花束

 去年の7月31日、それまで数年派遣で勤めていた田舎の会社を退職した。
 17時に仕事を終わらせると、同じ部署の派遣社員の同僚達が集まってくれて、花束と送別会で皆で撮った写真と手紙をくれた。
 この瞬間が来るのが、私はその一ヶ月以上前から嫌で嫌でたまらなかったのだ。


 いつもいつも私の人生は思う方向にいかない。だから先の事を心配して不安になってもしょうがないと思っている。
 しかし今回は良い意味で、予想外だった。大嫌いな田舎のその会社にこんなに長くいたことも、こんなに楽しく過ごせて、同僚達に恵まれたことも。


 その会社に在籍する前には小さな旅行会社に営業として8ヶ月ほど居た。旅行の仕事ができると意気込んで入社したものの、最悪だった。どう最悪なのか書き出すの長くなるから書かないし、それに会社も最悪だったが、その時は私も相当な駄目社員だったと思う。やる気などなかったし、辞めることばかり考えていたし、毎朝出社するのが嫌でたまらなくて、生まれて初めて生理が数ヶ月止まった。(妊娠検査薬買っちゃったよ)

 今までいろんな仕事をしてきたが、あれほど適合しなかったことはない。仕事にも、会社にも。それでもしばらく居たのは、添乗で外の世界に行けることと、そこを辞めても行き場が無いと思っていたからだ。

 学歴もキャリアも若さも美貌も、人を惹きつけるものなど、人に求められる材料など何も無い自分は、行き場所が無かった。それでも働かねばいけない。働かないと生きていけない。結婚して養われる道なんて、とっくの昔に自分にはありえないと思っていたし。働くのが好きとか嫌いとかじゃない、働くしか道がないのだもの。

 しかし私は何も出来ない。学歴も資格も若さもキャリアも無い。だからどんなに嫌でも、朝起きる度に重い気分になっても、その会社に出社していたのだ。


 田舎は、本当に職が無い。はっきり言って街とは「職が無い」のレベルが違う。ハローワーク行っても、30代女子のフルタイムの仕事の求人は、薬剤師か介護関係か要資格の職しかない。あとは派遣の仕事ばかりだ。

 行き場は無かったけど、私はその旅行会社には耐えられなくなった。じゃあ、どうすればいいか。答えは簡単だ。行き場を自分が作ればいい。

 って、当時はそこまで考えていたわけではない。ただ、その会社に在籍した時にある学校関係の仕事をして、そこで自分が満足できる仕事をして、評価を得た事が一つの励みになっていた。そして、一つ賭けをした。ある国家試験を受けて、それに合格したら、会社を辞めようと。
 30代学歴無しロクなキャリアも美貌も人としての価値も無しの駄目人間。駄目なのは駄目駄目のマイナス人間なんだけど、それでも生きていかねばならないし、それならば何かプラスを自分の身につけるしか道はない。その為に、出来ることを取りあえずやってみようと思ってみたのだ。つーか、ひたすら現状が嫌だったんだよ!
 

 

 そして試験に合格した。そんな難しい試験では無いと言う人もいるだろう。それでも男依存症の駄目駄目人間で流されてダラダラと生きて自分というものが無さ過ぎて、その結果破滅してしまった私にとっては、それは結構大層な出来事で、相当うれしかったのだ。

 そして旅行会社を辞めた。辞める時に、その会社の社長に「この職が無いご時世に、絶対に辞めた事を後悔するぞ」と言われた。最後の月の給料は半分も貰えなかったし、有給も代休も貰えなかった。おまけに辞めた後で、私の名前を使われて営業をされて、結果的に私が悪者になっていたり憤慨することもあった。
 しかし、その会社を辞めて後悔した事は、幸いにただの一度も無い。

 そして、次の職が見つかるまでの短期間のつもりで違う会社で働き始めた。短期間のつもりだったので、二ヶ月ごとに契約を更新する派遣社員の方が都合が良かった。仕事は何でも良かった。給料さえ貰えれば。
 毎度の事ながら、先の事は何にも考えてはいなかったけれども、それでもいつか実家を離れる為にも、お金が必要だったから働くしかなかった。

 そんなつもりで入った会社で、最初は短期契約だったのでいろんな部署を渡り歩いたのだが、妙に居心地がよくなり長期契約に切り替えて、最後に所属した部署に入った。
 私にとって、とても大事な人であるNちゃんともそこで出会った。


