桜の墓

 友人と別れて私は大阪城を眺めながら川沿いの桜の回廊を歩いた。満開の桜が果てしなく続くこの道を歩きながら、以前にも、この道を歩いたことがあることを思い出した。



 あれはいつの季節のことだったのだろうか思い出せない。桜の季節では無かったことは間違いない。ほとんどその道に人は居なかったから。私は乳首を洗濯鋏で抓まれてコートの下は全裸で首輪をつけられ、苦痛で顔をしかめながら男と歩いていた。


 その男の事は、今はもうほとんど覚えていない。数回関係しただけの間柄だった。恋人などではない。御主人様だった。


 私は何度か奴隷の真似事をしたことがある。そういう場所で出会いを求めたわけでは無いのに、普通の男女の出会いをした筈なのに、何度か奴隷になった。私はマゾだと言った覚えは無いのに、サディストの真似事をする男に縁があった。
 私がセックスした二人目の男からは「好きだ、愛してるよ。」という甘い言葉を受け入れた後で、SM雑誌を手渡された。私は団鬼六が好きだし、伊藤晴雨の責め絵も昔から好きで、その影響で未だに髪を長くしているけれども、そんなことは他人に告げたことはなかったのに。最初の男に性欲と恋愛感情と引き換えに金を渡し続けて破滅した後で、陰鬱なその男との世界から逃げた私を待っていたのはご主人様達だった。「好きだ、愛している。」と私に言ってくれた男達は「君は僕の奴隷だ」と、言葉を続ける。


 
 二人目の男と初めてセックスして、乳房が痣だらけになったけれども、私はその痣が愛おしかった。だって、初めて好きだ愛していると私を必要としてくれた人がつけた刻印なんだもの。その人に排泄物をかけられて写真を撮られて「頭がおかしい」と吐き捨てられて捨てられた後に知り合った新たな御主人様に首輪をつけられて歩いたのが、その川沿いの道だった。低温蝋燭でも悲鳴をあげるほど熱かった、鞭できつく叩かれると身体に痣が出来た、麻縄できつく縛られても痣が残ることを知った、公衆トイレで浣腸されてホテルにつくまで我慢させられて蒼白なままで歩いた、その人とのセックスの時はいつも私は手首を縛られていた。


 けれども私は自分が本当のマゾヒストではないことを知っていた。痛いことをされても快感などは全くなくて、苦痛でしかなかった。麻縄が絡まないように四苦八苦しながら亀甲縛りをする「エセ御主人様」を滑稽味を感じながら冷静に観察していた。快感などは全くなかったけれども、「感じるでしょ?」と聞かれたら、「感じる」と答えたし、「こういうの好きだろ?お前はマゾなんだから。」と聞かれたら、苦痛を堪え頷いていた。


 好奇心だけで、信頼関係の無い御主人様との奴隷ごっこは長続きしない。どちらかがうんざりしてそれっきり。楽しいなんて思ったことは一度も無い、気持ち良いなんて思ったことは一度もない、心の無いSM行為には。けれども妻や大事な本命の恋人には出来ないことでも「こいつならさせてくれるだろう」と私は思わせてしまうのか。そして私は、その通り、拒まなかった。



 何故拒まなかったのか。愛され守られ可愛がられるような求められ方をされたことの無い私は、欲望と憎しみをぶつけられて痛めつけ貶められるような必要のされ方に縋っていたからだ。そういう形でしか自分は求められることは無いと思っていた。「本命の恋人」を大切に守り、私から金を搾取して苦しめる最初の男には憎まれていると思っていた。自分はそういう憎まれたり痛めつけられたりする求め方しかされないと思っていた。それでも、必要とされることに縋っていた。


 ある時まで、私にとって、セックスとは「痛い行為と引き換えに快感が得られるもの」だった。決して楽しい行為では無かったのに、それを求めていた。何度身体に痣を作ったことだろうか。愛情の欠片も無い無責任な御主人様との奴隷ごっこはお互い虚しさしか残さなかった。



