去年の桜・その4


 私は走り続けた。悩む暇も落ち込む暇も無く。

 盆正月GWも休日出勤を頼まれたら断ったことは無かったし平日に派遣で行っている会社の仕事が無ければホテルでのお運びや厨房の手伝いスーパーの試食品のマネキン、勿論バスガイドも添乗員も仕事がくれば全て受けた。派遣で行っている会社に勤める前には営業もしたし立ちっ放しで足が棒になる工場勤めもやった。田舎は仕事が限られる。職安に行っても30過ぎで学歴も資格も無い女の仕事は限られている。しかし限られているけれども無いことはないのだ。「自分に都合のいい仕事」を選ばなければ、ただ金を貰う為だけなら何か仕事はある。例え時給が安くても。だから一つの仕事だけしかしていないという時期はほとんど無かった。常に副業をしていた。何も無い私が家を出る為のお金を貯めようと思ったら人の倍働くしかない。人が嫌がる仕事も引き受ける。朝早い仕事も急な出張も酔っ払いの相手みたいな仕事も全部引き受けた。友人とは離れていたし誰かと「遊ぶ」ことなどほとんどなかった。働いて働いて働き続けた。


 地を這うように働いていたのは私だけじゃなかった。世の中には上手に生きられない人間がたくさん居る。夫に暴力をふるわれ離婚して子供を育てる女、家族と家のローンを抱えて家事をしながらもフルで働く主婦、皆、必死で働いていた。私なんかまだ独り身で気楽な身分だった。皆必死に働いて生きている。「何も無い」人間が出きることはとにかく働くことだけだ。現実を生きるだけだ。クビになれば次を探して働くしかない。自分の代わりはいる。だからこそ必死で皆働いていた。悩む暇も落ち込む暇も無い。走り続けているのは私だけじゃない。

 けれど走り続ける人間は不幸ではない。立ち止まって、くだらないことに囚われて愚痴を垂れ流し現実から逃げる人間より幸福だ。生きていること、生き延びていること、それだけでも幸福なことなのに、その「幸福」に気付かずに、ぬるい地獄の居心地の良さに嵌って人を僻んだり愚痴るだけで動かなかったり何でもかんでも世の中や他人のせいにする、くだらねぇ遊びを続けて歳をとっていくだけの人間より、生きていくのに必死で走り続けていく人間の方が、よっぽど幸福だ。苦しむことや悩むことでしか生きている実感を味わえず、人の気をひけず、それによって賢いつもりになっている人間よりも、たとえそれが他人から見て、ほんのささやかなことでも、小さな幸せを数えて生きることのできる人間の方がよっぽど幸福だ。


 私は、走り続けた。一人で、じゃない。共に走り続ける人達と。そして私は去年の4月に、今現在働いている会社に面接に行ったのだ。家を出るつもりでいたけれども両親は間違いなく反対する。そして両親の反対は正しいのだ。男に貢いでサラ金に手を出した馬鹿娘の尻ぬぐいをしてくれた両親。都会で一人暮らしをさせたらまた何かしでかすかわからない得体の知れない怖い娘。私は私の両親に同情する。こんな娘を持ってしまった両親に同情する。だから私は人の親にはなれない。私は生まれるべきではなかった不良品だから、そんな不良品を授かり尻ぬぐいをさせられ、それでも懲りずに都会へ戻ろうとするキチガイ娘を持った人達に同情していた。


 両親には内緒で、始発電車に乗って街へ出た。親に反対されるのはわかっていたから既成事実を作ろうと思って先に就職を決めようと思っていたのだ。その為に資格も幾つか取得した。そして社長に会って話をした。今は田舎にいるけれども、夏には必ず出てきますと言った。「始発で来たの?」と聞かれて「はい」と答えた。社長は私の履歴書を見て、「いろんな仕事をしてきたのね。資格も頑張ってとったのね。」と言った。「頑張り屋なのね。私は、頑張り屋が好きなのよ。田舎から出てきたら必ず連絡してね。」と、言ってくれた。


 面接が終わった。「これからどこかへ行くの?」と、社長が私に聞いた。「せっかく出てきたのだから、京都へ桜を見に行こうと思います。」と私は答えた。

 電車に乗って、京都へ向かった。涙が出てきた。私は三十半ばになっていた。かって私が羨んだ華やかな「自分以外の女」達は、皆どうしているだろうか。結婚して子供がいる人も多いだろう、働き続けている人もいるだろう。彼女達は皆、幸福なのだろうか。私は他の女達が当たり前のように享受している幸福をほとんど手に入れることが無く二十代を終えた。三十代になってからも、ひたすら働くだけだった。私は相変わらず「普通の女」達が当たり前のように享受していた「幸福」を手にしてはいない。だけど今はそれを不幸だとか自分は運が悪いとかそんなふうに思うことも無くなっていた。


 京都へ向かう電車の窓からは、今が盛りと咲き誇る桜が見えた。私は泣き続けた。悲しくて泣いていたのではない。生きてて良かった、死ななくてよかった、生き延びてこれてよかったという幸福に泣いていたのだ。


 京都の東山の円山公園に行った。咲き誇る枝垂桜の周りには人が集っていた。そこから少し南へ下り霊山護国神社に登った。この神社には幕末の志士達の墓があり、坂本龍馬の墓から見下ろす京都の景色が私は好きだった。龍馬は32歳で不慮の死を遂げている。吉田松陰29歳、高杉晋作27歳。私はとっくに彼らが亡くなった年齢を超えていた。龍馬の墓から見下ろす京都東山には桜が街を覆う霞のように広がっていた。

 綺麗だと思った。生きててよかったと本当に思った。何かを見て美しいと思って、生きててよかったと思える日がやってくるなんて二十代の私には考えられないことだった。ずっと毎日世の中を呪って死にたい死にたいと思い続けていたのだから。


