去年の桜・その2
その男と出会ったのは19歳の時。22歳上で、文章を書く仕事をしている人だった。それからしばらくは、友達、、というのでは無いけれども、話が合う人というだけの存在だった。彼には皆の公認の婚約者が居て、私もその人に紹介された。疎遠になっていた時期もあったけれども、何となくたまに会って話をする関係だった。何時間でも話ができた。思ったことや興味があることを話しても、初めて「おかしい」とか言わずに聞いてくれる人だった。壁を作らずに接することのできた初めての人だった。24歳の時にホテルに誘われて、私は初めてキスをした。キスもフェラチオもセックスも、その人が初めてだった。だけど、その人には皆の公認の婚約者が居たし、一度いろんなことがあって揉めて別れた。その日、私は夜中に脱水症状を起こし這うように病院へ行き点滴を打った。
それから数ヶ月毎晩泣いていた。友人と飲んで泥酔した時に泣きながら電話をかけた。そしてそのテープを録音された。久々に会った。会っていただいた。セックスをして頂いた。仕事が上手くいかないから故郷に帰るかもしれない、本当は帰りたくないお金が必要だと言われ、私は生まれて初めて消費者金融に足を踏み入れて60万円を用意した。そこから地獄が始まった。
キスを拒みフェラチオしかさせない男の為に言われるままに私は消費者金融からお金を借り続けた。最終的には7社から借りていた。その男は私の事を愛してはいない憎んでいると思っていたけれども、それでも「俺は死にたいと思う癖がある」男を死なせない為に私は金を貸し続けた。今思えば依存していたのだとわかるのだけれども、当時は好きな男を助けたい、死なせたくないと、それだけしか頭に無かった。昼間は正社員として働いていたけれども、収入は全然足りなくて、だけど昼間の仕事の時間帯が不規則なこともあり、夜はテレクラのサクラをしていた。毎日睡眠時間は3、4時間だった。身の回りの本やCDは全部売った。人付き合いするお金も無かったので、友人は減った。罪の意識に苛まれ実家にも帰らなくなった。そのうち会社に消費者金融から電話がかかってくるようになった。私は居た堪れなくなったけれども歳の近い上司は事情を知っていたからそこに居ることが出来た。
あの頃、私は狂っていた。お金を渡した日だけ、男は挿入「してくれた」。30万円渡した時には、ご褒美に私の性器を舐めてくれた。しかし普段は敢えて私の体に触れることは避けて、自分の性器だけを何時間も舐めさせ続けた。唇に触れると激怒された。挿入する時は、いつも数回動かして、はい、終わり、だった。私は確かに狂っていた。それでも私を相手してくれるのはこの男しか居ないと思っていた私は他の男に目をむけることもしなかった。私の恋愛感情と性欲を利用してお金を借り続けながら次第に働かなくなった男との生活は30歳近くまで続いた。
今でも非通知の電話がかかってくる度に目の前が一瞬真っ暗になる。消費者金融には債務者のリストがまわっているらしく、知らない金融会社から電話がかかってくることもしょっちゅうある。会社にも電話があった。一日でも期日が遅れてしまうと、罵倒する電話がかかってくることもあった。それでも私は誰のせいにすることもできない。お金を借りた私が悪い私が悪い私が悪い私が悪い誰のせいにも出来ないお金を借りたのは私なのだから。やっぱり私は駄目な人間だ誰からも愛されず何もできず頭も悪く容姿も悪い不良品生まれてくるべきじゃなかった死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえ死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
毎日朝から晩まで耳元で死んでしまえと声がした。
男を殺して私も死のうと思った。私が寝る間も惜しんで働いているのに男は相変わらずだった。お金を返してというと、逆ギレされた。男の理屈はこうだ。お前の望むもの、つまりは俺の性器を提供してやってるんだから、怒られる筋合いは無い、と。
本当は私が欲しかったのは、男の性器では無く、その男の心だったのに。その男の心を引きとめる為に性器に執着するフリをしていた私の「嘘」が、男にそう言わせた。あなたが好きだからと私は言えなかった。私みたいな不良品、男の婚約者に嫉妬する資格も無い人間の、女の不良品が「好き」だなんて言う事は許されないと思っていた。私は人間では無かった。人間以下の何かだった。普通の人間、普通の女と同じように何かを望むことは許されないと思っていた。その頃には昔のような劣等感なんてものは消えていた。私は人間では無いし女でも無い生まれてくるべきじゃなかった存在だもの。男には逆ギレされ、消費者金融の取立て屋からも罵倒され私の耳元で死ね死ねと囁く声は日増しに大きくなっていった。
