大嘘つきの、私。

 人は騙せても自分は騙せない。いや、人を騙したつもりになっていても、実は人はそれほど愚かではないから、嘘は徐々に何かを蝕み自分を追い詰める。自分を騙したつもりになっても、嘘は次第に心を引き裂いて心を苦しめる。だから私は嘘が嫌いで、なるべく嘘をつきたくないと思っているけれども、本当は、私は大嘘つきなのです。


 死にたいと思いながら生きることを止めて、ちゃんと生きていこうと決めてから、私は社会の中で生きるために、恥ずかしくない人間になろうとして、とにかく人より仕事の出来る人間になる為に働こうとか、出きることを増やしてどんな職種でもやっていけるようにと思って、それなりのことをしてきたつもりだった。そして、多分、今の私は、それなりに「ちゃんとした人」だ。事務職できる程度にパソコンも触れるようになったし電話の応対も出きるしバスガイドも添乗員も秘書も販売の仕事も製造の仕事もそれなりにやったし、危険物取扱者とか国内旅行の国家資格も取ったし、体力仕事もわりと平気だし、ハンダ付けだってやるぞ。そうやって、必死に走り続けてきて、何とか「ちゃんとした社会人」のフリが上手くなった。



 私は文章を書き始めてから、すごく楽になった。自分が今までやってきたことは、私にとって「恥」、そして「罪」でしかなかったから、人に話せないことで、罪悪感で押しつぶされそうだった。例えばアダルトビデオを見ることも、性に過剰に興味があることも、自分の性欲により生活を破綻させてしまったことも、それは「恥」であり「罪」でしかなかった。それを文章にして、客観的になることにより初めて見えてきたこともあって、それで過去からの呪縛が全てとは言えなくても大分解けてきて、私は自分を少しずつ許せるようになって、やっと、私は生きていい人間なんだと思えるようになった。



 けれども、それは顔の見えないネットで匿名だからこそ曝せることであって、現実の身近な世界ではあまり言えないことだ。それは、「恥ずかしいこと」だから、言えないのではなく、「めんどくさい」から言わないのだ。同情されるのもめんどくさいし、説教されるのもめんどくさいし、仕事関係者の好奇のネタになるのも嫌だ。皆、人の噂話、好きだからね。例えば、うちの社長は、いい人だし、尊敬してるし、好きなんだけど、「サラ金話」とか、「男に貢ぎ話」とか、「性関係の仕事をしている話」とか、知人のそういう話が出た時に、そういう人を「アホ」と、断罪するのね。すごく強い人、だからこそここまで女一人で、いっぱしの経営者としてやってこれた人、でも強い人だから、弱い人の気持ちが分からないの。「強い人」達から見たら、男に依存して貢ぐ女も、サラ金で金を借りて返せない人も、性関係の仕事をしている人も、自分には全く理解できない「頭の悪い、弱い人」に過ぎないのだろう。だから、そんな話題が出たら、私は、「そうですねー」と適当に相槌をうっている。

 バスガイドの仕事してて、年配のお客さんなんかで、「いい年して仕事してないで、早く結婚しなさい、親御さんが心配するだろう」って、「善意」の説教を垂れ流す人なんて、腐るほどいる。私が親不孝なのは、私が一番知ってて苦しんでるんだから、ほっといてくれと言いたいけれども、「そうですねー、いい人いたら、結婚したいですねー」と、その場をやり過ごす為に作り笑いをしている。それが、仕事だから。


 
 私の仕事は、嘘をつくことです。 
 時折、そう思います。



 私は、一日中セックスのこと考えてる。テレビを見ないから流行りの歌手や芸能人やドラマとかは全然知らないけれども、AVは見てる。だけど、そんなことは、言えない。
 思ったことを口に出すと、お前はおかしいよと言われたことはたくさんあるし、そんなことしかお前は考えてないんだなぁと卑下したような言われ方をされたり、説教モードに入られたり。そんなことでいちいち傷ついていたら、やってられないので、私は、「ちゃんとした私」を演じる術を身につけた。「ちゃんとした自分」を演じることは、誰だって、やっていることだから。



 私は、こうやって文章を書くことによって、やっと自分を肯定できるようになって、許せるようになって、楽になった。ネットで文章を書く時だけは、「嘘」をつかなくていいからだ。「ちゃんとした私」を演じなくていいからだ。レズっ気があって、セックスのことばっかり考えてて、オナニーばっかりしてて、男に依存して借金した「駄目な私」を曝け出すことができる。



 ただ、そうやって、嘘をつかなくていい場所で、開放されて自由になったことにより、普段の「ちゃんとした私」を演じていることが、「嘘」に思えて、段々苦しくなってきたのだ。



 だから、私は、自己表現を仕事にしている人が羨ましい。勿論、自己表現の看板を出してはいるけれども、嘘の自分を演じ続ける人も知っているけどね。(ま、そんな嘘は、どっか綻びが見えるよ)
 私が今、糧を得る為にしている仕事は、「嘘」をつきながらやっている仕事で(あくまで、私が、です。他の人はそんなこと無いと思います)、私にとっての「嘘」をつかないとやっていけない仕事で、それが、段々苦しくなってきた。バスガイドの仕事は、好きです。でも、「案内」だけじゃなくって、それに付随するいろんなことに悩まされて、そして、それを克服する為には、更なる「嘘の自分」を演じなけりゃいけないことが、苦しい。
 仕事って、そんなもんだよって言ってしまえばそれまでだし、私自身がガードが固すぎて人に心を開けない(それは人を信用していないから)、傷つくのが怖くて鎧で身を固め過ぎて人を遠ざける、いろんな意味で「過剰」な人間だから、勝手に苦しくなっているのも、わかる。


 わかるけれども、苦しい。
 こうやって、文章を書く時だけ、私は嘘をつかずにすむ。
 だから、書かずにはいられない。
 嘘は嫌いだけど、嘘をついて、鎧を作って「ちゃんとした私」を演じて生きています。
 今は、そうするしかできないからです。

 
 私は、たくさん嘘をついて、仕事をします。
 今は、嘘つきでいることしか、できません。
 苦しいけれども、いつか、この苦しみから逃れて、嘘と縁を切ってやると思いながら、やるしかありません。
 多分、今の私の一番の苦しみは、そのことです。
 私は、嘘が嫌いです。
 だけど、嘘をついて、生きています。