「誕生」 ―1995年から2008年―    前編

ひとりでも私は生きられるけど でも誰かとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど 些細な寂しさでつまずくものよ

                      「誕生」中島みゆき




 最初は、震災のことについてだけ書こうと思っていましたが、いろいろ考えているうちにそれだけでは留まりそうにないし、長くなりそうなので、「前編」と致しました。
 昨日、1月17日は、ご承知の通り、大きな地震があった日でした。

 1995年1月17日の午前5時46分52秒に起こり、6,436名の死者を出した震災。ついつい私も「阪神大震災」と言ってしまいがちなんですが、正式には「阪神・淡路大震災」です。阪神地区のみならず、淡路島の被害も大きかったからです。このこと、覚えといてね。ちなみに震源地は淡路島北部です。

 震源地の淡路島には「北淡震災記念公園http://www.nojima-danso.co.jp/という施設があり、そこには地震で現れた野島断層や、断層が横切る民家が保存してあり、また震度7の揺れを体感できる施設などもあります。この辺、枇杷が特産物やから、びわソフトクリームなども売っております。
 また神戸市内には「人と防災未来センターhttp://www.dri.ne.jp/という震災関連の大型施設もあります。
 私はこういった震災関連の施設には仕事で何度も行きました。忘れてる方もいらっしゃるかもしれませんが、私の本業は「バスガイド」という仕事ですので、遠方からの修学旅行生、または近畿圏からでも学習の一貫として、こういう施設に学生さん達を連れていくことがよくあります。
 
 職業的な立場からすると相当な暴言吐きますが、修学旅行で、京都や奈良のお寺なんて行かなくていいと思うよ。ぞろぞろだらだらと流れるように異常に混雑したお寺を連れてあるいて「歴史の勉強」なんてしなくていい。京都や奈良のお寺なんて大人になってから幾らでも行く機会があるだろうし、ある程度の年齢になってみないと味わえないという部分が少なからずある。お寺は観光するところではなく、僧達が学問や修行をする場所であり、人が救いを乞うる場所です。商売っ気たっぷりで高い拝観料を徴収し高慢な対応をする「寺院」に何度不愉快になったことか。そしてその「寺院」に、つまんねぇだの文句をたらたら述べながら退屈そうに異常な混雑の中を歩く「修学旅行生」達の光景の、異様さを1度見て欲しい。その混雑の為に、本当に神社仏閣を乞うて来訪する人が不愉快になることを、仏に仕える人達や「観光都市」を宣伝する人達はどう思っているのだろうか。
 私も片棒担いでいるわけだし、皆が皆そういう学生と寺院ばかりではないから、いちがいに否定しちゃいけないのだろうけどさ。でも、いろいろ思っちゃうのよ。うんざりもするし。

 学校教育の一旦として行くのなら、私は広島の平和記念公園か、それこそ阪神淡路大震災関連の施設に行くべきだと思う。何故なら、大人の方がそういうところに行く機会ってないんじゃないかな。学生以外で敢えて旅行で原爆関係施設、震災関係施設に行く人はあまりないと永年「旅行関係の仕事」をやっている上でそう思う。(公務員の視察旅行とかでそういうとこいくことはあるけど、そんなんホンマ一部の人のことやし)だから、学生ん時にそういう機会を作った方がええと思う。

 これも仕事やからこそですけど、広島の原爆資料館にも何度も行っています。怖くて中に入れなかった子供も居たし、展示物を見ることが出来ず、ずっと俯いていた子も居た。資料館に入った後、ショックで翌日も何も喉を通らなかった子供もいた。(私の知る限り、そういう子は男の子の方が多い)震災関係の映像を大画面で見て、ショックで吐いた子もいた。あと、以前書いてますけどhttp://d.hatena.ne.jp/hankinren/20070123#p1ヒロシマで原爆詩の朗読を聞いて、子供達も先生も(ついでにワシも)皆号泣したこともありました。

