優しい恋人

 友人が、「死にたい」と言ってきた。何故死にたいのか聞くと、「将来が不安で、生きていたくない」と言う。



 一日に何度も、死にたいと思うそうだ。でも、自殺する勇気は無いので、どうか楽な方法で事故で死ねないだろうか、と考えているらしい。



 将来の不安、それは誰もあるよ、と簡単には言えない。実際に、そのことが原因で自殺する人間はあとを絶たないのだから。
 私も、フっと気を許すと、絶望が入り込むことはあるよ。ちょっとした心の隙間に、絶望が入り込んで、体も心も犯す。だから、気を許さないように、楽しいものを見つけて、欲望を糧にして、生きるようにしている。ニュースを見ても、絶望したくなるニュースばかりだ。これからどうなるんだろうか、この国は、もっともっと悪くなっていくとしか思えない、と、不安になる。



 そして何よりも彼女を不安にしているのは、本来なら彼女の心の支えになるべき彼女の「恋人」の存在だ。彼女の恋人は、彼女以上に常に何か不安を抱えていて、彼女に甘え、家族にも甘え、そんな弱い自分に苦しんで、周りの人間達を心配させている。そしてその負い目と、嫌われたくない、見捨てられたくないという思いで、彼は彼女に「優しい」し、彼女は彼の「優しいとこ」が好きだという。



 彼も彼女も、こんな苦しい想いをするために出会ったはずじゃないのに。幸せになるために、恋人になったのに。

 そして彼女が彼と別れられないのは、私にはわからない彼女の孤独を埋める為に、彼が必要な人間だからなんだろう。



 彼女が死にたいと言い出してから、彼女のことだけでなく、私は自分の普段封印している意識の中から、今までの自分の恋愛、いや、それは恋愛とは言えないものかも知れないし、恋愛以前のものだったかも知れないいくつかの記憶を引っ張り出してきて、いろいろ考えるうちに、絶望の淵の傍らに佇み、その暗い穴をじっと見ていた。淵に落ちないように、足に力を入れ、ただ、その穴を見つめていた。




 そして、めまいがした。あやうく淵に落ちそうになるところだった。私は、いつも相手に優しくしようとしたし、幸せになって欲しかったから、相手の言う通りにしてきたけど、その結果、一度も相手が幸せになったことなどなかったし、前向きな良い関係など築けたことは、一度も無かった。ただの、一度も。




 優しくされたから、優しくしようとしたつもりだった。好きな人を幸せにするために、優しくしたつもりだった。優しくされたかった。優しくなんてされたくなかった。たくさん嘘をつかれた。嘘をつかれるのは、優しさだと思っていた。わざと騙されていた。冷たさは誠実さだと思った。本当は、冷たくなんてされたくないのに。寂しいなんて、言えなかった。負担に思われたら困るから。会いたいとか、寂しいとか、好きだとか、言うのが怖くなった。嫌がられたら、負担に思われたら、嫌われたら、嫌だから。
 幸せになって欲しかった。幸せになりたかった。だのに、なんで、いつも。でも、慣れた。好きになったことは、後悔していない。好きだと思ったんだもの。好きな人の笑顔を見たかった、けれども今思い出すのは、苦悩した顔ばかりだ。私は傲慢だった。自分のことしか考えてないのに、人を幸せにしようだなんて思っていたのが傲慢だった。傲慢な偽善者だった。自分を愛せない人間が、人をダシにして、自己愛を満たそうとしていたことを、優しさだと思い込んでいた。ごめんなさい、ごめんなさい、許してくれなくてもいいから、謝りたい。いつも、最初は、二人で幸せになろうとするのに、どうして、いつも。




 精神的に自立していない人間が、過剰な欲望と自己愛で、相手を追い詰めて、お互い破綻を来たす。それを、ずっと、何度もやっていて、次第に、いろんなことが怖くなっていた。後に残るのは、ただ、孤独と絶望。そして不安。




 自分のやってきたことを、否定はしないし、してもしょうがないけれども、たった一つ後悔していることは、優しくしようとしたことだ。優しくなろうとしたことだ。自分の為だけに、相手を思うフリをした。それだけは、後悔しているのに、何度も繰り返す。




