うまれてきてくれてありがとう
昨日の朝、友達に子供が生まれました。私より年上の高齢出産で初産なので心配してましたが母子共に健康で何よりです。
彼女との付き合いはもう20年以上になって一番古い友達です。一年前の今頃はまさか彼女が結婚して出産してなんて思いもよらなかった。彼女は一生結婚しないだろうと思うと言っていたし周りもそう思っていた。だけど状況があれやこれやと変化して結婚、出産となったわけです。
付き合いが古いから私は全部とまではいかないだろうけれども彼女が抱えてきた傷も知っていて、多分彼女は子供を産み母親になることによって傷が癒されたんじゃないか、神様が彼女の為に子供を遣わしたんじゃないかと思う。
別の知人で、数年間夫に酷い暴力を振るわれ続けた娘の話。彼女はその夫の元から逃げ出して今では別の人と結婚している。だけど彼女は未だに夜、男に殺されそうになる夢を見て目が覚めるそうだ。誰かがじゃれたりして彼女の頭を撫でようと手を彼女の頭上に上げる仕草をするだけで彼女は殴られ続けた記憶が蘇り叫んでしまいそうになるそうだ。私は彼女に暴力を振るい続けた男を知っているけど、そりゃあ温厚そうで人当たりも良い。絶対に女の顔の形が変わるまで殴り続けるような男には見えない。そしてその男は自分が彼女を傷つけたことなど全くわかっていないのだ。彼女がいつかまた自分の元に戻ると思っている。彼女は未だに悪夢に悩まされている。
傷っていうのは、そういうもんだ。癒されることはあっても治ることはない。治るような傷は傷のうちに入らない。
私は直接暴力を振るわれたことはないけれども、20代の頃、嫌なことや悲しいことがたくさんあった。本当に嫌な出来事はブログにも書いていない。書けないからだ。とにかく自分と目の前の相手と世の中を呪い続けて死にたい死にたい誰か殺してくれと朝から晩まで思っていた。世の中の同世代の女達は皆自分より幸せそうに見える。私は借金まみれで男の言うことをきかないと罵倒されて自分を正当化することに長けてる男のおかげでひたすら自分を責め続けて自分の存在を呪い続けていた。死ね死ね死ね死ね死ねと朝から晩まで耳元で声がした。そして私をそこに追いやった男達も私に対して何の罪悪感も感じていない。未だに私が自分の支配化にいると信じているらしい。
あれから何年も経っているのに、たまに、ふとしたことがきっかけであの「声」が蘇り自分を責める。お前なんか生まれてくるべきじゃなかったクズだ、お前が生きているだけで迷惑なんだ、人間の不良品、女の不良品、死んでしまえ死ね死ね死ね死ね死ね、と。
私は死ぬ覚悟もないし生命力が強く死ねない人間だから、死にたいと思うことが苦しい。死ねないから苦しい。
私は私の失われた時間を取り戻したい、「人生の楽しみ」を味わいたい。失われた時間を取り戻すために、不本意な形で連れ戻された田舎から、必死の想いで出てきて、再び街へと戻ったのだ。
今の私は、それなりに真面目に生きているつもりだし、そんなに「駄目」じゃないと思う。
だけど時折、傷が疼いて昔のいろんなことが蘇る。私が親しくない人とお酒を飲みたくないのは、万が一泥酔でもしてしまったら昔のいろんな嫌なことが蘇って泣いて死にたくなるからだ、間違いなく。
多分、傷は治ることはない。癒されることはあっても。
傷なんてホント自意識の問題だとはわかっているけれど。私は未だに男の人が怖い。男は私を傷つけて痛めつけるものだという恐怖がある。
過去のことを忘れなさいとは言われるけれども、人間は「過去」で出来ている。
ありがたいことに、私のことを好きだと言ってくれる人達が存在してくれているようだから私は死なない。好きだと言われると、いや私はあなたが思っているようないい人間じゃないんです、本当は人間のクズなんですと言ってしまいそうになるけれども、そういうことを言うってのは相手のことを信頼していないってことだから実は謙虚ではなくて非常に失礼で自分の身を守ろうとしているだけの卑怯な行為なので、やめないといけない。
私は私の傷を癒さないといけない。
時には人の手を借りて。
自分1人だけだと、ずっと自分を責め続けるか逆に傲慢になるかして自分の首を絞めてしまう。
私は幸せになりたいけれどもお前なんか幸せになれないんだよという声と戦わなければいけない。
神様は、私の大切な友達の傷を癒し救うために赤ちゃんを授けてくれた。彼女が女の子を宿したと聞いた時に神様はいると思った。神様は、彼女がその子を愛して育てることにより彼女に幸せになりなさいと言っているのだと思った。
だから、生まれてきてくれてありがとう。
私の友達を救ってくれて、ありがとう。
今から、共通の友達である元婚約者のT君と祝杯(2人ともあんま飲まないけど)あげに行ってきます。