鳥辺山心中

 一人来て二人連れたつ極楽の 清水寺の鐘の声 早や初夜も過ぎ四つも告げ 九つ心の闇路をば 照らすやいなや稲妻の 光りし後の暗さこそ我等二人が身の上よ 今はなまなか長へだてを したる憂身に愛想も小想も 尽きた浮世やいざ鳥辺野の露と消えん
                           「鳥辺山心中」


 鳥辺野とは古来からの死者を葬る場所だった今の京都東山の西大谷から清水寺付近にあたる。現在は観光客で賑わう場所で、そんな気配はみじんも見られない。

 昔、この清水寺に至る辺りを夜一緒に歩いた男がいた。映画が好きで落語が好きで自分の青春時代だった1970年代の風俗や音楽が好きでヘビースモーカーだけど酒は飲めなかった私より20歳以上年上の男。
 その界隈は京都で一番私の好きな場所だった。五条坂から三年坂を下り急な石畳の道が続き二年坂へ至る。そこから高台寺円山公園知恩院へと道は続き、右手には幕末の志士達の眠る霊山護国神社の鳥居がある。円山公園には西行の歌った枝垂れ桜が風に吹かれている。


 その男と最初に出会ったのは19歳になったばかりの頃か。それから数年間はただの先輩後輩に過ぎなかったが、面白がられていた。自分とどこか興味の方向性が似ていたからだろう。私は自分の興味がある分野で豊富な知識を持ち知らない世界を知っているその男と話をするのが楽しかった。同世代の大学生の男達と会話するのなんてつまらなかったけれども、その人と一緒にいて話をするのは楽しかった。そして彼も私のことを、変な女とか、おかしなことを言う人女とか、そんなふうに嫌な目で見ないで「おもしろいなぁ」と喜んでくれていた。そうしてよく二人で会ったりはしていたけれども、私には別に好きな人はいたし彼にも婚約者がいた。婚約者も紹介してもらった。「彼が、いつもあなたのことをおもしろい娘がいるって話してます。」と、彼女は初対面の時に私に言った。


 だから、恋愛感情なんて無かった。ただ二人とも好奇心だけだった、ホテルに行ったのは。私はそういう話が好きなくせにキスもしたことなかった。男の人のものを見たこともなかった。そのことに彼は興味を持ったのだ。


 何度かホテルに行くようになって「俺は結婚するから、お互い恋愛感情は持ってはいけない」と言われてはいたけれども、私の方は彼を好きになっていた。そうしてそのうちに彼が結婚してしまうということが辛くなった。彼の婚約者は周囲の人間の公認の存在で、きっと彼らの結婚式には皆が祝福に訪れるだろう。留学経験もある才媛で明るい太陽のような婚約者。私は月ですらなかった。私は存在しない、存在してはいけないのだ。彼のこれからの人生の中で。


 私はずっと人生において男は一人でいいとその頃は思っていた。初めての男と添い遂げるべきだと。何故その当時はその思っていたのかと言われても、そういう価値観だったからとしか答えようがない。そういう価値観で育ってきたのだと。しかし私の初めての男は、他の女と結婚する男なのだ。


 共通の知り合いが「あの二人、今年こそ結婚するんじゃない?」と、ふと私に言った。彼女は私達の関係を知らない。そしてそんな話は聞きたくはなかった。皆に祝福される結婚式の光景が目に浮かぶとたまらなくなかった。彼の人生に私は存在しない。そう思うと、もう耐えられなくなり、その知人に私は泣きながら告白した。知人は「あの二人、遠距離恋愛だし、我慢できなくて身近に手を出しちゃったのかな。」と私の話を聞いて言った。



 そしてその知人は彼を呼び出し責めたそうだ。婚約者が可哀相だ、と。遠くであなたを待っている婚約者がいるのに浮気するなんて酷いと。可哀相可哀相可哀相、浮気された婚約者が可哀相。やはり私は、彼の人生に存在してはいけなかったのだ。


 死んでも誰にも言わないとおまえは約束したのに、と彼は私を責めた。俺は最初から、恋愛感情は持つな、俺は結婚するからと言っていたはずじゃないか、と。


 殺してやりたくなった。彼を責め、ひたすら婚約者に同情する知人も、彼も、存在してはいけない私も。


 そこで関係が終わればよかったのだ。しかしそうはならなかった。私は毎日泣き暮らした。一度泥酔して彼に電話した。留守電に、私が悪かった、許してくれとと泣きながら吹き込んだ。手紙を書いたこともある。そして、その手紙も、留守電に吹き込まれたテープも、多分未だに彼の元にある。私はあれ以来泥酔をせず自分を失うほど酒を飲むこともしなくなった。



