去年の桜・その3
故郷に帰る前は、複数の男と関係していた。
「女の不良品」「人間の不良品」であった私、男に貢いで借金を背負って働く私。可哀想な私。昔読んだ漫画の中に「同情という餌で男は釣れる」と台詞があった。初めての男の元から離れ、二番目の男からは思い出すだけで身の毛がよだつ言葉で捨てられ、男を憎み始めた「可哀想な私」に同情した男達が「可哀想な女を救いたい」物語を見出だしたのだ。苦労したんだね、可哀想だね、酷い男だね、助けてあげたいけれども僕は何も出来ないんだ、ごめんねと言いながら私を抱いた。
何も出来ないなんて最初からわかっている。二番目の男がそうだった。可哀想な若い女に同情した男は「愛してる」「好きだよ」という言葉を私に浴びせたくせに私が自分の中の理想の物語のヒロインではないと知った途端、私を捨てた。「あなた頭おかしいんじゃないですか」と、言われた。
私は同情という餌で釣れる男を軽蔑した。そして私は男の欲望の対象となり、初めて「女という商品」になった。全ての男が消耗品ならば、全ての女は商品だ。私はずっと「女という商品」になれない、男の欲望の対象にならない「女の不良品」である自分に劣等感を持っていて、それが最初の男との関係で「人間の不良品」「人間以下」にまで堕ちていた。それが、他の男と寝て、欲望の対象にされ、「女という商品」になって私は何故か救われたのだ。
耳元で死ね死ね死ねと囁き続ける声は時折遠くなっていった。完全に聞こえなくなったわけでは無いけれども、だいぶマシになった。だけど私の目の前には虚無の闇が広がっていった。
男を憎むこと。誰も愛さないこと。もう私は男に依存などしない。男を必要などしない。誰かを愛したり必要となどしない。
闇が広がり目の前は何も無い。手を伸ばしても何も無い。
女である私がアダルトビデオを見る時に、「女という商品」しかも裸を、セックスを売る商品である女達の事について考えずにはいられない。男の欲望の対象である「女という商品」になることが、良いことづくめだと何人の人間が本気で思っているのだろう。「女という商品」になり利益を得れば得るほど正比例してリスクも大きくなる。私は女という商品になって救われる人間もいることを知っているけれども、その果てにある闇を見て見ぬフリもできずに、アダルトビデオを、裸を、セックスを売る「女という商品」の象徴ともいえる女性達に罪悪感が拭えない。同性だからこそ、「女という商品」の果てにある闇から目を逸らすことができなくて時折アダルトビデオを見ることが「痛い」。
複数の男との関係も、私が故郷に帰ることによって終わった。両親は私を責めなかった。キチガイの馬鹿娘の借金を肩代わりしてくれた。いっそ見捨てられて罵倒されたなら、私はあのまま死ねたのにと、一瞬そんな残酷な事も頭をよぎった。
私は田舎に戻った。職を探した。パソコンも使えず、学歴も資格も無く、30歳を過ぎた私は、なかなか仕事が見つからず面接も落ちまくった。
女であるとか、駄目人間であるとか、生まれるべきじゃなかった人間だとか、そんなこと以前に、私は働かねばいけなかった。死ねなかったのだから。生き残ったのだから。生きている限り人間は何かをしなければいけない。とにかく働かなければいけなかった。家に居るのもいたた堪れなかった。
それからの数年間は、ひたすら走り続けた日々だった。とにかく働いた。早出も残業も休日出勤も頼まれれば必ず受けた。平日は派遣で会社勤めをして土日は別の仕事をすることもあった。働かねばならなかった。生き残っているのだから、何かをしなければいけなかった。悩んだり立ち止まったりしている暇は無かった。何かをしなければ、何をしたらいいか、とにかく今しなければいけないことは、働くことだった。仕事なんて選べない。何もできない私は仕事なんて選べない。何でもできる人間になりたかった。生きていく為には生きる術を身につけなければいけなかった。私は何も無い人間だから、何かを身につけて、何でもできる人間に、とにかく食っていける人間にならねばならなかった。私には結婚をして男の人に養ってもらうとか、誰かと生きていくとかいう選択肢は無いからだ。
一人で生きていかねばいけない。生き残ってしまったのだから生きていくしか選択肢が無い。一人で自分の足で生きていくには、生きていく術を身につけなければいけない。泣きながら勉強して国家資格を取った。頼まれた仕事は断らなかった。一人で生きていくために、生き残る為に、私は生きる術を身につけていくしか無かった、どんなに辛くても。
人を羨ましがる暇なんて無かった。悩む暇も羨望する暇も落ち込む暇も無い。生きていくには、働かねばならぬ。何も無い私にできることは、ただ、働くことだけだ。
そして、私は、この故郷をどうしても出たかったのだ。男に依存して破滅して私は故郷に帰らざるを得なかった。大嫌いだった故郷に。このままでは、私は一生自分の罪という十字架を背負いながら故郷を憎み続けなければいけないことになる。私は私の背にかかる重い十字架から解放されたかった。生き残った私は、生きたかったのだ。
いつのまにか、死ね死ね死ね死ねという声は、ほとんど聞こえなくなった。代わりに、生きたい生きたい生きたい生きたい生きたいと私が私自身の喉の奥から叫び続けていた。
生きる為には、死なない為には、故郷を出るしかなかった。その為にも働いた。故郷を出るお金を貯める為に。そして、一人で生きていく為に何をしても食っていける技術を身につけようとした。
生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい。
私は死にたくない。まだまだやりたいことは、たくさんあるのに。行きたい場所や、読みたい本は、たくさんあるのに。私は二十代の時、本当に何も無い人間で、男に依存することしか出来なくて破滅して地獄に落ちた。
私は私の失われた二十代を取り戻したかった。
生きたい。死にたくない。
そうして、走り続けた。両親が反対する事はわかっていたけれども、それでも家を再び出る準備の為に走り続けた。
思いの他、長くなりましたので、次回に続きます。