 セックスが「痛い行為と引き換えに快感が得られるもの」では無く、「楽しい行為」だと知ったのは、30歳を少し過ぎてからだ。死にたい死にたいと思いながら生きることを止めてからだ。あの首輪をつけられて歩いていた夜が、現実ではなくて夢だったような気がする。あの頃は、きっと責められ苛まれ痛めつけられ、そのまま目の前にいる男の手で私は殺されたかったのだ。自分で自分を殺せないから、殺してくれる相手を探していたのだ。だけど自分が痛めつけられ殺されることだけを望み、相手を愛して奉仕することなど思いもよらない偽者の奴隷は、そのまま愛されず殺されず捨てられて生き残った。



 生き残って、再びその川沿いの道を歩いた。満開の桜の下を。海に流れ込むその大きな川は、果てしなく続いて、少し酔いながら歩いていくうちに自分がどこに居るかわからなくなり迷ってしまった。もっと酔うことが出来たなら、そのままどこまでも歩いて行って、疲れ果てて道端に倒れでもするか、泣いて叫んで誰かに助けを求めるかもできたのだろうけれども、酔えない私、酔うことが怖い私は、泣くことも誰かに助けを求めることも出来ずに元来た道を引き返し駅へ戻った。誰も私を助けてはくれないし、守ってくれることもない、自分を救うのは自分自身しかいないし、自分を守るのも自分自身しかいないから、独りで生きて行こうと決めてから、もう「御主人様と奴隷ごっこ」をすることもなくなった。あの頃の自分の男達との関わり方は男に対する憎しみしか残さなかった。だから私は未だに男からの愛され方を知らないし信じることが出来ない「男運の悪い女」のままだ。


 「男運の悪い女」なんてネタにはなるけれども現実には良いことなんてないし、なによりも自分自身がそのことにうんざりしている。愛し愛された方が、いい。お互いを信じて共に前を向いて生きていく方が、いいに決まっている。




 桜の樹の下には屍体が埋まっている。手を土まみれにしながら屍を掘り起こすと、あの頃の痛めつけられることでしか必要とされない狂った私の骸骨があった。骨になって朽ちてしまった筈なのに腐臭が漂う。可哀想ね可哀想ねと私は私の骸骨を抱きしめ撫でる。他の誰もお前を愛さなくても私だけは私の腐臭漂う骸骨をも愛してやらねばと頬ずりをする。骸骨を掘り起こす私の事を痛々しいから止めろと言う人もいる。過去の事は全て忘れなさいと言う人もいる。だけど私は時折こうやって土を掘り起こして私の骸を抱いてやることで自分を許そうとしているのだ。お前は悪くないよ、だからこれ以上自分を責めないでと、私自身が言わないと骸骨は救われず腐臭を発することによって泣き叫び続けてしまう。


 この無残な骸があるからこそ、今の生きている私があるのだから、私は私の屍体を愛でて抱きしめてやろう。お前のおかげで今の生きている私があるんだ、ありがとう、と。これからも痛みを抱えながらも泣いて戦って傷つきながら生きていくから。私は強い、弱いけれども強い、傷つき痛めつけられながらも今までこうして生きてこれた。時には悪になっても生きてこれた。お前の泣き声が止む日まで私はこうやってお前を抱きしめ愛で続ける。



 だからお前も私に力を貸しておくれ。もっともっと私は強くなりたい。もっともっと生きる力が欲しい。痛みを与えられても、それに負けない力が欲しい。もっともっと生きる力が欲しい。弱い自分に負けたくない。




 桜の樹の下には、確かに屍体が埋まっているのです。生き続けることは地獄です。寂しさや悲しみを増やすことだからです。それでも痛みを抱えながらも逃げずに自分に嘘をつかずに生きていたら、何かいいことはきっとある、生きててよかったと思うことはあると、それを信じて生きていくしかないのです。



 生き残っているということは、何か、きっと意味のあることなのだから。痛めつけられることでしか生きがいを見出せなかったお前の存在も、きっと何か意味のあることだったと私は信じたい。
 だから今、私が抱えるこの痛みも、何か意味があることだと信じたい。今は苦しくて苦しくて堪らないこの痛みも、いつか自分に力を与える何かになると、信じたい。