私の彼氏を紹介します

hankinren2008-01-24




 一目惚れという言葉使うのは陳腐で気恥ずかしいけれども、その出会いを語る言葉を他に私は知らない。

 運命の出会い、縁、どんな言葉を使っても陳腐になってしまう。けれどこの広い世界で出会い縁を結ぶということ、それが恋愛じみたものであればあるほど、三文恋愛小説のように陳腐な物語にしかならないのかもしれない。
 陳腐でもいい。私はその日、思いがけずに出会ってしまったのだ。彼、と。

 彼の姿を一目見た時、私の足は地面に吸い付いたかの如く動けなくなった。彼から目が離せない。けれども私は自分の中に芽生えた自らの意志が及ばざる感情を恐れて彼から逃げようとした。惹かれてはいけない、望んではいけない、そう唱えながら私は必死で目を逸らしてその場を立ち去ろうとした。
 
 私は店内を一周して食料品などを物色していた。その間、さっき初めて出会ったばかりの彼の面影が脳裏に焼き付いて心はここにあらずだった。乳製品、惣菜、冷凍食品、肉類のコーナー、どこを歩いても彼の姿が私から離れない。苦しい、彼のことで胸がいっぱいになり、もう他の食品が目に入らない。ああ、負けだ。私の負けだ。私はあなたに支配されてしまった。
 もう降参しようと決意して、私は生鮮野菜コーナーに引き返した。怖いけれども、私は彼を手に入れないと後悔する。きっと後悔する。逃げてはいけない、己の欲すところに忠実であれ、例え行き先が地獄であろうとも、自分の中の欲望の声を聞け。誰かが私にそう言って背中を押してくれたような気がした。
 私は彼の元に戻ってきた。さっきと変わらずそこに佇む彼の姿があった。私は彼に近づき、恐る恐る値段を見た。100円、だった。彼の傍に十数本詰まれていたごくごく普通の形の彼の仲間達は150円だった。

 どうして彼だけが、50円安いのか。悲しいぐらいの凡庸な形をした彼の仲間達より明らかに彼の方がボリュームがあってお得なのに。
 異形、だからなのか。彼は確かに異形だった。そこは私がいつも行く家の近くの大型スーパーの生鮮野菜売り場だった。その隅に「地元野菜」のコーナーがあり、私はなるべくそこで野菜を買うことにしているので、今まで何十回もそこに来たけれども、彼のような異形者に出会ったのは初めてだった。

 異形だから、安いのか。私はそのことに苛立ちと悲しさを覚えた。本来ならば、彼こそが凡庸な同僚達より誇り高く存在するべきなのに。私はもしかしたら、彼が異形であるからこそ美を感じ惹かれたのかもしれない。美は乱調にあり、諧謔は偽りなり。この世に生を得るということの不条理さや悲しさや刹那さを齎す彼の存在が私の胸に燃えるような刻印を残したのかもしれない。
 「恋」という名の、熱い刻印を。

 私は彼に触れたいと思った。今すぐこの場で抱きしめたいと思った。さっき出会ったばかりなのに、もう彼と一つにならなければいけないという揺ぎ無き衝動に駆られて、人目を気にもせず彼を手にして買物カゴの中に入れた。彼を他の人に奪われたくなかった。迷っている暇などなかった。彼は私の為に存在しているのだもの、そうして私は彼と出会う為にここに来たのだもの、他の人の手になんて触れさせたくない。私はもうどうしようもなくなっていた。彼を手に入れることだけが自分の存在理由のような気すらしていたのだ。私は彼を入れた買物カゴをレジに持っていった。レジを打つ女の子は何も言わなかった。視線をこちらによこすこともなく、私を安堵させた。お金を払い、これで彼が本当に私の物となった喜びと感激でくらくらしながら家へ向かった。

 30年以上生きてきて、何度も恋をしてきたつもりなのに。
 今ならわかる、そんなものは恋のうちに入らなかった。陳腐だと冷笑していた「運命の恋」「真実の愛」なんて言葉が濁流のように血液の中で滾って全身をぐるぐるとまわっていた。彼は口をきくことができないから、私に対する想いを聞くことができない。だけどあの出会いだけで十分だった。あの出会いだけで、彼こそが私のずっと求めていた人だとわかったから。それだけで十分だった。泣きたいぐらい私は満たされた。指の先から足のつま先まで、彼と出会った喜びで満たされて私は震えた。