 後日彼から電話があり、会った。セックスをした。いや、して頂いたのだ。そうして「俺は、実家に帰るかもしれない。」と言われた。仕事がうまくいかないから、経済的に苦しいからと。彼の実家の近くには、彼の婚約者がいる。「60万円あれば、帰らなくても済むんだけど、なんとかしてくれないか。」と言われた。



 それからは、もうズルズルと。彼は何故か結婚はしなかったし、週の半分以上は私の部屋に来た。金の無心は続いた。私は彼との関係を約束を破り共通の知人に喋ってしまった罪悪感と彼を婚約者のところに行かせたくない一心でサラ金に手を出して金を貸し続けた。サラ金金利は高い。彼はいつも金の無心をする時には、絶対返すからと懇願した。自分で借りればと言ったが、俺は自由業だから借りられないのだと言われた。借用書を書いてくれと頼むと逆ギレされた。私が金を返せというと、お前は俺の知人に関係をバラして俺は仲間を何人か失ってしまった。友情は金で買えない、金を返せというなら友情を返してくれと言われた。(だから、私は友情とか仲間とかいう言葉が好きではない。そんなことで切れるような繋がりは所詮その程度のものだ)お前が泣きながら謝った留守電のテープと、謝罪の手紙をお前の親に送ってもいいんだぞ、と言われた。



 この前、探し物があって昔の手帳を見つけた。日記をつける習慣がないので、手帳に当時の心境をなぐり書きしているのだが、これが今読み返すと暗すぎて笑ってしまった。「ほうっておけない」「金の話ばかりされるのが耐えられない」「いいかげんにしてくれ」「逢いたい」「頑張ってと言ってくれた」「話にならない」「許せない」「私はあなたの金ずると欲望の処理?」「心がわからない」「苦しい」「逢うと責めてしまう」「怒らしてしまった」「彼なりに誠実なのかも知れない」「結局金目当てか」「電話をくれて嬉しい」「優しさが痛い」「絶望」「やっぱり好きだ」「心配してくれて嬉しい」「疲れた、死にたい」「出会わなければよかった」
 どうしようもない男と、もっとどうしようもない女が、そこに居た。




 私はそれでもあの頃は、彼の最後の女になりたかったのだ。私の最初の男の最後の女に。親ほど年齢の離れた男は、多分私より先に逝く。それを看取ろうと思っていたのだ。馬鹿げた願望だった。
 そして金銭的なあれこれで段々と気持ちはすれ違いもっと関係はどうしようもなくなって、この男を殺して自分も死ななければと思うようになった。男は鬱の傾向があって、死にたいと思う癖があると常々言っていたし、私も自力で返済は無理な段階にきていたし、親にバレたらもうおしまいだと思っていたし、どうせ生きていても二人共未来は無いし、死を待つよりは心中しようかと本気で考えていた。殺すなら、刃物がいい。血を噴出して辺りを真っ赤に染めて、周囲の人間にこのどうしようもない関係を見せ付けるかのように殺して、私も死のう。



 結局死ねなかった。私は他に男が出来た。彼氏が出来たと告げると男は、よかったやんと喜んでいた。そしてもう部屋に来ないでと告げると「なんで?」と言われた。別にいいじゃんとそれからもしばらくは部屋に来た。
 しかし生活は経済的な破綻をしていて仕事にまで影響を及ぼしそうになっていた。ほがらかなCMを流す消費者金融の取立ての何てえげつないことか。男は何度頼んでもお金を返そうとしなかった。だって、無いもん、俺だって返したいよと言われる度に、じゃあ寝る間も惜しんで仕事を選ばず働けよと思った。私は昼間も夜も働いて返済している。私が好きで尊敬していたハズの男は、こんなに頼りない世間知らずのプライドだけが高い脆弱な男だったのか。働いて世間と向き合って糧を得るという当たり前のことさえ出来ない男だったのか。本で仕入れた知識だけが豊富な世間値の無い男。こんな男に、どうしてそこまで執着していたのか。




 とにかく働いて金を返してくれといい続けた。男は理屈を並べて、それこそ昔のように金で買えない友情を返せだのテープと手紙を実家に送るだの、お前はキチガイだの怒鳴り続ける。どうしてしまったんだ、お前は、と嘆かれた。全く話が噛み合わなくなり平行線で先に進まなかった。
 訴える弁護士費用も無いので、知人の知人弁護士に相談した。借用書は無いけど振り込んだ証拠なら残している。ただ弁護士によると返済は実際問題難しいだろうと言われた。訴訟は成立しても相手に返済能力が無いからと。私も裁判に持ち込む費用と時間が無かった。私は私でその頃仕事のことでいっぱいいっぱいだった。自己破産や債務整理すると親にどうしても知られてしまう。それだけは避けたかった。男の親や婚約者に手紙を出して返済を頼んだ。男の母はからは自分はもう年でどうすることも出来ないと電話があった。それを知った男は部屋に来てドアの前で私を罵倒しまくった。うちの親はもう年で体も健康じゃないのに、許さないと言った。男の婚約者からは何の連絡も無かった。共通の知人からも返済を迫ってもらった。しかし無いから返せないの一点張りだった。