 相手を、幸せにするということが、私にはとても難しい。好きな人を、幸せにするということが。私と離れることが、この人にとっての幸せなんじゃないかな、と思うと、いつも苦しい。嘘が無い、優しくし合える、幸せになれる関係が、自分にとっては、奇跡のように思える。不幸にさせるために、好きになったんじゃないのに。悲しい思いをするために、好きになったんじゃないのに。自分の中の、いろんな過剰さが、バランスを崩すことも、刃になることも知っている。そして、優しくしたい、幸せにしたいという自分の気持ちが、酷くエゴイスティックで、そのせいで相手を殺すことも知っている。そう思うこと自体、傲慢で、その傲慢さの淵に佇むと、めまいがする。

 

 お前も、俺も、孤独だ。酷く孤独だ。その孤独は、断絶している、もしかしたら、一生人とわかりあえないかもしれない孤独なのかもしれない。お前も、俺も、うまく泣けない。甘えることが下手だ。俺は、それに加えて、人に甘えられることも、上手に出来ない。甘えあえないということは、心を開けないということで、お前が、男に対して、言いたいことを全て我慢して、つくり笑いをしていることも知っている。
 お前の孤独の穴を埋めるあの男の、脆弱な優しさが、俺は憎い。あの男自身さえ気づいていない悪魔が、ほくそ笑むのが見えるようだ。しかし、その脆弱な優しさに縋るしかないお前の孤独を想うと、胸が痛い。泣かない、甘えないお前の孤独と、強がりが、痛い。お前は、一日に百回、死にたいと思うと言った。そこまでの状態のお前に気づくこともない、優しい恋人と、その優しさを憎む。


 でも、俺も、いつになれば、人を幸せに出来る、人を追い詰めない、人を傷つけない、そして何より自分自身がそうなれる強さと本当の優しさを、身につけることが出来るのだろうか、と、自分の記憶の淵に佇みながら、暗い穴を見つめ、考えていた。脆弱な、自己愛に満ちた優しさではない、本当の優しさ。それが出来るまで、きっと、人とお互い前向きに歩める関係は築けないと思う。




 前向きで、お互いの力になれる関係。それは、希望だ。希望がある限りは、絶望の淵に落ちることは無い。だから、それまで、お前はなんとしてでも、生きていて欲しい。病院に行ってまでも、生きていたくないけれども、自分の葬式代ぐらいは、貯金するよ、と言うお前は、もうしばらくは、大丈夫だろうと思う。



 そして、希望の陽は見えなくても、欲望を持て。どんな小さな欲望でもいい。美味いものが食べたいとか、セックスしたいとか、海外旅行に行きたいとか、お金が欲しいとか、とにかく、欲望を、出来るだけたくさん持て。
 そうして、その欲望の為に、短い間でも、生きろ。俺は俺の欲望を糧にする。人を追い詰めて、人を遠のける、時には人も自分も傷つける過剰な欲望を糧にして、俺は、生きる。お前は、お前の欲望を糧に、生きろ。将来が不安なら、とりあえず、俺が会いに行く日までは、生きろ。お前の欲望を糧に。
 それまで俺は、自分の欲望に押しつぶされそうになりながらも、生きる。
 脆弱な優しさに縋ることをやめよう。真実が何なのか、見極める目を持とう。それを受け入れる強さを持とう。心を閉ざした今のお前には、まだそれは難しいかもしれない。お前が泣きたいなら、俺の胸を貸そう。まだ脆弱な優しさしか持たない俺は、お前に何もしてやれないけれども、話を聞いてやることぐらいなら、出来る。



 そのうちに、きっと、何か良い方向に行く出来事はある。確かに、ある。俺は、同じ過ちは二度としたくないと毎日思いながら、痛みを抱えながら生きている。痛みを抱えながら生きることは辛いことも多いけれども、同じ過ちを繰り返し続けるよりはマシだと思うから。今度誰かに恋したら、その人を痛めつけず滅ぼさずに優しくできるようになりたい。


 お前は、今死ぬような人間じゃない。未来は、見えなくても、明日へ、明後日へ、小さな欲望を持って、それを糧に生きろ。欲望だけが、人を救う。俺は俺の欲望を糧に、明日を生きるから。