 皆さんに私の彼氏を紹介します。
 上の画像が、先週の土曜日に近所のスーパーで出会った、私の「彼」です。包茎です。


 彼をどう料理するかは、彼と出会う前から決めていた。半分を粕汁にして、残りの半分は油揚げと一緒に煮ようと。昆布でダシをとり、砂糖を少しと、めんつゆで薄味に仕上げよう。味つけの順番は、「さしすせそ」で砂糖が先。私の実家は農家なので、冬は白菜と大根が毎日のように食卓にあがる。そのせいということでもないだろうけれども、私は大根が好きだ。先週も実は一週間、大根の味噌汁とおでんを毎朝食べていた。ズボラなので毎日作るのがめんどくさいから、今週もそのパターンで行こうと考えていたのだ。土曜日仕事を終えたその足で、私はいつものスーパーに行った。そこで出会ってしまったのだ。彼と。

 私は家に彼を連れて帰った。手と手を取り合って。握り合う手のひらが熱かった。今日の朝、会社に行くまでは殺伐とした光のない空間のだった私の部屋が、まったく違って見えた。出会いというのは、こういうものだと初めて知った。運命の出会いというものは、一人の人間の世界を変えて、背景の色を一新させてしまうほどのパワーがある。自分の人生を変えるのは、自分自身しかいないと思っていたけれども、それは思い上がりだということ学ばせてくれたのは彼の存在だ。カーテンの隙間から差し込む光が、こんなにも暖かく感じるなんて、そんな日がくると思わなかった。

 私は、彼を調理する前に、写真を撮ろうと思った。彼の姿を残しておきたかった。そして誰かに伝えたかったのだ。私という名もなき一介の塵のような人間が手に入れた幸福な出会いを、誰かに伝えたかったのだ。私は彼を鍋の上に置いて、携帯で写真を撮った。
 彼は、こころなしか照れくさそうにはにかんでいるかのように私には見えた。そんな彼が、またいとおしくなった。

 私は数人の友人達に彼の写真をメールに添付して送りつけた。彼を見せたかったのだ、私の大事な「彼」を。明日になれば彼は汁物と煮物になってしまいその姿を消失してしまう。そのことに躊躇いはまったくと言っていいほどなかった。だって、彼はその為に生まれてきたのだもの。そして、私に食われる為に、あそこにいたのだ。あの「地元野菜」コーナーで私を待っていたのだ。神様はいると思った。出会えるべき人に(人じゃないけど)、人は必ず出会うのだ。本当に偶然なんてものはこの世に存在しない。そこにあるのは運命という名の必然、それだけだ。

 写メールを送りつけられた友人の一人は、「さすがあなた下品」と言った。AV調教中の純情少女Nちゃんにいたっては、翌日「チン根食ったか?」とメールをしてきやがった。じゅ、純情少女のハズなのに、、、ちょっと下品、、、、。
 永い付き合いの女友達は、「でかそうですね! でかいの好きなんですか?」と聞いてきたので「好きな人のなら、どんなんでもOKよ!」と正直に答えた。N監督からは「包茎だね!」と返事が来た。私も実は出会った時からそう思っていた。元婚約者のゲイのT君は、サラっと「変な形ですねー」と返してきた。AVライターのくせに「AV見なさそうな顔」とファンに思われているらしきT氏には、「普通の人は、『彼』に出会わないでしょ。エロに取り憑かれた女・・・」と言われた。
 そう、どうして私はあの時、スーパーに行ったのだろう。いつもは食料品が安くなるシールが貼られている18時以降に行くのに。何故かその日は、まだ明るいうちにそこに足を運んだのだ。その理由はわからない。だけど、彼に出会う為に見えざる神の手のようなものに導かれたとしか思えないのだ。