 そのうちに親に知られて、私は京都を離れた。実家に帰ってきて男を恨む暇もなく日々に追われていた。それでも共通の知人を通じて返済を迫ってはいた。私にとっては簡単に諦められる金額ではなかったし、その為にいろんなものを犠牲にして働きまくったし、知らなくてもいいことまで知ってしまったり、経験しなくていいことまで経験してしまった。世の中は金じゃないなどと言うヤツを信用しない。金があってこそだ、全ては。私は昨日本屋で本を買い、化粧品屋で香水とマスカラを買った。喫茶店で珈琲を飲んだ。それをとても幸福だと思う。金が無いと、そんなことも出来ないのだ。私のお金を返さない男に、はいもういいですよ、あげますよなどとどうして言えるだろうか。周囲の人にはもう諦めた方がいいと言われた。親にも。実際それしかなかった。男に返済能力は無かったから。そして、貸した私が一番悪いのだから。



 男から電話があった。俺には返そうにも金が無い。でも出来る限りのことをし精一杯の誠意を見せると、だからもう終わりにしようと。俺も辛いんだよ、母が亡くなった。俺も体が健康ではないし仕事もうまくいかないんだ、と。



 私に「もう私も年だからどうすることもできない」と電話をかけてきた彼の母親は亡くなってしまったのだ。結婚すると言っていた婚約者ともいつのまにか疎遠になっていたようだ。詳しい理由はわからないけれども彼の婚約者は事情があり働けない人だったし、それを支えるほどの経済力は彼に無いだろう。そこまでの根性も、覚悟も。彼から振り込まれた金額は、私が彼に貸した金額の100分の1の金額だった。




 それからも、何故か電話があった。取り留めの無い話をした。私はもう責める気力もなくなっていた。疲れていたのだ。もうどうすることもできないことはさすがにわかっていたし。とにかく疲れていたし、考えるのも嫌だった。
 彼は電話で言った。

「やっぱりお前と話すと、楽しいわ。」

と。何を言っているんだと思った。関係を持ってからは、楽しい会話なんてほとんどした覚えがない。


 いつもセックスのことを聞かれた。ちゃんと、誰かとしてるのか、そしてそれはいいのか、と。してると言えば、よかった、本当によかったという。俺はそれが心配だったんだと。してないと言えば、いい人を見つけろと言う。俺はお前に幸せになって欲しいと。セックスをしろと、お前はそれが好きだからと、男は喜んでくれるかと。具体的なことなんて、言いたくないから言わない、それは人に言うもんじゃないし、大体、あなたは私のセックスなんて覚えていないだろう。ほとんどしていなかったし、キスだって2度しかしてないし、と皮肉を言うと、

「覚えてるよ、お前の中の感触も。」

 と、言われた。



 ああそうだ。確かにこの男は私の初めての男だった。この男のモノが私の中に入っていたのだ。もうずいぶんと前の話だけれども、確かにこの男の粘膜と私の粘膜は繋がっていたのだ。



 しかし私の方は、その感触を全く覚えていないのだ。その男の性器はなんとなく覚えているけれども自分の中に入っていた感触がどうしても思い出せない。あれは、本当は、無かったことなんじゃないかと思えるほどに。



 俺は、あれ以来誰ともしてないよ、と男は言う。そんな気力もないし、したいとも思わなくなった。元気がなくなったんだ、年も年だし。ただ、勃起しにくくなったことにとても不安を感じている。俺は、もう男として終わりなのかも、と。それは、恐怖だ。だから、会わないかと男は言う。会って、昔のように、と。



 それを聞いて、力が抜けた。情けなくなった。あんなドロドロの関係で二人ともボロボロに疲労して、それでもまだそんなことぬかすかね。本当にこの男はどうしようもない。そして、そうしてしまったのは、私だった。私が、ここまで駄目にしてしまったのだ。勿論、それは出来ないよと言った。それをしたら、終わりでしょう、と言った。



 男は、俺もしかしたら入院して手術するかもと言った。別に命に別状があるようなことではないけれども、年齢も年齢だしな、と。ああ、そうか。男はもう還暦近い。私の親と同世代だもの。私が親を年とったな、と思うのと同じぐらい、この男も着実に年をとっていたのだ。そして私も、初めての男と添い遂げるとか、男の最後の女でいたいとか、結婚することが愛情の最良の形だとか、恋愛は永遠だとか、セックス=愛だとか、そんな夢を信じていたような昔の自分では、もうないのだ。