 原爆資料館がトラウマになったという話も聞いたことあるんだけど、でも、そういうものを見たり聞いたりして「決してひとごとではない」ことを知る機会って、修学旅行とか課外授業とかの学校教育の場しかないと思うんですよね。大人になったら、そういうことに興味がある人しか、そういった施設行かないと思うんだわ。私やって、この仕事してなかったら絶対に行かないもん、断言するけど。
 


 阪神・淡路大震災から13年。私はあの時、24歳でした。留年して、まだ京都で学生をやってました。あの時、もの凄い揺れで目が覚めたけれども、何が起こったのかさっぱりわからなかった。冷蔵庫の上に置いてたものが落ちてきた。これ言うとよく笑われるんやけど、本気で「怪獣が来た」と思ったんですよ。停電して、テレビはつかないし、窓を開けると外は真っ暗で、ますます何が起こったかわからなかった。
 その日は試験だったので、朝になり学校へ向った。道すがら、電柱が数本倒れていた。学校に着くと試験が中止になったという連絡事項が貼られていた。食堂に行くと食堂の窓が何枚か割れていた。食堂のテレビで、あの映像を見た。黒い煙がうずまく神戸の空の映像を。公衆電話で神戸の知り合いに電話をすれど繋がらず。(後に無事が確認できました)
 実家に電話した。実は私は兵庫県出身なんです。神戸とは全然違う場所やし、全然被害は無かったけれど、妹がその頃神戸の短大に居たんです。妹は寮に居て、そこの寮は無事だったけど、電気もガスも水道も全てストップして、大阪の親戚の家に避難したと聞いた。


 その後に知り合った阪神地区出身の友達には、あの震災で家や友人を失った娘が何人かいる。家が全壊し、狭い団地暮らしが始まり経済的な事情で結婚式を挙げるのを断念した子も知っている。彼女達の周りの人間は誰もが当たり前に経験したことだから悲愴感を漂わさずに(と、私には見える)そのことを話す。自分だけが「可哀想」で「酷い経験」をしたのではなく、自分達の周りの人間が、皆体験したことだから、と。

 震災の数ヶ月後に、所用で神戸を電車で通過した。
 廃墟だ、と、思った。感じたものは「恐怖」という感情のみだった。


 あれから13年。今は、あの「廃墟」の面影は全く無い。よくもここまでと言うぐらい見事に復興した美しい神戸の街がある。傷の面影は無いのだけれども、その街を案内する時に、あの震災の話はどうしても語らないわけにはいかない。ヒロシマの街を、原子力爆弾の話を抜きに語れないように。

 私のお仕事は、体力的にも精神的にも楽な仕事ではないけれど(いやホンマに)、普通のオトナの人達が、滅多に行かないところ、一生行く機会がないであろう場所に行くことが出来たり、すんげぇたくさんの人達と知り合えたり、「知る」こともたくさんあって、自分で言うのもなんやけど、すんげぇ仕事やと思うわけよ、良くも悪くも。
 今、手元に震災関連の資料があるんやけど、こういう内容もこの仕事してなかったら知ることも、知ろうとすることもなかったやろうし。
 ホンマに、しんどい仕事やけど、いろんなことを「知る」ことが出来る。ネットや書物の文字だけで「知る」のではなくて、「体感して知る」ことが出来る。何でも体感しないと「知る」ことにはならないと思ってますけどね。
 話がすぐにそっち方面に行っちゃってなんやけど、セックスやってそうでしょ? 本やネットや映像で「わかった気になる」のは簡単やけど、体験して肌で感じないとわからないことだらけすよ。なにごとも。こういうこと書くと、ホンマに偉そうに聞こえるやろうから(事実、私偉そうにしとるヤツやしね)、私は「わかった気になって大口を叩くヤツ」が大嫌いなんですよ。情報を知識と勘違いしているヤツも。だから外の世界と接することから逃げてネットや書物の情報だけで自分を賢いと思ってるヤツを見ると「必殺バスガイドキック」をお見舞いしたくなるんだよ。しないけど。そこまで親切やないから。この「大嫌い」ってのも近親憎悪なんやけど。自分がそういう傾向が多いにある人間やから。
 とにかく、狭い世界の王様になることを「恥」と思うことだ。狭くキレイな世界の王様になって思い上がるより、広く汚い世間の乞食としての誇りを持つ方がいいってんだよ。


