「誕生」 ―1995年から2008年―   後編


ふりかえる暇もなく時は流れて
帰りたい場所が またひとつずつ消えてゆく
すがりたい誰かを失うたびに
誰かを守りたい私になるの


                   「誕生」中島みゆき


 一昨年の夏まで私が居た実家の部屋には、分厚いファイルがあって、そこにはオウム真理教関連の週刊誌等の切り抜きの記事が残されている。あの頃、私は必死でオウム真理教及び様々な宗教関連の書物を漁っていた。でもこの事件で確かに私はショックを受けたけれども当時何を考えていたのか具体的には思い出すことが出来ないのです。

 ただ以前も書いたことがあるのだけれども、私は20代の頃はずっと30歳までに死のうと思っていた。30歳を過ぎてからのことなんて考えられなかった。考えることを拒否していた。長生きなんかしたくなかった。生きていてもいいことなんてないと思っていた。どうしてそこまで未来というものを拒否していたのか具体的な理由はないに等しい。ただ生きているのが嫌だっただけだ。どこに居ても違和感があり居心地が悪かった。世界に拒否されているような気がしていた。自分以外の人間は皆ズルく賢く世の中を上手に渡っているように見えた。どこに行ってもどうして私は上手に生きられないんだろうと思っていた。早く死にたかったけれども自死するほどの理由も力も勇気も無くて早く誰か殺してくれないだろうかとぼんやり思っていた。
 今はどうなんだろう? 私は生きていくために「ちゃんとした人」のフリをすることが上手になった。(と、自分では思う)世の中という船に乗ることが出来ずにその帆の端を必死に掴むかのように。

 だけど実は、世の中という船に乗船してここが私の居場所よとどしんと座り込む気もないのです。私は上手に生きられないけれども、上手に生きていく気も無いのです。上手に生きられないままに生き続けていくことはめんどくさいことだけど、それでも帆の先に足を引っ掛けて身体の半分を海に浸して流されるぐらいがちょうどいい。どこの世界にも所属はしたくはないし、今まで黒だと思っていたものを白だと思うように努力する気もない。白だと言いなさいと強要されたら白ですねと心にもない嘘をつくことぐらいはわけもないけれど。


 阪神・淡路大震災を目の当たりにしても、私は「命の尊さ」とか「生きていることの素晴らしさ」なんて全く感じちゃいなかった。人がたくさん死んだのだぁと本当にひとごとに感じただけだ。ただ、自分が死ぬ時は、災害などでたくさんの人と死ぬよりも、1人で死ねたらいいとぼんやり思っていた。
 

 実はですね、この「後編」を土曜の夜に書いてたのですが昔のことを思い出しながら書いてるうちに、なんかすげぇ嫌な文章になってましたの。「うらみ〜ま〜す〜」(By中島みゆき)22歳上の最初の男と、13歳上の2番目の男への恨み節文章に。私は彼らを、もの凄く憎んで呪って疲れてしまった。憎むのと呪うのって何が嫌かっちゅうと、自分が磨耗するし何もええことがない。だけど憎みながらも最初の22歳上の男に関しては私がそこまで駄目にしてしまったという罪悪感がある・・・と、書いてる真っ最中に、この男から久々に連絡が来てビックリ・・・


 ああ、もう。神様は見ている。嫌だなぁと思いつつ書き連ねていた私の目を覚ましてくださいましたよ。
 と、いうわけで、その時途中まで書いてた文章は消しました。読み返すのも嫌だったし。罪悪感など捨てなさいってことか。私はこのクズみたいな男を憎むあまり、自分がこの男と関わった20代を激しく憎み悔い続けた。でもやっぱり神様は見ている。だから私は土曜の夜に書いていた文章を消した。中島みゆきの歌詞のように「憎むことでいつまでもあいつに縛られないで」と、誰よりも言いたいのは自分自身に対してだ。

 
 私は幸せになりたいんです。
 死のうと思っていた30歳をとうに過ぎて、長生きしたいとは思わないけれども今死ぬのは嫌だ。死ぬこと自体が怖いというより、命が絶えるその瞬間に後悔するのが怖い。もっと生きていたいと後悔することが何よりも怖い。だからまだ死ねないんです。
 私の最初の男と、2番目の男は死にたがっているけど死ねない人だった。だから、なのだろうか、「誕生日おめでとう」と言うと嫌な顔をされた。死に近づくことの何がめでたいんだよとか、そういう記念日とかは嫌いだからと言われた。この2人だけでなく永く付き合った恋人も記念日というものを何故か嫌がったので(この人は上記の2人と違い明るく健全な人でしたが)、私は恋人と、相手の誕生日も自分の誕生日も祝いあったことがない。

 死にたがっている人と一緒に居ると死にたがる癖がうつってしまう。死にたいけれども死ねない人間は仲間を探しているから。仲間と肩を寄せ合って狭い箱の中で甘やかしあってく姿ほど醜い物はこの世にない。


