あの場所を通る度に


 私は関西生まれの関西在住人間でもあり、仕事やらなんだかんだと移動することも多いので「福知山線」という路線にも何度か乗ったことがあります。福知山線に乗る度に、あの凄惨な事故の事を思い出します。JR福知山線の尼崎での数年前の事故のことを。http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou05/0425ke90690.html



 あの場所は映像で見るとかなりのカーブでマンションと線路が隣接しているように見えますが実際に電車に乗っているとあんなカーブのようには思えません。しかし電車が減速するのがわかります。


 あのニュースを聞いた時にまず思ったのは「何故、また尼崎?」ということでした。尼崎には知人友人が何人かいて、阪神大震災で家を失ったり肉親や友人を失っているからです。幸い私の友人達は無事でしたがショックは大きいようでした。


 あの事故の後にJR西日本は随分批判されました。JR職員への嫌がらせのニュースも見ました。確かに批判されるべき点は多いのは間違いないですが、私はどうしても職業柄、JRだけが悪いとは思えなくて、批判されながら現場で働いている人達のことを考えると他人事とは思えなかったのです。

 尼崎に住む友人のうちの一人は添乗員をしていた時の同僚でした。彼女とあの事故のあと随分話をしました。二人とも同じことを考えていました。

 私達はバスでお客さんを観光地などに連れていく仕事をしていましたが高速道路というものはしょっちゅう渋滞するし、その他のトラブルなどで帰りが予定より遅くなるなんて当たり前の出来事だと思っています。だからなるべく朝の挨拶の時に、そういうこともありうると話ます。けれども実際に渋滞に巻き込まれてとかで予定より行程が遅れると怒り出したり無茶を言うお客さんがいます。用事に間に合わないぞどうしてくれるんだなどと。高速道路ではないのですが目的地が目の前なのに渋滞でなかなか進まない時にバスは3車線の真ん中にいるのに「すぐ目の前なんだから歩いていくからここで降ろせ」だの言われたこともあります。そうやって道のど真ん中でお客さんを降ろして、あるいは道路で急かされて猛スピードを出して事故にでもあったら誰の責任でしょうか。急かしたり、バス降ろせだの言うお客さんの責任にはなりません。乗務員の責任になります。


 JRに勤める別の知人は改札口で、または車内で車掌をしていて「電車が遅れてる、どうしてくれるんだ、用事に間に合わない」と怒鳴られてお客さんに殴られたことがあると言っていました。私も電車が故障で止まった時に車掌に怒鳴りかかる男性を見たことがあります。そんなことをしたってどうしようもないのに。


 私は恥ずかしい話ですが添乗員をしていた時に仕事中に泣いたことが何度かあります。多分、他の人より多いと思う。いつもパターンは同じです。お客さんに吊るし上げられたり罵倒されたり無茶難題をふっかけられたり。雨の日にバスの窓が水滴でくもり景色が見えないのに添乗員が窓を拭かないとか、バスのテレビで頭を打ったとか、予定時刻より帰着が遅れたとかで会社にクレームが来たこともあります。ツアーの車内でいきなり署名集めだす男性がいて注意したところ罵倒されたこともあります。

 最近どこの駐車場もバスのエンジンは待機中はかけてはいけない(地球温暖化を防ぐ為とか、近所迷惑だからとか)、出発の直前にかけるようにと言われています。だから予定より早めに帰ってきたら車内のエアコンがきいてなくて夏なんか蒸し風呂のようです。そのことが原因で帰りの車中で延々罵倒されまくって(他のお客さんは私を庇ってくれたのですが)最後の挨拶で我慢できずに泣いたこともあります。


 高速道路の走行中に「株札を買ってこい」と命令されてその高速沿いにある全てのSAPAに電話で問い合わせたのですが花札しか売ってなくて添乗員が気がきかないと怒られたこともあります。コース表は事前に渡してあるし朝に説明もしてるのに見てなくて聞いてなくて「次の場所まで2時間ある」というと「遠い!」と怒鳴られたこともあります。格安ツアーで食事内容が悪いだの文句言われることもしょっちゅうです。友達はツアーで「旅館の部屋の窓からの眺めが悪い」というクレームが来て延々文句を言われたそうです。一泊二日で12000円ほどの費用のツアーで、どこまでのサービスを要求してくるのか。


 さすがに女なので殴られたりということはないのですが(いっそ殴られた方が問題にしやすいんでいいんですが)、屈強な運転手とか年配の添乗員には大人しく従っても、若い女だから口調を変えるとか命令形になるとか態度を変えるとか、あるいは触ってもいいとか、そういうことは確実にあります。確かに女だから得をすることも多い。けれどもメリットがあるならデメリットも当たり前についてくるのはわかるのだけれども、それでもサービス業ゆえの不条理な出来事に悔しい思いをすることは避けられない。


 そしてそういう上記のような振る舞いを恥ずかしげもなくするのは、ある程度の年齢の男性。そして酒を飲んでいます。私にも確かに至らない点はあった場合もあります。でも、車内で不条理とも言える文句を大声で怒鳴りつけてくるのは決まって男性が多い。大抵が酔っています。酔っているから周囲の人の冷たい視線も気にならないようです。

