うたかた
私は貧乏です。
ってよく言うんですが、実は今現在はそんな貧乏じゃないつもりです。普通に働いてるから。サラ金の返済で月末に走り回ったししてないからっ! でも欲しいものが買えるかと言ったら買えません。裕福じゃないもん。フツーの人よりは貧乏かもしれないな、フツーってのがよくわかんないけど。下を見ればまだまだ下はあるし、上を見ればまだまだ上はあるし。
本当の貧乏はね、、、貧乏はね、、、そんななまやさしいもんじゃないの、、、、だからブランド物とか身につけて海外旅行ホイホイ行ってる小奇麗な女とかが「アタシ貧乏ー! 」とか言うと聞くと、背後からアナルにぶっといバイブをいきなり突っ込みたくなるの、、、、貧乏って言うのはね、もっと深刻で悲しいものなの、、、。でもそういう私もホームレスとかはしたことないから本当の貧乏経験者ってワケじゃないか。サラ金に追われた生活はキツかったけどよ。
借金貧乏生活が長かったおかげか自分でもみっともないと思うぐらいお金が好きです。執着してまーす。愛してまーす、お金。この世の大抵のもんはお金で買えるし、金が無いと愛も無くなりますってば。金で人間は狂います。「お金より大事なものがある」とか何を躊躇するでもなくヌかす人を信用してません。だからと言って倹約が好きとか堅実では決して無いです。欲しいもんは、たくさんあるので。
本当に、うんざりするほどお金に弱い。二度と行きたくねーって思う仕事でも、目の前のお金目当てでつい引き受けちゃうしよ。以前働いてた会社ではお金に困ってる人とか思われてたよ。盆やGWとかも必ず仕事さえあれば出勤希望出してるから。でも人にどう思われようとお金が欲しい。お金、大好き。ガツガツしています。お金は好きだけど、こんな怖いものはないと思う。怖いからお金のことを常に考えずにはいられない。
で、わりと長い間借金に追われて結構な貧乏してたのですが、貧乏ながらも欲を満たす生活をしようとすると知恵がつきますね。貧乏だけど、貧乏臭いの嫌だし。(貧乏じゃないクセに貧乏臭い人ってムカつくんですよ)だから今でも私は根本は貧乏人だし、多分これからも貧乏人。しかしなかなか楽しかったりする「貧乏人の知恵」。
洋服はフリマをフル活用してましたねー。下手に新品の安物を買うより当たりがある。私は買ったことないけどブランド物の新品とか結構出てるんですよ。多分その他の出品物見て察するに水商売してる人とかがお客さんに貰ったものとか出してるんじゃないかな。あと、一般の人で別れた男に貰ったものとかさ。フリマは洋服以外にも非売品のいろんな掘り出し物がある。山一證券の皿とか、Jフォン(だったっけ?)のパフィーのイラスト入りマグカップとかまだあるな。
わたくし映画館勤めてたら販促用にっていろんな非売品映画グッズが手に入ってたんで、そのせいか同僚は非売品コレクターが多く皆でフリマ行ってました。 でも最近は、古着やなくてもどんどん安い服が購入できるようになったから、行ってないなぁ。
今は知らないけど以前は京都市のリサイクル事業で中古家電の売買(一万円以下と規定されてる)ってのがあった。ビデオデッキとかはそこで4千円でゲットした。裏ビデオをダビングする目的の二台目のヤツだったけど、、、。今だから言えるけど、タダでPC(古くて計算機能ぐらいしかついてないヤツ)をGETして、それを別の人に5千円で転売するとか、やりました。
食器は京都五条坂で毎年開かれる若宮八幡宮陶器市。毎年八月の一定期間だけですが。これが全国の陶器がアホみたいに安いっ! 300店余りの陶器の露天が出てます。作家の一点ものとかもあるけど、もう本気で陶器が安いすよ。一万円もあればアホ買い出来ますわよ。種類も多いし、これにハマったらヨソでは買えない。
市と言えば、私は着ないから買わないんだけど京都北野天満宮の天神市とかでは昔の着物を五百円とか千円とかで売ってる店もあります。
腕時計と仕事用鞄は、安物じゃないわよ。・・・・別れた男のお古だから・・・・使い易くて捨てられないのよっ!
化粧品やスキンケアも安上がり。変なもの使ってるわけじゃないです。むしろこだわる方です。でも昔、高価な基礎化粧品やら使ってたと時より今の方が肌の調子はいい。そろそろシミが増えてきたからファンデーションつけなアカンかなと思い始めてきたけどさ、、、でも外に出る仕事してるからどんなにUVカットに力入れてもシミとかはもう仕方ないんだよな。シミが嫌なら引きこもるしかないわけで。
しかしうちの家族は肌トラブルが無い家系ではあるんですが、うちの家族で一番お肌が色白ツヤツヤなのは明らかに一番金と手をかけてないであろう弟なのです。妹がよく「アンタなんでそんなに肌キレイやねん」って八つ当たりして怒っているけど。そう思うと、スキンケアって何? って思うなぁ。するけど、スキンケア。せなアカンやろ。しかし弟はなんであんな美肌なんだ。
あ、仕事で温泉地とか行くとよくご当地コスメみたいなんがあるんですよ。そういうのも試すとたまに当たりがありますね。
添乗員してる時は飯は付いてること多かったしSA・PAでも食えたし(主に麺類)、それ以外にもお土産貰ったりしてなんやかんやで食えてたなぁ。ガイドは食事ついてたり無かったりいろいろやけど。泊まり仕事やと、まあええもん食える時もありますわ。
居酒屋でバイトしてる時はまかないは豪華やったし。料理も覚えられたし。バイトや仕事は特典付きに限るね。
安くて美味い店なんかは自分で探すしかないですね。ガイドブックは宣伝が多くてあてにはならんけど参考程度に。私みたいな友達の少ない人付き合い嫌いな人間は行き着けの店が増えません。気に入った店ばっかりつい行っちゃうし。京都でよく行く店は祇園でお座敷で人が少なけりゃ個室入れて2000円〜3500円で飲み食いできちゃう店。その店ばっかり行ってた。
物を買うのも今はネットでオークションとか使えば安いんだろうけど、ネットで物買うのってカード決済とか多いからめんどくさいからあんまりしない。カード持ってない、つーか作れない可能性が大きい。何年か前に作ろうとしたら駄目だった。元多重債務者だからでしょう、サラ金の。いつも現金払い。CMに騙されてサラ金に手を出しちゃいけませんよ。人生に起伏を求める方、退屈な日常にうんざりしている方ならどうぞ。退屈な人生が、見る見るうちに変わりますよ! 悪い方にね!