 誕生日おめでとうと言うと、「めでたくないよ」と拒否されて、本当は私は哀しかった。どんどん孤独になっていった。


 12年前、文章書きを生業とする男に卒業論文を見せて、「君には文章を書く力はないよ」と言われて、私はそれから10年間、何も書けなくなった。書きたい気持ちはあったけれども何も書けなくなった。蒼く錆び付いた鍵をかけられた。鍵は重く耳障りな音をたて、十年間扉は閉められたままだった。孤独な時間が始まった。だけど寂しいとも思わなかった。孤独だったけれども寂しいと思わなかった。寂しいという感情を封印していたから。誰かと一緒に居たいなんて思わなかった。自分は独りで生きていかなばならぬ、だから人と触れ合っちゃいけない、心を閉じて生きろ寂しいなんて思うな人を求めるなと言い聞かせながら生きるしかなかった。
 そして、2年半ほど前にふとしたことで簡単に鍵は開けられて、私は今に至るまでこうやって長々と文章を書き連ねて楽になり、救われた。そして永い間封印していた様々な人間の感情が蘇り、たまにそのことで驚いたり混乱したりする。だけどその驚きや混乱がもたらすものは新鮮な感動や戸惑いだから、それも心地良い。痛みすらも、皮膚に浸透していく冷たい水のように心地良い時がある。
 

 

 麻原彰晃こと松本智津夫被告の裁判の法廷で滝本太郎弁護士がこう言ったそうです。



>30秒、被告人と裁判所にお伝えしたい。(中略)
あなたが生まれたことを恨んではいません。あなたのしたことを恨んでいます。中島みゆきの「誕生」という歌をいつかどこかで聞いてください。以上です。

 (全文→http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/shiryou24-.htm

 「誕生」の歌詞全文→http://www.miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba257.shtml



 幸せになりたい幸せになりたいと私はしょっちゅう言っているんですけど、本当は、今、相当幸せなんです。堕ちてもがいてもがいて世の中という船に足を引っ掛けてしょっちゅう疲れてもう何もかも捨てて諦めてしまいたいと思うけど、実は幸せなんです。生きてて良かったと思うから。あの時死んでしまわなくて良かったと思うから。これからも生きていきたいと思うから。私は鍵が開いて様々な人間の感情が蘇ってそれまで封印してきた「寂しい」とか「哀しい」とか「切ない」とかをやっと肌で感じるようになれた。独りで生きていかねばと思っていた頃より独りで生きていけないと知った今の方がもしかしたら寂しくなったのかもしれない。けれどもそのことが辛くない。寂しくても切なくても自分は幸福だと思う。

 人は死ぬ。もしかしたら私は明日死ぬかもしれない。
 今日、知人が事故にあいました。幸い命に別状は無かったのだけど、意識を失ったと訊いてから無事だという知らせが来るまでの数時間、やっぱり最悪な事態を考えてしまった。その人は明るくていつも人を笑わせる人で、だから尚更無事の知らせが来るまでの数時間が永く怖い時間だった。だけどそれは本当にひとごとじゃなくて、私だって明日死ぬかもしれないし、私の大事な人達だっていつ何があるかわからない。嫌だと言ってもその時は怯える暇もなくいつかきっと訪れる。だからこそ人は幸せにならないといけないと切に思うのです。

 死にたい人へ。
 誰かを愛して下さい。愛されることを望む前に。
 人を殺す前に憎む前に誰かの「誕生」をお祝いして下さい。


 私は、私の大事な人達の「誕生」を祝いたい。おめでとう、と言いたい。生まれてきてくれてありがとうと言わせてください。あなたがこの世に生まれてきてくれて、私もこの世に生まれてきて、だから出会えた。だから「誕生」を祝いたい。おめでとうと言いたい。あなたに出会えて本当に良かったと、私は幸せだと思うから「おめでとう」と言いたい。誕生を祝いたい。出来るなら世界中の人達と共にあなたの誕生を祝いたい。もし、そんなふうに誰かの誕生を心の底から祝うことが出来たなら、死にたいなんて思わなくて済むんじゃないかと思う。
 あなたが生きていることが辛くなったなら私は何度でも言う。生まれてきてくれて、ありがとうと。本当のこと言うと私はまだ世の中わからないことだらけで、愛がどうたらいいながらも確信なんて持てないし実はわかっていない。どこまで行っても自分を守ることしかできない人間なんじゃないかとも思うし、その方が上手な生き方のような気もする。だけどこれだけは間違いなく言うことが今ならできる。「愛してる」ということには躊躇いがあっても、この言葉なら自信を持っていうことができる。

「生まれてきてくれて、ありがとう」と。
 本当に、ありがとう。

 13年前には、37歳の自分がこんなに幸せだなんて思いも寄らなかった。死んでいると思っていたから。世の中は、本当に思い通りになんて絶対にならない。良くも、悪くも。


 だからこそ、生きていくのは、おもしろい。
 思い通りにならないからこそ、ままならぬ世の中だからこそ、おもしろい。






 中島みゆきの『夜会』より「誕生」の動画→
http://www.youtube.com/watch?v=M3H0ublqzT4

 あと本文とか関係ないけど、中島みゆき関連で見つけた映像と音楽の奇跡的なめぐり合い、金八先生で「世情」が流れるシーン→http://www.youtube.com/watch?v=8ydmNoilSi0



きゃー!