元気の素


 昔、本当に、むかーし、何かの本で読んだ「自分は好きな人の元気の素でありたいし、好きな人は自分の元気の素であって欲しい」と、いうセリフを、恋愛だけじゃなくても仕事やら何でも、何かあって凹みそうな時に、よく思い出す。単純に、いい言葉だなぁって思うし、恋愛って、そういうモンだと思う。恋愛って、そうであって欲しいと思う。お互いが、お互いの元気の素であるべきだと。そして、そうなれなくなってしまった時が、恋愛が終わる時だと思う。

 
 たまに本屋で、うんざりすること。「女性エッセイ」コーナーに羅列する本のタイトルと、「女性が読む雑誌」の特集の見出し。モテる女になりたいだの、小悪魔がどーのこーの、いい男との恋愛がどーのこーの、愛される女とはあーだのこーだの、こんな恋愛がしたいどーのこーの、クリスマスやバレンタインには、またあーだのこーだの、、、、、、、、


 あの〜ぉ、、、、世の中の女性の方は、どこまで本気で、「モテたい」だの「小悪魔になって男をGET!」だの、「いい男と恋愛したい!(だからいい男の定義って、何?)」だの、思いつめてらっしゃるのでしょうか?ああいう本が、あれだけ本屋の本棚を占めているということは、それだけ需要があるってことですよね?ああいう場所に居ると、あるいは美容院の待合室で、普段全く手にしない「女性誌」を読むと、「??????」と、なることがあります。


 嫌味とか謙遜では無く、私は非常に殿方にモテない人生を送ってきて幾星霜。そもそも普通に男に相手されてたら、私のブログを読んで下さっている方々にはお分かりでしょうが「男運悪過ぎるシリーズ」な歪んだ人生を辿っておりません。初キスは、24歳で、しかも初フェラより後で、キスなんて二十代の時は、数回しかしていないという人生。男の部屋に行ったこともないし、誕生日やクリスマスに男に何かを貰ったとか一緒に過ごしたことなんて、未だに一度も無いよ。男と旅行に行ったり、デートしたり、セックスの回数も、きっと平均を間違いなく下回る。(平均って何だかよくわかんないけど)変態行為とか、濃いことはしてるけど!
 しかし奥さん!これは負け惜しみで言うんじゃないんですが(多分)、私は、「モテたい」と、あんまり思っていないんですよ。そら、嫌われるのはかなわんけど、好きな人に好かれたいけれども、どうでもいい人とか、相手は誰でもいい人とかにモテてもめんどくさいだけやないの?って思うんだけど。ましてや厄介な人に(仕事関係者とか・笑)モテて、自分がその人の事を好きならいいけれども、別に〜って程度やったら、ホンマにめんどくさいだけやんか。でも、これは私の友達も皆、同意見なのですよ。仕事関係者なんて、本当に噂広まり易いし、いらんやっかみ言うてくるヤツも現れるし、余計な事が派生して、仕事のマイナスになることが多い。真剣な恋愛ならいいけど、そうじゃなければめんどくさいだけだ。

 でも、「同業者限定やりまん」で、狭い世界でモテた気になって、勝った気になってる女は、どこの世界にもおりますねぇ。人の男とかばっかりと寝たがって、モテて「勝った」気になってる勘違い女とかは。仕事がやりにくくなるだけだよ。
 純粋なやりまんは、セックスが目的だけど、「狭い業界内限定やりまん」「社内限定やりまん」「人の男狙いやりまん」は、セックスを手段にして、優越感を得ようとしているから、うざいの。そういう女は、わざわざ「私ってモテてるの!」と、それをアピールするからね、必ず。さりげなーく。屈折してるから、正攻法じゃなくって、他人が察する形で、それをアピールするの。そうやって、セックスを「手段」にしちゃう時点で、どうかと思う。



 ほんで「モテたい」ってことは、自分という存在には価値があることを他人を通して確認したいという行為なワケで、それって、「人を愛する」ということと、対極にあることじゃないの?そこには「自分」しか存在しない。そら、他人が自分の鏡で、他人の存在を通して自己認識するということは、人と人とか共存する中で、当たり前のことではあるけれども、過剰に、それも、いい年をした大人が「モテ」がどうのこうのにこだわってるのって、、、私は、正直うんざりする。冗談で明るく言うてるならともかく、本気で思っているのならば。