 この男を忘れてしまうことは不可能だ。そうするには関わってきた年月が長く、そして私はこの男の影響を受けすぎた。漫画家になりたいと思うほど好きだったのに「子どもの読むものだから止めろ」と言われて漫画をあまり読まなくなったのも、あの作家や、あの作家の本を読むことも、あの音楽を聴くようになったのも、この男の影響だった。映画館で働き始めたのも、この男が映画が好きだったから会話が出来るかも知れないという動機だった。好きなお笑い芸人も、この男に貶されるから、こっそりとしか見られなかった。男が嫌な顔をしそうな、馬鹿にされそうな傾向の本は押入れの中に隠していた。言葉使いも直されたし、眼鏡をコンタクトにしたのもこの男に言われたからだった。俺はお前にいい女になって、幸せになって欲しいんだよと言われた。そうして私は支配されていた。私も支配されたかったのだ。なんでも知っているその男を尊敬して神のように思っていた。



 この前、ふとしたことから、ハタと気づくことがあった。もしかしたら、あの男は、私のことを好きだったのではないかと。



 私はずっと、この男はなんでこんなに私を苦しめるのだろう、婚約者がいるならそれでいいはずなのに、どうしてこんなに私を苦しめるのだろう。私を憎んでいるのか、憎んでいるからこんなに苦しめるのかとずっと思っていた。縁が切れない男への執着を続ける自分が呪わしかった。金をせびるため、性欲処理の為に私から離れない、私を憎んで苦しめようとしている男との縁が切れない自分の弱さがどうしようもなく呪わしかった。



 でも、もしかしたら、あの男は、私を愛してなどはいなかったけれども、あの男なりに、好きだったのかも知れないとふと思ったのだ。どうしてどうしてあなたはそんなに私を苦しめるのか、そんなに私が憎いのかとずっと思い続けてきたけれども。
 実際のところは、わからないけれど。



 男と初めて知り合った日から、もう15年以上が過ぎた。20代の頃は、その男が私の全てだった。愚かな日々だったけれども、愛しても愛されてもいない自堕落でぐちゃぐちゃな憎しみだらけの関係だったけれども、確かに存在していた日々だったのだ。



 お前と話すのは楽しい。だから逢わないかと関係を復活させることを望まれても、私にはその気はなかった。今の私には、書物の海に溺れるだけで経験を自分のものに出来ない観念だけでリアリティの無い浅薄な男に従う気は全くない。現実を怖がるあまりに自分の狭い世界の中だけで生きてそれに気づいてさえいない、自分を守る為に人を支配したがるプライドだけの男とヨリを戻す気などない。自分の性器が、自分のセックスが、私の全てだと未だに思っているかのような男と。あれからいろんな男と私は寝たのに、それでも自分の性器とセックスで私を釣れると思っている男に。




 彼が死んだら、私は生きていられないと思っていた。彼は多分、私より先に死ぬ。その時私はどんな悲しみに襲われるだとうか、それがとても怖かった。彼が私をどんなに憎もうが苦しめようが、彼を失うのが怖かった。



 
 しかし、今はもう、彼に何かがあっても私は動じないだろう。別れた男の、初めての男の最期を看取るという物語は私の中には無い。そんな情が残るには、憎み過ぎたし、愛されなさすぎた。彼の言葉をそのまま信じるなら、私は彼の最後の女なのかも知れない。それでも私はもうそこには行けない。たかが、初めてセックスした男にしかすぎない。




 愛情が無くてもセックスなんて出来ると、教えてくれたのは、この男だ。そんなこと、最初から、知りたくなかったし、知るべきでもなかった。




 忘れてしまうには長くて濃い年月だった。でも例え忘れることは出来なくても、葬ってしまうことなら出来るはずだ。あの頃の弱くて愚かな私と、あの男を、共に葬ってしまおう。葬って朽ちて烏に啄ばまれて野ざらしになるのもいい。火葬して灰になってもいい。立ち上る煙はゆらゆらと天に昇り、鳥辺野の露と消えん。



 鳥辺山のけむり立ち さらでのみ住みはつる習いならば いかに もののあはれもなからん 世はさだめなきこそ いみじけれ
                         兼好法師



 葬ろう。あの場所に。二年坂の果てを東に曲がれば大きな鳥居と桜並木の参道がある。そこを登ると墓地がある。幕末の志士達の眠る墓地が。都を見下ろしそびえる墓地からは、手前に五重塔が見えた。その周辺には石畳の道が広がっている。
 生涯で、最も憎んだ人だった。しかし、もう全てはここに葬って過去のものにしてしまおう。そして二度と誰にも支配などされずに自分を頼りに生きていこう。



 眼窩には桜が広がっていた。もうすぐこの桜も散ってしまう。しかし、来年には、また花を咲かせる。それだけは確かで、だからこそ人は生きていけるのだ。


 さようなら、ほんとうにさようなら。