 I監督に彼の写真を添付してメールすると、

「髪型といい形といい(AV)男優大根やね!」

 と、おっしゃったので、私はその時に、初めて彼の職業を知ったのだった。

 彼の職業は、AV男優。 
 やはり出会いは偶然ではなかった。AV好き一般人女の私と、男優の彼との出会いは。

 私はI監督に、普通の大根は150円だったけれども、彼は100円だったのだと伝えた。するとI監督からのメールにはこう書かれていた。

 「安いなぁ。汁男大根やなぁ。」

 と。

 (汁男優を知らない方はこちらをどうぞ。http://www.weblio.jp/content/%E6%B1%81%E7%94%B7%E5%84%AA


 彼は名も無き汁男優だったのだ。
 発射してナンボの、名も無き汁男優。
 私は、彼を使った「汁」を作る為に、鍋に水と昆布を入れ、一夜置いた。汁男優は汁にして食べる。それこそが1番、彼に相応しい、彼の望む道なのだろう。



 そして翌日、彼の手と足とチ○コは粕汁になり、頭の部分は油揚げと一緒に煮た。人はこれを猟奇的な愛だと言うだろうか。昔、男と寝てる時になぜか大島渚の「愛のコリーダ」の話になり、私が阿部定の気持ちがわかる、好きな男のそれほど愛しいものはないと笑いながら言うと、男は「怖いよ」と、布団の中で少し身を引いた。好きな男の身体はどこもかしこもいとおしく嫌なとこなんて一つもありゃしない。すべてに口をつけていとおしみたいと思う。食べちゃいたい。好きな男の身体と食べたいという欲望はごくごくまっとうな性的欲求に思える。唇も、指も、アレも、どこもかしこも食べちゃいたい。
 だから私が彼を食べることは、正常な行為だ。もともと食べる為に買いに行ったんだもの。彼の髪の毛(葉の部分)も捨てちゃいけない。ちりめんじゃこと一緒にめんつゆで煎りつければ、立派な一品になる。チャーハンの具にしても良し。弁当のおかずにもなる。どこもかしこも、彼の身体はおいしそうな、私のごちそう。例え値段は安くても、名も無き汁男優だったとしても、私にとっては大切な存在だ。

 今思うと、もっと彼と遊んでから調理すればよかったのかもしれない。服を着せたり、落書きをしたり。だけどそれも感傷にしか過ぎないことを私は知っている。
 確かに私は彼と一つになれた。月曜の朝から、毎日彼を食べつづけている。煮物は昨日無くなったけれども、汁はまだ残っている。明日も食べなければいけない。正直飽きてきた。

 だけどこの世にただ一つの真実は、彼と私が出会ったこと。そして一つになれたこと。今、彼は私の血液となり肉となり、そして私自身となっている。うんこになって出とるやないかと言う人もいるだろう。それでも彼の魂は、私の中に生き続けている。

 今、私は身体も心も幸福で満たされている。
 冬は、やっぱり大根が美味しい。おでんにしてもよし、味噌汁にしてもよし、ぶり大根にしても、よし。いや、冬だけじゃない。一年中、大根おろしにして和風パスタにしたり、何だってできる。そういえば、大根のフライというヤツもある。ウスターソースをかけて食べると、大根の甘味が引き立つ。昔、毎日新聞に載っていたメニューだ。

 煮て一晩置くと味がしみこむから、味付けは薄くていい。崩れるように、柔らかくなったあなたを味わいながら、私はまた出会いということの、縁ということの不思議さを想うのだ。

 あなたと出会えた、2008年の冬。
 私は忘れない。カラダが凍えそうな季節だからこそ、神様が下さったこの出会いを。今、私は彼と一つになれた。この喜びを信じてこの冬を過ごして春を待とう。
 人は己の半身を求める為に人生という名の旅を続け彷徨い続けているのか。
 
 大切な、大切な、私の「彼氏」を紹介します。
 皆さんも、携帯の待ち受け画面、ブログのプロフィール写真に使用して下さい。チェーンメールにしてもいいと思います。
 この世に、たった一人の異形の美の輝きを放つ、私の「彼氏」を見てください。



 今日、駅に降りると、雪が舞っていた。
 私はまた、彼のことを想った。
 これが恋でないというのなら、なんであろうか。