異国から来た優しい娘


 以前派遣社員として働いていた会社にJちゃんという25歳の娘がいた。
 Jちゃんは、アジアのある国から来た女の子だ。19歳の時に日本人と結婚して日本に来て、二人の子供を生んだ。夫は、彼女より24歳上だ。
 
 Jちゃんは、日本に来るまで母国の観光地のホテルで働いていた。一つ上の彼氏もいた。ある日、彼女の従姉妹が、「日本人と結婚しないか」という話を持ちかけてきた。

日本は豊かな国だ、日本人と結婚して日本で働けば、たくさんお金を稼げる。家族も、あなた自身も裕福な生活が出来る、と従姉妹は言った。Jちゃんは極端に貧しいわけではないが、7人兄弟の大家族で、自分が日本で働けば家族も楽になると思った。


 そしてJちゃんは、従姉妹が紹介した日本人男性と会った。24歳上のその人は、髪も薄くて小太りだったが、優しいそうな人でJちゃんのことを大変気にいってくれた。Jちゃんは、一度しか会ってないその人と結婚を決めた。母国で結婚式をあげ、日本に来た。付き合っていた一つ上の彼氏は、「僕は君のことを、ずっと好きだから待ってる」と泣いていたそうだ。Jちゃんの夫になった男は、数百万円を、仲介した従姉妹に渡した。


 19歳のJちゃんは、日本に来て結婚生活を始めた。夫の両親の住む家の近くに家を建て、二人で暮らし始めた。結婚当初、夫は泣いていたそうだ。まさか本当にこんな可愛い娘と結婚できるなんて思ってもみなかった、うれしい、大切にする、と。

 すぐに子供が生まれた。また、その2年後にも子供が生まれて親子4人で暮らしている。夫の両親は、とてもJちゃんに優しいという。


 夫が夜、家でJちゃんと過ごしたのは結婚当初の2ヶ月だけだった。彼は毎晩外に飲みにでていった。毎晩毎晩、仕事が終わると飲みにいく。Jちゃんは、日本の自動車免許を持ってないので夫が会社に迎えに来ないといけない。
 夫は17時に自分の仕事を終え、保育園に子供を迎えに行き子供達にご飯を食べさすと、だいたい20時まで残業しているJちゃんを迎えに行く。そしてJちゃんを家まで送ると、自分一人で近所のスナックに飲みにいってしまう。
毎晩、毎晩。


 Jちゃんは、夫に「寂しい」と訴えた。せっかく結婚したのに、毎晩一緒にご飯を食べることもなく自分が仕事を終え家に帰ると、あなたは外に出てしまう。とても寂しい、と。その後、一週間ぐらいは家にいてくれたが、やっぱり夫は、毎晩出ていくようになった。


 他に女性がいるわけでもないらしい。それはそのスナックの常連の人から聞いている。ただ、酒を飲むだけ。毎晩、毎晩。そして夜中Jちゃんと子供達が寝静まったあとで家に帰る。


 Jちゃんの部署は忙しい部署で、彼女は毎日のように朝の7時から、夜の8時まで働いている。でも確かに忙しい部署ではあるんだけど、子供がいる人はたいてい残業せずに帰る。
 いつクビを切られるかわからないボーナスも退職金も無い派遣社員だし、やはり自分の家が一番大切だもの。
 Jちゃんが、あんまり働いているので、よっぽど彼女は母国の家族に送金しているのかと思っていた。ところが違ったのだ。彼女は本国の家族に、ほとんど送金などしていなかったのだ。


 夫の給料もしれている。そこから家のローンも出ていくし、子供達の保育園代も馬鹿にならなし。いつからか知らないけど、夫はJちゃんが稼いだ金で毎晩飲みに行っていたのだ。毎晩の飲み代って馬鹿にならない。Jちゃんは給料の三分の一以上を毎月夫に渡して、それは全て酒代となっていた。


 必死に働いて残業するJちゃん。働きすぎて何度か体調を悪くしたり、胃潰瘍で入院したりもしている。そこまでして働いたお金が、夫の酒代になっていることを知って周りの人間は驚いた。


 なんで、お金を渡すの? 渡さない方がいいよ、金が無ければ飲みにいけないから、家にJちゃんが取り残されることもない。なんで言われるままにお金を渡すの? と、誰もが言った。
 Jちゃんは、「だって、お金くれって、旦那が言うから、、、仕方ないんだよ、、、」と、答えた。


