映画を夢見た二人の男


 昔、映画館で働いていた時の話。

 たまに顔を出すA君という人が居た。A君は当時は東京で映像関係の仕事をしていたが、以前、私がそこで働く前だが、彼はバイトとして在籍していたことがあり、その関係で関西に来るとその映画館で働く友人に会いに来ていた。年齢は私より一つ下で、皆と一緒に飲みに行ったこともあるが、個人的に会話らしい会話もたいしてしなかったし、多分もう今は私のことは忘れていると思う。
 A君は大学を中退して演劇などもしていたが、映画の仕事がしたくて、うちの会社の門を叩いた。撮影関係の仕事は無いけど、映画館は人が欲しいと言われて、映画館でアルバイトしていたそうだ。でもやはり映画の仕事をするなら東京行くべきだと思い、上京したと聞いた。



 私の勤めていた映画館は忙しい時には、系列の映画学校からアルバイトを呼んでいた。その中に、Bさんという男性ががいた。Bさんは、大学を卒業した後、一旦就職したが、映画の仕事をしたいと思い、映画の学校に入りなおした、年齢は私より3つ、4つ上だった。Bさんは、人がとても良く、頼むといつでも手伝いに来ていて、また、映画館で働いたら市内の映画館無料パスもあるので、それを目当てに、仕事以外の時も、ちょくちょく来ていた。Bさんは、映画学校を卒業して、そのまま映画館でアルバイトとして働きだした。
 

 さて、Bさんは映画館でアルバイトをして、早く終わった時はたいてい付近の映画館で映画を見ていた。映画を見ない日は、仕事が終わってもなかなか帰らずに、事務所で映画雑誌などを読んでいた。たまに撮影所で、人手が足りない時などは手伝いに行っていた。Bさんは、映画好きな人なので、映画に詳しく、私達の知らないこともよく知っていた。新しいアルバイトの子が入ると、得意げに映画論や映画知識や撮影所の裏話を語り、バイトの子に「すごいんですねー」などと褒められて、とても嬉しそうにしていた。
 Bさんは、「僕は映画の仕事しかしたくないんだ」とよく語っていた。彼は跡取息子で、親に実家に帰ってこいと言われていたが、どうしても映画の仕事をしたいと言って、逆らっていた。しかし映画の仕事とひとくちに言っても、ものすごく抽象的である。Bさんは、専門学校のディレクターコースを専攻していたので、多分映画監督をめざしていたのだと思う。



 Bさんは、何年もそんな感じだった。時給750円の映画館のバイトと、月1度ほどの撮影所の手伝いと、仕事後の映画鑑賞の日々。私は、不思議だった。「Bさんは、映画の仕事にこだわるのなら、映画館で切符切ったり誘導するバイトしてないで、制作会社とかに行けばいいのに、せっかく専門学校まで出てるのに」と思った。それを言うと、同僚の男性が、「Bさんは、就職しないんじゃなくて、出来ないんだろう」と答えた。



 と、いうのも、Bさんは、実に「使えない人」なのである。人はとてもいいのだ。温厚で、優しくて。しかし聞き間違いや勘違いは異様に多いし、買い物頼んでもまともに買えた試しが無いし、物品販売させれば、必ず計算間違いをするし、よく動いてくれるのだけど、いつもいらん動きばかりして、しなくていいことばかりをするので、余計な仕事が出来るのだ。だから重要な仕事はまかせられない。映画が終わったら扉を開けるとか、お客さんの誘導とか、チラシ配りとか、荷物運びとか、その程度の仕事しかさせられないのだ。それでも人間自体はいい人だし、どうせ重要な仕事や金を扱うことは社員の仕事なので、めちゃめちゃ忙しい時でもない限りは支障はそんなに無かった。
 しかし同僚曰く、Bさんがそういう人なのを、皆わかっているから、撮影所も、人手がどうしても足りない時の荷物運び程度の仕事ならさせられるけど、それ以上のことはまかせられない。だから、撮影所に就職は出来ない。他の映像関係の会社にしても、Bさんは、30歳を過ぎているし、ロクに経験も無いし、きついだろう。それに、関西に、映画を制作している会社自体が数が少ない。



