神の島


 島へ向う汽船のデッキに出ると瀬戸内海の潮の匂いに酔いそうだ。海に佇む朱色の大鳥居が近づく。鳥居の向こうには、なだらかな山並みが空の蒼を従え人を迎える。
 この島の山並みは女の横たわる姿に見えると言われている。そう思ってみると山の稜線がなんだかなまめかしい。


 この島は古来より神の島と言われた。神をいつきまつる島、厳島と。神の島であるから一切の殺生は禁じられている。この島の生き物は全て神の使いだ。


 日本三景の一つと知られる安芸の宮島。安芸の守であった平清盛が信奉していた厳島神社の大鳥居は海の中に聳えている。本土を臨み海の中に凛々しく立つ奇観の神社を庇護するように弥山を中心とした山がなだらかな女の横たわる稜線を描いている。


 私は特定の神仏を信仰してはいない。偉大なる先人達の哲学や思想を畏敬はするが、信仰してはいない。
 しいていうなら最初の男が私の「神」だった。私は彼を妄信していた。周りも自分も見えなくなるほどの絶対的な存在だった。彼が「神」で、彼の言うことは全て正しかった。


 「神様はいる。自分の中に、自分だけの神様が。それ以外には神様はいないんだよ。」
 そう口にした男によって、私はそれまで自分が妄信してきた「神」から離れることができた。永い呪縛が解けた。私を呪縛から解いてくれた男は、未だに思い出すと憂鬱になるようなやり方で私を捨てたけれども、それでも彼が私の前に現れたからこそ私は呪縛が解けたのだ。そのことを考えると彼は私の中の、私だけの神様からの使者だったのかもしれない。彼はきっと役目を終えたから私を捨てて去ったのだ。


 宮島の夜。


 潮の香りに酔いながら厳島神社を眺める。海からの灯りを浴びた鮮やかな朱色の大鳥居が写り、参道に連なる石灯篭の火がぼんやりと光を発し海を彩る。潮の満ち引きの音が音楽のようだ。
 これほどまでに荘厳で幻想的な夜が存在する場所を、私は知らない。

 
 この島には、やはり神がいる。ここはまごうことなき神の島。


 厳島神社の宝物館には国宝の平家納経が収められている。平清盛が納めたものだ。

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り
 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
 奢れるものは久しからず ただ春の夜の夢の如し
 猛き者もつひには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ


 目を閉じれば琵琶法師の語る無常の物語と琵琶の音が聞こえてくる。時代は変われど海は昔と変わらない潮の音を繰り返し奏でている。これからもずっと同じ音楽と無常の物語を奏で続ける。



 神様



 私はこの世に神などいない、誰も私を救うことなどできやしないではないか、どうして私だけ、こんな目に、どうしてこんな生きていてもしょうがない人間を生み出し苦しめるのか、どうして皆のように幸せに生きられないのか、どうして、どうして、私は救われないのかと、ずっと思ってきた。生きていてもしょうがないほどの不良品の人間、しかも女。男に痛めつけられて親や周囲に押さえ込まれて自分の存在を地の底まで堕としてしまって、それでも男がいないと生きていけない女。どうして生まれてきたのだ。ましてや女になど。


 もし神が存在しているならば、それは神ではなく悪魔だろう。苦しいことばかりじゃないか。何かを望めば望むほど苦しくなる。何かを信仰したら救われるかと思い縋れる何かを探してはみたけれども奇跡など起こらないのだ。
 神などいない。いるはずがない、と、ずっと思ってきた。


 けれどもやはりあの男の言ったように


「神様はいる。自分の中に。自分だけの神様が」


 存在すると、今は思う。

 
 神様は私を救わない。ただ、抱くだけだ。その暖かい手で私を抱き頭を撫でる。私は神様に抱かれたい。救われなくてもいい。神様と肌を合わせて溶けあいたい。セックス、したい。神の声が内から聞こえる、我の化身に抱かれよ、と。私の中の神に愛され抱かれたい。もう救われようとは思わない、縋ろうとも思わない、ただその化身と肌を合わすだけでいい。


 もしもあなたが恋人との悲しい別れに身を引き裂かれそうになったとしても、それは神様が次の出会いの為に用意してくれた再生の為の準備に過ぎない。別れは出会いの為にあり、出逢うは別れの始まりで、そうして繰り返し繰り返し潮の満ち干きのように永遠に繰り返される。それを怖がることのなんと馬鹿馬鹿しいことか。逃れることのできない輪廻の車輪の中に生きているのに。


 もしもあなたが立ち直れないぐらいのとても辛い出来事に遭遇したとしても、それはもっともっと強い人間になる為に用意された出来事なのだ。愛する人達を守れるほどの強さを身につける為に神様に与えられた痛みなのだ。


 もしもあなたを容赦なく傷つけて痛めつける人がいたならば、その人は心を強くして人の痛みや傷を理解して本当の意味で優しい人間になれるようにと、神様が使わした使者なのだ。



 この世に生まれて、大事な人に出会い、するべき事を与えられて喜びを得て、人を愛して、人に愛され、そうやって生きていられることは全て神様に愛されているからだ。神に愛されない人間が、この世に生をうけるはずがない。この世に生をうけた人間が神に愛されないはずがない。



 神様は、救ってはくれないけど、抱くための手を伸ばしてはくれている。
 「神などいない」という昔の私は、それに気付こうとせず間違った方角を見ていたのだ。しかしそれもきっと、とことん甘く弱い私を強くさせようと神様が与えてくれた出来事に過ぎないのだろう。


 神様は、いる。だから、私はここに居る。


 潮の音と闇に融ける雅楽は神の声。
 潮と山の匂いは私を抱く神の肌の匂い。
 だから私は私の中の神の声に従おう。
 私だけの神の声に。


 厳島の夜に浮かぶ鳥居を龍の形の船がくぐる。石灯篭の灯りに惑わされ千年の時を越え意識が夢のように遠のく。あの龍の形の船に乗って神の元へ行こう。


 夜の海は何故にこんなに優しく懐かしいのか。
 厳島の夜は、夢のように美しい。