 どうして私はあれだけ死にたい死にたいと思っていたのに、死ねなかったのだろう。初めての男に憎まれ金を搾取され身体を売れと言われ、二番目の男、初めて「愛してる」と言ってくれた男には排泄物をかけられ写真を撮られ「あなた頭おかしいんじゃないですか」と突き放され捨てられて、他にも「好きだ、愛してる」と言いながら嘘ばかりを重ねる男もいた。そしていつも私が好きになる男には他に女がいたり自分を守る嘘をつく人だったりして、私を愛さない人ばかりだった。


 私はどうして死ななかったのだろう。生き延びているのだろう。私は、愛されたいのだ。偽りの言葉じゃなく、「愛してる」と言われたいのだ。恋愛感情を抱くなとか、あなたは頭がおかしいとか、セックスしたことを後悔してるとか、出会うべきじゃなかったとか、そういう言葉に地獄に落とされ、私は男への、そう言わせる自分自身への憎しみを深めていたのに。


 私は、人を好きになること、そしてセックスが怖い。そのことから逃げている。逃げ続けている。私の恋愛感情と性欲はいつもマイナスの方向へ行く。私が好きになる人は、いつも私に背を向ける。その悲しみから目を背ける為には、私の方が背を向けて逃げるしかない。セックスして想いが深くなるのも怖い。



 怖いから、私は逃げる。人を好きになっても「好き」と言えない。言葉にするのが怖い。裏切られるのが怖い。拒否されるのが怖い。世の中を憎み、生きてきたことを恨み、男を愛さず憎み続けて逃げ続ける人生の方が私には「正しい」のかもしれない。


 それでも人を好きになって、セックスしたいと思ってしまったり、愛してると思ってしまう「正しくない」自分がいる。誰かを好きになると、「また私は間違えてしまったのだろうか」と過去の嫌な記憶がポロポロと零れ落ちてくる。怖い。ものすごく怖い。人を好きになることは怖い。逃げたい。逃げてしまいたい。無かったことにしてしまいたい。一生誰も好きにならずに自分の事だけを考えて生きていく方が、私という「人間の不良品」にとっては正しい選択だと思う。


 だけどどうして私は生き残ったのかと考えると、それはきっと「愛されたい」からだと思うのだ。何故死ねなかったのか、どうして生き残って、自分の傷である恋愛感情や性欲を「無」にしてしまうことが出来ないのか。愛されたいから。偽りじゃなく、真実の言葉で、愛されたい、そして愛したい。会って、キスして、セックスして、一緒の時間を過ごしたい、愛してると言いたい、愛してると言われたい、だから私は死ねなかったのだ。


 現実に実家を出ることは容易なことでは無かった。両親は私が家を出ることを大反対した。母には狂乱したように泣かれた。お前は何をするかわからない目の届かないとこに行かせるわけにはいかないと号泣された。母は正しい。多分、親にあれだけ迷惑をかけたのに、それでも親に更に心配をかけて家を出ようとする私が間違っている。見合いをして結婚してくれ、それは平凡な人生かも知れないけれど、それが一番幸福なのだ、家族を持って、家を持って、そうやって生きてくれと懇願された。
 だけど私はこのまま田舎に居たら自分の罪の十字架の重さに押しつぶされいつか必ず自死すると思った。私は生きたい、生きたいから家を出たい、罪悪感から逃れる為に、どうしても家を出なければいけなかった。


 結局、許されないままに私は部屋を決め引越しの準備をしていた。父は「いくら反対しても首に縄をかけるわけにもいかない」と諦めてくれたようだった。母ももう何も言わなかった。そうして去年の夏に、私は家を出て、かって暮らしていた街に戻ってきた。


 それまで田舎で派遣で働いていた会社の同僚達は送別会を開いてくれた。私が辞める最後の日には花束をくれた。私も泣いていた。Nちゃん(彼女に関しては美少女調教日記参照)も泣いていた。


 去年という一年は、そういう年だった。そうして私は足を情に絡めとられながらも家を出た。生きる為に、死なない為に。


 本当は今でも耳元で死にたい死にたい死ね死ねと囁く死神は消え失せてはいない。何かの拍子にふと暗い淵を覗き込んで絶望してしまったりすると、小声ながらも死神の声が聞こえる時がある。だけど私は死にたくはない。生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい。失われた時間を取り戻す為に、いや、私には読みたい本や見たい映画や行きたい場所がたくさんあるから今は死ねない。

 そして、「愛してる」と言われたい。愛されたい、愛したい、「愛してる」と言いたい。
 だから、死ねなかった。だから、生き延びている。


 過去を忘れることは出来ない。今でも痛い。昔の事を思い出すことや、人を好きになること、好きな人とセックスしたいと思うことは、常に痛みを伴う。逃げたい。でも逃げても逃げられないこともわかっている。それならば、痛みと共に生きていくことしか出来ない。

 痛みと共に、生きていくしかできない。痛みを無かったことにしたり、痛みから逃げたりすることなんて出来ないのだから。

 「愛してる」と、言われたいから、愛されたいから、「愛してる」と言いたいから、だから、そうやって生きていくしか出来ない。


 去年の春、坂本龍馬の墓から見下ろした桜を、今年も見にいくことができる。これ以上の幸福があるだろうか。死ななくて良かった、生き延びてこれてよかった。



 ありがとう。生きてきて良かったと思わせてくれた全ての出会いに感謝します。





 一応、これで終わります。って、本当は終わらないのです。何故なら私の人生は、まだ現在進行形で、しょっちゅうつまずいて転んで怪我して間違いを繰り返して痛い目に合いながらも、まだまだ走り続けているのですから。