 それでも、この同僚は、A君が京都に遊びに来た時に、Bさんに何か仕事は無いだろうかと聞いたらしい。A君は、その頃はフリーでテレビ番組の演出助手などをしながら、Vシネマの手伝いもしていた。A君は、東京に来れば何か映像制作関係の仕事はあるだろうし、何なら自分の手伝いをしてくれてもいいと答えた。同僚とA君が、その話をBさんに伝えた。私達は、当然の如くBさんはその話に乗ると思っていた。実際東京で映像の仕事をしているA君が、世話をしてくれるというのだもの。親の反対を押し切って、一度就職した会社を辞めて専門学校に入りなおしてまで映画の仕事を夢見るBさんが、そんないい話に乗らないわけがないと思っていた。ところが、Bさんは、A君の誘いを断ったのだ。理由は、はっきりしない。しどろもどろに、今は東京には行けない、いつか行きたいけどと断ったそうだ。
 同僚は、「Bさんアホか!30過ぎて、経験も無い人間に、こんないい話はないのに断るなんて、本当は映画の仕事したいなんて口だけで、本気で思ってないんじゃないか? 」と言っていた。私もそう思った。私がBさんの立場なら、夢を叶えるチャンスだと喜んで東京に行っただろう。



 ある日、C子ちゃんという娘が、「就職決まりましたー!」と報告に来た。C子ちゃんも、映画学校のカメラマンコースの生徒で、たまにアルバイトに来てくれていた。C子ちゃんは、「私は背が低いから、カメラマンに向いてないんですよねー重い機材持たないといけないし」と笑っていた。撮影所にカメラマンとして社員採用されたそうだ(勿論初めの何年かは助手だが)。C子ちゃんは、女の子っぽくて可愛い子だったが、ハキハキして、気はきくし、よく動くし、仕事は真面目なので、専門学校時代に、授業の一貫として撮影所の手伝いをしていた頃から、評判が良くて、それで採用されたのだと噂で聞いていた。「女で映画カメラマン目指すって、難しいと思ってたけど、採用されたし、私、35歳までは絶対結婚せずに、頑張ります! 」と嬉しそうだった。


 C子ちゃんが帰ったあと、Bさんは、こう言った。


「結局ね、制作現場って、男の世界じゃないですかー。でも、華が欲しいんですよねー。男ばかりだとおもしろくないしー。泊まりのロケとか多いんですよねー、そういう機会多いから、男ばかりより、夜の宴会でお酒のお酌してくれる若くて可愛い女の娘が一人でも欲しいから、C子ちゃんは採用されたんですよねー。輪姦されたりしちゃったりして!ははははは・・・」



 Bさんが、席を外した時、同僚が言った。

「あれは、完全に僻みだよな、酷いこというよな。」


 Bさんからしたら、自分より5歳下の、今まで「B先輩〜」とか言ってきていた女の後輩が、すんなり映画カメラマンとして社員採用されたことが、我慢できないのだ。認めたくないのだ。自分が必要とされてなくて、お呼びがかからない事実が。だから、C子ちゃんが「若い女だから」採用されたということにしなければ、耐えられなかったのだろう。この不景気に、どこの会社が、ロケ先のコンパニオン業務させる為に、社員を採用して、カメラまでついでに触らせるんだ? そんな馬鹿な。普段の私なら、C子ちゃんに対するBさんの発言にキレてたかも知れないが、この時ばかりは腹は立たなかった。私だけでなく、誰もが、Bさんが、C子ちゃんにずっと片思いしていたことを知っていたから、Bさんが哀れだった。



 映画館が閉鎖されることになった。Bさんは、これからどうするんですか?と聞くと、「東京に行こうかなと考えています。」と言っていた。これ以上、関西にいても、映画の仕事は無いし、年齢も30をとっくに過ぎている。「以前は断ったけど、関西にいても映画の仕事は無いし、A君に頼んで仕事もらって、東京に行くかもしれない」とBさんは言う。映画の仕事以外はしたくないーと言うBさん。
 じゃあ、何故、以前A君から誘われた時には断ったの?



