ええじゃないか

さりとてはおそろしき 年うちわすれて
神のおかげで踊り ええじゃないか
日本のよなおりは ええじゃないか
豊年おどりは おめでたい
日本国へは神が降る 唐人やしきにゃ 石がふる
ええじゃないか ええじゃないか



 幕末、慶応3年に天から伊勢神宮の御札が降ってきまして、それをきっかけに民衆が「ええじゃないか」と歌いながら乱舞するという騒動がございましたの。


陰毛白髪でもええじゃないか〜
貧乏暇無しでもええじゃないか〜
男見る目無くてもええじゃないか・・・・


 陰毛白髪と男見る目が無いのは(実はそんなことは自分自身では思っていないのですけどねん)まだええんですが、貧乏だけは嫌ねぇ・・・ふぅ・・・・友達に、「死ぬまでに海外旅行とか・・行けるかな・・・パスポートとか持つ日が来るかな・・・」と言うと、すごく悲しそうな顔されました。


 そんなわけで、先日お蔭詣りに三重県の伊勢へ行ってまいりました。仕事やないのよん。お客さんとしてロンリーウルフでバスに揺られてええじゃないか。ちなみに「お蔭詣り」とは伊勢神宮への集団参拝のことです。
 

 滋賀県を経由して伊勢に向います。しかしお客さんって、楽やわぁ・・バスに乗ってたら連れて行ってくれるもんなぁ・・喋らなくてええし、時間配分とかせんでええし、文句言われんでええし、寝てても怒られないし・・・当たり前か。金貰うんやなくて払ってる立場なんやから。

 滋賀県三重県の境は「鈴鹿峠」という山越えです。鈴鹿と言えば、サーキット・・・と、皆様は思われるでしょうが、私にとって鈴鹿と言えばこの世で最も美しい小説である坂口安吾様の「桜の森の満開の下」です。桜の満開の鈴鹿を見たいなぁ。今はちゃんとした道があるけれども、昔はそらすんごく険しい峠やったやろうね。山賊が居たんやて。

 鈴鹿峠を越えて三重県の関町に大きなドライブインがございまして、大抵の観光バスはここでトイレ休憩しますの。お土産物も充実しております。いつもなら乗務員室で、おでんとかカレーとか食べるんですが、今日はお客さんなので乗務員室には入れません。当たり前やっちゅうねん。

 そしてそこから高速道路を走り三重県伊勢市伊勢神宮http://www.isejingu.or.jp/へ。伊勢神宮は内宮と外宮がございます。一般的に参拝する機会が多いのは皇室の祖と言われております天照大御神が祀られております内宮です。アマテラスがどうのとか、イザナギがどうのとか、スサノオがどうのとか、そういう古事記関係の話をしだすと私しゃ止まらないので省略。

 古事記って、相当面白いんやけどねぇ。
 「歴史」って物は、時の権力者によって(つまりは権力者に都合良く)作られた「物語」です。南北朝やってさぁ、戦時中は南朝後醍醐天皇の為に戦った楠木正成こそが忠臣で、北朝足利尊氏は悪者にされてたんやから。

 そして「自分達の都合の良い歴史を作る」ということをこの国で最も確信的にやってきたのが藤原氏やないかしら。例えば聖徳太子の祀り上げられ方ですが、聖徳太子を祀り上げることで蘇我氏を悪者にしたのも藤原氏聖徳太子の亡き後にその一族を滅ぼしたのは蘇我氏やもん。そして、蘇我入鹿を暗殺し、クーデターを起こして政権を握ったのは後の天智天皇中大兄皇子と、後の藤原鎌足中臣鎌足


 古事記が出来たのは女帝・元明天皇の時で、(だから皇室の祖であるアマテラスは女性だという説もある)、この元明天皇という天皇が何故皇位についたのか、天智天皇、その弟の天武天皇、天智の娘であり天武の妻である持統天皇、天武と天智という2人の天皇に愛された才女・額田王とか、この辺の話もひんじょーーーに、おもしろいすよ。

 とにもかくにも、大化の改心で中臣鎌足が舞台に登場してからは、平安時代後期までずっと藤原氏の影が常に強く歴史の中に存在しているのです。武士が台頭してくる平安後期までの「歴史」を造ったのは藤原氏やと思っております。ほんで鎌倉時代という脆弱な武家政権を経て、この国の血が本当の意味で入れ替わった室町という時代に至るわけでございます。


