三年以内に死にます ― 竹久夢二・京都の恋 ―
清水さんの観音さんにお参りする道を真っ直ぐ行くと七味屋さんがあります。その店の角んとこを折れると石畳の階段がありまして、そこが三年坂、もしくは産寧坂と呼ばれる道です。この三年坂で転ぶと三年以内に死ぬと言われております。物騒な話ですが、これは産寧坂という名前の由来とも関係しており、清水さんのところに子安の塔(泰産寺)という安産の神さんがおられまして、このお寺に妊婦さんがお参りしはる時に、急な坂道を気をつけて歩いてくださいという願いを込められて、そんな物騒ないわれが生まれたんだとか。確かに私もあの坂では足に力を入れて転ばんように転ばんようにと特に注意する癖がついてます。
三年坂を降りるとそのまま二年坂に石畳が繋がっており、その坂の途中に「かさぎや」さんと言う小さなお店があり、おはぎやぜんざいなどの甘味がいただけます。このお店の前には「甘党の素通りできぬ二年坂」という粋な立て看板が目に留まります。かさぎやさんの隣が今は港屋という黒豆きんつばと大正時代の画家・竹久夢二グッズを売るお店となってます。港屋は勿論、竹久夢二が妻たまきと東京に開いたお店の名前です。この二年坂の港屋さんが建つ場所に、昔夢二が居を構えておりました。
最初の妻たまきと所帯を持ち「港屋」を開いた夢二は、その港屋の客として訪れた画学生・笠井彦乃と出会います。夢二30歳、彦乃18歳でした。恋に燃えた彦乃は「この子を不幸にしてはいけない」と自制する夢二の胸になりふり構わず飛び込んでいく。二人の交際に彦乃の父は激怒する。何を思ったのか夢二の妻たまきが彦乃の父に「私の夫に彦乃さんをください」と談判に行ったからまた大騒ぎ。しかもこの時期にたまきは夢二の三男を産んでいる。けれどたまきと画学生東郷青児との仲を疑った夢二は富山県の海岸でたまきの腕を刺すという心中じみた事件を機に離別する。そして夢二は大正5年11月、京都に逃げてこの二年坂に居を構えて彦乃を待つ。
待てどくらせどこぬ人を宵待草のやるせなさ
絵の修行をしたいから京都へ行かせてくれと父を説得した彦乃が翌大正6年6月夢二の元にやってきて夢二の次男不二彦と共に3人で高台寺近くに住み始める。
甘党の夢二はちょくちょく彦乃を連れて、石畳の道を歩いてこの二年坂かさぎやを訪れていたそうな。
石畳の道には雨が似合う。しとしと降る雨が石を濡らして色を変える。石を濡らした雨の匂いが芳しい。滑って転ぶと危ないのでいつもよりゆっくりと下を見ながら歩く。うつむきながらゆっくりと、ゆっくりと歩く。しとしとと雨が降っている。転ばないようにと足に力を入れているので喋るのが億劫になる。隣を歩いている人も喋らない。ただ2人でだまってうつむきながら雨に濡れた石の道を歩く。
転びそうでこわいから手を繋いでくださいと甘えてみせたら、あなたは笑うでしょうか。
もしも私がここで転んで三年以内に死んでしまったら
私の時間が止まってしまってもあなたの時間は流れていく。あなたは何もなかったように他の誰かに恋をして私のことをいつかは忘れてしまうでしょうか。悔しいけれどもきっとそうなる。あなたは誰かと恋をしていないと生きていられない人だから。だけど私がおめおめと生き延びてあなたとの恋が終わるのを待つぐらいならばいっそ三年以内に恋が恋のままであるうちに死んでいちばん好きな女のままでいちばん好きな男のままで消えてしまうことが幸せなのかもしれません。
「夢二さんはいつまでたっても好きな人だと思う。好きだというより離れられない人だと思った。自分はどんなに幸福か知れない」 <彦乃>
夢二は彦乃をこの頃から「しの」と呼ぶようになる。「ヒィ」という音を夢二が嫌った為だ。
しかし翌年には父により彦乃は連れ戻される。その後も友人達の助力により再び京都に戻るが、九州での旅行中に彦乃は倒れ再び父親によって家に戻されそのまま入院する。見舞いに行けども一切彦乃には会わせてもらえぬ夢二。
その頃夢二は「お葉」こと佐々木兼代をモデルとして紹介される。夢二に逢えぬまま大正9年1月に25歳で彦乃は永眠する。夢二と京都で暮らしてから、三年たたぬうちに。
翌大正10年、お葉と夢二は所帯を持つが、お葉が望んでも夢二は籍を入れることを拒み、6年後に夢二の女性関係に悩んだお葉が自殺未遂をし離別する。お葉との破局の原因ともなった野心家の作家・山田順子もわずか50日間の同棲の後に、いつまでたっても文壇とのコネを作ってくれない夢二の元を去る。その後洋行を繰り返した夢二は結核を発症し、昭和9年に50歳で長野の療養所にて永眠。見舞いに訪れる人もなく、1人この世を去る。
遺品の中には、「ゆめ35しの25」と刻まれた夢二が生涯外すことがなかったと言われるプラチナの指輪があった。(実際は夢二は数えの37歳)しのこと彦乃が25歳で亡くなった時に夢二は自分も死んだと公言していたらしい。
「あなたがひとりの時に あなたの眸に、もしや他の娘がうつるかと あたしはそれが心配です。銀の子針と紅糸で あなたの眸を縫いませう」
初めて2人が結ばれた日に、彦乃は上記の詩のようなものを懐紙に書き付けた。夢二はこの詩的なものの言い方に感動したけれども、始まりの日に、はや妬みを持つ女の心が可愛くも寂しくも思えた。夢二も何か書かねばと思いノートに詩のようなものを書いた。
「わたしは盲目になりませう あなたのためになりませう よその女を見ぬやうに 盲目になつて好いけれど あなたを見る時どうしませう」
彦乃はそれを読んで笑ったという。涙をこぼしながら笑ったという。
もしも私があの坂で転んだら転がり落ちたら三年以内に死ぬのなら。
清水から高台寺に抜ける三年坂、二年坂の石畳の坂を歩きふとうつむくと、かつてここを歩いた恋人同士の夢の残骸がきらきらと雨上がりの空から顔を出す太陽の光を受けて丁寧に削られた宝石のように七色の輝きを放つ。人の想いは目に見えないものだからつかみどころがなくてあやふやで心を惑わし迷わせる。だけどその想いを残す人がいて伝える人がいてまたそこに訪れる人がいてぐるぐると輪廻転生のように恋歌は語り継がれていく。恋が生まれては消えて生まれては消えてその度に涙が雨のように石畳を濡らす。
その雨は哀し涙か嬉し涙か天国か地獄か、ただ雨を降らし石畳を濡らす。雨に濡れた石畳の階段を転ばぬように転げ落ちぬように。涙に濡れた視界が曇り、何度もぐらついて転びそうになる自分を支えながら支えてもらいながら石畳の道を歩く歩く歩く。
その坂で転んだら、三年以内に死にます。