 こんなこともしょっちゅうある。Jちゃんの部署が、月末で忙しくて夜の11時か12時まで残業して欲しいという要請があった。お金が欲しい娘独身の娘は、残業できるが、小さい子供のいる人などは出来る範囲で残業して、帰っていった。
 しかし、Jちゃんは11時まで毎晩残業して、それから帰宅して家事をし翌日は5時に起きる。そして、また体を壊して一週間ほど休むハメになった。派遣社員は時給ナンボなんで、休んだら給料は無しだ。いくら普段残業を必死でやっても、その結果一週間体調崩して休めば人より給料は少ない。


 周りの人間は、その度に言う。ちゃんと残業断りなさい、と。自分自身で時間や体調の管理して、できる範囲で仕事しないと、体壊したら何にもならないじゃないか。みんな、そうやっている。体と自分の生活が何より大切だ。私達は派遣社員で、会社が一生めんどう見てくれるわけではないんだから、自分でちゃんとセーブしないといけないよ、って。

 しかしJちゃんは、それを言うと、「だって、残業してくれって、頼まれたんだもん、、、」と、答える。


 会社に、一人頭のおかしいオバサンがいた。一日中、他人を観察して人の悪口を言っている。その悪口ってのも、かなり妄想と嫉妬が入ってて、ありもしないわけのわからないことばかりなんだ。その人は、夫が他に女がいて自分の子供達にも相手されなくて、とにかく人の不幸やあら捜しが好きで、他人に興味があるらしく休日は人の家を探りに車を走らせているような人だ。
 街が大きな災害に遭遇したときにカメラ持って被害にあった人の家の写真をとりにまわってたような人だ。そんな人だから、もう誰も相手にしない。

 その人がJちゃんに毎日電話をかけてきていた。電話の内容は人の悪口。電話だけじゃなくて毎週土曜日の朝に、Jちゃんの家に来るようになった。朝の8時に、まだ皆が寝ている時間に毎週毎週たずねてくる。そして3時間ほど居座り、人の悪口や噂話を一方的にして帰るという。Jちゃんのお母さんが来ていたとき日本語のわからないお母さん相手に30分ほどしゃべり続けていたそうだ。

 今日は忙しいから、と言っても、「ちょっとだけだから」「お土産持ってきたから」と言って、あがりこんで帰らない。土曜日はJちゃんの夫は仕事でいないことを、そのオバサンも承知なのだ。Jちゃんが、風邪ひいて会社を早退したときも、家におしかけてきて枕元で一人でしゃべり続けていたそうだ。休日は、ゆっくり寝たいのに、嫌だよ気が重いよ、と、Jちゃんは言う。



 その話を聞いて周りは言った。「ちゃんと、言えばいいよ、言うべきだよ、忙しいから、来ないで下さいって。そういう人は、はっきり言わないとわからないし、Jちゃんが、どうぞって鍵開けるから、上がりこむんだよ」と。


 Jちゃんは金曜日になると明日の土曜日が気が重い重いと、暗い顔をしていた。

 そのうち平日の夜にまで、そのオバサンは来るようになった。しかし、ある日Jちゃんの5歳になる子供が言ったらしい。「オバちゃん、まだ帰らないの? オバちゃんが帰らないと、ご飯が食べられないんだよ、ボク、もうお腹減ったよ」と。それから、そのオバサンは、来なくなったし、電話もかかってこなくなった。


 「Jちゃんは、優しい娘だからしょうがないね」と、言う人もいる。優しい娘だから嫌と言えない。夫にお金を渡してしまう、残業も許容範囲を超えて引き受けてしまう、悪口オバサンにも来るなと言えない。
 それを聞く度にイライラする。Jちゃんの愚痴を聞いてもイライラする。確かに、Jちゃんは仕事も真面目ないい娘だ。
 でも、それって、優しさなのか?



 それは優しさだとは思えない。他人に対して甘いだけだ。他人に対して甘いということは、要するに自分に対して甘いということだ。その甘さで夫を駄目にしているし周囲の人間に迷惑をかけて、自分自身さえも辛くしている。全てのものごとが、悪い方向に行っている。それを、優しさなんて言えるかぁ?