 何故断ったか、それは皆は本当はわかっていた。「自信が無いから」「いざ、映画関係の仕事について、自分が才能が無くて無能なのを認めるのが怖いから」
 映画館で切符切ったりするバイトして、映画をタダでたくさん見て、若いアルバイトに映画論を語り、悦に入ることに何年も費やしたBさん。そういえば、映画の仕事をしたいというアルバイトは他にも何人も見てきたが、自主映画を製作している人が多かった。しかし、Bさんは、ただ、「映画の仕事がしたい」と語り、映画を見て、映画についての知識ばかり増やして、実際に自分で作ったりということをしている様子は全く無かった。


 映画館は閉鎖された。皆、バラバラになった。結局Bさんは、東京には行かなかった。実家にも帰らなかった。Bさんは、別の映画館にアルバイトとして入ったらしい。そこの映画館の支配人は、私の元同僚と親しかった。そこで驚く話を彼女は支配人から聞いた。Bさんは、年齢を5つ若く偽って履歴書を書き、アルバイトをさせてくれと頼みにきたらしい。狭い世界だ。そんな嘘は、すぐにバレる。


 その頃、東京のA君は、制作した短編映画が有名監督やプロデューサーの目にとまり、Vシネマの監督をする機会が与えられた。A君が創ったVシネマは評判も良く、劇場公開映画の監督に抜擢された。その少し毛色の変わった独特の映画も評判が良く、今度は、全く一からA君が原案・脚本を担当した映画が制作され、東京・大阪のミニシアターで公開された。口コミとネットでその映画の評判がさらに広がり、上映期間は長々と延長され、その続編は、全国的に公開され、宣伝されて、ヒットした。有名な映画監督達が絶賛し、A君は、映画雑誌にも度々登場するようになった。映画がちょっとでも好きな人間なら、今や誰でもA君の名前を知っているだろう。



 Bさんは、人のよい、優しい人だった。
 でも、Bさんを見るとイライラした。それは私だけではなかった。
 人間の人生を勝ち組、負け組で分類するのはアホらしいことだ。社会的に成功しているように見えても不幸な人はいるし、その逆もある。勝ち負け、そして幸せ、不幸せは、人が決めることではない。自分が決めることだ。

 でも、私は、雑誌やテレビでA君を見かける度に、私はBさんのような人生は嫌だ、A君のように生きたいと思う。A君の成功は、確かにA君自身に運と才能があったのは間違いない。じゃあBさんは、運と才能が無かったのか? いや、運とか才能以前の問題だ。A君もBさんも映画の仕事を夢見ていた。A君は、夢の為に、前に進みつづけていった。それは容易なことではないと思う。映画の仕事がしたいという人間は星の数ほどいる。「映画監督になりたい」と口に出しても、一笑されるだろう。A君自身が、どこまで自分の才能を信じていたか、それはわからない。ただ、映画を撮りたいという自分の内からこみ上げる欲望を信じて、前に、前に進み、東京に行った。


 それに比べ、Bさんは何もしなかった。「映画の仕事をしたい」と言いながら、ただ映画を見て、映画を語るだけで時間を費やした。確かにBさんは使えない男だけれども、本当に「映画の仕事をしたい」と思うなら、A君に誘われた時に、東京に行けばよかったのだ。しかし彼はそれをしなかった。楽な日々を選んだ。戦うことを放棄した。そして、何も残らなかった。



 私や、他の人間がBさんにイライラするのは、Bさんが、自分自身だからだ。自分の中にある、自信の無さ、自分と向き合うことを避けた弱さ、いや、それは弱さではない。卑怯なだけだ。楽な場所にいて、逃げつづけていたのだ。映画を見て、わかったような気になって、映画について語っていたBさん。そんな彼を見ると、いつもイライラしていた。自分の中にある、自分自身と向き合わず、前に進めない苛立ちを思い出させるから、Bさんにイライラしていたのだ。映画見て語るより、映画の仕事が本当にしたいのなら、東京に行けばいい。前に進めばいい。簡単なことだ。何故しないのか。「才能が無い」ことを認めたくないからだ。夢の世界で生き続ける方がどんなに楽なことか。前に進んで、現実を見たくなかった。情けない。弱い。卑怯だ。 それは、自分自身に投げつけたい言葉だった。



 Bさんのような人生は嫌だ。思うだけで、何もしないで、年だけをとっていくような人生は嫌だ。



 現在もA君の姿は、雑誌などでよく見かける。次々と作りたい映画の構想がある、と映画雑誌で語っていた。
 C子ちゃんは、「35歳までは絶対結婚しない」という言葉の通り、まだ独身で、大きなカメラを担いで男ばかりの制作現場で頑張っているらしい。


 Bさんが、どこで何をしているか、誰も知らない。