サヨナラと告げる隙も与えずに

 昨日は、今年入ってから最初に仕事関係者以外の人と接触いたしました。いつもの如く、元婚約者のT君ですけど・・・一緒に買物して、オムライス食って。うちの近くの小さな洋食屋さんなんやけど、どう見ても洋食屋のシェフというより、居酒屋のオヤジという雰囲気のおっちゃんが作る飯は何でも美味い。洋食屋なんやけど、何でもアリで、豚キムチとか餃子とかだし巻き等もメニューにあります。珈琲もあれば酒もある。
  
 秋の忙しい時期にしみじみ感じたんやけど、好きな人と一緒に飯食う時間って大切やわ。
 以前知人(男)が言うてたんやけど、「恋人」と「セックスフレンド」の違いは、セックスした後に飯を食うかどうかの違いだと。セックスする前やなくって、後ね。

 元婚約者のT君はバリバリのゲイなので勿論肉体関係など無いわけですが、何故か気が合って永い付き合いをしている友達なんで、一緒にお買物して、飯食って、何て私って幸せなんだろうって、玉ねぎとマッシュルームがたっぷり入ったケチャップ味のオムライスを食べながらにやにやしておりました。年末に鎌倉行ったって話をしたら、彼が鎌倉は関西だと今まで思ってたことが発覚しましたが・・・関西のどこなんや・・・


 そのT君と以前よく行った京都の喫茶店クンパルシータ」今は、もう開いてないのですが、ネットで検索しても多くの人に惜しまれているようです。その「クンパルシータ」のマダムと、お店の様子の動画がここにあります→http://gourmet.kansai.com/G0000588是非、見て下さい。もしかしたらもう二度とこの空間に足を踏み入れることは出来ないかもしれないけれども、こんな素敵な空間が京都の片隅に存在していたんです。少女時代からタンゴが大好きだったマダムが好きな曲「ラ・クンパルシータ」にちなんで「クンパルシータ」と名づけ、タンゴのレコードをかけて、美味しい珈琲(本当に美味しかった。出てくるまで一時間以上待たされるけど)を提供してくれた喫茶店の扉がもう開かないことを私はまだ自分の中で現実のこととして受けいれることが出来ない。

 そもそもあの空間が果たして現実のものだったのだろうか? 大好きな曲をかける為に、歌にちなんで店名をつけ、美味しい珈琲を出していた喫茶店。どう考えても採算は採れていなかった筈だ。商売っ気なんて全くなくてそこにはマダムの夢だけが存在する御伽噺の空間だった。

 私達が生きる現実はもっと泥に塗れている。理想や夢なんてものはこ悉く生き延びていく過程の中で踏み潰される。そのことでいちいち傷ついては生きていけないし、それでも生き延びていく為には世界と対峙して折り合いをつけたり時には悪人になったり嘘をついたり人を騙したり嫌われたりしながらも戦っていかないといけない。だけど疲れる、生きていくのって、もの凄く疲れる。すんげぇ疲れる。時には生きていくのを放棄して線路で身を横たえてしまいたい衝動に駆られるほど疲れる。長生きなんかしたくないと思うことがしばしばある。今絶対に死にたくはないけれども、どうせ1人で死んでいくのに、疲弊しながら長生きすることに何の意味があるんだろうと思うことがある。


 だからあの空間が必要なのだ。自分の中に巣食う虚無と絶望の深く暗い淵が漂わす芳香に魅入られない為に。

 クンパルシータのこともそうやし、友達と飯行ったりするのもそうやけど、恋愛も実のところ派生する根源は同じところにあるんやないかなぁと思うのです。人を好きになると、生きていこうって思っちゃうもんね。今死んじゃ駄目やとも思うし。それに好きな人から好きとか言われると、やっぱり私は死んじゃいけないと思う。

 相変わらず電車通勤している私は、しょっちゅう「人身事故によるダイヤの乱れ」に遭遇しているのですが、自らの命を絶つということは、どういうことかというと、それは絶対的な孤独に陥った状態なのかな、と思うんです。心のどこかで、「自分は独りじゃない」という小さな灯りが燈っていれば人は死ねないんやないかな、と。


 私が、結婚も出産も自分は出来ないし縁が無いし、動物を飼うこともないし、人と交わることも避けて、家族とも縁遠くして、とにかく堅く強固な孤独の殻を作ってそこに閉じこもってしまおうとしていた時期は、自分は死ぬ準備をしていたのだろうなぁ、と思う。寂しいなんて思わなかった。寂しいという感情を長い間封印してた。ずっと、いつからか私は死ぬ準備をしながら生きていた。今はンなことないですよ。だけどその時期に作った強固な殻は、まだちょっと残っていて、私の「これから」の邪魔をする。


 それにしても「クンパルシータ」の扉も開かなくなって、高瀬川沿いの音楽喫茶「みゅーず」も閉店してチェーンの焼肉屋に代わってしまって、私が20代を過ごした京都が変わっていく。

 それをしみじみと痛感したのは、昨日ネットで八千代館が昨年末に閉館したというニュースを知ったからです→http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007122700023&genre=K1&area=K1C
 「八千代館」は京都新京極近くの路地裏にある成人映画を上映する映画館でした。いかがわしい映画のポスターが張ってあるこの映画館の前には何故か大きなイングリッド・バーグマンハンフリー・ボガートの「カサブランカ」の看板がありました。

 私は20代の数年間を京都新京極にかつてあった映画館で過ごしました。毎日新京極に通ってぶらぶらしてたし、同僚と飯食ったりお茶したりするのもいつも新京極でした。京都市内の映画館はタダで入れるという特権があったんで休みの日は映画館のハシゴしてた。