 あと、「いい男」の定義と言うのも、実はよくわかりません、、、私は、自身の人生に誠実であれば、「いい男」だと思うのですが、そんなこと深く付き合ってみないとわかんないことだし。雑誌の「いい男特集」で芸能人が出てるのも、よくわかりません。だって、知らない人だもん。知らない人が、「いい男」か、どうかなんてわかんないのだ、私は。あの某誌の「抱かれたい男」とか「好きな男」とかのランキングなんかも、全くわかんないの。俳優として、歌手として、いいなぁと思う人は居ても、抱かれたいか、好きかと聞かれたら、「だって知らない人だから、そこまで思わない」という感覚なので。



 それから、バレンタインやクリスマスや誕生日を一人で過ごすことに悲愴感を強調する人も、よくわかりません、、いや、私も「ウケ」を狙う為に、「今年も一人やでー」とかは言うよ。クリスマスイブなんか、一人で北海道行ってたし。それはウケ狙ったわけじゃないけどよ。しかしイベントって、そんな大層なことなんでしょうか。そら、好きな人と過ごせたら嬉しいし、出来たらそうしたいけれども、イベントの時期とかの雑誌の見出しや、街の宣伝攻撃に囲まれていると、なんだか「恋愛しろ!」と脅迫されているようだ。


 
 恋愛は、大事です。人生のメインであると私は思います。だけど、世の中に溢れる「恋愛」に、うんざりすることも多い。モテたい。モテないことはもの凄く可哀想なことだ、モテない私って不幸、いい男をつかまえたい、たくさんの人に好かれて自分の価値をあげたい、たくさんの男に好かれる為に女度UPしなきゃ、自分の価値をあげたい、男に好かれなきゃ意味がない、女として駄目だ、、、、、って、これって、「恋愛」とは、一番ほど遠いところにあると思う。そこには、「自分」しか存在しない。「私」しか存在しない。




 人間は、誰だって自分が一番大切だし、まず「自分ありき」だと思うけれども、自分の為に他者を利用するだけの「恋愛」なんて、しない方がマシじゃねーかと思う。鏡を見て「私!私!私!」って、叫んでた方がいいよ。望むだけの、与えることが出来ない、与えることなど思いも寄らない人間が、恋愛で幸せになることなんて出来るはずが無い。


 とか、言って、、、自分を「愛してくれ」と願いながら、相手を助けたつもりでお金を渡して相手を駄目にしちゃった私が言うのも、なんかアレだけど!恋愛に関しては、駄目駄目ちゃんなので、偉そうに言うのは、本当はアレなんだけど!


 でも、やっぱり恋愛、、と言うか、人間関係の基本は「お互いがお互いの元気の素でいられる」ことだと思うのですよ。わざわざ苦行のような恋愛を好き好んではしたくない。世の中には中途半端に苦行のような恋愛をするのが好きで、そういう形でしか生きる実感を味わえない人が居て、そーいう「恋愛で苦しむのが好きな人」が、わかったように恋愛を語るのを見ると、私は、そういう人の後頭部に「必殺バスガイドキック」をかましたくなるのよ。要するに、そういう人は暇なんだよ。暇だから、娯楽にしてるんだよ。苦しむことによって充実感が味わえる「恋愛もどき」を娯楽にして酔っているんでしょう、自分に。賢く大人になったような気分を味わえるしねぇ。


 私ゃ、中々に痛い目に遭遇してるわけだけど、それでも懲りずに人を好きになっちゃったりするし、恋愛したらやっぱり幸せな気持ちになるし、他人から見たら「馬鹿」状態になっちゃうんだけど、そうやって「懲りない」ということは、信じてるんでしょうね、「幸福な恋愛」というヤツを。



 恋愛が、いいモンじゃないのなら、人は、これほどまでに恋愛映画や恋愛小説に焦がれない。
 何故、人は、人を好きになるのか。それは幸福になりたいから。幸福になる為には、お互いがお互いの「元気の素」であるべきだ。



 どうしたら、自分が相手の「元気の素」で居られるか。それは、自分が元気でいるしかないでしょう。ぐだぐだ「モテたい」だの、しょーもないことばっかり望んで、与えることを知らない傲慢で怠惰で暇で暗い人間より、心が元気な人間で居ること。どうしたら、「元気」な人間になれるか、そういうことを大事にすることの方が、「どうして私はモテないのか」とか考えるより、健全だと思う。悩んだり苦しんだりする人間より、元気で明るい人間の方が、間違いなく人に好かれるし、何より自分が楽しいんだから。



 本当の「恋愛」。自分だけじゃなく、自分の好きな人と一緒に幸せになろうとすること。そういう「恋愛」は、やっぱり人生のメインだと思う。



 恋愛は、幸せになる為に、するものです。
 その為にも、お互いが、お互いの「元気の素」で、あり続けたいし、そのことを忘れるべきじゃないと思う。
 人を好きになることは、好きな人がいることは、めちゃめちゃ幸福なことだ。