 Jちゃんの「優しさ」にイライラするのは、私もそういう傾向があるからだ。いや、もしかしたら今でもそういうところはあるかも知れない。かって男に嫌われたくなくて捨てられたくなくて借金を重ねてまで金を渡し生活が破綻した。それらが発覚し、実家の助けを借りるハメになり田舎に帰ってきたとき、母は、

「あんたは、昔から、優しい娘だったから」

 と、悲しそうに言った。


 罵られるより怒られるより辛い言葉だった。

 本心から親に対して申し訳ないと思った。私は優しい人間なんかでは無い。自分に甘いだけだ。自分が無いから人に見捨てられたくなくて、依存して人を甘やかして、その人も自分も駄目になってしまった。そして、そのことでいろんな人に迷惑をかけて、いろんなものを失ってしまった。優しいなんて言われたくない。自分の甘さが、いろんなことを駄目にした。優しい人だなんて、二度と人に言われたくない。冷たい人間だと言われる方がいい。優しいなんて、もう言われたくない。優しい人間なんかに、なりたくないと、その時強く思った。

 
 
 好きな人に優しくなりたい自分、優しくなりたくない自分がいる。
 自分の為に、人に優しくはしたくない。
 偽者の優しさじゃなくて、本当の優しさを好きな人達に与えたい。


 だから、Jちゃんを見ていると昔の自分を見ているようでイライラしていた。愚痴ばかりで、何も変えようとしないことも。


 Jちゃんは、母国にいたときの彼氏の写真を毎日持ち歩いていた。「結婚したことを後悔している。帰りたいよ」と、毎日のようにその写真を見ながら言ってた。

 ある日彼女の母が倒れた。命に別状は無いらしいけれどもは心配だから一度帰りたい、と夫と姑に頼んだそうだ。二人は、「大丈夫、大丈夫」と、笑っていたそうだ。


 もし、彼女に子供がいなければ離婚して母国に帰れと言えるのだけれども、小さい二人の子供のことを考えたら、周囲は彼女に何も言えなかった。元々彼女は、結婚相手が日本で見つからないから、それでも跡継ぎが欲しいから大金を出して外国人女性と結婚しようとした男の元に「嫁」に入った人だ。
 彼女の夫達が子供を手放す筈がない。


 ただ、はっきりしているのはこれだけだ。Jちゃん自身が、自分の甘さがいろんなことを駄目にしていると気付いて自分から何か変えるべきだ。
 そうしないとこのままじゃ、もっともっと悪くなる。夫は、今50歳。子供達が成人した頃には70歳近い。いつか、もっといろんなこと全てが、Jちゃん一人の肩にかかってくる。



 女の人は、精神状態がモロに肌に出ると思う。Jちゃんの肌は25歳とは思えないほど荒れていた。昔の写真を見ると肌も綺麗で表情も明るく別人のようだ。


 あと、もしJちゃんと夫が、お互い好きで好きで結婚したのなら、また違ったと思う。結婚は好きな人とするものだとは思うけど、「好き」の種類にもいろいろある。
 私の知人で、社会人として認められたいから自分はその相手を好きじゃない自覚はあるけど言い寄ってきたからという理由で結婚した男やら、他に好きな人がいたけど、その人は既婚者だったし別の人に熱心に求婚されたから好きな人をあきらめるつもりで結婚した女やら、いろいろいる。

 始まりは何であれそのうち結婚生活を続ける上で、好きになったらそれはそれで良いと思う。うちの両親なんかも、見合いして一ヶ月で周りに押されて入籍して、それでなんとかやってるし。

 離婚している人、結婚していても実質結婚生活が破綻している人なんてたくさんいる。そういう人達の方が多いんじゃないかと思えるぐらいに。

 でも、もし結果そういうことになっても、自分が好きで好きで結婚を選択したのなら、その後に破綻しても自分自身が決めたことだから、後悔も少ないんじゃないかなぁと思うのだ。まあ、ちょっとは後悔もするだろうけど、好きじゃないけど状況に流されて仕方なく結婚した人よりはマシなんじゃないかな。

 昔の彼氏の写真を、毎日眺めて「結婚するんじゃなかった」とため息をつくJちゃんを見ていて、そんなことを私は考えてしまっていた。



 Jちゃんの子供がチョコレートを食べていると、甘いもの嫌いの夫が、「虫歯になるから、食べさせるな」と言ったそうだ。それを聞いて私は、「子供にチョコレート禁止する前に、オノレが酒やめんかぇ〜っ! チョコレートで、人生破綻した人間は(多分)おらんけど、酒で破綻した人間は、いっぱいおるんじゃ、このボケがぁ〜っ!!・・・・・って、旦那に言うたれよ」と、言ってしまった。


 みんな、笑ってたけど、あん時はマジに言ってたんやってば。