ラ・クンパルシータ

 あの店の扉は閉じたままらしい。「しばらく休業します」の貼り紙はもう無いそうだけれども、ずっと扉は閉じたままだと聞く。

 京都四条木屋町近くの風俗街の中の狭い路地に面してその店は在る。店名はマダムの好きなタンゴ「ラ・クンパルシータ」から付けられたと聞いた。

 私がその喫茶店に初めて足を踏み入れたのは、もう何年前になるだろう。まだ実家に戻る前のことだから、少なくとも7、8年前ぐらいにはなるだろうか。元婚約者(偽装結婚だけど)のT君が「すっごく素敵な喫茶店があるから一緒に行きましょう」と誘ってくれたのだ。

 レトロな狭い店内にはタンゴが流れる。マダムが、もしお好きな曲があればかけますよと声をかけてくれる。カウンターの隣にマダム愛蔵のたくさんの古いタンゴのレコードが並べられている。

 創業は昭和21年。その頃から時が止まったままのような喫茶店だった。
 魔法使いのお人形のようなマダムは、客が店に入って少なくとも20分以上しないと注文を聞きにこない。そして注文して珈琲がくるまで、最低でも1時間はかかる。T君は1人で来て2時間以上待たされたことがあるそうだ。
 しかし誰も怒らないのだ。それが許される場所だから。時間の流れが外の世界とは違う空間だから。そしてたっぷり待たされて出てきた珈琲は、極上の香りが漂い心を潤す。

 この珈琲の為なら、この空間の為なら、このマダムの為なら、一時間以上待たされることなんてなんてことない。そういうお客さん達が、俗世間から離れてひと時の甘美な空間に酔う為にここを訪れていたのだ。

 私は実家に居た時に、何かと用事を作って何度も京都には来たけれど、この喫茶店にはほとんど行けなかった。マダム次第でいきなり店が休みになることもあったようだし(開店時間もまちまちだった)、何しろ滞在時間を費やしてしまうので、帰り電車の時間の都合があるから(田舎だから本数少ないんだよ)その空間でゆっくり珈琲を飲むことがほとんど出来なかった。

 田舎を出て京都に戻れたら、あの喫茶店で時間を気にせずに音楽と空間に酔いしれたいとずっと願っていた。あの空間に戻りたかった。独特の時間が流れる京都という街の、高瀬川近くの風俗街の中の喫茶店に。

 そして私は京都に戻り、念願叶って何度か元婚約者のT君とその店に行ったのだった。

 ふとしたことから、その店がある小説に登場することを知ったのは去年のことだ。その小説で、その店を知って通い始めてファンになった人達もいるらしい。その喫茶店が登場する小説集「カフェ小品集(著・嶽本野ばら)」を買って読んだ。その店だけではなく、私も知っている幾つかの喫茶店が舞台の美しい短編集だった。


 私は読み終えたその本をT君にあげた。読み終えた彼は「素敵!!」と、感動の余り興奮していた。新たにもう一冊買ったと言っていた。ただ普通の小説としても充分面白いのだけれども、私達はその中に登場する幾つかの空間を知っているからこそ、更に酔うことができた。


 T君は、あの店でこの本を読みたいと私に告げて、それを実行した。
 彼が1人でその本を読んでいると、マダムが声をかけてきたらしい。マダムは本の存在は誰かに聞いて知ってはいたけれども、読んだことはないのですよとT君に言ったそうだ。
 そして、彼は読んでいた「カフェ小品集」を、マダムにプレゼントした。

 その後、彼から「小説の登場人物にその小説をプレゼントするなんて、素敵!」と、喜びのメールが来た。


 数ヶ月前、T君と待ち合わせして久々にあの店に行った。私はマダムにプレゼントする為に、小さな愛らしい薔薇のブーケを手にしていた。
 ところが店内は電気がついておらず、扉は閉まっていた。私はマダムに手渡す筈だった花束をT君にあげた。


 その後、数日後にT君が1人で訪れた時も、店は閉まっていたという。


 噂によると、マダムの物忘れがひどくなって老人介護施設に入所されたという。かなりの高齢だったのでやむおえないことだろう。


 それから店は閉まったままだという。去年、その近くにあった二階から木屋町沿いの桜の花弁が風に踊らされて高瀬川に落ちて身を委ねるように流れていく悩ましい姿を観ることができた「みゅーず」というクラシック喫茶が閉店してチェーンの焼肉屋に替わってしまった時も、人々は寂しがっていたのに。


 それでもあの喫茶店とマダムだけは、ずっとそのまま時がとまったままで永遠にあの場所に存在するような気がしていたのだ。マダムは、少女のような魔法使いのおばあさんだったから。多分、あの店を愛する人達は皆そう思っていたんじゃないのかな。

 だけどやっぱり「ずっと同じ」なんて物はどこにもなくて、老いたマダムはその店で珈琲を入れることは出来なくなった。今はどうしているんだろうか。あの店にいた時のように、マイペースで幸福そうにしていてくれたら、それでいいのだけれど。願わくば、そこがマダムがタンゴを聴くことが出来る場所であることを祈る。


 マダムとその美しい空間を描いた小説家は先日、新宿歌舞伎町で大麻を所持して逮捕された。


 あの店の扉は閉じたままだ。


 私はあの店にいつか恋人と行きたかったのだ。

 あの空間で、タンゴを聴きながら時間を気にせずに珈琲を待って恋人と会話を楽しみたかった。
 時の止まった異空間で恋人と数時間を過ごしたかった。そこは世界のどこにでも溢れている毒が唯一存在しない空間で、私はそこにいると正直になれた。
 あの店は多分「彼の岸」だったから嘘をつく必要がなくて、だから皆自分が清浄になれるような気がして、その場所に集ったのだ。

 だから、私は恋人と来たかったのだ。「嘘」の無い幸福を味わう為に、好きな人と来たかった。

 けれども、結局1度も「恋人」と呼べる人とその喫茶店に訪れることはなかった。


 時を奏でる「ラ・クンパルシータ」http://members.jcom.home.ne.jp/inoue-uru/uruguay/Cumparsita.htmのレコードの針は止まってしまったのか。
 

 変わらないものなんて、どこにも存在しない。それを思い知った。
 流れる、全ては流れていく。桜の花弁に身を委ねられながら南へと流れゆく高瀬川のように。


 だけどあの喫茶店とマダムを愛した人達は、「ラ・クンパルシータ」を聴く度に思い出すだろう。あの美しき「彼の岸」の空間を。


 私が最後にその店に来た時、T君と昔の映画女優の話をしていると、「マリリン・モンロー」の名にマダムが反応して、少しだけ3人で女優について会話したことが一番のマダムとの思い出だ。


 「恋人」とあの空間を共有したかったと、切に思う。
 生きて出会えて結ばれた幸福をあの場所で味わいたかった。

 「ラ・クンパルシータ」を聴きながら、マダムの珈琲を待ちたかった。

 恋人と。