 修学旅行で、震災関係や原爆関係の施設に行った方がいいというのはね、悲惨な出来事があったことを伝えるべきという話だけではなくて、私はこう思うんです。
 「教育」、つまりは大人が子供に、親が子供に、人が人に教えるべきことってのは、「努力すれば何でも手に入る」とか「夢は叶う」とか、「人は皆、平等である」(んなわけねーよ)とか、そういうことではなくて、「世の中は、ままならないものだ」ということ、あと、「人は必ず死ぬ。そして死は選択できない」ということやと思うんです。

 世の中はままならないものだ。そして、人は必ず死ぬ、その死を選択できない(自殺は特殊な例として)ということ、これが、大人が子供に教えるべきことだと思う。ここで言う「大人」とか「子供」というのは、勿論年齢的なことやないよ。
 だから諦めを覚えろというのではなくて、そういうままならない世の中だからこそ、人は必ず死ぬからこそ、何が必要なのかということを自分で探して、そして自分の人生を選択しなければいけないということを、教えるべきやないのかなぁと思う。
 だから、修学旅行でディズニーランドとかUSJとか行くのは、確かに楽しいんやけど、学生だからこそ、楽しいだけの旅行にするべきやない。楽しいだけの旅行なんて、家族でとか、大人になってから幾らでもいけるんやし。

 
 1995年。私は24歳で、本当に「世の中はままならないものだ」ということを知らなかった。それまででも何かが自分の思い通りになったことなどは1度も無くて、いいことなんか何もなかったのだけれども、それでもまだこの頃は、相当に世間知らずのお嬢さんで、本を読んで賢くなった気になってる恥ずかしくも傲慢なアホ全開バリバリ女だった。

 私は、「若い頃に戻りたい」なんて、決して思えないんですよ。自分の10代、20代なんて愚か過ぎて、自分にとって「若さ」=「愚かさ」だから。今年、私は37歳になるんですけど、確かに死に近づいて時間は少なくなるし、体力的なこととか、肉体の老化とかそういうことは多少は怖いんですが、10代、20代の頃を思い出して「あの日に帰りたい」(byゆーみん)とは思わない。ゾっとする。
 私と同世代の女でうんと年下の男を「可愛い〜」とか言って恋愛や性愛の対象にする気持ちもわからない。恋には年齢は関係無いから、うんと年下の男を好きになるのは別にいいけど、その好きの動機が「若くて可愛い」からなら、ひく。そういう「上から目線」で性愛や恋愛の対象を選択する同世代の女は、ちょっと怖い。私も何年後かにはそーいうこと言い出すかもしんないけどさ。対等な立場、あるいは尊敬する立場の男が、たまたま年下やったってパターンはいいけど、たまに年下彼氏の「若さ故のバカ&無知エピソード」を、可愛いでしょぉ〜みたいに語る女がいて、対応に困ります。「若い彼氏羨ましいぃ〜ん」って言えば喜んでもらえるのかしら。


 それはともかく、13年前。
 大きな地震があって、たくさんの人が死んで、「廃墟」を目の当たりにした私と同い年で、同じく兵庫県出身の藤原紀香姐さんが、あの震災がきっかけで、「人生は一度きりしかない。いつ死ぬかわからないから、やり残したことを後悔するのは嫌だ」と激しい衝動に駆られて東京に行ったという話や、漫才コンビ・ハイヒールのリンゴ姐さんが、「独りで死ぬことがもの凄く怖くなった。とにかく結婚して、誰かと生きねば」と思い、伴侶を探したという話とかを知ると、あの震災は、ただの自然災害ではなかったのだと思う。身近な誰かを失くした人達だけではなく、たくさんの名も無き人達の心をも動かした事件だったんだろう。


