333メートルの里程標

 東京という街は現実には存在しない街だと永い間わりと本気で思っていた。テレビや本の中にしか存在しない街だと。今でもふとそんな気がする。

 初めて東京へ行ったのは中学校の修学旅行。それから大学生の時に2度か3度、友達を訪ねて行った。そしてその後、10年以上その地に足を踏み入れることはなかった。

 京都の狭いアパートの一室で、1人の男に狂い支配され箱庭のような閉鎖的な「現実」の中で早く誰か私を殺してくれないだろうかと思いながら永い月日を過ごしていた。お金も無かったけれどもそれ以上に私はここから一生出られない、どこにもいけないのだと、死によって解放されることだけを願い続けていた二十代だったから、テレビや本に出てくる東京なんて街には二度と行くことはないだろうと思っていた。

 私の「現実」は、その狭い空間での1人の男との借金まみれの憎しみ合いながらも執着する未来の無い生活だけだった。
 あの日々を語るのなら「狂っていた」という言葉しか思いつかない。あの頃のことは今はほとんど忘れてしまったと言いたいところだけれども本当は何一つ忘れてなどいない。ただ、思い出すと死にたくなるから封印する癖がついているだけだ。
 私はその癖を人間の生命力の成せる喜ばしき技だと思う。人生を、記憶をリセットしてしまうことなんで出来るわけないもの。結局のところ痛みや苦しみと共に生きていくしかできないのだけど、耐え難い痛みは普段は封印してしまわねばやってられない。


 新潟で、男が永い間少女を監禁していた事件。あれ、何故少女が「逃げなかった」のか、何となくわかるの。「逃げない」のは、「逃げられない」と思い込んでいるから、思い込まされているから。だって逃げられないのだから私の世界はここしかないのだから、その世界に縋るしかないのだもの。


 それでも時は流れて私はたくさんの物を失ってその世界から逃げ出したけれども、今度は大嫌いだった自分の生まれた場所という新たな狭い世界に連れ戻された。何にも無くて、あるのはしがらみと息苦しさだけで、物心ついた時からずっとそこを出たいと願い続けた場所に戻らざるを得なかった。

 その地で働いた私は仕事で2度、東京へ行った。朝から晩まで仕事なので自由に身動きは出来なかったし、自分のいる場所が本当に「東京」だという実感は無かった。
 何しろ東京は現実には存在しない街だったから。


 もしかしたら東京という街は、本当に存在する街かもしれないとちょこっとだけ思い始めたのはパソコンを購入してインターネットを初めてmixiで文章を綴るようになってからだと思う。

 去年の6月、当時地元で派遣社員として働いていた会社の出張で水戸に行った。行きも帰りも東京駅では乗り換え時間が20分ほどしかなかった。
 だけど帰りの新幹線の窓から、ビルの合間に東京タワーが見えた。


 その時に、東京という街は現実に存在するのだと知った。


 その頃、私は両親に内緒で新たな職を決め住居も決め、実家を出る段取りを1人でコソコソとつけていた時だった。それでもずっと不安だった。家を出ることは間違いなく反対されるし反対されても仕方がないことを私はしでかしてきたのだ。家を出る準備をしながらもずっと不安だった。やっぱり私は一生ここを出ることは出来ないんじゃないか、この閉ざされた土地で自死を待つしかないのではないかと心が折れそうになることがしばしばあった。

 だけどあの新幹線の窓から東京タワーを見た時に、東京が現実に存在する街だと気付いた時に、やっぱり私はどうしても何があっても田舎を出るんだ、出なきゃいけないのだとはらわたの底から思ったのだ。あの時私は新幹線のデッキで泣いていた。
 お前は解放されなきゃいけない、自分で自分を解放してやるんだ、行けない場所なんかないんだし、「現実」なんて本当はどこにもなくて、自分自身が創り上げた檻にしか過ぎないんだから。




 私は、自由だ。
 本当は自由なんだ。
 自分を信じなさい。
 




 正直言って、東京が好きかと聞かれると、嫌いではないけれども好きでもない。新しい物がたくさんあって、文化は東京にしかないんじゃないかと思うことがあるけれども、私の興味がある物はそこにはあまり無い。

 そして未だに私は東京へ行くのが怖い。永い間、「現実には存在しない街」だった場所へ行くと、自分が場違いで拒否されているような気がしてビビる。日本中、どこへ1人で行こうとも全く平気なのに、東京を1人で歩くのだけは怖い。
 全部これは夢なんだよ、お前の現実はあの陰鬱な世界しか存在しないんだよと言われるのが怖いからなのかもしれない。やっぱり本当は、東京は存在しない街なんだよ、だからお前はここには来るべきじゃないんだよと言われることが。

 
 東海道新幹線に乗り東京駅で降りるなら東京タワーは車窓から見えるけれども、品川駅で降りると見ることができないのが少し寂しい。


 怖いけれど、ビビるけれど、それでも私はこんなにも今は自由だ。
 縋るべき世界なんてもうどこにも存在しない。


 東京タワーを見る度に、去年の6月、新幹線のデッキで東京が現実に存在するのだと知って泣き続けたあの日のことを思い出す。