昔書いた脚本や大学の卒論を、文章書きを生業とする、その男に見せたことがある。男は鼻で笑って、お前に書く力は無いよと言った。それから私は文章らしきものを一切書かなくなった。ますます「何も無い私」になった。
あれは本当は夢だったんじゃないかと思う事がある。二十代の、あの男と関係していた日々、サラ金地獄に陥っていた日々は。金を返さない男を憎み夜中に包丁を手にしてじっと見ていた夜、枕元に包丁を置いて寝ていた夜、踏み切りを見ると飛び込むことばかりを考えていた日々、高いビルの上に登ると飛び降りることばかり考えていた日々。
私が運が悪い。同世代の女達は恋に仕事に自分を飾ることや遊ぶという私には一生手に入れることが出来ないであろう幸福を当たり前のように享受している。洋服なんて、フリーマーケットでしか買えない。居酒屋なんて人のおごりじゃないと行けない。男の人とデートはおろかキスもセックスも私には一生手に入らないものだった。私以外の人間は、それを当たり前に享受して尚且つ不満まで漏らしている。幸福が当たり前になり過ぎて幸福が幸福だとわからなくなっている人間の「不幸」に私はせせら笑いたくなる。
貧困ということが、どれだけ人間をあさましく醜く歪めることか、「善人」達にはわからないだろう。どれだけ世の中を憎み全てのものに殺意を抱くことか、「善人」達にはわからないだろう。誰からも愛されず人間以下の私が貧困の中で、どんなにあさましく醜い生き方をしてきたか。その時期の事は、私には書けない。忘れることは出来ないけれども、思い出すだけでも自分で自分を殺したくなるからだ。思い出すことは怖い。世の中を憎み、それ以上に自分の存在を憎んで死ね死ね死ね死ね死ねと自分に言い続けてきた日々の事を思い出すと身体の奥にある呪いの焔がチラチラと揺れる。思い出したくない。しかし、忘れることなど出来ない。世の中と自分という存在に対する呪いの焔は未だ消えることは無い。だから私は結婚も子孫を残すことも自分には出来ないと思っているのですよ。
私は自分の中の善意というものを疑わない人間が嫌いだ。世の中の悪や差別や「見たくないもの」から目を逸らし綺麗事を語る人間を見ると、ひどく残酷な気分になる。そうやって、目を逸らして綺麗なものだけを見て世の中がわかった気になり語る人間を見ると、私のような腐った人間の排泄物を目の前に突きつけてやりたくなる。人間は善だと信じ、人はわかりあえると信じ、世の中は平等だと信じて疑わない人間を見ると、腐った醜い「私」は、そいつらを指さして笑ってしまいそうになる。「善人」達は、「悪人」の存在を見て見ぬフリをして「無かったこと」にしているから、恥ずかげもなく綺麗事をほざけるのだ。
男は、お金を返せと責める私に「お前は悪魔か」と言った。お前は、すきものだから、身体を売ればいいとも言った。お前も好きなものが手に入って、その上お金も儲けられて、いいじゃないかと男は言った。
人間は、わかりあえない、断絶していると、その時思った。
居心地の良かった会社が閉鎖した。私は職を探したけれども学歴も何の技術も資格も無い「何も無い」私には出きることは少なかった。それでも昔少しかじったことをいかせるのじゃないかと、旅行関係の仕事を始めた。いろんなとこに行きたかったのだ。借金をしてからは旅行なんて行けなかったから、せめて仕事で行きたかった。そのうち仕事が楽しくなった。人に喜んで貰うことが自分の喜びである事を知った。何も無い、何もできない、人間の不良品の私が、初めて「仕事」の楽しさを知った。それまでは「仕事」というものは、ただ金を貰う以外の何物でも無かった。楽しいなんて思ったことはなかった。お金を貰う以外の「何か」を見出したのは初めてだった。
仕事が楽しくなった。何かをすることで「楽しい」と思ったことなんて、学生時代に脚本を書いて、それが演じられて皆に褒められた時以来の事だった。
仕事が楽しくなった。死ね死ね死ね死ねと耳元で聞こえる声が、以前より少し小さくなった。それなのに、そんな時に経済的に完全に破綻して、実家に全てがバレた。「すぐに帰ってこい」と、親に言われた。バレた時は、すぐに死のうと思っていたのに、私がそれが出来なくて帰るしかなかった。
やっぱり私が運が悪い。
やっと、「楽しいこと」が見つかったのに。辞めざるを得なかった。私は神様に憎まれて、苦しめられているのだとしか思えなかった。その頃、生まれて初めて「愛されてる」と思えた男の人とも、私が実家に帰ることによって離れざるを得なかった。
やっぱり私が運が悪い。最悪だ。あれほど嫌いだった故郷に私は帰らざるを得なかった。私は30歳を過ぎていた。
続きます。って、多分、次ぐらいで終わります。