 私自身は、そこまで自分の中で何かが変わったという意識は当時は無かったのだけれども、心の奥底で微々たる何かが芽生えたり、壊れたのだと今は思う。

 そして、同じ年に地下鉄サリン事件が起こりました。震災よりオウム真理教事件の方がショックやった。それこそひとごとではないと思ったから。被害者ではなく、加害者の側の人間達に対して、そう思った。「教祖」に支配された、生活者としてのリアリティの無い似非インテリ「信者」の起こした哀しいほど滑稽な犯罪は私を混乱に陥れた。
 まさにあれは「世の中はままならないものだ」ということを知らない「子供達」が起こした犯罪ではなかったか。

 そして翌年、私は、男を知り、その男の「信者」になり、心に鍵をかけて世の中と自分を呪う永い年月が始まるのです。
 「恋愛」してるはずなのに、もの凄い孤独だった。発狂しそうなぐらい孤独だった。って言っても、実は当時のことを具体的にはあんまり覚えてないんやけどね。忘れてしまったことが多い。
 ただ、何であんなに孤独だったんやろうと思う。その当時は「恋」をして、人を愛したつもりになっていたのに、もの凄く孤独だった。孤独地獄だった。


 あと、もう一つ、この頃にショックを受けたことがありました。昔から大好きで尊敬していたある人(女性)が、職業上の苦悩からか、某カルト信者(オウムにあらず)になり、明らかに言動がおかしくなってしまったこと。
 ただ、言ってることがおかしくて、とてもついていけないんだけれど、明らかに彼女はそこで救われたのです。彼女自身は救われて楽になったのだけれども、どんなに話をしてもわかりあえない遠い人となってしまった。

 13年。
 今思えば、あの頃から凄い勢いで回転し始めた。私という人間を取り巻く状況が。大きな波に呑まれていたような気でいたけれども、そこには間違いなく自分自身の「意志」が働いていたのだろうなぁ。


 どうしても震災のことを考えると、それからの今に至るまでの年月のことを思わずにはいられない。まーその間の私の「痛い話」「不幸自慢」(って、解釈する人もいるから敢えてそういう言葉を使うけど)は、今まで何度もぐだぐだ書いたからもう書かないけど、じゃあ今はどうなんだって話でさ。

 とにかく、そういう大きな地震があって、たくさん人が死んで家を失ったんやけど、私が神戸を案内する学生さん達は皆、その出来事をリアルタイムで知らないことに、13年という年月を感じるのです。どこまであの大きな出来事を、この子達はわかってくれるのだろうかなぁと、ぼんやり思いながら、廃墟の面影の無い綺麗な神戸の街を案内します。
 
 モザイクガーデン
 http://www.kobe-mosaic.co.jp/garden/episode/は、もともと震災の復興を願って作られたものだけど、今、あそこに遊びに来る若い子達も震災を知らない世代なんだよなぁ。モザイクガーデンには、震災の復興を願ったオリックス・ブルーウェーブ仰木監督イチロー選手のモニュメントもあるのだけれども、このこともどれぐらいの人が知っているんだろう。その仰木監督も、今は、この世にいない。
 

 と、いうわけで、だらだらと、収拾つかぬまま続くわけです。
 なんで中島みゆきの「誕生」を引用したのかは、次回へ。


 今、推敲しながらふと気付きました。
 淡路島は、オノコロ島だという説があるんですね。古事記に登場するイザナギイザナミの二柱が天の沼矛をかき回して、最初に落ちた雫が島となった、それがオノコロ島だと。そしてその後、二柱が本州(秋津島)やら、国を作るのです。このイザナギイザナミが皇室の祖と言われる天照大神アマテラスオオミカミ)の親ということになってます。イザナギは、後にオノコロ島に帰ってそこで御隠れになったとも言われております。
 淡路島がオノコロ島なら、日本という国の中で最初に出来た「国の祖」とも言える場所から、あの大きな地震が発生したというのも、偶然だと言い切ることができないような気がします。


 昨日、京都では雪が降りました。