 オバサン客は確かにわがまま多いし好き勝手なことを言います。若い子も勝手な行動をとったりすることも多い。それで手を焼くこともあるけれども、過剰に不条理にこちらを攻撃してきたり、旅を楽しむ目的ではなくてケチをつけにきてるとしか思えないような行動をとるのはいつも男性。


 恥ずかしくないのかと思うけれども、恥ずかしくないからできるんでしょうね。彼らはいつも立場上やり返すことが出来ないこちらが頭を下げる姿を見て、勝ち誇ったように得意そうにします。

 自分の娘ほどの年齢の女の体を平気でベタベタ触るのも「客だから」「酔っていて無礼講だから」許されるみたいですね。
 私は好きな男以外の男に髪の毛一本も触られることは本当は、身の毛がよだつほど嫌いです。それが例えばホステスとかコンパニオンとかの仕事ならともかく、添乗員とかバスガイドとかは本来はそういう触られる仕事ではないと思っています。
 顔はひきつりながら笑っていますが、本当は触るヤツを殺したいです。だから酒の席、特に上下関係のある酒の席が大嫌いなのです。
 でも「そういうことも有りの職業なんだ」って言われる度に、自分は向いてないと思います。私の体に触れていいのは、自分が触れたいと思う男だけです。


 だから仕事を辞めたくなることなんて、本当はしょっちゅう。客の前で泣いたこともあるけれども、家に帰って一人で泣くこともあるし。だから、本当は、こういう仕事は自分は向いてないと思う。


 自分は悪くないのに、怒られたりすることは組織の中にいたら必ずある。不条理なことは、必ず。
 そして見事なぐらい自分のことだけしか考えず無茶な要求をしてくる「客」に対して怒りを覚えながらも頭を下げることしかできない悔しさに負けてしまいそうなことも、サーボス業してたら絶対にある。


 尼崎に住む友人は、こう言っていました。

「でも、あれ電車の時間が遅れたから、運転手さんがスピード出しすぎたのが原因とか言われてるけど、その気持ちわかるよね。うちらも、バスが予定より遅れてお客さんに急かされたり怒鳴られたりすることあるやん。で、その時に、頼むから運転手さん違反してもいいから、もっとスピード出してーお客さんにうちが怒られるーって思っちゃうことあるんだけど、本当は駄目なんだよね。安全第一なんだよ、お客さんの。でも、とにかく急げ遅れる!ってせかされたりすると、安全っていうのが疎かになって判断誤っちゃうことってあるよね。だから、あの事故でJRだけを非難できないよ。」


 こんな話をある運転手さんに聞いたことがあります。

「駐車場で最近は待機中はエンジンかけられないから、車内は蒸し風呂になるし、エンジンをかけてもすぐに涼しくなるもんじゃないから帰ってきたお客さんに、車内が暑い暑い、もっと早くエンジンかけて涼しくしてろって怒られるやろ?でも、ワシがドイツ人の団体さんを乗せた時に、気をきかせたつもりで、暑いやろなってちょっと早めにエンジンかけてエアコンきかせてたんよ。そしたらドイツ人のお客さん達は、『そんな早くから、バスが走行する前からエンジンをかけるなんで非合理的なことするべきではない。燃料が勿体ないし環境に悪い。』って怒るんよ。一般的にって話にしたらアカンけど、いかに日本人が自分のことしか考えてないんやなぁって思ったわ。」


 そういう、なんやかんやといろんなことが積み重なって、あの事故は起こったのだと思います。JRの体質を変えるべきだという人もいるし、確かにそうなのだろうけれども、変えなきゃいけないのは、JRだけではないはず。



 あのたくさんの人が亡くなった痛々しい場所を通る度に、傲慢かもしれませんが、何故自分は生きているのかとも考えます。辛いことも多いのに。これからも、きっと。
 しかし生きているということは、生き残っているということは、生かされているということでもあるのだと思うし、それなら、ただダラダラと生きているだけじゃいけないなとも思うし、辛いことがあっても、そういうことも含めて感謝しなけりゃいかんと思う。


 尼崎の事故現場を通る度に、凄惨な光景を思い出します。いや、それだけじゃない。まだまだ記憶に生々しい、阪神淡路大震災の地獄のような光景も忘れられません。


 神戸に行く度に、よくこれだけ復興して蘇ったものだと感慨を覚えます。震災の後の神戸の町は、もう再起不可能だとしか思えないような無残なものでした。



 尼崎の友達は、強い。震災で家を失ったことも、二重ローンを親が支払っていて、金が無くて自分の結婚式も新婚旅行もしなかったことも笑って話す。
 

 関西は、壊れまくって壊れまくって、それでも「生きててナンボや」と傷を背負いながら泣き笑いすることのできる街だから私は好きなんです。



 あの場所を通る度に、いろんなことを考えます。壊れる度に再生して、更に強くなっていく尼崎の街を、神戸の街を通る度に。