 そして、なんだかその部署が、(つーか、派遣女子が)更に居心地が良かった。でも私自身の中でもいろいろ変化があったからこそ、そうなれたんだと思う。
 私は地元で、人と接触したがらなかった。人付き合いは時間と金を食う。私にはそんな「無駄」な時間も金も無いし、出るつもりでいたし、出なければいけないと思っていたから、しがらみを作りたくなかった。
 情の、しがらみを。


 「友達がたくさん欲しい」とか「友達大募集」とかmixiのプロフィールとかで見かける度に、違和感を感じる。
 私には仕事関係などの「知り合い」は多いけれども、「友達」は極めて少ないし、少なくていいと思っている。人間のエネルギーというものは限られているし、そんなたくさんの人と密接な付き合いなど出来ないと思う。

 私が今付き合っている「友達」は、一生付き合っていきたい、その人の悲しみや痛みも出来るだけ受け入れて甘やかさずに許していけて、その人の喜びは自分の喜びにしたいと思える人達だ。そうやって、人と付き合う事は、エネルギーが要る。だから、そんなたくさんの人と「友達」付き合いできるわけがないと思っているのだ。出来る人もいるだろうが、私には無理だ。自分の事にかけるエネルギーもたっぷりと必要なのに。


 そして人と付き合うことは、楽しい事だけじゃない。恋愛だってそうだ。一人の人間と真剣に向き合う事はエネルギーが要る。どうでもいい付き合いなら、何人もの人と付き合うことが出来るだろう。
 恋人も、友達も、当たり前の話だが、自分と同じぐらい、あるいはそれ以上の重さを伴う人生を背負っている人間だ。人と真剣に向き合うという事は、その人の喜び以上に、悲しみや痛みと目を逸らさずに向き合うことでもある。楽しいことだけの付き合い、その場しのぎの寂しさを紛らわすだけの付き合い、自分の為だけに人を利用するような付き合いをして、何が残るというのだろうか。

 だから、人と付き合うことは重いし覚悟がいる。好き好んで重いものを背負いたくない。そう思ってはいても、それでも抗えぬ力が時に働いて、人を求めてしまう。

 そして私は、その部署に来て、なんやかんやといろんな呪縛を解き始めた事もあり、どんどん皆と仲良くなっていったのだ。自分を解放し始めると、だんだんと怖いものが少なくなっていったから、人の好意も素直に受け止められるようになった。昔よりは、少しマシになったという程度の事かもしれないけれども。

 だけど案の定、仲良くなるにつれ会社を辞める日が辛くなった。居心地が良くなるにつれ辛くなった。ずっと、このままここに居た方が、収入も安定しているし、両親も安心するだろう。このままこの土地で、お見合いでもして結婚すれば、誰も痛めつけずに済むだろうと思った。


 退職の日、皆に囲まれて花束と手紙と写真を貰った。皆も言っていたが、全然実感がなくて、翌日には当たり前のように出勤してそうに思えた。
 これで、二度と会えないわけじゃないから、と言われた。それに、私だけじゃない、他の娘だって、いや、会社自体がどうなるかわからない。先は見えない。それでも皆、ギリギリに必死で生きている。誰もが重い何かと寂しさを抱えながら、必死に生きている。先の見えない暗い旅路に、消えぬように明かりを灯しながら、生きている。


 「極楽も地獄も、この世にあるものなのです。」

 高野山に行った時に案内人の人が言っていた言葉だ。
 生きていることは地獄を背負うことだ、間違いなく。
 だからこそ、何かを必死に求めて極楽に手を伸ばすのだ。
 そうしなければいけないのだ。


 地獄を背負いながら暗い旅路を歩かなければいけない、それが生きるということだ。だから、極楽を追い求めることを、幸せを追い求めることを止めてしまうと、本当にそこで何もかもが終わってしまう。


 毎日会社でエロ話をしていた同僚達も、いろんな重い荷物を背負っている事を、私は知っている。いや、本当は私が知る以上の地獄を背負っているのだろうけど。

 だからこそ、笑わなければいけなかったのだ、私達は。


 退職する日は少し泣いてしまったし、どう振舞っていいのかわからなかった。それでも生きている限りは、また会えるのだから、本当はそんな悲しむほどのことではないのだろう。


 情のしがらみを作るのは嫌いだ。
 人を好きになるのは、怖い。
 その考えは、変わらないけれども、それでも彼女達と出会えてよかったと今は思う。

 その想いは、あの花束を貰った日から一年たっても変わらない。