 八千代館の中に入ったのは1度だけ。それはまだ私がバリバリ処女の大学生の頃に、女友達と飲んだ勢いで1度入っただけかな。入る時に窓口のオジサンが「何かあったら、すぐに出てきて声かけてね」と言ってくれて、恐る恐る中で男女の「まぐわい」を見ていたのですが、途中で何だか居心地が悪くなったり、画面いっぱいに映る男と女の絡みが怖くなって2人して出てきてその後酔い冷ましに鴨川の河原へ行ったことを覚えております。


 その時一緒にそこに入った娘は、小柄で髪の長い幼い雰囲気の女の子で、その後、近くの大学の同級生と関係を持ちました。彼女は処女で相手も童貞で、なかなか挿入までに至らなかったそうなのだけれども、毎晩のように彼の部屋で四苦八苦しながら手探りで挿入に至る道を探していたらしい。
 その2人が挿入に至ったかどうかは知らない。彼女が「童貞と処女」が模索しながら挿入に至る道のりへの経過の詳細をことごとく私に報告するのにうんざりしてしまって私が離れたからだ。私は相手の男も知っていたから尚更生々しかった。相手の男は周りの人間には自分は女性経験は豊富だと武勇伝を語るような男だった。外でしたこともあると言っていた。けれどもそれは全て虚勢だったことが彼女によって明かされた。挿入する時に、女の股をどういう角度で開けばいいのかもわからないような男だったのだ。だけど性欲は充分に溢れていて、彼女が部屋に入った瞬間、彼女に飛び掛っていったそうで、彼女はそれを凄く嬉しそうに私に語る。

 私は彼女から逃げた。滾る男の性欲の話なんて、聞きたくなかったし、それを嬉しそうに語る彼女にも吐き気をもよおした。あの頃、私の周りには、「彼に求められて困っちゃう」と嬉しそうに語る女が多かったような気がする。私は自分からは求めないけど、彼が求めてくるのという女が。

 あれは、何だったのだろうか。今、私の周りにはそんなことを言う女はいない。というか、そーいう女とは交わってないだけかもしれないけど。それにしてもその相手の男は赤っ恥かいてる。散々、周りに自分の性の武勇伝を語っておいて、実は挿入出来ない童貞だって知人にバラされてるわけだから。若かったんだから仕方ないんだろうけど、好きな男にそんな恥をかかす女と縁を切ったことを私は全く後悔してない。つーか、「好き」じゃないだろ、それはって話だ。


 単純に嫉妬もあった。男に求められていることを自慢げに事細かに話す彼女に、男に求められたことのない私は嫉妬してたから。その男が好きだったわけではないけれど(どっちかっていうと嫌いでした)そういう話聞いてたら、男に求められない私は女として駄目だーってやっぱり思っちゃうしね。自意識過剰バリバリの処女時代だから。
 ちなみに今は女として駄目だということ以前に「人として駄目」って自爆しちゃうことの方が問題だったりします。


 そんな話は(長くなりましたが)置いておきまして。
 1度しか中には入ったことはないけれど、しょっちゅう前を行き来していた八千代館の閉館はちょっと衝撃でした。ちなみに私がいつも気になっていた「カサブランカ」の看板は、篠田正浩監督の「瀬戸内少年野球団」の撮影で使われた際に描かれたものだそうです。井筒和幸監督の「パッチギ」の撮影にもここの映画館使われてんのね。今は少なくなった古い映画館だから、よくドラマや映画の撮影にも使われるとは関係者の方から以前聞いたことがあったけど。
 
 私が居た頃にあった京都の映画館はほとんど今は無くなっています。あれから、まだ10年もたってないのに、ほっとんど無くなってる。私が働いてた映画館も勿論無くなっている。映画館だけじゃなく、同僚と朝までバカ話していた24時間営業の喫茶店とか、よく飯行った店とか、新京極界隈の変化はすごい。
 
 そしてあそこで働いていた人達、常連だった人達は、皆、どこへ行ってしまったんだろう。

 八千代館も、無くなるのを知っていたなら、最後にもう一度行きたかった。
 最初にあそこで裸の男と女のカラミを見てから15年以上たって、私は何人かの男と寝たし、部屋に男と女がセックスをしている映像「アダルトビデオ」を何本も所有するようになった。所有して使用しているだけでは飽き足らず、アダルトビデオについてあーだこーだと思うことを書いたりもするようになった。あの時、一緒に八千代館に入った娘は、どうしているだろうか。

 八千代館もみゅーずもクンパルシータも他の映画館も、もう2度とそこに行けなくなるのなら、もっと行っておけばよかったと、その空間を味わって、それが存在するという幸せを味わっておけば良かったと思うけれども、それも全て後のまつりで、どうすることもできない。


 さよならを告げる隙も与えずに、全てのものは消えていく。
 さよならを告げる前に、愛してるという言葉を躊躇っている間に、無くなってしまう。


 場所も、物も、人も。

 サヨナラと告げる隙も与えずに、愛しているという言葉を躊躇っている間に、手のひらに舞い降りた雪のように一瞬に消えてしまう。
 
 残るのはただ、後悔。痛み。無くしてしまったことの悲しみ。愛していると言えなかった自分に対しての自責の念。無くしてしまった後で、何度「サヨナラ」と言ってみてもそれは自己満足にしか過ぎなくて、本当に伝えるべき言葉は「サヨナラ」ではなくて、「愛している」という言葉。ずっとずっと愛しているよ、あなたが存在していたことを忘れない、消えてしまっても、ずっとずっと愛しているよ、存在してくれてありがとう。


 サヨナラと告げる前に、「ありがとう、愛しています」と伝えたい。
 絶望と虚無の闇に咲く花に出会えた幸運を胸に抱き、あなたがいるから私は生きていくのだと、だから、あなたにありがとうと、伝えたい。