 話を戻します。伊勢神宮内宮の門前町を「おかげ横丁http://www.okageyokocho.co.jp/と、申します。歴史はわりかし新しいんやけどね。
 そして伊勢のお土産と言えばこれ、「赤福http://www.akafuku.co.jp/の本店もございます。しかし赤福って、京阪神のキオスクで積まれてて、いつでも手に入るから敢えて伊勢で買おうと思わないんですのよ。でも美味しいすよね。私しゃ、実家に帰る時によく買って帰りますよ。下手な京都・大阪土産より喜ばれるし。
 しかし京阪神では食えないものが、こちらの伊勢本店にあります。夏限定の「赤福氷」です。この日は暑かったんで赤福氷食う人でごった返しておりました。


 お昼は伊勢うどんが出ました。大阪のダシで食らう「うどん」や、讃岐のコシがある「うどん」とは別の食べ物だと思ってください。やわらかくふにゃっとしてるうどんを、黒いタレで食います。


 伊勢神宮内宮を参拝した後は神域・二見ヶ浦へ移動しました。二見ヶ浦と言えば夫婦岩がございます。二つの岩に注連縄が張られておりまして、この縄が結界だとも言われております。(なんかガイド口調みたいな文章になってきたな)ここには天の岩戸もございます。アマテラスが弟のスサノオの行状に怒ってお隠れになった場所ね。そしてその天の岩戸の前で踊ったウズメの像もございました。あ、夫婦岩ここでライブ映像が見られるのね、凄いわん→http://www.eco.pref.mie.jp/avon/shizen/marugoto/meoto/meoto.html


 ふと気付けば、土曜日は吉本笑神社にお参りして、日曜はNちゃんと共に大阪ミナミの法善寺横丁の水掛不動にお参りをして、翌日は伊勢神宮二見興玉神社http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/にお参りしてという、様々な神様巡りをしていたお姉さんでございます。まあいつもそんなんやけどさ。寺とか神社とか見つけるとついつい行っちゃうからしょっちゅう合掌してるような気がします。会社の近くにも某有名神社やお寺があるからよく通るしね。

 ちなみに神社へご参拝する時は、二礼ニ拍一礼です。2回礼して、2回手を打って、最後にもう1度礼をするのです。ありがとうございました、と。

 まず「ありがとうございました」だと思いますよ。「神様私の願いを叶えてくださいっ!!!」って、自分の欲望を押し付ける前に、「ありがとうございました」って。「ありがとうございました」と言うのは謙虚さやしねぇ。
 今日、同業の友達からもの凄く理不尽なクレームをつけられた話を聞いてつくづく思いましたよ。なんだかねぇ、自分は何もしないけれども人にいろいろされて当然だって考えの人がたくさんたくさんいるのねぇ。

 謙虚さが無いってことは、ひたすら醜いですよ。
 謙虚のフリして卑屈になるのもいやらしいけれど。(←これワシが陥り易い部分)
 どっちにしろ傲慢だ。
 「サービス業」やってると、そういうことをつくづく考えさせられますねん。つーても、私は世の中の「仕事」というのは全てサービス業やと思うけど。全ての仕事は「人のため」やから。



 それにしても二見の海は、良かった。夫婦岩の向こうに広がる海の匂いと波の音が心地良くて、来て良かったと思いました。伊勢神宮もそうやけど、こういう神域のような場所にたまに行くと、いかに自分の中にいろんな澱が沈溺して血が穢れているか実感します。普段はその澱にすら気付かないまま無意識に「堕ちて」いってるのだと思う。
 気が付けば、苦しくなっている。ただ、日々を過ごしながら澱が溜まって息苦しくなっている。



 私の中に沈溺している澱の正体は、「嘘」と「憎しみ」。「憎しみ」の方は、どうすることも出来ないけれども、「嘘」に関してはどうしたらそこから逃れることが出来るかそのことはわかっている。そして「憎しみ」は「怒り」を派生している。

 いつも怒りをエネルギーにしてきた。何かをする時、違う場所に行く時のエネルギーはいつも怒りだった。世の中に対する怒り、人に対する怒り、自分に対する怒り、それを糧にしてきた。
 憎しみから派生した「怒り」を力にして、今自分がいる「嘘」の世界を抜け出そう。


 神域で神に幾ら手を合わせようとも心の中に澱は沈溺したままで重く苦しい。
 けれどもその全身にまわった澱の正体を私は知っている。
 
 苦しく重いけれども知っている。
 知らないよりは、知っている方がいい。 
 知らずに苦しむより、知ってて苦しむ方がどれほど楽か。


 怒りを力に私は私の世界を作ろう。
 怒りで自滅するような真似をせずに、怒りと憎しみを飼いならして、私は私の幸福な世界を作ろう。

 澱が毒に変わるまでに。
 毒で死ぬまでに。