その頃に娯楽って言えば映画でした。映画館勤めてたから映画タダやったし。休みの日なんか一日3本か4本はしごしてたな。今思うと本当にありがたい。あと京都なんで神社仏閣ね。拝観料の要らないとこでぶうらぶうらしてるだけでも楽しいし。そう思うとタダの娯楽には恵まれてたな。お寺で法話聞けるとことかも多かったし。大学辞めてからも大学に忍び込んでピアノの練習室でピアノ弾いてたり(ほとんど今は弾けませんが)。
京都なんかはぶらつけるとこが多いから、安い飲み屋で飯食ってそのまま八坂神社の境内や鴨川河原(AV『くるみのブログ』にも出てきました)で缶ビール飲んでダベる。下手にバーとか入るより快適。
お菓子食べ放題ジュース飲み放題で映画や音楽のDVDを見ながら横になって帰り際には何か貰える(レトルトカレーやらビデオテープやら貰ったなぁ。何回か行ってポイント溜まると図書券も貰った)とこがありました。 献血です。DVD見て音楽聴きながら血を抜かれてくつろぎのリラックスタイムでした。しょっちゅういけないのがアレでしたが。快適だった、、、。
そういえば旅行の行き先のパンフとかはガイドブック買うのも有りだけど各地の観光協会に頼んだら(ネットでも)無料で送ってくれますよ。大抵は。場所によるけど。今は違うだろうけど以前神奈川県の資料送付頼んだら(仕事で要るからだけど)タマちゃんでしたっけ? なんかアザラシ。忘れたけどさ、動物苦手やから。アレのマウスパッドも付いてきた。愛用してます。
そう貧乏を楽しみつつ、やっぱり金が欲しい。金は大事。金が無いのは辛い。無いなら無いなりにそうやって楽しまなきゃいけないけど、でもお金は必要。欲しい。金が無いのは怖い。世の中は金じゃないという人は金に困ったことがないんでしょう。
だからと言って裕福で物質的に満たされてる人が幸せそうに見えるわけではないんです、私には。テレビや雑誌に出てくるセレブって人達とか何十億とか資産がある人達とか、「金が余ってていいなーわけてくれよ。」とは思うんだけど幸せそうには見えない。なんとなくだけど。
例えば自分が金持ちに嫁いで趣味や美容に時間を費やせてブランドもんとかアホ買いして、ええ家に住んで海外旅行ボンボンいける生活をすることが出来て満たされるかって言うと、満たされないでしょうね。ありえへんから想像もつかんけど。それも悲しいな。ホンマありえへん。金に困らない人生なんて。
貧乏人の僻みかも知れないし、自分とは全く別世界だと思っているからかも知れないけれども、物質的な裕福さを与えられることが当たり前になっているのは本当に自分の欲しいものとかが見えなくなってしまうような気がする。
バブルって言葉は勿論日本語では「泡」なんだけど、泡(ソープランド連想するな)=「うたかた」で、バブルって聞くたびに鴨長明の「方丈記」の冒頭を思いだす。
「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にはあらず よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし」
あと平家物語の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす 奢れるものは久しからず ただ春の世の夢の如し たけき者もつひには滅びぬ ひとえに風の前に塵に同じ」だっけ。思い出し思い出しだから間違ってたらすんません。
明らかに分相応とも言える恵まれ方を享受している人や富や栄誉に塗れていながらも、あんまり幸せそうに見えない人達が空虚なうたかたに見える。お金は欲しい。たくさん欲しい。けれどもそういうところには行きたくないと思うのです。恵まれすぎて、その恵まれているという幸せが見えない人の世界には。
それは京都と言う、権力や富や栄誉の象徴とされるものが全て「うたかた」に過ぎなくて、その残骸ともいえる神社仏閣だらけの無常観漂う街が好きなせいかも知れません。会者定離 形ある物は全て滅びる。残るのは残骸だけ。うたかたの残骸だらけの街、それが京都です。だから京都人はマイペースでガツガツしてないのか。
お金は勿論欲しいけれども。
例えばブランド物や馬鹿高い貴金属をプレゼントされ高級ホテルで高い物をごちそうされるよりも、私が今欲しい贅沢は山奥の一泊三千円ほど温泉の自炊宿で一週間か、十日間か、いや、もっと永く。テレビも無い、お互いの体と会話しか娯楽がない部屋で二人きりで朝から晩まで絡み合うことでしょうか。
日々伸びる男の無精髭で遊びながら体と会話だけしか無い空間で過ごす。体と会話以外はいらない空間、そこで脳みそがとろけるぐらい全てお互いを知り尽くすぐらいの時間を過ごす。それ以上の贅沢があるだろうかと思うのです。
そんな至上の贅沢を味わいたいと一日中考えていることがあります。あなたがここにいれば何にもいらない、と。
究極の贅沢だね。