、働くということは人と関わらざるを得ないので、そこでしがらみがいつのまにか出来ていた。しがらみだけでなく、この何年かに他にもいろいろと余計なものも身につけてしまっていた。

 雪が、ようやくとけた。これから、その余計なものを一つ一つ、無理の無いようにそぎ落として捨てていって、しがらみの一つ一つも解決していこう。それは、容易なことではないだろうけど。おそらく、キツイことも起きるだろう。それでも、一つ一つ、そぎ落として行こう。

 そうして、ゆっくりと、もう一度この土地を捨てる準備をしよう。欲しいものが何もない、好きな人が誰もいないこの土地を離れる準備を。新しい生活を夢見ることは楽しいけれども、実際にそれが手の届くところに近づき始めると、段々と恐怖も大きくなってきた。足が震える、鼓動が早くなる。目の前は不安だらけで、そこに、また、大きな落とし穴が待ち受けているのではないかと思うと、眩暈がする。

 それでも、私は、ここから出る。自分の選択が正しいのかわからない。でも、正しいとか正しくないとかで、道を選べないのだ。血が、欲する方向に進むしか出来ないのだ。全身を流れる血が熱く滾り、その道にしか行けないのだ。先のことなんて知らない。あれこれ予測して諦めたりするのはとても馬鹿らしいことで、自分の血が欲するものを得ようとするしかない。苦しい苦しい苦しい。血の滾りが、自分の器を越えて皮膚を焼く。熱い熱い熱い。血で火傷をして、目さえ潰れそうだ。それでも、滾る血に動かされ、彷徨いながらも体は動く。

 罰なら、この地を離れてから受けていい。一生、自分の寂しさを一人で抱えて生きてもいい。ずっと、一人で。


 もうすぐだ。
 あと少しだ。
 太陽で身が焦がされそうな季節に、青い山が紅く色を変えるまでに、私は、この土地をもう一度、捨てる。