煙が目にしみる

 一人で喫茶店入る時や、新幹線に乗る時は、必ず禁煙席。私は煙草を吸わない。一時期吸っていたこともあるが、どうも合わない。男性客ばかりのバスは、煙草の煙で喉がおかしくなりそうだ。ただでさえ車内は換気が悪く空気が乾燥している。喉をやられたらアウトなので、常に寝る時はマスクをしている。マナーの悪い喫煙者は大嫌いだ。ポイ捨てをするな、禁煙席で煙草を吸うな。友達がポイ捨てしようとしても注意するぞ。しかし最近どこも禁煙禁煙で、喫煙者の友人とお茶しようとすると、入れる店が少なくなっている。煙草を吸わない私はかなり煙草の匂いに敏感だ。禁煙のバスツアーで、こっそりうしろの方の席で煙草を吸うお客さんが居たら、すぐにわかる。


 「煙草吸う人とは結婚したくない」「彼氏に煙草をやめさせたい、健康に悪いから」そういうことを言う女の人は結構多い。実際にやめさせるのに成功してる例もある。煙草は健康に悪い。本人にも、周りの人にも害を及ぼす。私も煙草は嫌いだ、健康に悪いのも重々承知。

でも、「煙草やめて」とは言えない。何故なら私は、自分の好きな男が煙草を吸っているのを見るのが好きだから。煙を吐き出す時の表情が好き。息の音が好き。煙草を持つ手と、吸う口元にどうしても目がいく。私は基本的に男の体そのものにはあまり欲情しない、関心も少ない。でも、好きな男が煙草を吸う時の、手の指、口元には欲情する。指を舐めたくなる。どんな味が知りたい。ヘビースモーカーの男の口や指は、どんなに洗っても煙草の匂いがしみついている。香水と同じで、元々のその人の体臭と混じり、その人の味になる。煙草を吸わない私は、煙草の味と匂いには敏感だ。だから、その男の口と指を味わうと、その男独特の味と匂いがよくわかる。好きな男の口と指の味は、美味しくて、よりいっそうその男がいとおしくなる。お互い惹かれあっていて、でもまだ肉体関係を持たない、持つきっかけを探しているという距離間のある相手なら、なお、その指を舐めて味わいたい。だから、「煙草をやめて」なんて、言えない。



 ある時、修学旅行の添乗で、新幹線に乗った。JRの学生団体の割引というのは、なかなか割引率が高く、お得なのであるが、その代わり禁煙車を選択できないのだ。まあ、学生団体を全て禁煙車にもっていったら、一般のお客さんが乗車できなくなるから、バランスをとる為ではあるが。だから小学生でも、やむおえず喫煙車に乗車する場合も多い。

 ある小学校の児童達と共に指定席に乗った時、乗車して5分もたたずに、5人ほどの女子児童が、煙草の煙で気分が悪くて耐えられないと言って、禁煙の自由席に移った。確かに、その車両は喫煙車だったので、煙草を吸っている人はいたが、座席もそう込み合っておらず、そんな極端に空気が悪かったわけではないと思う。


 煙草は体に悪い、やめた方がいい、それは確かだけども、「石川や 浜の真砂は尽くるとも 世に盗人の種は尽くまじ」という石川五右衛門の句ではないが、煙草がこの世から無くなることは無い。これから禁煙の場所、分煙する職場は増えるだろうけれども、それでも煙草が快楽である限り無くなることはない。たった5分ほど、煙草の匂いのする空間にいただけで、気分が悪くなった女の子達は、禁煙の自由席に移ってからもしばらくは、青い顔をしてぐったりとしていた。きっと家では誰も煙草を吸わないから、免疫がないのであろう。


 でも、、、、弱すぎないか? これから大人になって就職して、全ての職場が禁煙であるとは限らない。もし職場が禁煙だとしても、例えば営業などで他の会社行って、取引相手が、煙草を吸う人だったら? 私のように、バスの中で煙草の煙にまみれる仕事もあるぞ。男の多い職場などでは特にそうだろう。全ての場所が、健康の害である煙草を排除しているわけではないのだ。煙草を必要な人がいる限りは、自分が煙草を吸わなくても、煙草の煙と完全に縁を切ることは難しい。煙草吸わない男と結婚して専業主婦するしかないんじゃないか? で、もし煙草を吸う男を好きになったらどうするのだろう? 煙草を吸う時点で諦めるの? 煙草の匂いのする口とキスして、気分が悪くなるのか? 松田聖子赤いスイートピーの歌詞のように「煙草の匂いのシャツに、そっと寄り添うから」なんて出来ないんじゃないか? だいたい、女でも喫煙者多いけど、そういう人達とは友達になれないのか? ・・・・などと考えてしまった。



 煙草は健康に悪い、本人だけでなく周囲にも害を及ぼす。その通りだ。でもね、必要悪ってのも、この世には確かに存在してるし、どんな人間の中にも「悪」は存在してるの。
 だから人の中であれ、自分の中であれ、存在している「悪」を否定する前に、共存していこうという姿勢は必要だと思うの。


 悪を否定して、「善人」のフリして「偽善者」になるよりは、「悪」と共存して、時にはぶつかったり、戦って負けたり、泣いたりしながら生きていく方が、「人間らしい」生き方だと思う。